潮見橋解体撤去の経過報告
*2005年7月3日
烈なる石橋愛好家の一人・ゆっきーさまより、潮見橋撤去の知らせが入ったのが2005年6月28日。添付された6月26日付、南日本新聞掲載「鹿児島市唯一の3連アーチ 潮見橋撤去へ」の記事に、大きなショックを受けている。架設から今年で115年もの時を刻む潮見橋。江戸時代に花開いた日本の石橋文化の最高水準にまで達したその技術と、造形としての美が遺憾なく発揮された、日本の石橋の中でも傑作中の傑作の一橋であることは一目見ただけで伝わってくる、まさに一級の芸術品としての価値をも有する素晴らしい石橋だ。今の時代、日本の歴史は数千年まで遡れるというのに、これほどの石橋が明治23年の架設と分かっていても、石工の名前さえ不明のままにされてきたのは一体全体どうしたことだろう。
かも、潮見橋は市の指定文化財にも入っていないというではないか。市の河川改修の一環というだけで市が単独で潮見橋撤去の決定を下していること、こんなことが許されるならば民主主義とは一体何だろう。市民あっての行政のはず。
また、市の「劣化が進み現地保存困難」という新聞報道にも疑問を抱く。昨年2月に訪ねた時、橋の上から、下から、見て触れて眺めた潮見橋に劣化という兆しはどこにも見当たらなかった。市の「風化、劣化、ひび割れが進み、困難」とのコメントを書いた記者は果たして潮見橋を自分の目で確かめたのだろうか。折りよく、昨日(05/07/02)、石橋愛好家兼カメラマンであるbmh氏が現地視察へと出向いてくださった。それによりますと、「早急に解体されなければならないような劣化した部位も見つかりませんでしたし、一部壁石に凹んだ部分や輪石にひび割れがありましたが、これは修復可能なもので、これが原因だとなれば各地に現存している石橋のほとんどが解体対象になってしまうのではないでしょうか?」とのことでした。
者の仕事とは、行政のいいなりに記事を書き上げるのでなく、せめて自分の目で確かめた情報を元に記事を書いていただきたいと切に希望しないではいられません。
はすみやかに潮見橋撤去の決定を白紙に戻してください!一般市民、土木技術の専門家、美術家、そして石橋愛好家の人々の意見にじっくり耳を傾けて、石工の名さえ伏せられてきた不憫な日本の名橋・潮見橋の心ある対応をお考えてくださいますよう、心からお頼み申し上げます!
 
         2005/7/3

南日本新聞ニュースピックアップ                                                         [2005 06/26 08:20]  
鹿児島市唯一の3連アーチ 潮見橋撤去へ
河川改修に伴い撤去されることになった潮見橋=25日午前、鹿児島市谷山塩屋町
 鹿児島市南部の和田川にかかる市内唯一の3連アーチの石橋、潮見橋が、本年度中に撤去される見通しになった。同市が河川改修に伴い架け替える計画で、新しい橋は来年度中に完成予定。
 潮見橋は1890(明治23)年に築造。製作した石工は不明で橋脚に水切りがあり、アーチの弧部分の石が二重になっているのが特徴。県内の石橋では、甲突川5石橋のうち3橋が移設保存された例があるが、潮見橋の撤去後の取り扱いは未定。

 ■「劣化進み現地保存困難」
 鹿児島市が和田川にかかる3連アーチの石橋、潮見橋を撤去するのは、上流で進めてきた河川改修を同橋付近でも行うには「架け替えが必要」と判断したからだ。現地保存した上での改修について、同市は「風化、劣化、ひび割れが進み、困難」としている。
 潮見橋は和田川が木之下川と合流する地点の下流に架かり、長さ32メートル、幅4メートル。車も人も通行する。市は谷山第一地区区画整理事業などに合わせ、木之下川を中心に改修してきた。潮見橋付近でも川幅を11メートル広げ、河床を50センチ掘削する計画。同市は本年度当初予算に、撤去と新橋の下部工などの費用に2億3600万円を計上した。
 市谷山建設事務所によると、潮見橋は市指定文化財ではないが、市は昨年6月、市文化財審議会に潮見橋の取り扱いに関する意見を求めた。同審議会は「現地保存が困難なら、できれば移設保存が望ましい」と回答した。
 市は既に適切な解体手法に関する調査をコンサルタントに委託、解体する際も石の状態や形状を調べる方針。撤去後の扱いについて同事務所は「移設するにしても移設先や費用の問題がある。現段階では白紙の状態で、甲突川の石橋の例も参考に結論を導き出したい」とする。
 県立石橋記念公園によると、3連アーチの石橋は県内ではほかに穴川橋(さつま町)市柴橋(大隅町)浜田橋(日置市)だけ。潮見橋近くの主婦(61)は「こんな昔ながらの橋はない。撤去は残念な気もする」と話した。

*2005年7月23日妙行寺において18時半より「潮見橋を考える会」が持たれ、潮見橋撤去反対に向けての歴史的一歩を踏み出す記念すべき日となりました。          05/7/24
*2005年8月4日、「潮見橋を考える会」改め、「潮見橋の会」が第2回目の会合を開催。井上従昭ご住職様を先頭に、地元の方々の潮見橋撤去への決定に対する撤回運動に全面賛同し、当面は保留にもっていく闘いを全面支援いたします。共に頑張りましょう!      05/08/06
*2005年8月11日、
第3回目「潮見の会」は真宗本願寺派深機山妙行寺において、「潮見橋撤去反対」のチラシと共に門徒のおばちゃんたちの呼びかけで地元の方々がたくさん集まってくださったそうです。潮見橋と共に生きてこられた方々の思いは一つ。どこの誰よりも潮見橋を愛する気持ちが強いことが「今日からでも動こう」、「町内をまとめよう」と、現地保存に向けの熱い思いが語られた一夜となりました。このことだけで行政が地元民の気持ちなど何も考えず解体撤去の決定をしたことが明らかになりました。一刻を争う今、早期に市当局との公聴会(説明会)開催に向けての動きが活発化してきました。おばちゃん、おじちゃんへ心より熱き声援を送らせていただきます。がんばってください!         05/08/12
*2005年8月13日、
上従昭ご住職さまより鹿児島市道路局から「潮見橋の架け替えについて」の説明会開催の案内が、町内会の回覧を通じてあったとのご報告をいただきました。
日程は8月21日(日)19:00より塩屋公民館(妙行寺のすぐそばです)にて開催とのこと。撤去反対の方で都合のつく方は是非説明会に足を運ばれ、"NO"という意思表示にご協力ください。今回の「潮見橋撤去」の報道は地元(塩屋町内会)の皆さんも、ほとんどの方が「何も知らなかった」と憤っておられます。92歳のおばあちゃんが、会に出席して「ぜひ残してほしい」と訴えたり、おばちゃんたちもチラシで参加を呼びかけてくださっておられます。地元の人たちにとって、潮見橋は生活そのもので、不便を感じたり、撤去を要請したりということは全くなかったそうです。「いったい地元の誰が撤去しろといったか」と憤ったおばちゃんもおられたとのこと。また地元紙の声の欄に、まきさんという方が「広く訴えるということも有効かなと思い、ご協力を職員がお願いいたしました。−優しい時間・あたたかいふれあいがあるのが潮見橋なのです−との声を寄せてくださいました。その他、マスコミ各社がこぞって潮見橋撤去反対の特集を組んで協力してくださっております。「潮見橋の会」は地元の公聴会を要求・景観等を踏まえた川作りを求めて対抗してまいります。どうか皆様、塩屋町内会の皆様に温かいご声援をお願いいたします!
    2005.8.17

*2005年8月21日、塩屋公民館にて市による説明会が午後7時より開催された。歴史ある公民館は大勢の人出で、外にも多くの人たちが固唾を呑んでで見守る中、私は30分遅刻で参加させていただいた。すでにビデオ上映が始まっていて、西田橋災害の模様が映し出されていた。「西田橋と潮見橋とは関係ないだろう」との声を他所に、市は解体撤去の理由を潮見橋はすでに昭和50年(1975)より架け替え問題が出ていること、平成9年(1997)の河川法改正でも潮見橋の解体が必要かどうか専門家を交えて検討してきたこと、現在は上流からの河川護岸工事が95%終了し、後は潮見橋の架け替えを残すのみとなっているなどをあげ、プリントの資料とモニターを駆使して潮見橋の劣化の画像を映し出し、架け替える橋は側に住む人たちの安全に配慮した、見た目も美しい石造り風の橋にすることを強調した。地元の方々の意見は賛否両論で木ノ下川の側に家を持つ方々のご意見「雨が降るたび心配でたまらない」、「新しい橋をつくるというので、貴重な土地を手放した」は、潮見橋の周りにうず高く積もった土砂を見れば当然の心配だ。一方、撤去反対の人たちから「子どもの頃から思い出が残る石橋、ぜひ残してほしい」、「最近の公共事業は生かす方向に行っている、生かして残せないものか」、「子どもたちにふるさとを大事に思う気持ちを育ててやりたい」、等々、意見伯仲の一夜となった。
 ただ見守るだけのつもりでいた私は、「あの石橋をなぜ残したいと思うのか分からない」と言った若者の言葉を聞いて、とっさに手を上げてしまっていた。今思い返して何をどうなふうに話したか殆どなにも覚えていないが、若者の質問に答え切れていない回答であったことを反省するとともに、潮見橋に対して何の力にもなれなかったことを改めて申し訳なく感じる今日この頃だ。石橋の魅力とはなんだろう。自分が若かった頃を思い返してみた。身近に石橋がなかったせいもあるが、石橋に魅力を感じて始めたのが40も過ぎてのことだった。それゆえ若者の気持ちも分からないではないが、今この地から潮見橋が撤去されたなら、日本の歴史的絶景の一つが消え去ることは間違いない事実。私はあなたが時を重ねて潮見橋の素晴らしさが分かるようになるまで待っていてあげたい。だけど行政は待ってはくれないのです!こんなすごい石橋がある町・塩屋町は他所からみたら羨ましいかぎりで、あなたたちにとっては大きな自慢の種なのですよ!どうか安全に配慮した河川造りをされ、この日本の美しい宝を残し続けていってくださいますようにと、心から祈ります。

