長崎の唐寺を代表するのが崇福寺である。寛永6年(1629年)福建省出身の人々に招かれた明僧超然(ちょうねん)が創建した黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院である。中国の三国時代に蜀の国を治めていた劉備に仕えた関羽将軍が祀られている。
日本初の黄檗宗の唐寺である興福寺は、中国・明の商人が長崎と行き来をはじめた頃に渡来した南京出身の中国人が元和6年(1620)、航海安全を祈願してこの地に小庵を建てたことが起源となっている。雄大な大雄宝殿と旧唐人屋敷門は国の重要文化財となっている。南京櫨(はぜ)が美しい庭に斎藤茂吉の歌碑が立っている。
豊臣秀吉の禁教令により京都や大阪でとらえられた外国人宣教師6人と子供を含む日本人20名は長崎に送られ、慶長元年(1597)2月5日に、長崎西坂の地で処刑された。
その後ローマ教皇ピオ9世が26名の殉教者を聖人に列し、ピオ12世が「日本二十六聖人」と称せられた。
徳川時代にポルトガル人などを隔離する為に寛永13年(1636年)
に築かれた扇形の人工島が出島である。
オランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、日本で唯一西欧に開かれた窓として、日本の近代化に大きな役割を果たしてきた。今も倉庫、大砲、日時計、潜水器などオランダ文化を語るものが残っている。