「私は適切ではありません」
ジェイド・カーティスが言った。
村雨をゆっくりベッドに座らせて、ジェイドは三歩の距離をあけた。
ルーク・フォン・ファブレ帰還のその年に、村雨はカーティス姓となることを受け入れた。滅びた都の王は『これを凛の血の終わりとも、血の継続とも思わない』と少し寂しげに呟いたけれど、ジェイドの4度目のプロポーズに応じたのである。スコアを手放した世界は不安が大挙して押し寄せるが、心が追いつかない程の希望と喜びをも与えるのだと、はじめにルークが教え、次に村雨がジェイドに教えた。
「どうして?」
村雨は腹に手を置いて、「私は適切ではありません」の理由をゆっくりと尋ねた。落ち着いている
胎に子が宿る。
今日病院でその事実を聞き、村雨は最近の不調の理由を知ってか、ほっとしていた。月経までは心が穏やかな歩みをしてくれず、月経を迎えるとふと落ち着くのに似ている。ジェイドは彼女を伴って病院へ行ったわけだが、診断を聞いた後ことさらに口数が少ない。そして先ほど我が家について、口数が少なくなった理由を言葉にした。
「私は・・・」
私は人の命を理解していなかった。今だって理解しているかわからない。理論として命を定義して、体系づけて、暗記したに過ぎない。フォミクリーの技術が生み出したレプリ・・・私は命を生み出すことが不得意です。わかっているでしょう。世界の人間の中で最もそれが不得意だと言っていい。たとえルークが私に一握りの希望を与えたのだとしても私は命を生み出すものとして、いえ、生むのはあなたなのでしょうが、そうであっても人の命を理解できない人間だ。だから
「私は人の命の父親として適切ではありません」
長い言い訳、考えていることの説明は人の命に関する点においてジェイドの器が小さいことを露呈させた。
自分は矮小な人間だから、命を負えない。
もう命はこりごりだ。
村雨は天蓋付きのベッドに腰掛けたまま、腹に置いた手のひらに目を落とした。ジェイドの位置から見ると、下向きに視線をやった村雨は長いまつげ
まぶたのなめらかな曲線
落ち着き払って
ジェイドの言葉に幻滅したか、傷ついたのかさえわからない。
先ほど述べた長い言い訳を見えない盾にして、ジェイドは村雨の次なる所作に備えた。
たっぷりと時間を空けて
「この子はわたくしに似るでしょう」
村雨は言った。
「わたくしはわたくしの母とよく似ていたと言います。わたくしの母もまたその母と似ていたと言います。凛の血族はたとえどんなに醜悪な男性と交わろうとも生まれるのは凛の血をたたえた者です。わたくしの姿をして生まれるでしょう」
腹の子を撫ぜる姿は一見優しげであるが、強靭にジェイドの目に映っていた。
「子の名を、村雨とつけます」
目がかち合う。
「同じ名と同じ姿を持つ、同じ命から生まれたものが同じでないことをあなたに教え続ける」
言い訳の盾を目の前に構え、かたくなに、堅牢に自分を守るはずが、対峙した相手が強すぎたことを知った。
ジェイドは驚いたことに、本当にジェイド自身が驚いたことに、目の前で微笑んだ好きな人が怖くなった。
震えるこぶしをぎゅっと握りこむ。
足は床に接着剤で貼り付けられたように動かない。
重い。
盾は壊れた。
吐き捨てる最後の抵抗
「・・・そんなことを言って、私のように陰険で、頭と顔ばかり良くて、欠落した人間が生まれてきたらどうする!」
「そうね」
「そうです、私はもう二度と私のような人間を作り出してはならないんです、それくらいわかりなさいっ」
「そうね」
「私は、もう二度と・・・あんな後悔を」
あんな後悔を
あんな後悔を
あんな後悔を
「 誰にもさせたくない 」
手が伸びてジェイドの握られたこぶしに触る。
掴まれて引き寄せられて、すれ違うほど近づいて立ち、村雨はベッドにもう一度腰掛けた。
ジェイドはベッドには座らず、けれど踏みとどることもできずに、ベッドの傍らに膝をついた。
ジェイドが伏せた顔の上のほうから白い手のひらがジェイドの後頭部に乗った。
ジェイドが伏せた顔の上のほうから声が落ちてくる。
「わたくしの名と姿を持つこの子にジェイドの優しいこころが宿りますように」