若者に贈る唄一つ

−幾年を 重ねて出遭う  橋もあり−
 先で写真や絵で出遭うより、本物が見られることの方が断然いいはず! 2005.8.27
*2005年9月4日の予定、
14:00より妙行寺において「第三回潮見橋の会」が開催される予定。専門家によりますと、この地域は伝統的建造物群保存地区、潮見橋は重要文化財に匹敵するとのこと。この点も引き合いに出し、現地保存へとつなげていってください。「潮見橋の会」にご出席の皆様のご健闘を祈ります!2005.9.2
*2005年9月6日、9月月4日-「第三回潮見橋の会」が開催された。報告によりますと、今回は河川と土木の技術者を招いての説明が行われ、その内容は物理的な側面からも潮見橋撤去の必要のないことが明らかになりました。詳細はbmhの部屋-特集がんばれっ!潮見橋(http://spaces.msn.com/members/r1100rsp/)にえもんページ-志布志町〜潮見橋を考える会(http://5.travel-way.net/~niemon/3/index.html)を参照のこと。今日6日は各地で超大型台風14号が吹き荒れた。その最中にありながら、潮見橋は川をせき止めるでなく、毅然とした美しさを保ちながら、悠然として水を流し続ける姿が橋の袂に住まわれる井上ご住職さまのカメラにより捉えられた。潮見橋をつくった先人の知恵のなんと深いこと!今日の潮見橋の姿を見て市は潮見橋撤去の「劣化が進み現地保存困難」の言い分を撤回せねばならないだろう。美しいというだけでなく、確かな技術と知恵に支えられた潮見橋、現地保存は当然のこと。改めて潮見橋のすごさが証明された特記すべき日となった。          2005.9.6
*2005年9月11日、
9月6日より潮見橋現地保存に向け署名活動を開始。署名用紙:石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造りアーチ橋を運営する贄田氏の許可を得、このページにリンクいたしました(送付先は署名用紙の下に記載)。尚、署名情報はこの目的以外に使用することはなく、個人情報は保護されます。署名の締切:9月30日着
全国の皆様へ 日々変化の激しい左近、日本のどこかで日本の美しい風景が消えて去っております。その現状を憂う者の一人として、今まさに、解体撤去の危機に直面している日本の美しい潮見橋、皆様のご署名が現地保存への大きな力となります。どうか一人でも多くの方に署名活動へのご協力をお願い申し上げます。   2005.9.11
*2005年9月19日、潮見橋現地保存の署名提出まで余すところ後1週間。地元民でない私がこの活動をするにあたっていつも頭から離れない光景がある。説明会で聞いた雨が降るたび心配でたまらないと言われた地元架け替え賛成派の方たちの真に迫った訴えがそうだ。私にとって地元の方々がそのことで対立してしまうことは本意ではない。どうすれば潮見橋を現地に残せ、周りに住む方々の安全や不満をもクリア出来るのかを考えてみた。潮見橋の上流側か、もしくは下流側のいづれかに大型車も通せる新しい橋を架ける、というのはどうだろう。この例に、熊本県菊池市大字四町分字岩下に岩下橋がある。但し、最大限潮見橋の景観が守られる橋であることは言うまでもない。        2005.9.19
 岩下橋 

*2005年9月28日、[潮見橋の会」会長・井上従昭氏が潮見橋現地保存への陳情書と2,822人の署名を携え鹿児島市議会へ赴いた。翌日9月29日の南日本新聞ホームページに下記の記事が掲載された。

*南日本新聞掲載記事 2005 09/29 08:33
潮見橋、12月にも解体 鹿児島市が方針
市内唯一の3連アーチ石橋
 鹿児島市は市内唯一の3連アーチの石橋、潮見橋(和田川)について、12月にも解体に着手する方針を固めた。11月には現地で準備作業に入り、早ければ来年2月に解体を終了。本年度末には新しい橋の設置工事に取りかかる。
 市谷山建設事務所によると、現地では11月にも石橋の上流側に歩行者専用の仮橋を設置し、橋のたもとにはけ口がある水路の付け替え工事にも取りかかる。その後、解体作業に入り、高欄など上部から順次取り外す。アーチ部分は石を支える支保工を組み、ジャッキアップして石組みをゆるめながら解体する。
 解体した石は別の場所に仮置きする予定だが、その後の取り扱いは未定。同事務所は「解体した石の状況や(石橋を移設復元した)甲突川の事例も参考にしながら、最終的に判断したい」としている。
 潮見橋は1890(明治23)年に築造された。長さ32メートル、幅4メートルで、製作した石工は不明。橋脚に水切りがあり、アーチの弧部分の石が二重になっているのが特徴。
 同橋をめぐっては、地元住民から現地保存を訴える声があがっているほか、26日には近くの木之下川沿いの住民が早期架け替えを求める要望書を市へ提出している。

 ■現地保存を求め陳情書/地元有志が市議会へ
潮見橋の現地保存を求める陳情書を提出する井上従昭さん(右)
 鹿児島市の和田川にかかる石橋、潮見橋の現地保存を求める地元有志の会が28日、市議会に陳情書を提出した。同会では署名活動も展開中で、27日までに2822人分が集まった。10月上旬にも森博幸市長に提出する。
 陳情は地元で潮見橋を考える会を開催してきた住民らが提出。河川改修に伴い撤去予定の同橋について「ふるさとの橋として愛され、橋周辺に残る自然とともに、次代の子どもたちに残しておきたい財産」として、「橋を現地に残しながら、だれもが安心して生活できるまちづくりを進めてほしい」と訴えている。
 同会の井上従昭さん(43)=和田1丁目=は「私たちは水害対策をするなと言っているわけでなく、可能な限り内水対策をしてほしいと願っている。ただ橋があるから水害が起きるという考えはおかしい。私たちの考えを聞いてもらえる場を市にはつくってもらいたい」と話している。
 陳情は30日に予定している議会運営委員会で取り扱いを協議。常任委員会に付託することが決まれば、閉会中の11月に審査する見通し。

*2005年9月30日、[潮見橋の会」会長・井上従昭氏より陳情書が委員会に付託されたとの連絡が入りました。
*2005年10月1日、潮見橋の袂に住まわれる地元の方々の和田川と木下川とで正反対の要望書が市議会に提出されたことは潮見橋そのものの存在より、河川状態の劣悪なことが死活問題になっているように思われる。潮見橋周辺の砂州はかなり広範囲に及んでいて、いつ何時水害が起こらぬとも限らない憂うべき状況だ。市は潮見橋解体撤去と言う前に、まずは河川の浚渫工事を施すべきではないのか。
先人の残してくれた潮見橋は鹿児島市にあるとはいえ、日本にとっても重要伝統的建造物に値する石橋。このような日本の宝が鹿児島市の一存で解体撤去されることは到底受け入れ難い。潮見橋を現地保存しながら住みよい街づくりを目指すことこそ、市の役目というもの。      05/10/02
*2005年10月8日、[潮見橋の会」会長・井上従昭氏からの次の報告がありました。
−10月6日、鹿児島市役所を呼びかけ人の方々が訪問して、3221名の署名と要望書を提出してきました。
地元の人たちの思いはさまざまで、絶対に残さなければと意気込む人、ある程度の譲歩は仕方がないという人、これだけの人が思いを寄せてくれたから橋も許してくれるかなという人・・。私はこぶしを振り上げずに、いろんな選択肢も視野に入れながら、でもできる限りのことはやりたいと思っています。
10月26日19時より、私たちの要望に応えて、説明会が開催されます。さまざまな思いや疑問をぶつける場になります。場所は妙行寺。−

10月26日19時より2度目の説明会が開催されるとのこと、この説明会を市の一方的な解体撤去の説明に終始させることなく、潮見橋を現地保存しながら、地元の方々にとっての利便性をも配慮した新たなプランの検討も盛り込んだ話し合いとならんことを心より願っております。
「潮見橋の会」の皆様のご健闘を祈ります!  05/10/08

*2005年10月25日、−説明会を明日に控えて思う−
いよいよ明日・26日は地元の方々の要望に応える市との説明会が妙行寺にて開催されます。明日は一人でも多くの方に参加していただいて、115年もの長きにわたり人々の暮らしを見守り、支えてくれた美しい潮見橋をぜひとも現地保存の形で残せるよう、潮見橋解体に賛成の方々も50年、100年後を見据えた街づくりの一環として、過去・現在・未来と、この場所に住む人々が「ここが私のふるさとだ!」と子どもたちや他所から来た人たちにも胸張って自慢できるような素晴らしい場所にすべく頑張っていただきたいと思います。
今、そこにある潮見橋、地元の方々にとってはいつもそこにある石橋であることでしょう。でも日本全体から見れば、潮見橋のような石橋はここに来なければ見ることのかなわぬ、日本人の手による傑作中の傑作の一橋であること、この地に立った人ならば、潮の香りと、ひろやかな景観に浮かび上がる潮見橋の雄姿に誰もが感動を覚えさせられます。今時の日本に、現役で、しかも車も通れる石橋が街中に架かっているなど、この場所を置いてほかにはありません。誰が、誰のため、どのようにして、この石橋をつくったか、石の一つ、一つを眺めれば眺むるほどに、潮見橋の架設は当代一級の芸術家、棟梁、土木技術者でなければ成し得ない仕事であったことは明らかです。この石橋を手がけた石工は恐らく、この場所を選んだのはこの場所の景観のよさと、この地に住む人々を愛すればこそ、「皆のお役に立てよ、末永く可愛がってもらえよ」との願いを込め、我が名を残すこともせず、潮見橋一つを置き土産にして歴史の彼方に消え去りました。この潔さに日本人気質をみる思いがしております。
どうか、この潮見橋を地元に住まわれる方々の憩いの場に整備され、末永く現地保存して日本人ばかりか、世界の人々にも「鹿児島市に行けば素晴らしい三連のアーチ石橋が見られるんだ」という夢を今後も見させていってくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
05/10/25

