潮見橋解体撤去の経過報告
*2005年7月3日、熱烈なる石橋愛好家の一人・ゆっきーさまより、潮見橋撤去の知らせが入ったのが2005年6月28日。添付された6月26日付、南日本新聞掲載「鹿児島市唯一の3連アーチ 潮見橋撤去へ」の記事に、大きなショックを受けている。架設から今年で115年もの時を刻む潮見橋。江戸時代に花開いた日本の石橋文化の最高水準にまで達したその技術と、造形としての美が遺憾なく発揮された、日本の石橋の中でも傑作中の傑作の一橋であることは一目見ただけで伝わってくる、まさに一級の芸術品としての価値をも有する素晴らしい石橋だ。今の時代、日本の歴史は数千年まで遡れるというのに、これほどの石橋が明治23年の架設と分かっていても、石工の名前さえ不明のままにされてきたのは一体全体どうしたことだろう。
しかも、潮見橋は市の指定文化財にも入っていないというではないか。市の河川改修の一環というだけで市が単独で潮見橋撤去の決定を下していること、こんなことが許されるならば民主主義とは一体何だろう。市民あっての行政のはず。
また、市の「劣化が進み現地保存困難」という新聞報道にも疑問を抱く。昨年2月に訪ねた時、橋の上から、下から、見て触れて眺めた潮見橋に劣化という兆しはどこにも見当たらなかった。市の「風化、劣化、ひび割れが進み、困難」とのコメントを書いた記者は果たして潮見橋を自分の目で確かめたのだろうか。折りよく、昨日(05/07/02)、石橋愛好家兼カメラマンであるbmh氏が現地視察へと出向いてくださった。それによりますと、「早急に解体されなければならないような劣化した部位も見つかりませんでしたし、一部壁石に凹んだ部分や輪石にひび割れがありましたが、これは修復可能なもので、これが原因だとなれば各地に現存している石橋のほとんどが解体対象になってしまうのではないでしょうか?」とのことでした。
記者の仕事とは、行政のいいなりに記事を書き上げるのでなく、せめて自分の目で確かめた情報を元に記事を書いていただきたいと切に希望しないではいられません。
市はすみやかに潮見橋撤去の決定を白紙に戻してください!一般市民、土木技術の専門家、美術家、そして石橋愛好家の人々の意見にじっくり耳を傾けて、石工の名さえ伏せられてきた不憫な日本の名橋・潮見橋の心ある対応をお考えてくださいますよう、心からお頼み申し上げます! 2005/7/3
| 南日本新聞ニュースピックアップ [2005 06/26 08:20] | |||
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鹿児島市唯一の3連アーチ 潮見橋撤去へ
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潮見橋は1890(明治23)年に築造。製作した石工は不明で橋脚に水切りがあり、アーチの弧部分の石が二重になっているのが特徴。県内の石橋では、甲突川5石橋のうち3橋が移設保存された例があるが、潮見橋の撤去後の取り扱いは未定。 ■「劣化進み現地保存困難」 鹿児島市が和田川にかかる3連アーチの石橋、潮見橋を撤去するのは、上流で進めてきた河川改修を同橋付近でも行うには「架け替えが必要」と判断したからだ。現地保存した上での改修について、同市は「風化、劣化、ひび割れが進み、困難」としている。
市谷山建設事務所によると、潮見橋は市指定文化財ではないが、市は昨年6月、市文化財審議会に潮見橋の取り扱いに関する意見を求めた。同審議会は「現地保存が困難なら、できれば移設保存が望ましい」と回答した。 市は既に適切な解体手法に関する調査をコンサルタントに委託、解体する際も石の状態や形状を調べる方針。撤去後の扱いについて同事務所は「移設するにしても移設先や費用の問題がある。現段階では白紙の状態で、甲突川の石橋の例も参考に結論を導き出したい」とする。 県立石橋記念公園によると、3連アーチの石橋は県内ではほかに穴川橋(さつま町)市柴橋(大隅町)浜田橋(日置市)だけ。潮見橋近くの主婦(61)は「こんな昔ながらの橋はない。撤去は残念な気もする」と話した。 |
*2005年7月23日、妙行寺において18時半より「潮見橋を考える会」が持たれ、潮見橋撤去反対に向けての歴史的一歩を踏み出す記念すべき日となりました。 05/7/24
*2005年8月4日、「潮見橋を考える会」改め、「潮見橋の会」が第2回目の会合を開催。井上従昭ご住職様を先頭に、地元の方々の潮見橋撤去への決定に対する撤回運動に全面賛同し、当面は保留にもっていく闘いを全面支援いたします。共に頑張りましょう! 05/08/06
*2005年8月11日、第3回目「潮見の会」は真宗本願寺派深機山妙行寺において、「潮見橋撤去反対」のチラシと共に門徒のおばちゃんたちの呼びかけで地元の方々がたくさん集まってくださったそうです。潮見橋と共に生きてこられた方々の思いは一つ。どこの誰よりも潮見橋を愛する気持ちが強いことが「今日からでも動こう」、「町内をまとめよう」と、