覚えているか幼きピオニー皇子
覚えているあの日母上が子守唄を歌い、ぼくをねむりにつかせたあとぼくをのろうように言った古い言葉の羅列
・・・ラスカ軍は玉座を最後の皇帝の血で汚し高々と勝利の・・・爪を立てて寝息の根を止めようと
瑞々しい葉っぱ太陽を遮る。
「少尉、よい天気だ」
覚えていないことにしたいのに、目の前に滅んだ国の美しき王がいる。
植物園は水路が巡る。
間もなくグランコクマじゅうの噴水が噴き上がる水の時間が始まる。
この植物園の噴水も。
「はい、陛下」
花に水をやる学生帽のぼんやりした少女は、軍服に白衣を羽織って土をいじるたおやかな女性へと成長した。それに引きかえベンチに腰掛ける皇帝の脱走癖は相変わらずだ。
第三師団へ異動した村雨・凛少尉は本人の希望により、第一研究所勤務となった。有事には出動するがそれ以外は、主に食料問題を改善する研究に明け暮れた。
昨月彼女が発表した『冬季における食糧供給の安定化とそのサイクル』に関する論文はまずまずの評価を得、今は研究所の植物園で試作を開始している。
それ以外にもここに花が増えたのは彼女の仕業だ。
以前は人を食いそうな植物があったりしたけれど、今は心と目を和ませる花と葉がたくさんだ。
「それは何の種?」
「寒さに強くて、おいしい豆ができます」
「できたら一緒に食べよう」
「はい、陛下」
なにがあったのか知らないが、あの死霊使いな親友がほだされまくっている相手が彼女だ。
一体どんな技を使ったんだい、少尉殿。
もしや寝技?
仕事をしにきた少尉は植物園に皇帝の姿を見つけたが、皇帝に気にしないでいいと言われたので、言われたとおり仕事を続けている。
皇帝に会えたのだから、二人きりなのだから、パンチラするとか、突然服を脱ぎ始めるとかそういうサービスをしてもらってもかまわなかったが、彼女は黙々と。
噴水の時間だ。
「・・・覚えているか?」
水は刻々と形を変え、高さを増していく。
「”もうほんとうにおこられることはないのだろうか”」
ピオニーの声に少尉が一瞬ぴたりと動きを止めて、再開した。
学生帽の少女がじょうろを持ったままつぶやいた言葉だ。
「覚えているか?」
返事は返らなかった。
「あのときのあなたはどこまで認めていてどこから認めていなかったんだ」
今上帝には応えず、少尉は手のひらに持っていた小さな種をざらざらと土の上に落としていった。
ピオニーは肘掛に肘をおき、口元を隠すように頬杖をついた。
ピオニーの視界で、噴きあがる水に重なって少尉の背は半分まで歪んだ。
白い手を土まみれにして種にやわらかい土をかぶせていく。
「俺はこの国の皇帝だ。答えろ村雨・凛」
土を半ばまでかぶせただけで手が止まった。
「恐れながら覚えておりません。ピオニー陛下」
「そうか、それは残念だな。滅んだ国の王はどこまで己の罪を認めるのか、興味があったんだ」
白衣の背が立ち上がり振り返った。
ピオニーを見るわけでもなく、怒っている様子もなく噴水に土まみれの手をさらして、手はみるみるその色をあらわにする。
「滅んだ国に王はありません」
「確かにそうだ」
「背負える罪もなく、償うべき人もない」
「そのわりにあなたの背は重そうだったけれど、俺の気のせいか。まあ、俺はあなたとほんの数回しか話したことがなかったわけだが」
噴水は最も高らかに、水の向こうに凛少尉の身体はすっかり隠れてしまった。
「なにもないことにおどろきつづけていた」
声だけがした。
水が多すぎる。
「すこし水から離れなさい」
我知らずピオニーの顔は頬杖から浮いていた。
「案ずることはありません」
「水が」
「そなたの臣下はまちがえない」
今はグランコクマの水の時間だ。
水の狭間でいにしえの王、白い頬を水が打ち、
伝い
落
噴き上がる水に手を伸ばして細い手首を捕まえ、彼の岸から此の岸へ引っ張り出す。
噴水ごしにやったから少尉は髪も白衣も軍服も盛大に濡れた。
「ごめん」
皇帝は子供が友だちに謝るように言った。
「泣かせた」
たっぷり水に濡れた美しい人がはたとまばたきをする。
いじめるつもりはなかった。嘘だ少しいじめるつもりだった。彼女も、自分も。
手首を掴んだままピオニーが真面目な顔でいると、びっくりしていた少尉の肩はゆるやかに下りて行って、静かに微笑む。
「水滴です」
和やかに細められた瞳の横を前髪から零れ落ちた水滴が伝っていった。
ジェイドがほだされまくっている理由の一端を垣間見た気がした。
誰だこの人を滅びた国の愚かな王だとわらいたがったのは
なんだこの溢れんばかりの生命力を湛えた蕾のような人は
ん?言い方がちょっとキモチワルイ?
じゃあはっきり言おう
「かわいい!」
両手を取って握る。
「結婚しよう!」
「陛下ぁあああ!まぁたここに居られましたかあああ!」
「おやおやぁ、うちの隊の少尉に何をしてくれあそばされていらっしゃるのですか?」
血圧の上がりきったゼーゼマンと絶対零度の温和な微笑みを浮かべるジェイドが植物園の入り口に立っていた。
「ててて手など握って朝っぱらから一体ななな何をしていらっしゃいますかっ!」
「え、求婚?」
「天光満つる所我はあり 黄泉の」
「ちょちょちょちょちょ、ジェイドッ!それ秘奥義ってここそんな広くなっ」
さして広くない植物園(王宮に隣接する第一研究所内庭)で秘奥義がドカーンとなったあとのことは、また別のおはなし。
おしまい