*2005年10月26日、「潮見橋の会」代表・井上従昭氏をはじめとする地元の方々の要望に応える形での市による説明会が開催された。
「潮見橋の会」代表・井上従昭氏より当日の説明会のご報告をいただきました。下記にその記事を掲載いたします。
−向江様はじめ・にえもんさま・ゆっきーさま・bmhさまいつもいろいろなご支援をいただいておりますこと、改めてこの場で御礼申し上げます。署名につきましても多大なご協力をいただきましたおかげで、10月27日現在で、3600名の方の署名が集まりました。10月末をめどに集約し、前回提出の3221名以降の追加分として提出いたします。
 さて、10/26の説明会は、住民約70名とテレビ4社・新聞数社、鹿児島市谷山建設事務所長以下所員の皆さん・鹿児島県河川課の主幹の方の参加のもとに行われました。
私たちの主目的は、もちろん潮見橋を現地に残しつつ、できる限りの水害対策を行っていただくことですが、撤去と言う方向性を変えない以上は、潮見橋が水害の元凶であることを、誰にも納得行く形で示してほしいと言うことでした。
 石橋保存を訴える河川技術者の方々の手によってできた「潮見橋について」と言う論文(石橋は川の流れを妨げない--橋が水害の原因ではないことを証明したもの)に対しての市側の反論説明から始まり、後は住民が専門的な質問を次々と出すと言う形で進みました。かなりの専門的な質問見も出され、市側も答弁に困る場面も何度かありました。また住民の方の中には、橋の撤去そのものに対して怒りをぶつける人、説明がなされたと言うが、そのとき自分は町内会の代表をしていたが、河川改修の説明はあったが、橋の撤去は全く聞いていないと言う人、継続して説明会を行うべきだと言う人など、それぞれの方の橋への思いがあふれ出た会でした。私たちが納得できるような回答は得ることができず、住民の方々もこのままでは納得できない。もっと説明が必要であると思いが溢れました。
 2時間の予定が3時間にも及び、それでも終わりそうもない状況の下、また説明会を開催してほしい(要望書提出の際の助役さんの約束でもあります--地元の理解を得ることは大と言うお答え)と言うことを当局に向けましたが、11月2日に先般提出した陳情書が11月2日午前10時以降に審査されると言うことで、その結果次第ではまた開催と言うこともありますと言う返答でした。
 陳情書が否決されますと、説明会の開催も難しく、撤去に向けて動き出すことと思います。また陳情書が継続審議となりますと当面の撤去はなく延期されることとなるでしょう。そういう意味からもこの陳情書の審査が大きな局面です。地元の方々は都合をつけて審議会に傍聴に行きます。−
10月27日(木)22時37分7秒

[2005 10/27 14:26]南日本新聞ニュース   
潮見橋撤去 話し合い平行線/鹿児島市
 鹿児島市唯一の3連アーチの石橋で、河川改修に伴い市が撤去を計画している潮見橋(和田川)に関する地元住民と市側の話し合いが26日夜、同市和田1丁目の妙行寺であった。約50人が出席し、橋の現地保存を求める大半の住民が「石橋が水害の原因とは考えられない」と見直しを迫ったが、市側は「石橋を残したままの改修は困難」と従来の見解を繰り返し、平行線をたどった。
潮見橋の現地保存を求める声が相次いだ住民と市側の話し合い
 話し合いは潮見橋の現地保存を求める住民が市に要請して実現した。同市谷山建設事務所職員らが出席、30年に一度の降雨に耐えられる改修を行うため現在毎秒109トンの流下能力を235トンに増やす必要があると説明。「川幅を広げるので架け替えざるを得ない。このままだと大雨の際、石橋のところで水がせき上がり、ダムのようになる」と理解を求めた。
 住民からは「石橋を撤去すれば水害が起こらないのか。なぜ文化的遺産を壊す必要があるのか」「(内水排除のための)大型排水ポンプを設置したり、周辺の低地区を区画整理で盛り土するなど、方法はあるはず」といった声が相次いだが、市側は「川を拡幅するうえ石橋は風化、劣化も進んでいる」と強調した。
 予定を1時間以上オーバーし3時間にわたった話し合いでは、地元への説明不足を指摘する声も根強かった。一方、河川改修を求める住民からは「橋を架け替えて、早急に改修を進めてほしい」との意見もあった。
 結局、現地保存を求める住民側が再度の話し合いを求め、市側は持ち帰り検討することになった。
 妙行寺副住職で、現地保存を求める地元有志の会の井上従昭さん(43)=同市和田1丁目=は「潮見橋が水害の元凶というなら撤去も納得するが明確な説明もなかった。市側はわれわれが聞いたことに、きちんと答えてほしい」と訴えた。
 一方、早期の河川改修を求める保護司白石和徳さん(74)=同市谷山塩屋町=は「9月の台風14号の時、玄関まで水が来た。橋に愛着はあるが、私たちは常に水害の恐怖と戦っている。住民の命や生活が懸かった問題であり、市は計画通り進めてほしい」と話した。
 市の計画では12月にも潮見橋解体に着手し、来年2月ごろ終了。本年度末には新橋の設置工事に取りかかる方針。
*2005年11月2、陳情書の審議が行われます。公正なる審議が尽くされますよう、祈ります。  05/10/29
*2005年10月30、「潮見橋の会」代表・井上従昭氏より下記のコメントをいただきました。
11月1日より南日本新聞にて、潮見橋の特集が3回にわたって掲載されます。3回目は3日、つまり陳情書の結果を報告する形での記事になります。
今日取材に来た南日本新聞の記者さん(はじめからずっと取材してきてくださっている方です)から、最初に南日本新聞での撤去報道の際に記載されていた文化財保護審議会のコメントについて、詳細に聞きました。記事では「現地保存が望ましいが、できれば移設保存」と言うような表現になっており、あたかも移設保存を進めるような表現になっていますが、実際は下記の通りであったそうです。
『まず撤去が決まった状況で審議会に諮問したこと自体に審議会が激怒。「外堀を埋めた形での諮問はもってのほか」と。そして委員全員が潮見橋を視察し、全員が現地保存を望んだ。ただし、地元の合意があってその上でもしも解体するならば、その時には移設保存をするようにという答申であった』そうです。審議会に諮問した際に審議会から、地元にはちゃんと説明したのかと問われた市側は、「no」。そこで町内会長や役員さんに対しての説明が行われ、地元の合意を得たということになって今日に到っているようです。説明責任を果たしていないのです。
2日は呼びかけ人を中心に傍聴に行きます。よい結果はあまり期待はできませんが、呼びかけた一人ひとりの責任として見届けたいと思います。
明日地元の方二人と9月4日に橋が水害の原因ではないことを証明してくださった技術者の方が、市役所で記者会見を行います。市側がきちんとした説明をしてくれないので、陳情書審議を前に、私たちの代替案を提起するためです。


審議会は文化財としての価値を認めながらも、解体撤去を容認せざる得なかったいきさつ、『まず撤去が決まった状況で審議会に諮問したこと自体に審議会が激怒。「外堀を埋めた形での諮問はもってのほか」と。そして委員全員が潮見橋を視察し、全員が現地保存を望んだ。ただし、地元の合意があってその上でもしも解体するならば、その時には移設保存をするようにという答申であった』は、市民の公僕であるはず市が、一部の有力者と癒着談合の上にて審議会に「地元の合意を得た」と嘘の報告していたことだけでも立派に犯罪行為が成立します。潮見橋解体撤去は当然白紙に戻されなければなりません。
地元の方々の、潮見橋を助けようと力を尽くしておられるご様子に涙腺が緩んで、胸が熱くなっております。きっといい方向に流れを変えてく
れるものと期待しております。特集記事、ぜひ読ませていただきます。明日の記者会見、ご健闘お祈りいたします!                05/10/30
*2005年11月2日、「潮見橋の会」代表・井上従昭氏からの審議会審査の報告−
−当初から市民派議員の鋭い質問が続き、革新系の議員を中心に、資料不足・整理不足が指摘され、河川改修事業の今日までの成果と問題点などを整理したうえで、ほんとうに潮見橋が架け替えなければならないのか、代替案はないのか等の議論をするために再度委員会を開くと言うことになりました。革新系議員のことばを幾つか拾うと、「陳情書に、潮見橋撤去を突然聞かされ驚いているというこの声を真摯に聞くべきだ」「河川改修集事業の今日までの成果・問題の整理がなければ、今回の陳情に対してお答えすることもできない。」など。とにかく少しの時間はできました。また近日中に保存を支持する議員団と地元自由民との会合ももたれる予定です。少し希望が開けてきたような気がしています。−    05/11/2

