木 版 画    
 木版画の制作記録です。アマチュアですのであまり気にしないでください。秋篠寺の伎芸天制作以来10年近く制作意欲が湧きませんでしたが、白鳳文化の代表的な作品である山田寺の仏頭(現興福寺蔵/国宝)を製作したいと思っていたのをふっと思いだし、今頃になって筆を持つようになりました。1からのやり直しでした。
 白鳳文化は飛鳥文化と天平文化の間に花開いた美術史の時代表現です。大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)の間とされています。よって、歴史的には奈良時代前の飛鳥時代の後期になります。
 <<制作手順>>
仏頭の起源
 山田寺は蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。興福寺に所蔵される仏頭はもと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった。文治3年(1187年)興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して興福寺東金堂の本尊に据えた。当時の興福寺は平重衡の兵火(治承4年・1180年)で炎上後再興の途上であった。この薬師如来像は応永18年(1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ち、かろうじて焼け残った頭部だけがその後新しく造られた本尊像の台座内に格納されていた。この仏頭は昭和12年(1937年)に再発見されるまでその存在が知られていなかった。(ウィキペディアから引用)
仏頭の特徴
 この仏頭の一番の特徴は、飛鳥時代の渡来の仏像ではなく日本独自の仏像であるということです。黎明期の仏像で、蝋型原型を型とした銅製の仏像です。耳が大きいのが白鳳時代の特徴で、顕著に表現されています。また、この仏像は渡来の面長の仏像とは異なり、面立ちに丸みと張りがあり、若々しく感じられます。この後に作られた仏像群と比較しても、どこか異質で、人間味のある親しみやすい面相に強く惹かれます。
(1)下絵を描く
   仏頭の直接観察と写真などを参考にして下絵を作成します。下絵完成まで時間が掛ります。白黒木版画は1本1本の線を大切にするので、時間が掛るのです。下絵が完成すれば、7割がた終わったことになります。左記の下絵は途中経過です。何度も何度も加除訂正します。
 興福寺には何度も足を運んでいます。興福寺そのものにあまり興味がありません。寺そのものでは京都の三千院が一番気に入っています。興福寺の阿修羅像は特に人気があるようですが私にはインパクトがありません。半壊した仏頭の方が何か深みが感じられるのです。ミロのビーナスの半壊像と同様なのかもしれません。 
 
(2)反転画制作
  トレーシングペーパーを乗せ、鉛筆またはサインペンなどで写し、墨やサインペンで仕上げます。薄い和紙を使うとそのまま裏返して仕上げることもできます。どちらかというと、後者の方が面倒でないので普段はこの手を使っています。現在は、カーボン紙を使って直接版木に写してしまう手法がとられています。 
(3)版木の準備
 小学生が図画工作で使う版木を文房具屋さんで購入しました。約25年前に段ボール1箱分購入したのが現在十数枚残っていたのでこれを使用します。専門家が使う版木は無垢板なので高価です。私が使うのはシナベヤの合板で、薄いので2枚か3枚重ねて使います。ボンドは木工用で十分です。なお版木の大きさは縦40cm×横30cmです。
 なぜ安いシナベヤの合板を使うかというと、せいぜい2枚〜3枚程度で版木が傷まないからです。専門家は100枚〜1000枚程度は摺りますので、版木の傷みが激しく、摺れば摺るほど線の鋭さが無くなってしまいます。従って、多量に摺りあげる版木は固い丈夫な木で、代表例が桜の木です。 
(4)下絵の貼り付け 
 一般に版木の表面は綺麗に加工されていて糊や墨の乗りが悪いので、最初に細かい目のサンドペーパーで削る処理をします。この版木に下絵を貼り付けるわけですが、糊は水に溶けるふのりやでんぷん糊を使います。水に不溶の糊や強力な化学製品のボンドを使うと、彫りの後、下絵を剥がすときなかなか剥がれず版木の表面を痛めてしまいます。でんぷん糊といえども水で薄めて使います。水で濡らすときれいに剥がすことができます。ふのりは貴重品で高価ですが、版画関係者の話では断然使い勝手が良いと言っています。 
(5)彫り(刻) 
   彫刻刀で彫ります。シナベニヤ合板は彫りやすいが、2枚目の合板はシナベニヤではないのでささぐれたちます。従って、最後にきれいに払わないと、ぽつぽつと色むらができます。これが最大の欠点です。無垢板の版木はこれが少ないので労力が省けます。また、シナベニヤ合板は細かく彫ると、表面のシナベニヤが剥がれてしまいます。こうなるとすべて水の泡です。荒めに表現する題材の時にだけ使いましょう。(汗)  
(6)刷り(摺り)
   上記の彫りあがった版木を水洗いし、表面の下絵和紙を洗い流します。墨汁にふのりまたはでんぷん糊を少量加え良く混ぜたものを使います。小さな刷毛を使い、版木の部分に墨汁を塗り馴染ませてから刷りあげます。左記のものは実際に刷りあけたものです。紙は和紙で少々厚めのものを使います。この紙は1ヶ月以上放置し、墨が完全に和紙に付着するのを待ち、次の工程に移ります。  
(7)裏打ち 
    刷りあがった和紙はしわだらけなので、裏打ちという作業を行います。刷りあげた和紙に水で薄めた糊を裏に塗ってしわを伸ばします。さらに、裏打ち用の薄手の和紙も水で伸ばしながら糊を付けた和紙に乗せ、最後に、裏打ち和紙の四方に糊を付けて乾燥させます。完全に乾燥すると、和紙が縮む性質によりしわが無くなり、きれいに仕上がります。裏打ち和紙を裁断すれば終了です。 
(8)額合わせ(完成)
   額も絵の一部です。額選びと台紙選びに苦労します。絵が中心ですから、額や台紙は絵の引き立て役です。 版画の場合、油絵用の額と違いシンプルです。この方が、なぜかすっきりします。その理由は私には分かりません。(汗) 

