明日の召集を前に、は自然公園に行きたいと言った。





 戦 場 の ト ロ イ メ ラ イ





「イザーク、あれ」


指差す方向には飛行機雲くらいしか見つけられない。
は走り出す。


「ほら、あれ」
「何もない」
「ひこうきぐも」
「おまえはいくつだ」
「失礼な殿方ですこと」
「そんなところばかり大人ぶるな」
「ほらイザーク、こっちですよ」


は俺の言葉は聞かず、小さなコンパスで駆け足をして
丘の上に行った。
青空と
芝生と
ワンピースが
似合いすぎていて不気味だ。


「不気味だ」


と正直に言ってみると、二分後に背後から膝カックンをくらった。





天気は、そこそこいい。
はよく笑った。
俺の機嫌はそこそこいい。


お昼にしましょうと強制的に芝生に座らされた。


「サンドイッチを作りましたから」
「食べられるのか」
「ほんとうに失礼なひと、きっとおいしいです」


バスケットの中からサンドイッチをひとつとってみる。
見た目は普通。
具も普通。


「執事に味見もしてもらいましたし、おいしいと言われましたから」
「哀れな執事だ」
「減らず口にサンドイッチをつっこんでくださいな」


仕方なく口に運ぶと、はその様子を正座をして見ていた。
肩が緊張しているのが可笑しい。




味は

わりと
まあまあ
そこそこ

うまい、かもしれない。





「・・・パン生地はうまいな。さすが既製品」


嫌味たっぷりに鼻で笑ってやる。
途端に、は思いきり頬をあげて笑った。
嫌味を言ったのに気付いていないのか。


「パン生地も手作りなんです。嬉しい」
「なっ」
「イザークにお褒めの言葉をいただけるなんて、はじめて」
「おまえも減らず口にサンドイッチをつっこんでおけ!」
「いただきます」


こっちがいくら悪態をついても、嫌味を言っても空を切るだけのような気がする。
緑の芝生に
青空に
飛行機雲に
丘に
手作りサンドイッチに
のワンピース

そういうのはまったくもって性に合わない。
歩く速さをあわせてやるのも、腕を引っ張るのに引っ張られてやるのも、
の作ったサンドイッチがわりとうまいと感じるのも、

全く性に合わないんだ。




ふたつ目のサンドイッチを食べながら上を向く。
雲の影に入って少し涼しくなった。
ぼんやりする。
ぼんやりするのは久しい。
首のあたりがあたたかくなって、うたたねをするときの感覚に似ている。



「・・・あたまがわるくなりそうだ」



もう一口、パン生地をかじる。
も俺の真似をするように一口食べた。大きな目がこっちをじっと見ていた。
なにか言いたげに。
音もなく咀嚼して、飲み込んで、は恐る恐るといったふうに尋ねてきた。


「疲れてる?」
「いや」


目も合わさずに即答でかえすと


「こういうところ嫌い?」
「まあな」


途端にショックを受けたか顔になったのを見て、二口目を食べながらくつくつ笑ってやった。
予想通りのリアクションだ。
は怒ろうと口を開いたが、ばくっとサンドイッチを食べただけだった。

たぶん、あとでまた膝カックンをしてくるだろう。
そうしたらひらりとかわして、が転んだところでキスしてやろう。
きっとこいつはお約束な女だから、びっくりして目をぱちくりやるに違いない。
そうだきっと、鳩が豆鉄砲くらったみたいに。
鳩にしては随分美人な鳩だけれど











舌に衝撃が走った。


思わず咳き込む。
なん、だ
これ
辛っっ!


サンドイッチにあるまじき辛さに、が持参したお茶を口に流し込んだ。

「なんだ、これはっ!」


は何食わぬ顔で「ロシアンルーレットサンドイッチ」と言った。


「なみだ目になってる」


は芝生に転がって、声をあげて笑った。
この笑いっぷり、絶対こいつどれが辛いサンドイッチかわかってただろう。
ハメられた。
むかつく!


「なんでピクニックのサンドイッチにロシアンルーレットが必要あるんだ!」
「イザークはこういうぽややーんとしたの嫌いかなと思って、パンチをきかせてみたんだけれど」
「足をあげて笑うなっ!」
「だって可笑しっ」


「あ」


ほぼ同時に俺もも声をあげた。
はなだらかな丘からごろんと転げ落ちていった。










急いで追いかけると、丘の中腹での転落は止まっていた。
は起き上がらず
仰向けに大の字になっている。







「おまえっ、なんでこんな小さい丘から落ちれるんだよっ」


を覗き込んでみれば、目に雲がうつっていた。
ぼうっとしている。
さっきまでずっと笑っていたのに、いまは表情がない。
わずか、ぞっとした。
傍らに膝をつく
頭をぶつけたり、それで意識が朦朧としたりしているのか。
そういうのはやめろ。
本気でやめろ。