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2005年
11月1日付、南日本新聞 
残せないか潮見橋−上


*
2005年
11月2日付、南日本新聞 残せないか潮見橋−中



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2005年
11月3日付、
南日本新聞 残せないか潮見橋−下



*
2005年
11月12日、
「潮見橋の会」代表・井上従昭氏からの審議会審査の報告−
-長時間の審議の結果、総合治水の観点から撤去はやむをえないという結果となりました。
先日は日本土木学界の現地保存の市長と市への要請、今日は熊本大学の木村教授の記者会見など、さまざまな追い込みがかかりましたが、市は姿勢を変えてくれませんでした。
今後の取り組みについてはこれからいろんな方々と検討しますが、地元のおばちゃんたち・おじちゃんたちはとても疲れています。しばしゆっくり休んでもらいたいと思います。
また全国の皆さんからもたくさんの支援をいただきましたが、今日までのところその思いにお応えすることができませんでした。申し訳ありませんでした。
九州遺産でもあり、鹿児島の谷山の明治を語るこの偉大な橋の存在を、私たちは何らかの形で次代に残さなければならないと思います。そんなことも念頭において今後のことを考えて行きます。といってもまだ完全にらあきらめたわけでもありません。橋の価値を訴えてくださる方の声は日に日に高まっているのですから・・。-

*2005年11月13日、「潮見橋解体撤去」の報が新聞に掲載されて以後、5カ月間に及ぶ、地元潮見橋現地保存へと立ち上がった「潮見橋の会」の方々、土木技術の専門家、各界の有識者たち、および石橋愛好家の強い訴えにも関わらず、ついに鹿児島市は潮見橋現地保存の陳情書を「総合治水の観点から撤去はやむをえない」との不採択を決定した。この期に及んでも鹿児島市は潮見橋を後世に伝えるべき日本の重要な宝であることを理解しなかったばかりか、理解しようともしなかったこと、撤去反対署名が賛成の倍以上の署名を集めながらもその民意に歩み寄る形のものさえ模索しようとしなかったことは鹿児島市に民主主義は通用しない、まさに野蛮で恥ずべき政治の行われている地方団体であることを世に知らしめました。改めて鹿児島市制に強い不信と怒りを覚える。こうした文化も民主主義をも解せぬ今の鹿児島市制の横暴振りは到底許すことは出来ない。
*2005年11月14日、潮見橋現地保存の陳情書が11月12日の鹿児島市議会において不採択となったこと。これまでの経過からみて、あまりにも不自然な決まり方ではないかと思う。先日の審議会の審議において「河川改修集事業の今日までの成果・問題の整理がなければ、今回の陳情に対してお答えすることもできない。」と市に対して注文をつけ、審議が中断したはずではなかったのか。この点がクリアされないまま、いきなり陳情書が不採決になってしまったことは鹿児島市政の体質がいかに民意を反映しない仕組みになっているかを目の当たりにした思いだ。それにしても市議会議員選挙には真に郷土を思う人に投票しなければならないことを今更ながら教えられたような気がした。

NBC
ニュース

見橋問題 住民への理解求める[11/14 14:10]

鹿児島市の石橋、潮見橋の保存を求める陳情は鹿児島市議会で不採択となりました。鹿児島市は、今月中に撤去のための仮設橋を設置する作業に取り掛かる予定です。鹿児島市議会の建設委員会でおととい行われた潮見橋の保存を求める陳情についての審査はおよそ10時間にわたって論議され結局、賛成3、反対7で陳情は不採択となり、議会もあらためて潮見橋撤去にゴーサインを出しました。これを受け、鹿児島市では当初の予定通り今月中に撤去工事のための仮設橋を取り付ける作業に入り、来月中旬にも橋本体の撤去作業に入ることにしています。しかし、建設委員会の中で「住民への説明が不十分」との指摘もあったことから、鹿児島市は作業に入る前に改めて架け替えの必要性を説明する場を設け、住民に理解を求めたいとしています。保存を求める住民グループは「まだあきらめていない。今後も保存のための運動は続ける」と話しています。

朝日新聞地域情報 05/11/14
潮見橋保存の陳情を不採択、鹿児島市議会

鹿児島市谷山地区にかかる石橋・潮見橋の架け替え問題で、市議会建設委員会は12日、住民から提出されていた現地保存を求める陳情を賛成少数で不採択とした。市は予定どおり12月から解体に着手する方針だ。
委員会では、地元住民への説明が不十分で混乱を招いたとして、山中敏隆建設局長が「もう少し早めに説明すべきで反省している。今後も可能な限り説明会を開き理解を求めたい」と話した。陳情に対する委員会の採決は賛成3、反対7だった。これに対し、現地保存を求める住民らは反発。17日に橋近くの妙行寺で会合を開き、今後の対応を話し合うことにした。

*2005年11月19日、
「潮見橋の会」代表・井上従昭氏からの審議会審査の報告−
-17日の会合(私は別の会合があり、半分しか出席できませんでしたが、当日も新聞・テレビ各社の報道が取材に来ていました。)南日本新聞の記事を紹介して報告とさせていただきます。
2005年11月19日 南日本新聞県都版
潮見橋撤去問題 「知恵出し合い保存を」地元住民今後の活動を協議
鹿児島市唯一の三連アーチの石橋、潮見橋(和田川)の現地保存を求める陳情が市議会建設委で不採択になったことを受け、陳情を出した地元住民らは17日、今後の取り組みなどについて話し合った。出席者からは「せめて移設保存を」「最後まで現地保存の可能性を探るべき」などさまざまな意見が出た。同市和田一丁目の妙行寺であった話し合いには地元住民や市議ら約二十名が出席。出席者からは撤去計画を進める市に対し、「文化財を守ると言う認識がない」と言った批判の一方、今後の対応については「現地に残せないなら、せめて地元の近くに、移設保存を求めるべき」と言う意見や、「最後まで現地保存に向けて知恵を絞ったらどうか」との指摘もあった。また「多くの住民の賛同があれば、(解体工事差し止めの)仮処分申請に協力する用意がある」との意見もあったが、地元住民の間に亀裂を生むことを不安視する声もあり、まとまらなかった。結局、今後も話し合いを続け、一人ひとりが潮見橋について知恵を出し合っていくことを了承した。現地保存を訴えてきた妙行寺住職井上博孝さん(48)は、「陳情が不採択となって終わりではない。今後も潮見橋に対する思いをひとりでも多くの人に伝えていきたい」と話した。
付記:仮処分申請は、地元の方や関係者数名が連名で行う予定です。