 題名 「光明V」
縦21.0cm×横19.5cm

2013年1月28日 完成
狐谷山人 刻摺
 
(9)雑感 
 木版画と筆絵の違いは何かというと、鋭さです。刀の切れ味で絵が締まるのです。浮世絵の多色刷りは筆絵の延長線上のものだと思っています。単色刷りでも筆絵の延長線上のものが多々あります。切り絵と木版画の違いは何かというと柔らか味です。切り絵は詳細なところまで緻密に表現できますが、なぜか鋭敏すぎます。結論付ければ、木版画は、鋭いが柔らか味があり複数枚制作できるということかもしれません。実は西洋木版画は日本の伝統の板目木版画と違い木口木版画が主流で、極めて繊細に表現した、筆絵の延長線上のものです。こんな訳ですので、私の作風は何かというと、線で立体感や表情を表現するので「線画」ではないかと思われます。
 仏画は一般に、仏教(密教)の精神を重んじ、一点の曇りもなく表現するのが原則です。しかし、棟方志功の板画のような仏画表現もあるので一概には言えない所があります。基本的には所詮絵遊びなので、作者の意図でいろいろ変わるのが面白いのかもしれません。私は、仏像を題材にすると自分の作風が何かしらマッチするように感じられるので、現在このような仏画版画にいそしんでいる次第です。
 私は沢山刷るよりは、刀の切れ味に惚れ込んで板目木版画を作るのが好きなんです。よって、完成品はほんの1〜2枚だけです。刀の切れ味を表現するために濃い墨を使ったベタ刷りです。板目が分かるよう薄く刷る方法もありますが、私の性に合いません。このベタ刷りは結構失敗します。ある程度満足な1枚を刷りあげるのに数枚失敗します。技術の未熟さで恥ずかしい限りです。ある版画家から、ベタ刷りは油性インクの方が楽で極めてクリアーに刷れますが、時間がたつと周辺が油の成分で黄ばんでしまうと聞かされました。この話を聞いて以来墨に徹しています。
 最近はコンピュータグラフィックが全盛で、意のままに制作でき多量に複製できて便利になりましたが、どこか物足りない感じがします。インパクトのあるコンピュータグラフィックに会う機会が多くないということです。原因は作者の感性が大きく左右するので、それだけの技量をもつ作者が少ないということでしょう。しかし、版画と違って、簡単に作品かつくれますので別の楽しみがあります。最たるものが年賀状でしょう。私もコンピュータグラフィックが好きで遊んでいます。これは現代の版画です。敬白
<<制作作品>>
作品1

題名 「光明」

狐谷山人 刻摺 
縦57.2cm×横32.0cm

 第8回栃木県アマチュア絵画コンクール展(1985年12月7日〜22日)の入選作品です。このコンクールは専門家への登竜門として特に有名だったようです。その理由は、栃木県以外から毎回異なる著名な審査員を呼び実施したからです。これに入選したら名誉なことですと、知り合いの美術専門家に言われ出展しました。洋画の部ですので多くの油絵等と競うわけで、私の版画が1点だけ油絵に交じって入選いたしました。多色刷り全盛の版画の世界で、墨一色の作品が認められ、私自身に勇気と感動を与えてくれました。
 
