中央のお役人が審神者と難しそうな話をしおわって今、応接間から出てきた。
本丸の主は役人たちの見送りに近侍の太郎太刀を伴って、彼らが立ち去った廊下で五虎退は一枚の紙切れを見つけた。



「これ、なんでしょう」
短刀部屋に戻ると、五虎退は手のひらにおさまるほどの長方形の紙片をほかの短刀たちに見せた。
「なんだこれ?」
「なんだなんだ?」
「どこでひろったのですか?」
「お役人と主様が話していた応接間の廊下です」
「ちっとも読めませんね」
輪になって覗き込んだ紙切れには文字と絵が書いてあるが、これは彼らの知る時代よりあとに作られた文字らしくほとんど意味がわからない。ひときわ大きく書かれた四文字がきっと重要な意味をあらわしているのだろう。さりとて真ん中の二文字「リ」と「ヘ」がわかるのみ。お手上げだったところに愛染国俊がひょっこり首を伸ばして来てこう言った。
「文字はわかんないけどさ、この絵は女体じゃないのか」

「「にょたい!」」

驚きおののき興奮し、短刀たちはもう一度紙切れを見直した。
言われてみれば、女体が横たわっている形に見えてきた、しかも裸の。シルエットだけなのでセーフのような気もするし、悪いことをしているような気も同時にする。

「スケベなものかな」

短刀に混じっていた蛍丸がさらりと言うと五虎退は素っ頓狂な悲鳴を上げて赤面して顔を手で覆い、
「お、お優しいあの主様がそのようなものを持つはずがありませんっ」と必死である。薬研は「主のものとは限らねえだろう」と冷静に言った。
「どちらかというとこういう助平そうなものは役人の男どもの方が落として行ったと考えた方が妥当だろうさ」
「おやくにんのおとしものならあるじさまにほうこくしなくてはいけませんね」
今剣の提案にそれもそうだと同意する声が重なり、その方向で行こうとした矢先、「でもさあ」と乱藤四郎がぽつりとこぼした。
「もしドスケベなものだとしたら、女の子に見せるのは失礼じゃない?」



「読める、読めるぞ!ちゅーわけで、こりゃあたしかデ、リ、ヘ、ル、デリヘルじゃ」

ドスケベなものかどうか事前に調べてから主に報告するかどうか考えようということに定まり、短刀たちは急ぎ、一番外国かぶれた陸奥守吉行のもとへ参じたのだった。
「でりへる…どういう意味なのですか」
「さあのう、意味までは知らん」
その時、快音を立てて押入れの襖が開いた。
「スケベなものに違いあるまい。ボンッキュッボンの絵が動かぬ証拠だ」
「鶴丸、おんしゃあいつからそこにおったがか」
「盆、旧盆?」
短刀たちはそろって首をかしげ、その時、反対側の障子戸が音をたてて開いた。
「邪なるものの気配、払いたてまつろうか」
「石切丸、これなにかわかる?」
「邪なものだな」
「ふふ、教えてあげようか?」
含み笑いとともに畳が一枚跳ね上がり、にっかり青江が薄笑いを浮かべて現れた。
「短刀と脇差たちはおさがりね」
すかさず薬研に目配せして次郎太刀はまだあどけない短刀たちや脇差たちを部屋から追い出した。
鯰尾が「青江だけズルい!」と文句を言う声が廊下の向こうに遠ざかり、(見た目)大人組だけが残った部屋の中央ににっかり青江が陣取って、そのまわりを太刀やら打刀やらが取り囲んだ。
長方形の紙切れをすくい取り、青江は口笛ふくようにこう言った。
「これはデリヘル、出張夜鷹殿の名刺だよ」
「なんと!」
くわと目を剥き大人組が一斉に小さな紙切れを覗き込んだ。
「夜鷹ねえ、どうしてあんたはそんなこと知ってんのよ」
「古今東西、そういう類には目がなくてね。ここに電話をかけるとスケベをさせてくれる女が来てくれるという寸法さ」
電話は刀剣男子たるもの皆知っていた。なぜなら「ケータイ」という電話を遠征に行かせる各部隊に主が必ず持たせてくれるからだ。ここに居る面々は恐れからあまり活用したことはないが、短刀だけで行かせた時にはケータイをイジりたおして通話料金なるものがすごいことになり、あの優しい審神者を怒らせたこともある代物だ。
「かけてみようか。これここに主から遠征用に預かったままのケータイが」と青江がふところからケータイをつまみ出す。
「いや、はやまるな青江、主命も仰がずにそのような」
「うら若き乙女に、オンナ買っていいですかって聞く気かよ」
止める長谷部を獅子王が鼻で笑い、陸奥守がケータイをとりあげると名刺に書かれた番号を見て手早くボタンを押し始めた。
「何事もモノは試しぜよ」
「とにかく乳房のデカい娘を頼む」
鶴丸のご注文の声が終わる前に、どこかで黒電話が鳴った。

この電話の音は主の部屋の据え置き型の電話機の音である。

陸奥守は一度電話を切った。
同時に、本丸御殿は沼の底に落ちたように静まり返った。
車座になった男たちの誰もが予感をしながらそれを口にしないなかで陸奥守は、もう一度名刺の番号を見ながら今度は慎重に電話をかけ直した。
主の部屋の電話機が鳴った。
予感は確信に変わり、外は晴れているのに本丸には暗雲が垂れ込めた。
「こいつは…さすがの俺も驚かされた。あの気の優しい生娘っぽい主がデリヘル嬢とは」
「そんなわけがない!」
「穢れなき我らの審神者がかような真似を。我らはたばかられていたのか」
「早計だよ石切丸、何かの間違いかもしれない、あんな乳房なわけだし」
「き、貴様燭台切ィ!和服が似合う体系と呼べ!」
床を蹴って立ち上がり柄に手をかけたへり切り長谷部の額にも脂汗がにじみ、動揺を隠しきれない。