市23日にも解体準備 採寸後の石の扱い未定
鹿児島市は18日、市内唯一の三連アーチの石橋、潮見橋(和田川)について、来週半ばの23日前後にも解体工事にむけた準備作業に入る見通しを明らかにした。市谷山建設事務所によると、まず潮見橋の上流側に鉄骨製の仮設歩道(幅2メートル)を設置し、う回路を設備。合わせて、石橋のたもとにはけ口がある水路を、下流側に付け替える工事を行う。仮設橋、水路切り替えは一ヶ月程度で終わる見通しで、その後12月中にも解体に着手する。段取りは橋の高欄部分、壁石などから順次取り外し、内部のつめ石を除去。その後、アーチ部分を支える支保工を組み、ジャッキアップして石組みを緩めながら解体する。取り外した石は記録のため一個ずつ寸採し、写真撮影するが、その後の取り扱いは未定。解体工事が終われば、市は新しい橋(幅11メートル・延長46メートル)の建設に取り掛かり、2006年度内にも完成させる方針。同事務所は「新しい橋は表面に石を張るなど、石橋をイメージできる橋にしたい」と説明。移設保存するかどうかは「移設するなら場所も必要。石の状態を見て判断したい」としている。
*2005年11月20日、23日-一部記事修正
井上従昭ご住職さま、関係者の皆様、お疲れさまです。ご報告ありがとうございます。
 いよいよ潮見橋解体撤去へと動き出しそうですが、今は解体工事差し止めの仮処分申請をすべき時です。地元住民との間に生じる亀裂と混乱の元凶は、ある日突然、潮見橋解体撤去を打ち出した市の方にこそその責任がありますから、地元の方々は互いに対立する必要はなく、これまでどおり仲良くしていただきたいと願っております。
 潮見橋の価値がいかほどのものかとの認識が鹿児島市にまったく欠如していること、これは日本にとっても重大な危機であるように思われます。戦後60年の間、日本は日本独自の伝統的建造物を壊し続けてきました。家屋については日本の家屋は木造が多く、火事にでもなれば被害は甚大で、火災が起きても燃えない建物を、とのことで日本の気候風土を無視してコンクリートの建物ばかりをつくり続けてきました。そして今、街はまさにコンクリートジャングルと化し、ここはどこかと、日本にいながら、どこの国にいるのかも知れない砂を噛むような味気ない風景が広がってしまいました。
 近頃では身近に鉄筋コンクリートの建造物が30年、あるいは50年のサイクルで造り直されているのを目の当たりにする機会も増えてきました。我らが先人は日本家屋のこのような材質面での弱点を考えなかったはずはなく、その対策として、火災時には互いに助け合うべく村が共同体としての役割を担い、日ごろより夜回りの「火の用心」が行われ、いざ火災発生となれば村人総出による消火活動が行えるよう、消火設備が民家の戸数ごとに街道に設置され、定期的に消火訓練も行われてきました。こうした共同体が果たしてきた役割は建物を守るだけでなく、日々の暮らしを共に助け合い、共に楽しむよう、あくまで自然に添った在り様が熟慮された、まさに人類の理想郷を想定して建造されたものであることが分かります。大型自然災害が頻発する左近、日本家屋がことのほか耐震性のすぐれた建造物であることも分かってきました。一見なんでもないような柱の建て方にさえ、日本人の地震に対する深い知恵が生かされいたことは驚異というほかありません。手入れさえ怠らなければ今後も十分使い続けていくことが可能だということは、かっての日本人が目指した建造物は自然の摂理に適うよう、あらゆる知恵を駆使したものであったことが分かります。2000年もの長きにわたり日本人が育んできた、生きるための知恵と美しいものを楽しむ心を戦後わずか60年の間、西洋のまねをしてコンクリート建造物ばかりつくってきたことで日本人が日本に居ながら日本の建造物を見る機会さえ奪ってきております。目に触れられてこそ、その価値も理解できようものゆえ、失ったものは仕方ないとしても現在残されている優れた日本の建造物は極力保護していかなければなりません。
 左近地球規模の災害が頻発する中、改めて日本の建造物の確かさが再認識されてきてもおります。  
 115
年もの間、今の我々の想像だにできぬ厳しい自然の試練をも立派に耐え生き抜いてきた、まさに日本人の知恵と美の最高傑作の一つ・潮見橋がコンクリート神話が崩れ始めた今になって、今まさに取り壊わされ、コンクリート橋に架け替えられようとしていることは誇り高き優秀な日本民族への冒涜以外の何ものでもないことを鹿児島市議会の解体撤去を支持した2005年度の役人たちは今こそ知るべきです。卑劣極まりないことに潮見橋の解体撤去は解体撤去後の取り扱いさえ未定のままで行うと言う。まさに野蛮もこの上なしの蛮行と言わざるを得ない。日本の伝統文化を保護していく義務を担っているはずの市がその自覚をまったく欠いた集団であることはまさに憂うべき重大な欠陥だ。特に鹿児島県は他県に比べ日本独自の国宝級文化財が多いだけに心配は尚更募る。潮見橋のように日本人の原型を見させてくれる孤高の建造物は後世の人々のためにも是非とも残し置かれねばならない日本の宝。この宝を守っていくために、我々もまた自治体の選挙に無関心であってはいけないこと、保存のための呼びかけ、署名活動等に協力していく姿勢が求められていることは言うに及ばないことだ。
 解体撤去の工事が始まらんとする今においてさえ、「潮見橋解体撤去はならぬ!断じてならぬ!」と私は声を大にして叫ぶ。日本の伝統文化を後世の日本人ばかりか、世界の人々にも伝えるためにも。 
 今後、ますます国際化していく中にあって外国人に日本の文化を紹介したり、聞かれたりした場合、「鹿児島市に潮見橋あり」と胸張って紹介したいもの。まさに潮見橋は「日本人ここに在り!」と唸らせるほどの日本人の粋を極めた建造物であることがまぎれもない事実であるだけに解体撤去だけは踏みとどまらせたい。
 そもそも潮見橋解体撤去とは、左近の車社会に対応すべく橋の架け替えの必要性により出てきたものであることは十分承知している。しかし、そのためとは言え、115年前の日本社会が奇跡的
(潮見橋には石工の名前さえ残っていないこと、このことは当時の鹿児島社会がいかに閉鎖的で身分制の厳しいものであったかを暗に物語ってもいる)に生み落とした、まさにあらゆる難関を乗り越えた果てに当代並びなき無冠の大天才の手により架設された潮見橋が今の時代の役人の一言で葬り去られてよいものか。
 地元の多くの方々にとっては子供の頃からの思い出の残る大切な石橋だ。一度解体撤去してしまえば二度と蘇らぬだけにいくら惜しんでも惜しみ足りぬと思うのは私ばかりではないだろう。
 市民が市政に望んでいることは、古くなったものは次々と壊し、コンクリート建造物に取り替えていくことではなく皆が心豊かに安心して暮らせる社会であるはず。先祖が我々に残し置いた歴史的建造物には生きていくための知恵と工夫が随所に生きている。今を生かされて在る私たちは先祖の知恵に学び、そこから生きるための知恵を子孫へと確かに渡していかなければならない。そのためにこそ価値ある歴史的な建造物は極力残していくべきと思うし、それと同時に文明をも取り込んだ新たな暮らしの形態をも模索していかなければならないのはいうまでもないことだ。その一方法としてこれまで何度も言って来たことに、潮見橋を現地保存しつつ、側に大型車も通せる新たな橋の建造といった古橋と新橋の共存形態がある。鹿児島県日置市吹上町永吉の浜田橋、熊本県菊池市大字四町分字岩下の岩下橋、同県美里町の霊台橋等は、どれもいずれ劣らぬ見事な景観を誇っており、潮見橋においてもこの方法が採用されてもいいのではないかと、更にいっそう強く思われてならない今日この頃だ。
 どうか皆様、今一度潮見橋解体撤去反対にご協力くださいますよう、お願い申し上げます。ご拝読ありがとうございました。 
11/23、一部記事修正)
*2005年11月27日、井上従昭ご住職さまからの報告−
皆様方へ
潮見橋の撤去工事の差し止めを求める仮処分を鹿児島地方裁判所に申請ました。

以下南日本新聞県都版より
「差し止め仮処分申請 鹿児島地裁へ市議ら9名 『住民説明は不十分』」
 鹿児島市唯一の三連アーチの石橋で、同市が河川改修に伴い解体、撤去を計画している潮見橋(和田川)の現地保存を求める市議ら9人が25日、撤去工事の差し止めを求める仮処分を鹿児島地方裁判所に申請した。
 申請したのは、同市議会の大園盛仁、小川美沙子、野口英一郎の三議員と甲突川の五石橋保存運動に携わった市民ら。
 申請では「市は住民に十分な説明もせず、橋を残す方法があるのにその努力を怠っている」と指摘、「現代の土木技術を駆使し補強強化、分水路対策をとれば(橋を)守れる。解体撤去されては二度と復元できず、回復は困難」と主張している。大園議員は「残せるなら残してほしいと言う住民の声は大きく、住民への市の説明も不十分。市が観光のまちづくりを目指すなら歴史、文化を尊重する姿勢が必要だ」と話した。
 仮処分申請について、同市谷山建設事務所の笠毛弘所長は、「正式に聞いていないので、コメントしようがない」と話した。同市は予定通り解体に向け、近く仮設橋設置など現場での準備作業に入る方針。(以上南日本新聞)

 先日12月にも解体に入る予定であったものが、年末年始をはさむことを避けて、年明けに解体となったと言う報道がありました。
 地元の人は、今回の訴訟には加わっていません。と言っても無視しているのでは決してありません。地元の方々の中から、これまでの運動(7月から今日まで)の疲れ(高齢の方が多いので当然だと思います。皆さん本当によくがんばられました)と、訴訟によってさらに地元の方々の中に溝が深まることを懸念する(この件についても、訴訟にたった小川議員も、過去に原発・産廃などの設置反対運動を展開するのかで、地元の中に修復しがたい大きな溝が生じてしまったことを何度も見ているので、これからは慎重に上に慎重を期してと語っていました)声も大きく、地元の人が原告として訴訟に加わることは控えました。大園議員をはじめ市議の方が先頭に立って動いて下さっているので、皆さん方に託しています。地元の人たちは自分にできる形で、(潮見橋について語る、写真を残す、ブログをつくる、写生する、投書するなど)潮見橋のことを語っていこうとしています。
 先日の南日本新聞の夕刊には、ずっとこのことを追ってくださっていた能勢記者(8月にも大きく特集で 取り上げてくれました)が、「時代の生き証人をなぜ壊す」と、憤りをもって記事を書いてくれていました。私もいろんなところで、潮見橋のことを今まで知らなかったと言う人と話す機会が増えました。なぜ文化的にも、歴史的にも価値あるものを壊すのかと言う憤りを持って語ってくださる方がほとんどです。この様なことが、行政の独走を許さず監視すると言う意識の高揚につながって言ってくれればと思っています。
 仮処分申請がどうなるかはわかりませんが、もし撤去となったときには、せめて移設保存してもらうと言うことも訴えなくてはなりません。そのことも動いていかないとなりません。
 05/11/27
*2005年11月27日、理想的な差し止め仮処分申請−
井上従昭ご住職さまへ
鹿児島市議会の大園盛仁、小川美沙子、野口英一郎の三議員と甲突川の五石橋保存運動に携わった市民たちの名による潮見橋撤去工事差し止めを求める仮処分が鹿児島地方裁判所に申請されましたこと、誠にもって理想的な展開と安堵いたしております。
ここまで来るのには、地元の方々、現地保存に協力してくださった多くの方々の潮見橋を残したいという熱い思いに応え、潮見橋現地保存へと地道な運動を展開・指揮してくださった井上ご従昭さまのお力があってこそ、撤去工事差し止め仮処分申請へつなぐことが出来たこと、この運動に関わった人なら誰もが理解していることです。申請者の名に地元の方々の名を入れなかったことも、未来に禍根を残すことを避けた最善の賢い選択でした。こうした追い込まれた状況になってからも手を差し伸べてくださる方々がおられるということはまさに心強い限りです。一日も早く市が態度を変えて、潮見橋を残す方向へと転換してくれるよう私たちは期待して見守っていましょう。
それにしましても、井上ご住職さま、地元の皆様、お疲れ様です。お体くれぐれも大切になさってくださいませ。ご報告ありがとうございました。