  作品2
題名 「光明U」
縦38.5cm×横19.0cm
上記の作品と同じ秋篠寺/伎芸天を参考にしています。上記のものより小さくしました。上記の作品が完成した後に、簡単に摺れるものということで制作した次第です。なぜこの像を題材にしたかというと、極めて人間味のある面立ちで、そして、立ち姿が非常に自然的だからです。若いときから興味がありました。心癒されます。余談ですが、和歌の歌枕の「秋篠」を宮家が採用し。秋篠宮としたそうです。  
 2003年4月11日 完成
狐谷山人 刻摺
 
   
作品3

題名 増長天
縦25.5×横18.5cm
  奈良東大寺戒壇院四天王像の増長天をモデルにしています。これは以前から気にかけていた像ですが、極めて憤怒の表現が難しく何度も失敗しています。どうにか仕上がりました。
2013年2月9日 完成 
狐谷山人 刻摺
 
   
作品4
題名 広目天U
縦25.7cm×横21.0cm
  東大寺戒壇院の四天王像は国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)作とされています。この4体は、憤怒を表に出した増長天と持国天、内に秘めた広目天と多聞天に分類されます。4体を比較してください。 
  2013年2月26日完成
狐谷山人刻摺
 
 
 作品5

題名 能登の海
縦29.0cm×横38.0cm  2013年3月18日完成 狐谷山人刻摺

  石川県能登半島冬の日本海側、外浦の荒波です。強い季節風に乗って打ち寄せる、沖合の荒々しい波を表現したつもりです。この波は海岸の岩にぶつかり巨大な波濤を作り出し、厳冬期にその岩の間に有名な波の花が見られます。能登は対馬海流の影響で魚介類の豊富な海です。内浦は島が多く点在し波も穏やかで、外浦とは対照的です。
  外浦・・・・・曽々木海岸 禄剛崎   内浦・・・・・飯田湾 九十九湾 七尾湾

 
 
  作品6

題名 珠洲の海
縦17.5cm×横23.5cm  2014年1月28日完成 狐谷山人刻摺

<<小作品>>
   
居酒屋
2013/03/02完成 縦11.0cm×横14.5cm
騎牛帰家
2013/03/04完成 縦12.0cm×横12.5cm
   
阿弥陀仏
2013/03/07完成  縦12.0cm×横12.3cm
 獅子頭
2013/04/08 縦16.0cm×17.0横cm
<<その他 >>
  題名 光明W

縦17.5cm×横17.5cm
 
 大日如来像です。この作品は、濃い黒墨と薄墨を使い木版で摺り上げました。それをコピー機でコピーし、CGで色付しました。紙は和紙を使い印刷機で打ち出しました。これも、旧木版画と現代のCG技術のコラボレーションです。江戸時代の浮世絵の模倣ではなく、現代の版画を作り出すべきでしょう。この作品はそうゆう意味では、過渡期の作品でしょう。皆さん工夫しましょう。 
 2013年4月15日完成
狐谷山人刻摺・印刷

 


  題名 広目天T
縦24.1cm×横15.9cm

題名 広目天
縦28.5cm×横20.6cm

墨一色で、左記の作品の複刻版です。
 2015年8月3日完成
狐谷山人刻摺
 濃淡墨2色摺です。当時、墨一色では上手くいかず、2色使ってやっと出来上がった作品です。自分では不本意と思って、制作年月日を記入しておきませんでしたので、明記できません。落款だけは押しておいたようです
 1980年代頃完成
狐谷山人刻摺

 







  題名 習作
縦22.0cm×横16.7cm
 ドイツのアルブレヒト・デューラー1508年の作品「祈りの手」を参照し木版画で創作しました。一般には木口木版画で写実的に制作するのが普通ですが、墨一色で板目木版画でトライしたものです。こんなに難しいものかと痛感した作品です。
 1981年完成
狐谷山人刻摺



 
 
 ペン
1982年完成 縦23.1cm×横22.2cm
 墨
1982/07/25完成 縦28.0cm×横18.3cm

 

 
 山桜
1981年春完成  はがき大

1981年夏完成 はがき大 

 

 
 三角達磨
1981年秋 はがき大
 ヒダリマキマイマイ
1984/11/05完成 はがき大

 

 
 ニホンザル
1983/04/12完成 はがき大
 ボケ
1983/04/15完成 はがき大

 
 
 さくら市弥五郎坂石碑
1980年代頃 縦34.8cm×横19.8cm
 ホンドリス
1983/05/02完成 はがき大
 
 
 ニホンアカガエル
1983/05/23完成 はがき大
モズ
1980年代頃完成 はがき大