ジェイドの執務室に現在一匹のブウサギが居る。
ほかのブウサギよりもずっと小さく、店で売られているブタの貯金箱くらいの大きさしかない。
それに、ネフリー(家畜の方)には敵わないもののそれなりにきれいな毛並みをしている。
生まれたばかりと言うわけでが、成獣でもないといったところか。
「勝手によじ登ってくるんじゃありません」
ジェイドが机に向かっているとブーツを伝って登ってこようと試みた家畜を振り落とす。
振り落とされたブウサギは鳴きもせず、ぽてぽてと机の下を抜け出すと少し離れた床にペタンと座り込んだ。
座り込んで何をするでもない。
執務室は静かなものだ。
ため息とともに回想してみる。
「よーうジェイド!最近少尉に冷たくされてるって聞いて励ましにきてやっ」
「たぞ」と続くはずだった言葉は途切れた。
床から出てきた皇帝の顔の横を音速で槍がかすめていったためだ。
しかし皇帝はめげない。
折れない。
全然懲りない。
「なーんだよぅ。そんな凹んじゃってんのか?抱いてやろうか?」
床から這い出してきた皇帝を一瞥することもなく槍を放ち、何もなかったかのように筆を取り続けているジェイド・カーティス大佐。その大佐の肩をべしべしと叩く命知らずのピオニー陛下はやはり大物なのかもしれないと、部屋の空気となっていたフリングス少将は思った。
「そう怒るなって。大技ぶっ放して少尉が大切に育ててきた植物を吹っ飛ばしたのはやっぱりおまえが悪いわけだしさ。はいコレ」
ジェイドの机に裸の女性がすごい格好をしている雑誌が置かれた。
「このページの子なんか髪の色がちょっと少尉に似てるぞ?」
「これはこれは陛下お気遣いありがとうございま全てを灰燼と化せエクスプロード」
息継ぎさえせず雑誌は粉砕された。
フリングス少将は今動けば殺されることを察知し、空気でい続けた。
「ツンデレだなあおまえは」
デレが見当たらない上にツンが激しく鋭角だ。
「そんなおまえには癒しが必要だ」
「ジャカジャーン」となんだか古くさい効果音を自分で言いながら、陛下は手のひらに乗るくらいのブウサギをジェイドの机に置いた。
ジェイドの持っていたペンがボキッとへし折れる。折れているのはペンの金属部分だ。
「新しく我が王国の一員となった村雨だ!」
「陛下、あいにく私は豚汁だかしゃぶしゃぶだかポークビッツだかには興味も食欲も関心も一切の好感もいだくことはございませんので即刻男子軍宿舎の厨房にお持ち帰りあそばしますようお願い申し上げます」
「おまえ本気で言っているのか!」
なぜかこの空気で真面目に皇帝が怒った。
大佐の机をドンと拳で叩き、手のひらサイズのブウサギを大佐の目前につきつける。
「すっぽんぽんの凛少尉が男子軍宿舎の飢えた男どもに集団で箸でツンツンされてもおまえは平気でいられるっていうのか!?」
「私は平気ですが皇帝陛下が正気か心配です」
「すっぽんぽんだぞ!?」
「すっぽんぽんって響きが言いたかっただけでしょうあなた」
「というわけで少尉はしばらくお前に預けるから、それで少尉と仲直りのリハーサルでもしておくといい。
ん?アスランいたのか、暇なら飯でも一緒にどうだ」
「いえすみませんごめんなさい私は空気ですので食事は酸素でじゅうぶんですすみません」
「なーにおもしろくなっちゃってんだよぉ!」
青ざめて部屋の角(最もドアに近いあたり)にいたフリングス少将は、ベシっと皇帝にでん部を叩かれた。
大佐の机には先ほどから一声も鳴かないブウサギが鎮座している。あの喧騒に微動だにしない感じは若干本物の凛少尉に似ているかもしれない、と少将は思った。
皇帝陛下は笑いながら執務室の扉を開けて出て行こうとし、
「待ちなさい」
ジェイドの眼鏡が光る。
