◇浦上天主堂
立て直されていて、きれいになっていました。
女性なら「このような教会で結婚式を挙げたい」と思うような場所です。
キリスト教の建物だけあって他の建物とはかなり雰囲気が違いました。
また下の2つの写真は原爆が落ちる前の浦上天主堂の一部である。
自分たちも黙祷をし、二度とこの惨劇が起こらないようにと願った。
教会内に木造の首だけの女神像がありその表情が大変印象に残りました。
呆然としているような、悲しみに満ちているような、憎悪が溢れそうになっているようなその表情には原爆に対する様々な人の感情が見て取れたように思います。
ちなみにこの周辺は猫が多くて幸せ?でした。
見学した日の長崎の天気は雲一つ無い晴天で、浦上天主堂とナイスコントラスト!でした。
◇山里小学校
成人女性の身長くらいの高さの3つの穴が校舎裏に開いている。周りの土はわりともろく崩れやすそうだ。ガイドさんの話によると、戦争末期では、山里小学校の生徒はここに入ったり出たりの連続だったという。
勉強もろくに出来なかったのだろう・・・。
原爆が落ちた当時は子供たちは校庭で遊んでいたという。原爆が投下され、空を浮遊してる時にそれを見た子供たちはどう思ったのだろうか。きっと原子爆弾だとは誰も思わなかっただろう。
◇如己堂
二畳しかないところに、子供が2人とはいえ3人で住んでいたなんて信じられません。
実物を見ると本当に小さく、そこら辺の物置より狭かったです。
また資料館の方では永井博士の壮絶な生き様を見て、とても力強く、自分には決して真似できる生き方ではないと思いました。
ちなみに畳一畳は1m80cmくらいなので成人男性が寝るのはかなり厳しいでしょう。
そういった生活環境に苦悩を示さなかった永井博士にゃ感服です。
◇興福寺
お寺なのに、熱帯植物などがあったので異国情緒を感じました。
斉藤茂吉の短歌の碑なんかもありました。
門がちかっぱでかかったに。
◇長崎中華街
長崎ちゃんぽんや皿うどん、角煮まんじゅうなどの美味しい長崎名物がある店が、十字路に20軒くらい並んでいました。
どの店が美味しいかなどの情報を持っていなかったのでどこに入ろうか迷ってしまった。調べておけばよかった。
僕的には長崎皿うどんはマジうめえ!!!て○ほうで食うのとはわけが違えよ!
◇出島資料館
長崎は原爆の落ちた地というイメージが強いが、異国文化が早くから渡来した地であることを知ることができた。日本と欧州文化が交わったものが多く展示されていた。一番良かったのが昔の英和辞典みたいな本で、聞こえる音をカタカナで書いた辞書のようだった。
また、江戸時代当時の出島の概観の模型があり、それをよく見てみると、異国文化の発信地である出島が軒並み日本風の建物ばかりだったのは意外といえば意外だった。
まとめ;班長を中心とした事前準備とチームワーク、それにユニークで美人のガイドさんのおかげで充実した一日を過ごせた!
よかった!!以上!!!
by E組4班