これが長崎の平和記念像です。
平和記念像像は高さ9.7m重さ30t 天を指した右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和、閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る姿を表しています。
また公園内には水を求めた少女の実際の手記が刻まれた「平和の泉」や平和に賛同する多くの国から贈られたモニュメントがあり、平和記念像とともに原爆の恐ろしさと平和の尊さを今なお訴え続けています。
出島は江戸時代にポルトガル人などの隔離の為に寛永13年(1636年) に築かれた扇形の人工島です。
幕府は宗教と貿易を分離するためにポルトガル人を入れ、のちにオランダ商館をこの地に移しオランダにのみ貿易をを許可しました。今も倉庫、大砲、日時計、潜水器などオランダ文化を物語るものが数多く残っています。ちなみに写真もそうです。
出島は1904年に第二期港湾改良工事が行われ、独特の扇形が消滅するまで世界と日本を結ぶ唯一の場所として大きな役割を果たし続けました。
グラバー園は明治時代の貿易商グラバー氏の邸宅跡です。園内にあるグラバー邸は文久3年(1863)に建てられた日本で最古の木造洋風建築物ですとして有名です。
逸話として江戸末期には倒幕派の長州藩は幕府から警戒されていたため武器を購入することができませんでした。そんな中、坂本竜馬自ら立ち上げた貿易会社亀山社中を通じ、薩摩藩名義で大量の武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、このグラバー商会から購入したと言われています。倒幕の事実と僕たちの研修旅行には意外な接点がありました。
ちなみに写真はグラバー邸園内の旧三菱第2ドッグハウスです。
これが浦上天主堂です。江戸時代キリシタン達は徳川幕府によって弾圧され改宗をせまられました。それに応じなかったキリシタン達はこの地で処刑されたと言われています。そして近代やっとの思いで完成した旧浦上天主堂はすぐに原子爆弾によって破壊されました。浦上天主堂の入り口向かって左側には今でも被爆した聖堂が残っています。そしてその裏手には原子爆弾によって吹き飛ばされた旧浦上天主堂の鐘が原子爆弾の恐ろしさを物語っています。近年、世界中で戦争や紛争が起きています。僕達の住む日本でも毎日のように殺人事件のニュースが報道されています。これはとても悲しいことです。もっと僕たち一人一人が平和について考え行動していかなければならないと自分はここに来て感じました。
これが長崎市内の街並です。写真真ん中の見えるのは路面電車です。交通混雑にも関係なく運行はとてもスムーズで観光スポットから観光スポットの移動に利用するにはとても便利です。
4つの路線があり各路線は5〜8分間隔で運行されているので、待ち時間も少なく、何よりどこまで乗っても100円というのがうれしいです。ガイドさん曰く料金は日本で一番安いそうです。
1日乗車券を購入すれば1日何度でも利用でき、あとは旅の記念のしおりになるようになっています。