「村雨だか少尉だか知りませんが薄汚れたメスブタなど私には必要ありません。即刻連れ帰ってください!さもないと本当に飢えた男どもの巣窟に投げ込みますよ」
皇帝はドアを開けたまま凍りつき、カタカタカタカタとぜんまい人形のようにジェイドを振り返った。
「あの・・・ジェイド・・・ごめん」
「悪いと思うならさっさと」
さっさと、の先は開いたドアの向こうに立っていた少尉を見た瞬間から永遠につながることはなかった。
まるで昔の戻ったかのように喧騒に眉一つ動かさない凛少尉はフリングス少将に敬礼をした。
「フリングス少将、飢えた殿方の巣窟に向かいたいのですが場所をご指示いただけませんでしょうか」
「お願いですから私を巻き込まないでください・・・」
ギイィィィ
バタン
そうして扉は閉まり、ブウサギと大佐がこの執務室に二人きりなって今に至る。
足によじ登ってこようとした一回以降、そのブウサギはジェイドの執務を邪魔することはなかった。視界に入らない場所で窓のほうを向き、座ったままだ。
四つ足の家畜のくせに、あの姿勢で背骨が疲れないのだろうか。
いけない。
気にしたら負けだ。
ジェイドは自分の行うべき職務を継続した。
30分経過しても
60分経過しても
90分経過しても
ブウサギはその位置から動かない。
「・・・腰を痛めますよ」
振り返らない。動きもしない。遠くを見つめている。
本当に昔の少尉のようだ。
咳払いをしてみる。
動かない。
「・・・村雨」
耳が動いた。
「こっちへ来なさい」
ポテポテと短い四つ足で寄って来た。
手のひらを床に伸ばしてみると擦り寄ってきた。身体の側面をこすりつけて、これは相手の興味をひきたいという意味合いの仕草だと以前本で読んだことがある。
「・・・少尉もこれくらいわかりやすければ」
わかりやすければ。
わかりやすければなんだというのだ。
ジェイドは省みる。
親しくならざるを終えない状況に追い込まれた末に多少親しくなっただけだ。
手は出していないし(胸には触ったが)彼女が意識的に誘惑してくるということもない。仲直りするほどの仲は存在しない。
にも関わらず、皇帝が植物園で少尉に求婚した後に秘奥義を放った私は、少尉のエロい寝姿にぽんこつにされたあの夜のことをまだ引き摺っているというのか。
あれは単なる事故の連続だ。一体歳がいくつ違うと思っている。
私は落ち着くべきだ。
「・・・」
おもむろに家畜を手のひらに乗せ、持ち上げる
卓上に下ろすとジェイドの人差し指をブウサギの短い前足が離さなかった。
その仕草はなんとなく、ジェイドの寝室で本物の村雨が小さな手のひらでジェイドの手を握ったきりはなさなかった時を思い出させた。
―――会いたかった
あれは自分に言ったわけではないと知っている。はずなのだが。
振り落とすべく指を揺すってみると、しがみついた村雨(家畜)も指の動くとおりに揺れた。
それでも離さない。
仕方のない家畜ですねえ。
食糧危機に直面したときにはおまえは最後に食べるように計らってやりましょう
・・・
・・・・・・!
「私としたことが、危うくほだされるところでした。男子寮ではなくあの馬鹿の部屋に戻してやる私にひれ伏して感謝しなさい!」
勢いをつけて席を立ち、吐き捨てるも
村雨(家畜)はすりすりしている。
くっ・・・!ほだされるものか!
壊れかけのジェイドがピオニーの私室に小さなブウサギを放り込むと、ジェイド(家畜)が寄って来て村雨(家畜)の背後から覆いかぶさった。
これは交b・・・
オスを蹴っ飛す。
「いい年して若い子にがっつくんじゃありません、まったく」
家畜に言ったはずの言葉が、なぜか自分に跳ね返ってきてさっくり刺さった。
それからというもの、ジェイドは凛少尉と距離を置くよう努めるようになり、ジェイドの衰退を好機と見た皇帝が急激な攻めに転じることになるのだが、それはまた別のおはなし。
おしまい