*2005年12月10日、鹿児島市による住民説明会の模様。南日本新聞-2005/12/11−

南日本新聞ニュースピックアップ [2005 12/11 07:21]  
潮見橋 来月解体へ/鹿児島市が住民説明会
あすにも仮設橋着工
潮見橋解体工事について、市谷山建設事務所の職員に質問する住民=10日午後8時、鹿児島市谷山塩屋町の塩屋公民館
 鹿児島市は10日、市内唯一の3連アーチの石橋、潮見橋(和田川)の架け替えに関する住民説明会を谷山塩屋町の塩屋公民館で開いた。市谷山建設事務所は、12日にも仮設橋の設置や水路の付け替え工事に取りかかり、来年1月中旬に石橋本体の解体工事に着手する方針を明らかにした。
 説明会には地域住民ら約30人が参加。同事務所の説明によると、仮設橋は潮見橋の20メートル上流側に設置。長さ34メートル、幅2メートルで歩行者、自転車の通行が可能。仮設橋と水路工事は来年1月中旬に終わり、潮見橋付近を通行止めにして解体工事に入る。
 同事務所は解体工事の概要も説明。まず高欄、壁石などを外した後、橋の内部の中詰め土砂を除去。アーチ石は下からジャッキアップしながら取り外す。3月中旬にも解体を終える計画。
 解体した石は東谷山7丁目にある同事務所の資材置き場に保管する予定。解体と並行して石材の形状や寸法などを記録する方針で、同事務所は「甲突川の西田橋などと同じ工法で丁寧に解体したい」と説明した。
 参加者からは「潮見橋は地域に貢献した。痕跡が何もないと哀れ。親柱を記念碑として現地に残せないか」「潮見橋に深い愛着を持っていた。せめて移設保存を」などの要望や質問があったが、同事務所は「解体時の調査状況を踏まえて、(石橋を移設した)甲突川の事例も参考にしながら最終的に結論を導き出したい」とした。
 説明会後、現地保存を訴えてきた妙行寺副住職、井上従昭さん(43)は「解体に納得しているわけではないが、親しんできた石橋が捨てられるのは忍びない。せめて移設保存してほしい」と話した。
*2005年12月11日、「潮見橋の会」代表者・井上従昭氏のコメント
残念です 昨日の説明会に参加してきました。
現地保存を訴えてきた地元の方々も、行政に対してのあきらめや、もう聞きたくないと言うお気持ちから、参加されない方も多かったのですが、それも致し方ないかなと思います。
南日本新聞掲載の通りの説明がなされましたが、前回陳情審査中にもかかわらず、工事を続行するとした驚くべき姿勢は今回も同様で、仮処分申請が出されているにもかかわらずそのことは全く無視で、工事を進めると言うあきれた姿勢でした。
愛着ある橋、自分たちの人生の一部である橋を壊されてしまう(それも正当な理由もなく、説明もなく)ことは、自分自身を傷つけられていくことだと言うことを、行政にはどうしても少しでも感じてほしいし、また92歳のおばあちゃんをはじめとする方々にとっては、橋を壊され、その橋があったことも残さず、石も廃棄されてしまうことになっては、二重三重に踏みつけられてしまうことになります。だから撤去対象の橋と言う意識ではなく、歴史そのものであり、一人ひとりの人生そのものである橋という敬意を持って、今後も行政には接してほしいし、こんな馬鹿なことはもう二度と起こしてほしくない、そういう思いを込めて「せめて親柱の現地保存・橋の移設保存」を要望しました。
*2005年12月11日、
潮見橋解体撤去は市による人災!
市は形だけの説明会をやって終始一貫して地元の声を無視し続けました。多少は歩み寄りもあるかと期待しましたが、工事差し止め申請中であるにもかかわらず、解体撤去断行に踏み切るとは法治国家にあるまじき野蛮な振る舞いも最たること、時の流れもここだけ止まって依然として江戸時代の殿様政治が行われていることを私たちに知らしめました。
潮見橋の石工が名さえ残せなかったことも恐らくこうした体質と無縁ではないように思えてならない。それだけ潮見橋の存在自体が奇跡的であったのだが、、、。  
05/12/12
*2005年12月14日、鹿児島市議会議員大園議員が12/16に本会議で下記の質問を行う

仮処分申請を先頭に立って申請してくださった鹿児島市議会議員大園議員が12/16に本会議で下記の質問をします。工事も仮橋が着工しましたが、こうしてまだまだ議会の中でもがんばってくださっています。

 河川改修と潮見橋の撤去、歴史・文化財保護について
@河川法の改正について
A河川改修と潮見橋解体撤去に関する住民説明会の開催状況、参加人員、意見、説明会の満足度
B住民の意見を反映するための手続きは?市民参画を推進する認識は?市民局との連携は?
C潮見橋を残す検討は?
D水辺の自然・空間を創造する配慮は?環境局との連携は?
E鹿児島市教育委員会へ二回答申を求めた理由
F鹿児島市文化財審議会の委員構成と選出方法、報酬、役割
G石橋の教育的見地からの見解、潮見橋に関する二回の答申内容
H現地保存が難しいと聞かれた先はどこか?独自の調査は?必要性は?他団体への照会は?
I土木学会の役割と信頼性、社会的位置づけ、鹿児島市文化財審議会との相違
J土木学会の要請について
K潮見橋を補修強化し、左右に暗渠による分水路を設けた場合の流下能力、事業費、架け替えた場合の事業費
L地方財政法の趣旨に反しないか
M鹿児島市公共事業再評価監視委員会の委員構成、役割、費用対効果の議論内容
N補助金の見直しと国の財政支出軽減への協力
O潮見橋を残す方法を選択した場合のメリット、デメリット

                   「潮見橋の会」代表者・井上従昭氏からの報告

市は@からOのすべての質問に明快な回答を提示できなければ潮見橋解体撤去作業に手をつけてはならないはず。このまま解体撤去に突き進むならば、法廷闘争も止む終えない事態に発展せざるを得ない。
大園議員のご健闘を祈ります!   05/12/14

*2005年12月16日、鹿児島市議会本会議の報告−井上従昭「潮見橋の会」代表者より
議会傍聴してきました  

先日ご報告した議会での大園盛仁議員の本会議での質問を傍聴して来ました。
これまで関わってきた地元の方を含めて、多くの傍聴がありました。
質問時間30分のうちの25分以上を潮見橋問題での質問に当てて、内容も私たちが言いたいこと・本当に私たちが知りたいことなどを問うてくれる的確な内容でした。特に文化財審議会の根拠が建設部局見解であったことを引き出したことや、市民参画を標榜する市政に対しての批判等は特によかったと思います。終了後に待っていてくれた大園議員に地元の方々も謝意を述べていました。当局の答弁は相変わらずだったのですが、議会の記録に行政のいい加減な対応を残してくださった功績は大きいと思います。現地保存の陳情は委員会では否決でしたが、本会議での採決に鹿児島市議会としての良識を期待したいと言う議員の最後のことばには、拍手をしたい気持ちでした。

南日本新聞が個人質問について掲載していますので、以下に報告します。
南日本新聞 12月17日版・県都版
文化財審の潮見橋「移設」答申・建設部局が根拠
  教育長「調査・照会行わず」
 鹿児島市議会12月定例議会は、16日個人質問を続開し、竹之下隆治(平成の会)、大園盛仁(平成の会)、北森孝男(社民)、平山哲(自民党新政会)、小川美沙子(無所属)の五議員が登壇した。石踊政昭教育長は、市内唯一の三連アーチ石橋、潮見橋(和田川)について「現地保存は難しい」とした2004年の市文化財審議会答申の根拠が、建設部局の意見に基づくものであったことを明らかにした。大園議員の質問に答えた。

石踊教育長は、「同審議会は現地視察の場で、建設部局に現地保存の可能性を聞いた。独自の調査や他団体への照会は行っていない」と答えた。同審議会は「現状保存が望ましいが、現地保存が難しいことから、できれば移設保存することが望ましい」と答申している。
これに対して大園議員は、「文化財審議会は文化性という視点のみの答申であるべきなのに、建設当局の意図に沿ったものになっている。市には文化財への認識や市民自治の姿勢がなく、撤去ありきの姿勢には問題がある。」と批判した。山中敏隆建設局長は、「潮見橋を現地に残して、河川改修に伴う計画流量毎秒235トンを流下させるには、現況河川と同程度の新たな河川が必要となり、要地の問題、地域が分断されるなど社会的影響が大きく、経済的問題からも難しい」と従来の説明を繰り返した。
12月17日(土)09時29分37秒

*2005年12月17日、市は今から軌道修正しても遅くはないはず!
井上従昭ご住職さま、本会議傍聴のご報告ありがとうございました。
大園議員、よくぞ言ってくださいました。鹿児島市における文化財審議会の答申というものが自らの任務を果たさず建設局の言いなりであったとは驚くべき怠慢であります。これでは今後も鹿児島の文化財がどんどん消えていってしまうに違いありません。市は猛反省し、今からでも市民の声を反映させ、潮見橋解体撤去路線を軌道修正の上、潮見橋を残しながらの河川改修・周辺整備に新橋架設へと歴史と文明の共存する街づくりへと方向転換していってほしいものです。今からでも決して遅くはないはず。このまま潮見橋が解体撤去へと突き進めば市は潮見橋を消せても日本の歴史に潮見橋が消された理由として、市の文化財への認識の欠如と、市民不在の市政によるものであったと2005年12月16日の鹿児島市議
会本会議議事録に記録された旨を伝えていくまでです。大園議員をはじめ、傍聴に参加された皆様お疲れさまでした。 05/12/17
*2005年12月24日、鹿児島市議会の本会議で潮見橋現地保存の議決が27日に行われる予定
「潮見橋の会」代表者・井上従昭氏
のご報告
可能な
限り傍聴してこようと思います。
また、ご報告が遅れましたが、鹿児島市議小川美沙子さんのHPより(12月20日付け)下記の通り、鹿児島地裁での潮見橋現地保存仮処分申請の申尋がありました。
ご報告が遅くなりましたが、本日10時より鹿児島地裁において潮見橋仮処分申請の申尋がありました。債務者は鹿児島市。笠毛所長(谷山建設事務所長)等3名が出廷。債権者は大園盛仁他8名。市議3名は議会で出席できず、他の原告が出廷。
手元にある答弁書による、申請理由に対する認否では憲法13条の幸福追求権、憲法25条の健康で文化的な生活を営む権利が争点となりそう。
今後、私たち原告は、主張したいことを陳情書として、更に証拠の追加があれば、甲○○号証として木曜日の昼に提出予定。次回は裁判官3名での開廷となる予定。日程が決まり次第、傍聴可能なときにはお知らせいたしますのでよろしく。
追:次回は12月26日に開廷という連絡がありました。