「イザークは運動神経がいいね」
「は?」
「駆けつけるのがとても速い」


とりあえず無事らしい。


「そんなことより、ほら、サンダルの止め具が壊れてるだろう」


およそ返事と思えないような、無関心な声が返ってきた。
なんか
こいつ
足、白い。
少しすりむいているのが目に痛い。


「運動神経がいいから軍に入ったの」


しずかな声に弾かれて、ようやく凝視していた足首から目をはなす。
見ればはまぶたを伏せていた。
腹の上に手を置いて、行儀よく眠るみたいな格好だ。
表情は笑っているようにも見えるし
笑っていないようにも見える。


「そうでしたらお辞めくださいな」
「運動神経だけで決めるわけがないだろう」
「そう」
「あたりまえだ」
「そぅ」
「なんでそんなことを聞く」



は本当に眠るように見えた。
語尾が消えていく
声が小さくなってく


雲の影にはいる


「なぜかしら」
「自分でもわからないのか」
「いえ」
「どっちだよ」
「たぶんあなたを失うのが怖いのでしょう」









明日の召集で、俺は漆黒に塗りこめられた宇宙にあがる。
戦争をする。











呼吸でゆっくりと胸が上下する。
俺は口をあけたまま閉じるのをわすれる。
なにを言おうとしたのかもわすれる。
は片目だけ開いてこちらを見た。


そして瞳をわずか細めて唇の端を上げた。


瞳は精巧な水晶みたいな色だ。
足首は陽光に透けるかもしれない白だ。
マスタードをしこたま仕込んだ細い指を今は腹の上に組み合わせて
行儀よく横たわっている。
雲の影
丘の中腹で寝転がって眠るなどそれは奇妙な光景であったにもかかわらず、奇妙と感じなかった。
むしろさっきまでの芝生と、サンドイッチとよく笑いよくしゃべったこそが奇妙であったようにいまは思う。
無理やりに楽しい振りをして。
無理やりにはしゃいで
無理やりに笑って
どうして



明日の召集で俺は















「足首、擦り剥いてるんだぞ」
「わかっています」

声音しずかに、すばやく切り返されて頭が熱くなる。
目の奥がじりじりする。


「さっきまでサンドイッチで笑ってた奴がいきなりテンションさげるな!」
「うん」
「頭をぶつけて本当に痛いのかと思っただろう!」
「うん」
「これ以上頭が悪くなったら手に負えないからな!」
「うん」
「心配ない」
「ううん」


喉からしぼりだすような声だった。





いつのまにか腹の上に組まれた手はほどけていて、
俺の服を強く掴んでいる。







明日の召集を前に、は自然公園に行きたいと言った。
俺が出撃するところに空はなく
雲はなく
雲の影も明るみもなく
意外とよくできていると見せかけたサンドイッチもない
芝生もワンピースも。
飛行機雲はせいぜい爆煙。









雲の影からぬける

























 *



採光ミラーが夕方をうつしはじめたころ、トロイメライが公園に響いた。
間もなくの閉園を報せている。

帰れ、と強く云われている気がして
スピーカーを蹴飛ばしてやりたかった。
その衝動は持ち前の賞賛にあたいする忍耐力をもってして堪えて、バスケットを持ってやる。
手も引いてやる。
はもう片方の手にサンダルを持って、俺の後ろを裸足で歩いた。
ぺたぺたと音がする。

繋いだ手は、かろうじて指先がひっかかってるといったほうが正しい。
つよく握ってやることも、引き寄せることもなしに
トロイメライに背中をおされて歩く。
はずっと黙って手を引っ張られていたが、不意にぽつりとつぶやいた。



「戦場にもトロイメライが鳴るといい」

俺は応えず歩いた。
振り向かず歩いた。

「そうしたらみんな、夕方の5時半にちゃんと帰り道を歩くでしょう」



手が放れる。
は付いて来なくなった。
振り返ろうとした瞬間、膝の裏を押される。

膝カックンをされた。

当初の予定では、俺は膝かっくんをひらりとかわして、振り返ってキスをして、
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされるはずだ。




「なんでおまえ」


当初の予定はもろくも崩れる。


「膝カックンしといて抱きつくなよ・・・」



は後ろから俺の腰の辺りに引っ付いてきた。
引っ付く、という表現は似合わない。
もっと艶っぽい。



「少し」

「じゃあ、3秒だ」

「うん」


は三秒と言い渡されて、いっそう腕に力をこめてくる。


「さん」


少し痛い


「に」


痛い


























「次に来るときは普通のサンドイッチにしろ」



から声はなく、
ただ背中の辺りで、 の頭が小さく上下するのだけ感じた。


せめてトロイメライが終わるまで
「いち」のカウントはしないでおく。
スピーカーも蹴らないでおいてやる。