出島和蘭資料館

寛永13年(1636)、幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、長崎の有力町人に命じて15000uの人工の島を築いて、そこにポルトガル人を住まわせた。この島が出島である。
幕府の出島築造の目的は、キリシタンの布教を密かに行うポルトガル人を居住をさせキリシタンの取り締まりを行うと同時に、貿易が掌握できるという利点があった。
鎖国時代、出島は鎖国時代の日本の国際交流の舞台であり、世界への窓口であった。そのため、長崎から始まったもの、長崎が日本で初めてというものは数多い。
コーヒー、タバコ、ビール、てんぷら、すき焼き、テニス、ボーリング、ビリヤード、バトミントン、眼鏡、カメラ、オルガン、缶詰、そろばん、ペンキ、ボタン、国際電話、汽車、アスファルト、レンガ…
例を挙げればきりがないほどだ。
しかし、「長崎の観光地」といって誰もが思い浮かべるこの出島だが、現在、歴史の教科書に載っているような、いわゆる出島は無いし、写真で見てもらえばわかるが出島跡地を訪れてみても「ホントにここに在ったのか?」と思わず疑ってしまうほどその面影がない。明治37年(1904)長崎港の第二次港湾工事によって出島は姿を消してしまったのだ。
しかしそれではあまりにも寂しいということで用意されているのが「ミニ出島」である。
今、その歴史的価値が見直され長崎市によって復元されつつある。2010年までに当時49棟あった建物のうち、25棟を復元する計画である。
1/15スケールのミニチュア出島。
江戸時代の出島と現在の出島。


出島和蘭資料館の中の資料館のひとつ。なんと長崎市民は無料で入館できるそうだ。