井上ご住職さま、ご報告ありがとうございます。
鹿児島地裁での潮見橋現地保存仮処分申請の申尋にて憲法25条の健康で文化的な生活を営む権利として、
潮見橋が日本における日本人の造った石橋として「日本人とはなにか?」を考え、教えてくれる極めて重要な歴史的文化遺産であることは115年の歳月を重ねてますます深みのある色合いを創りだしている石の色、蛇行する川に配された景観の独自性、二重アーチや、水切りの形にみられる自然災害への高度な土木技術、川に架かる潮見橋の姿はまさに日本の絶景の一つ。日本人の知恵が凝縮された潮見橋は観る人の心を感動させずにはおかないまさに明治の時代の芸術品であります。この時代の日本人を次代に語り継ぐために、また世界の人々に「日本人とはなにか」を知ってもらうためにも、先人の石工があえて選んだこの地に残し続けていくことは今を生かされてある私たちの責務と考えます。明治・大正・昭和・平成の4代を生き抜いてきた歴史の生き証人潮見橋は私たちに「いかに生くべきか」をたえず教えて導いてくれる歴史の道導(みちしるべ)でもあります。これまでも、そして今後も見る人の心を癒しつづけてくれる潮見橋、ほころびて傷んだところは修復しながら併せて周囲を憩いの場として整備し、その上で、必要であれば近くに地元の方々の生活の利便性を考慮した新橋の架橋を望みたいと思います。
05/12/24
*2005年12月27日、とても残念ですが・・。
「潮見橋の会」代表者・井上従昭氏のお便り

潮見橋を現地に保存してほしいと言う陳情は、自分の名前で提出した陳情書なので、最後まで見届けたいと思い、今日の最終本会議を傍聴しました。
結果は予想通り否決でしたが、最後まで陳情採択のための賛成討論をしてくださった野口議員をはじめ、小川議員・大園議員、そして社民党の議員団の皆さん、共産党の議員団の皆さんが賛成してくださったことを、心に刻みたいと思います。
数日前に、鹿児島市長就任一年を不の帰っての特集記事の取材をうけました。市民とのパートナーシップを掲げた市長の一年を振り返っての特集でした。新市長は、市民との座談の場に積極的に出られるなど、掲げられた公約を実践しておられる面もありますが、こと潮見橋の問題については、市長のお考えを聞くことも、市長とお話しすることも全くありませんでした。その点でとても残念でしたと言う内容になっています。
工事は仮設橋のための地ならしに入っています。裁判も申尋が進み、年明けには一般も傍聴できるような状況になると思います。またいろいろとご報告いたします。
向江さまはじめ、bmhさま、にえもんさま、ゆっきーさま、潮見橋のことを心にかけてくださったたくさんの皆様、お力添えありがとうございました。ほんとうに助けられました。この掲示板でたびたび報告させていただいたことを、特別なページを作ってお知らせくださった向江さま、ありがとうございました。皆様よいお年をお迎えください。
まだ、年が明けても私たちの取り組みは続きます。裁判もあります。引き続きよろしくお願いいたします。

*2005年12月27日、返信:架設橋工事に入りましたか、、、
井上従昭ご住職さま、議員の皆様おつかれさまでした。ご報告ありがとうございました。最終本会議の結果は残念でしたが、これで終わったとは思っていません。行く末が定まるまで潮見橋解体撤去に反対された方々は今後も動静を見守っていかれることでしょう。それにしても鹿児島市の顔である市長が潮見橋に関して最初から最後までまったくなんのコメントもしなかったとは、驚き、あきれるばかりですね。
この半年、潮見橋のため尽力された井上さま始め地元のみなさま、そして石橋ファンのみなさま、お疲れさまでした。潮見橋問題はこれで終わったわけではありませんから、来年もよろしくお願いいたします。年内は再訪できませんでしたが、来年また訪ねるつもりでおります。皆様お世話になりました。みなさまにとり来年もいい一年でありますよう心よりお祈りいたします。ありがとうございました。
05/12/27
*2005年12月29日、潮見橋を渡っての除夜の鐘
「潮見橋の会」代表者・井上従昭氏のお便り
1
2月31日午後11時30分より、妙行寺の除夜会があります。
潮見橋を渡っての最後の除夜の鐘になるかもしれません。
潮見橋のことで一緒にがんばった方々、新たに出会えたたくさんの方々もおいでいただいて、潮見橋への思いを込めての鐘つきにしたいと思っています。
遠い方にはおいでいただくのは無理ですが、何処までも届くような思いをこめて鐘をつきますね。

*2005年12月30日、潮見橋よ、永遠なれ
井上ご住職さま、潮見橋を渡りながらの妙行寺の除夜会、荘厳に浮かび上がる潮見橋の姿が目に浮かぶようです。心のこもった除夜の鐘、潮見橋もさぞや喜んでくれることでしょう。その時刻、広島の地より潮見橋を想いながら私も除夜の鐘を聞かせていただきます。近辺の方々、ぜひご参加くださいませ。お知らせありがとうございました。
*2006年1月日、あけましておめでとうございます!!ヾ(@⌒∇⌒@)ノ
ゆっきーさまからのお便り−
旧年中は大変お世話になりました!!m(_ _)m
ボクは12月31日〜1月1日で鹿児島に行ってきました!!
もちろん!!潮見橋の姿を焼付けに!!・・・
潮見橋は泣いていました!!・・・(rToTへ) グスッ
ボクのHPにてアップしてます!!→http://www.d8.dion.ne.jp/~arc_en_p/siomi.htm

*2006年1月7-8日、解体撤去直前の潮見橋を訪ねて−
7日、前日から日本列島は大雪警報で飛行機が飛べるかどうか心配だったが、早朝5時前目覚めた時に、東の空にはこぼれんばかりの明けの明星が光り輝いていた。これで飛行機は大丈夫と思ったらうれしくなって防寒着にリュックとカメラバック、それに三脚を確かめ、いざ出陣。8時発フェリーに乗り似島を眺める。いつも旅立つ時はこれで見納めになるかもしれないと思いながら眺めるわが故郷・安芸の小富士・似島は、まごうことなく美しい。宇品港に着くとタクシーで西広島空港へ急ぐ。9時35分広島西飛行場を発ち、同10時30分には鹿児島空港に降り立つ。鹿児島国際空港の窓より眺める冠雪の霧島連峰の美しさにしばし足を止め見とれてしまった。
*−去年の8月に来た時はタクシーで谷山へ向かったが、運転手が谷山がどこにあるのかも知らなかった(タクシードライバーとは県内はどこでも行ける)と思っていたから、なぜ谷山が分からないのかと文句を言うと、「あんたね、空港は市内からかなり離れていて、運転手は皆、郡部の者よ。繁華街までは行けるけど谷山はね、ちょっと聞いてあげるからさ、」と言いながら高速道路でケータイを使い始めた。確か運転中のケータイは危険だから違反になったはずと思いつつも、更に言うと山の中で降ろされるような事態にもなりかねず、ひたすら平身低頭し、とりあえず市内の繁華街まで行って降ろしてもらった。次に拾ったタクシーも目的地を知らなかったため、たどり着いた時は予定時間を30分もオーバーしたが、このドライバーさんは知らないところといっても何度も降りては民家に飛び込み、道を訊ねてくださった。その甲斐あって無事、塩屋公民館へと辿り着いた時は日もとっぷり暮れていたっけ(05/8/22)。−今回は空港より、11時40分発の谷山方面行きリムジンバスに運良く間に合い、谷山中央卸センターで下車したが、川を目指して潮見橋へ向かう途中、周りを見回すと、この辺り一帯はまさに建築資材やら、容器類、機械部品といった、あらゆる物の卸製品の集合した商業地帯といった風景が広がっていた。06/1/17 つづく
*2006年1月8日、ようこそおいでくださいました。  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月 8日(日)2時44分22秒
昨日はお話できて、向江様の疑問も解けてよかったです。
ご覧の通り、重機が入りとても悲しい姿になっています。
いよいよ10日からは進入禁止となり、潮見橋がどんどん遠くに行ってしまうような気がしています。
鹿児島の封建的な行政に改めてびっくりされて事と思います。こんな中で潮見橋が今日まで残っていたことのほうが奇跡なのかもしれません。
先日、岩永三五郎さんの薩摩までの最後の仕事といわれる江の口橋を見てきました。薩摩川内市の指定文化財になっていましたが、周りの風景と一体となっている姿に、改めて石橋のすごさを感じました。
*2006年1月8日、今夜午後8時55分、無事自宅に帰ってまいりました。
井上ご住職さまへ
昨日はひどいかっこうのままお邪魔しまして、失礼いたしました。
「明日もおいでになりますか?」と井上さまに聞かれた時、潮見橋の姿があまりにも悲惨を極めていたため返事ができませんでしたが、今朝、にえもんさまと再度お訪ねいたしました。出張でお留守だったのが残念でしたが、返り際ご住職さまに「4階に上がってみられたら潮見橋がよく見えますよ」と声をかけていただき、最上階の窓から潮見橋を見させていただきました。桜島を背景に見た潮見橋はまさに絶景、一級の芸術品であることは疑いようもなく、恐らく日本中探してもこれほど見事な風景はないのではないかと改めて潮見橋を造った石工のすごさに感動いたしました。それが潮見橋解体撤去の話が出て以来、地元の方々は民主的に行政との話し合いを根気強く続けてきたにも関わらず、話し合いにはまともに応じず、工事差し止め裁判中のまま強引に工事に突入してしまいました。
とりもなをさず幕末の志士を輩出した西郷隆盛、大久保利通をいただく鹿児島の市制に民主主義がないとは驚くばかりです。このことを彼らが知ったら怒り心頭に達するに違いありません。状況は厳しいですが、これからも頑張っていきましょう。今後もよろしくお願いいたします。
奥様、ご住職さま、職員の方々にお心遣いいただきましたこと感謝申し上げます。よろしくお伝えくださいませ。ありがとうございました。
妙行寺のお堂の最上階から撮影させていただいた今日の一枚です。
桜島桜島を取り込んだまさに絶景の潮見橋。妙行寺の最上階より眺めて    (06/01/08)
*2006年1月8日、明日の南日本新聞  投稿者:向江菊枝  投稿日: 1月10日(火)23時44分6秒
潮見橋解体撤去直前の谷山地区を7・8日と歩いてみて、すれ違う地元の方々からは潮見橋を残してほしいという無言の叫びと共に、諦めに似た気持ちをも感じさせられました。
明日の文化欄に−潮見橋(鹿児島市)の撤去容認−市文化財審議会・上村会長に聞く−の記事が掲載されるとのこと、撤去容認となった事情をぜひとも知りたいものです。
*2006年1月10日、 まだ通行止めになっていません  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月11日(水)15時08分41秒
予定の1月10日が過ぎましたが、まだ通行止めになっていません。
まだ仮設橋もできていないので、もう少し先なのでしょうか。
今日の南日本新聞文化欄に記事が掲載されていました。市議会での大園議員の質問で当局に誘導される形で答申を出したことが明らかになった、文化財審議会の会長が質問に答えています。長いですが、報告します。

