ドロシーは愛犬とともに不思議なオズの国へやってきました。
 かかし、ブリキの木こり、おくびょうなライオンが仲間に加わって
 一向はエメラルドの都を目指します。
                     ――オズの魔法使い――




オズ



「明日のコンソレに備えて今日の練習は調整程度にしとけよー」

南がネットの向こうで指示を出す。


オレは臆病なんかじゃない。
心の中でつぶやく。

なんつって、かっこつけてみたけれど
ちょっとテンパっててかっこわるい。
ビビるなオレ。
だから繰り返す。

オレンジ色に染めた髪で
口角を上げて笑って
曲芸にならない程度に飛び跳ねて見せる。

靴の周りの砂利を踏みながら
オレは臆病なんかじゃない臆病なんかじゃないと
音声無しで繰り返す。

白いラインテープの上をはみださないように歩きながら繰り返す。

グリップを強く握って繰り返す。

エンドラインにボールをつきながら繰り返す。

ボールをぎゅっと握って繰り返す。



ボールを高く放つと、頭が真っ白になってしまった。


















日が暮れてボールが見えなくなった。
南の声がかかって、一年がボール拾いをはじめる。

「千石、千石」
「うん なに 南」
「ネット片すからな」
「ああ うん オレ ボール 拾うよ」
オレはサービスラインで突っ立ったまま、ボールとラケットを握っていた。
オレは息を切らせていた。
「千石先輩、ボールいいですか」
「ああ、めんごめんご。壇くんおつかれ」
握っていたボールを渡すと、手が湿っていることに気がついた。
壇にならって、足元にちらばるボールを拾っていった。

臆病なんかじゃない

臆病なんかじゃない

ものすごいはやさで、誰よりも多く拾った。


「おい千石、どうしたんだよ」
「南。なにが」
「いや、なんかさっきからぼーっとしてるぞ。動きは機敏なのに」
「それわっけわかんないよ南」
「え、そうか。なんかそう見えただけだけど」
「南の目は藤壺だね」
「節穴な」
「自分で言ってやんのー」
「う、うるせ!」
「っというわけでオレちょっとトイレ!」
「どういうわけだよ!」
「ナイスツッコミ〜」


後ろのほうで南が何か叫ぶのを聞きながら、コートからはなれた。
できる限りはなれた。
持ち得る限りの脚力を以ってしてはなれた。
おれは臆病なんかじゃない。

臆病なんかじゃない。

臆病なんかじゃない。



部室の前を駆け抜け
水飲み場には目もくれず
石灰小屋の裏を突っ切った。
低い垣根を飛び越えて
校舎を一周するランニングコースへ飛び込む。
日が暮れたランニングコースに陸上部の姿はなく
走ってるのはオレひとりだ。
暗かったので変な顔したまま走った。


オレは臆病なんかじゃない


この顔を君に見られたら痛いなと思っていたら、
前方に君を見つけてしまって、全速力で飛びついてしまった。

君は受け止めきれずによろめく。

「痛かった?痛かった?ごめんね」
早口に告げて、君の頭をだきしめた。
「・・・千石くん、部活は」
ちょっと驚いた声で君は尋ねた。
抱きしめられたままでいてくれる君はやさしい。
だってオレは汗臭い。

「今終わったんだけど・・・その、いま、自主練中、みたいな」
「明日試合なのに、平気なの」
「平気だよ。全然平気だよ」
「そう、そうなんだ」
「うん、そうだよ」

いま、平気だといったオレは、コートから駆け出して
垣根を飛び越して君に飛びついたオレだ。
情けなくてかなしくなってきた。
顔をだらだらと液体が伝っていたような気がしたけれど、涙じゃないことを祈った。
汗であってもそれはそれで君に申し訳ない。
鼻水だったらごめんどころじゃすまない。
ごめんで済んだら亜久津には殴られない。
もとい、
警察はいらない。

けれども、どんなに申し訳ないことをしていても、はなれるわけにはいかない。
なんといっても
今にも崩れそうなこの脚を支えているのはほかならぬ君なのだ。
おはずかしい。


「・・・オレは臆病なんかじゃない」


心の中で呟いたはずが、音声になってしまった。
はっとした。
言っちゃった!


「ああどうしよう・・・オレ今オレは臆病ですっていったようなもんですかね」
「・・・うん」
「肯定しちゃうちゃんが好きだよ」
「怖いの?」
「言えないよ」
「言ったじゃない」
「・・・言ったけど」
「けど?」
「でもちがうんだ・・・ちがうんだよ」
「どうちがうの」
「それはええと・・・ちがわないんだけど」
「うん」

君は、言葉を適切に使うのがヘタなオレが
適切な言葉をさがして何度も瞬きするのをじっと待っていてくれた。
オレを突き放さないでいてくれる。
きみはなんてやさしい。

だからオレはおちついて考えられた。
やがて、息を吐くようにゆっくりと言葉を紡げた。



「勇敢になりたいです」








君はしばらく黙っていた。
やがて、思い出したようにこう呟く。



「ライオン」



突然、君は百獣の王の名を口にした。
オレはひるむ。
ひるんだオレを肌で感じたらしい君は、いっそうやさしく続けた。

「臆病なライオンは、勇敢な心を欲しがって」

君の声はオレの心臓にひどく近い。

「わたしが一緒に探してあげる」



君は、はずかしそうな顔をしていたと思う。
まあオレもさっきハズかしいこといったからドッコイだと思った。

それにしてもいま、おれ

しゅわーってなってる

心が沸騰してる

しゅわしゅわする
















 * * * 


汗で身体を冷やすといけないと、君はオレをコートへ促した。
ランニングコースをさっきと逆の方向へ歩いていく。

オズの国を歩く

勇敢な心をくれるオズはいない

かかしもいない

ブリキのきこりも犬もいない

でも君がいる



「ドロシーことちゃん」

コートの手前、オレは言う。

「なあに」
「ぼくが勇敢な心を見つけたなら、それは君が一緒に探してくれたおかげだよ」
「きっと見つかるわ」
「いつ」
「明日までには」
「よかった。それなら間に合う」

オレがそう言うと、君ははにかんだ。

「じゃ、またあとでね」

「うん」

「みっなみー!片づけサボってめんごー!」


みんなのとこまで走ってくと、南にチョップされて思わず笑った。













明日の試合までに、オレは勇敢な心を手に入れる。






夏生さんに感謝を込めて