1865年(慶応元年)フランス寺という
名で完成。爆心地から東北約500m
のところにあるため原爆により廃墟と
なる。当時参堂していた30数人の信
徒と長崎に住む信徒1万2000人のう
ち8500人が被爆死した。
また江戸時代末期に「信徒発見」のき
っかけになった所でもある。
原爆落下地点午前中平和への祈りをささげました。
今ものこる原爆の爪あと。
→建物の一部。すさまじ
い爆風により飛ばされた。
出島1634年築造に着手。1636年完成。
1641年に平戸からオランダ商館が移転。
江戸時代、鎖国政策により日本の文化と西
欧文化の出会う唯一の場所となる。
1904年の第二期港湾改良工事により姿
を消したが、現在は復元整備が進められ、
当時の風景を見ることが出来る。
浦上天主堂
出島
爆心地
B組8班  班別旅行記
大浦天主堂
1865年に完成。昭和8年に国宝に指定されたが、
原爆により屋根、正面大門扉、ステンドグラスが被
害を受け、昭和27年から5年かけて修復工事を行
い現在に至る。
中はステンドグラスから差し込む光に照らされて、
なんとも荘厳な空気に包まれている。
←大浦天主堂付近にて。ちょっと絶景