国 語 事 変 中込さんの字はとても上手で、文字は人を表すと伴ジイが言っていたのを 思い出した。 だから丁寧に書きましょうと伴ジイが言っていたのも思い出した。 オレは字が下手で、紙の上で字が躍ってる。名前の欄からはみ出すし、 この前のテストでは字が汚いからって×をもらった。 オレは中込さんみたいな字が書きたくなった。 国語の授業中、オレは教科書の文字をノートに書き写した。 教科書の明朝体を真似しながら一生懸命に書いていたら、 文字の練習というよりはレタリングの練習になっていた。 「問い1井伏、2番は中込、3番は千石。前に出て答えを書いて」 「え!」 いきなり呼ばれてオレは問題を探した。 どこ、どこ!と周りに聞いても首を傾げられてしまった。 みんな授業ちゃんと聞いてろよ! 「千石、早く前にでなさい」 どこの問題だかわからないままオレは前に出た。 白いチョークを手にとり、教科書のレタリングしか 載ってないノートを見ているふりをした。 となりで中込さんが問い2の答えを書いていた。 チョークで書いているのにすごく上手くて、オレは自分の ノートの文字をみた。 きれいにレタリングできている。 レタリングしてどうする! 「第二段落の三行目のところ」 「・・・ここ?」 「そこ」 中込さんが小さな声で答えの行を教えてくれた。 ドキドキした。 ひとりでツッコミをいれていたオレを解答がわからなくて 悩んでいるのだと思ったようだ。実際のところ問題も わからなかったのだけれど。 「あんがと」 チョークを持つ手が震えて、字がいつも以上に乱れた。 ついでにチョークが折れた。 席に戻って黒板の文字を見直してみると、中込さんの横に 書かれているだけあって汚さが目立った。 「お、千石。正解してるじゃないか」 先生が問3に黄色チョークで○を付けた。 「でも字が汚いなー」 教室中がどっと笑ってオレは引き笑いをして見せた。 心で泣いた。 中込さんをちらりと見てみると、笑わずにノートと教科書を 見比べていた。 その真剣な横顔にオレは引き笑いを忘れてみとれてしまった。 ノートの上でシャーペンが軽やかにすべる。 残りの国語の授業でオレは教科書のレタリングをやめて 中込さんの真似をしてシャーペンを動かしてみた。 途中でシャーペンの芯が折れた。 中込さんの手が不意に止まった。 どうやら彼女のノートに折れた芯が飛んでしまったらしい。 中込さんはちらりとオレのほうを見た。 オレが手をあげて苦笑いして謝ると笑った。 なんつーか、ああいう笑い方を『微笑む』って言うんだと思った。 中込さんが前に向き直った瞬間にオレのシャー芯がまた折れた。 オレは動悸息切れ眩暈キューゥシン・キューシン状態だった。 「中込さん!」 放課後、黒板を消してた中込さんに声をかけた。 教室にはオレと中込さんの二人だった。ラッキー! 「さっき国語の問い3のときありがと!オレ全然問題聞いてなくてさ すげー焦ったよ。つーか中込さん頭いいよね、字ウマいし」 「ありがとう、でもそんなに上手くないよ」 「ウマいって。習字とかやってたの?オレ字ヘタだから教えてよ。 この前なんか数学のテストなのに字が汚すぎて読めないからって ×にされたんだよ。オレにも習字教えて」 「習字は習ってるけど、教えられるほどじゃないし」 「今時間ある?オレが字を書くから○つけしてください」 「え、今?」 中込さんは驚いて瞬きをした。 押すっきゃねえ! 「書くよ!」 有無を言わさず、オレは黒板に文字を書いた。 中込さんが今さっきキレイにしたばかりの黒板にオレの汚い文字が 鮮やかに刻まれる。 一画一画ていねいに。 チョークの粉がハラハラとおちた。 チョークが途中で思いっきり折れて、縁起が悪すぎて泣けた。書いてみて、オレは気づいた。 これって ものすごくこっぱずがしくないか、と。 顔が赤くなった。オレのな。オレの。 中込さんは、ぽかーんとしちゃってる。 ぽかーん、って。 な、泣きてェ... 中込さんは黄色いチョークを手にとった。 書き終わったとき、黄色いチョークが二つに折れた。 顔が赤くなった。中込さんの顔な。中込さんの! つまり あれなのか これは つまり 君も 動悸息切れキューゥシン・キューシン状態、と。
翌朝、一時間目の伴ジイが 「おや、今日の黒板はきれいですね。すがすがしくてよいですね」 と言った。 オレたち以外、昨日この黒板でこっぱずかしいやり取りがあったこを 誰も知らない。 筆圧強く書きすぎて、二人でものすごく苦労して消したことも 誰も知らない。