「もしや、主は我らのために」

これまで黙っていた蜂須賀虎徹が突然神妙な声を発した。
「どういうことだ」と刀剣男子たちは膝をにじり寄せる。
「皆知ってのとおり、主は優しすぎる。我らが傷を負うのを厭って進軍は遅々として進まない。庭を見てくれ、資金も資材もぎりぎりで、庭師をいれたためしもない。そんななかで中央からこうお達しが来たと考えるのだ、疾く進軍されたしと…。お守りはおろか刀装も買えない、金策に困り果てた主は我らのためにあの和服が似合う体型をひさいで金を工面しておられるのでは、と」
「考えたくはないがありえない話ではないな、とすると先ほど詰めかけていたあの役人どもは」
「さしづめ、更なる催促をしてきたか、あるいは見逃すかわりに主のいたいけな和服が似合うあの体を差し出せと言ってきたのであろう」
「なんたる」
「クソッ役人ども、許し置けねえ!」
「行くぞ獅子王、追いかけてこの同田貫でたたっ斬ってくれるっ。今日は和睦だの雅だの言って水を差す連中が遠征行ってて都合がいいってもんだ」
血の気の多い獅子王、同田貫に加え、大倶利伽羅も無言で立ち上がった。その手に握られる刀のツバには既に指がかかっている。

「待ちな」

和泉守兼定がぴしゃりと封じた。
「俺たちがこれから怒りにまかせて馳せ参じ、主の立ち会う前で役人を叩っ斬って主はどんな思いをするだろうよ。考えてもみろ、これまで主の貧しい乳を笑う無礼な客もいたろうさ、尻の蒙古斑に妙な興奮を覚る輩もいたろうさ、それを俺たちの主君はあの小さな体と胸でひとり、俺たちに知られまいと耐え忍んできたんだぜ。そうして必死に隠してきたものを俺たちが本人の目の前で暴くような真似を、どうしてできるものかよ」
真剣な和泉守兼定の言葉に胸を突かれ、飛び出して行こうとしていた男たちもしおしおと元の場所に戻り、うなだれて座り込んだ。
開きっぱなしになっている障子を閉じるのも忘れて絶望的な会議は続く。
同田貫のこぶしが床を打った。
「なら、どうしろってんだ!耐えて忍んでそれきりというわけにいくか、堀川にでも闇討ちを頼むかよ」
「役人に手出しゃいかん。わしらはこのデリヘルの名刺ば一切見ちょらんことにするのがよか」
「主がほかの男どもに体を開くのをこれからも見逃せというのか!」
「そりゃあさせん。…そんかわりに今すぐにあるじの電話ば鳴らんよう壊すんじゃ。ついでにわしらはこれからの出陣でちっとの傷くらいで進軍はやめん。主がとめようと前に前に進むんじゃ。それを続けりゃあ、わしらはあん人を守れる」

「みな思い違いをしています」

開きっぱなしの障子戸に大きな影が立っていた。太郎太刀である。
「戻ったのか」
「主とともに中央のお役人をお送りしていま戻ったところです」
「俺たちが思い違いとはどういうことだい」
「その名刺があちこちにバラまかれ主のところに間違い電話が来るようになりお困りだったところ、本日、中央のお方々が解決のためにお出ましくださったのです」
「なに」
「では主はデリヘル嬢ではない、ということか」
「ええ、もちろん違います」
「なんだーよかったー。俺たちてっきり」
ほっと空気が和らぎ、同時に安堵の笑みが各々の顔にうかんだ。
「でもそうだよね、落ち着いて考えれば僕たちの優しい主がそんなことをするわけがない。そこに貧乳という条件まで加わっているのだからデリヘル嬢などまったくありえない話だ」と燭台切が軽やかに微笑んだ。
「ああ、俺も実は貧乳なのにまさかーって思っちゃいたんだけど、まあ杞憂でよかったよな!」と獅子王もいつもの明るさを取り戻す。
「杞憂も杞憂、大杞憂ぜよ!ちっと頭ば使えばすーぐわかっちゅうことじゃけんど、まっこと焦りは禁物ぜよ。考えてもみぃ、主のパイオツ見ちゅー客ばおったら男娼じゃ詐欺じゃと大騒ぎになってわしらも気づいていたに違いないからのお!」
陸奥守が膝を打って笑うと「道理道理」と一同げらげら笑った。
大樹のように廊下に突っ立っていた太郎太刀は眉ひとつ動かさずに急に華やいだ部屋の中の男たちを見ていたが、不意に、場違いにこう言った。
「私は主の胸も魅力的に思います」
「なんじゃ太郎太刀、おんしゃーツルペタ派か!」
「ははっ、デカい図体してお稚児趣味たあこの鶴丸国永並みに驚かせるじゃないか」
その時である、 向こうの廊下からいくつかの足音が聞こえてきた。あの重量感のある足音は岩融か蜻蛉切だろう、ということは遠征に行っていた江雪率いる二番隊が帰ったということだ。
岩融の声は廊下の向こうからでもよく響いた。

「がはは!いま戻ったぞ。うん?主よ、太郎太刀の後ろに突っ立って呪われたはんぺんのような顔をしているのはどうしたことだ?」



おしまい