原爆落下の中心地とその北側に世界平和を願って造られた平和公園中央に立つ。高さ9.7m重さ30t 天を指す右手は原爆の脅威を水平に伸ばした左手は平和を示し、閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る姿である。
公園内には水を求めてさまよった少女の手記がきざまれた「平和の泉」や世界各国から贈られた平和の像建ちならび、世界恒久平和を願う長崎市のシンボルとなっている。
これからの時代を担う者の一人として戦争という過去の辛い体験をしっかりと受け止める必要がある。世界中が平和になる日を願ってやまない。

平和祈念像

ブラリ
九州の旅
G組  7班
大浦天主堂

1865年に建立され、1933年には文部省より国宝に指定された。戦争・災害によりステンドグラスは3度にわたり修復され現在の姿となっている。
キリスト教信仰が許されなかった時代、生きるためとは言えイエス・キリストの絵を踏み、十字架を折らざるを得なかった信者たちを思うと胸が痛んだ。

グラバー園

明治時代、外国人居留地にあった住宅9棟の洋館が移築・整備されている。なかでも1863年(文久3)に建てられた旧グラバー住宅は現存する日本最古の木造洋館で、上から見ると屋根が四つ葉のクローバー型をしている。
庭の緑が鮮やかで美しかった。夜はライトアップされるようなので是非もう一度訪れてみたい。

如己堂

永井隆博士が晩年を過ごしたわずか2畳の家である。如己堂≠ニは己のごとく隣人を愛せよ≠ニいう博士の生涯の生活訓からつけられた。
永井博士は自らの生命をかけて放射線医学の研究に取り組み放射線職業病の一つである慢性骨髄性白血病で亡くなった。自らの命を懸けて人々を助けようとした博士の意思の強さ、平和を心から望む気持ちを心に刻み今後に生かしていきたい。

爆風で吹き飛んだ釣鐘が当時のまま残されているのをみて、あらためて当時の様子を創造し、平和への祈りを捧げた。
屋内はステンドグラスの光とパイプオルガンの音色で幻想的な雰囲気が漂う。

浦上天主堂