潮見橋(鹿児島市)の撤去容認
―市文化財審議会・上村俊雄会長に聞く
鹿児島市唯一の三連アーチの石橋「潮見橋」の解体が今月中旬にも始まる。「三十年に一度の降雨に耐えられるよう、河川を改修するには潮見橋の撤去しかない」とする鹿児島市建設局側から協議を申し入れられた同市文化財審議会は、最終的に「撤去やむなし」の結論に到った。だか、市民からは同審議会の協議過程に疑問を呈する声も出ている。上村会長に聞いた。

 −潮見橋について、市文化財審議会の審議過程はどうだったのか。
 市事業評価監視委員会から、潮見橋撤去計画について「河川改修の必要性は高いが、文化性という視点からの判断も加えて取り扱いをすべき」との意見が出され、谷山建設事務所から市教育委員会に協議申し入れがあったのは、2004年6月24日。それに伴い審議会が7月20日に現地視察を行い、参加した全員が「現地保存」で一致した。その際、市側に周辺住民の意見を聞いたか尋ねると、「まだだ」との答えだった。ただちに意見を聞くように要望し、周辺の浸水の状況などの資料を求めた。
 −「現地保存」の結論が揺らいだのはいつか。
 谷山建設事務所は同年9月5日に和田塩屋町内会に対して、河川改修と潮見橋撤去の事前説明を行い、そのとき住民に意見を聞いた。審議会では、同文化課を通して「過去に浸水被害を受けたことがあり、工事を進めてほしいという要望があった」と伝えられた。住民の意向は最も尊重しなければならず、私たちの方針を左右した。伝えられた意見は「住民全体の意見を集約したもの」と受け止めていたが、新聞の投稿欄などで説明を受けたのは町内会役員のみで、地域住民に対する計画周知が十分でなかったと知った。すでに審議会の意見を出した11月4日以降のことだった。
 −市当局の計画の進め方をどう思うか。
 これまでの流れを見ると、市建設局側の方針はすでに決まっており、審議会への協議申し入れは「一応、議論しました」という形を記録に残したかっただけだと感じた。1989年に上流の木之下橋撤去について協議した際、当時の審議会が「下流の潮見橋も一緒に検討すべきでは」と意見したが、市側は「今回は木之下橋のみ」との答えだったと聞く。河川改修は上流から下流まで全体を検討すべきで、このときに潮見橋について十分に議論しておけば違う答えが出たのではないか。潮見橋の周辺工事だけ残し、現地保存が難しい状況になってから協議を求められても、無意味だという思いすらある。
 −今後、潮見橋のようなケースが生じた場合は、どう対応するのか。
 市条例では、市文化財審議会は主に文化財指定等に関する調査審議をするよう定められている。潮見橋は市指定文化財でなく、審議会が果たせる役割にも限界があった。指定文化財でなくても、同等の価値がある場合は、積極的に調査審議に当たることができるよう、条例改正を含めて市側に申し入れたい。
*2006年1月12日、今こそ考え直すチャンス  投稿者:向江菊枝  投稿日: 1月12日(木)01時45分28秒
井上さま、ご報告ありがとうございます。
市文化財審議会の撤去容認理由を読んで−
市文化財審議会会長の鹿児島市建設局側からの同市文化財審議会へ協議の申し入れ内容「三十年に一度の降雨に耐えられるよう、河川を改修するには潮見橋の撤去しかない」という言い分が、まったく根拠のない、ただのこじつけだということは現場を一度でも見た人なら誰でも判るはず(潮見橋を撤去して新しい橋に架け替えたところで、現在の河川改修状況では依然として、下流域の水位は高く、今後も浸水被害は決して無くならないだろうことは一目瞭然のうえ、新しい橋が高速道路への延長線の橋ともなれば、通行する車は必然的にスピードを上げて通るだろうから、橋の袂に住む方々にとっては今後いっそう危険が増してくる)のことを、審議会は協議内容そのもののおかしさにさえ気づかなかったとでもいいたいのだろうか。後の弁解を読んでも市文化財審議会自体が市建設局のイエスマン的な役割しか果たして来なかったことは明白だ。
今は「誰がどうしてああなった」、といった議論より、今、まだ目の前に潮見橋があるのですから、「とりあえず今、潮見橋の解体撤去だけは止しましょう!皆冷静になって、解体撤去賛成の方々も反対の方々も一からやり直すつもりで、どうすれば皆が納得のいく安全で快適な美しい町になるかを考えましょう。潮見橋は116年生きてきて、依然として健在なる石橋。それをなぜ30年ぐらいで架け替えなければならないようなちゃちな橋に替えてしまおうとするのでしょうか。後悔先に立たず、地元ばかりか日本にとっても大事な局面にあります。行政は決定したからといって方針を変えることは少しも恥ずべきことではありません。今こそ恥も外聞も投げ捨てて民の声に耳を貸されんことを切に願います」。
*2006年1月14日、潮見橋の裁判状況はどうなっているのでしょうか  投稿者:向江菊枝  投稿日: 1月14日(土)03時50分8秒井上さまへ
1月10日より潮見橋が通行止めになるとのことでしたが、まだ通行止めになっていないということは、12月20日に鹿児島地裁において潮見橋現地保存仮処分申請の申尋をされた時、同時に工事差し止め書類が提出され、それを裁判所が確かに受理しているのであれば裁判の決着がつくまで、いくら市が解体撤去工事に入ると言っても入れないので、「まだ通れる」という状況が続くわけで、すでに裁判の効力が出ていることなのかとも思って見たりしていますが、「工事差し止め書類」の提出が正確に何時提出されたか、今一度お教えください。

*2006年1月15日、仮設歩道ができてからの解体なのでは  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月15日(日)22時12分33秒
今日現在でもまだ通行止になっていないのですが、説明会の際に渡された資料では、仮設歩道橋がかけられてからの解体工事着手だったので、まだ仮設歩道が出来上がっていない状態なので、かけられてから通行止めということなのかなと思っています。裁判の状況は今詳細の部分はお聞きしていないので、債権者の方にお聞きしてまたご報告しようと思います。
*2006年1月17日、裁判は却下されました  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月17日(火)23時08分27秒
残念ながら仮処分申請は却下されました。
今後どうして行くかをいろんな方々と近日中に話し合いを持ちます。詳細は追ってご報告いたします。解体取り掛かりは、当初の予定より若干ずれ込むようです。
*2006年1月18日、裁判は却下されました 裁判却下の理由とは  投稿者:向江菊枝  投稿日: 1月18日(水)00時28分24秒
井上ご住職さま、ご報告ありがとうございます。
裁判が却下されたとのこと。なぜ裁判官が却下したのか、その理由を知りたいものです。
仮処分申請で足りない書類があったのならば、これから追加して申請する手もあると思います。私は裁判は素人で分かりませんが、こうした裁判に詳しい方から聞いた話では「工事差し止め書類」を提出し、裁判官が確かに受理していれば解体撤去工事に入れないはずとのことです。「日本の裁判は六法全書を基に行われているのだから鹿児島だからという例外はないはず!」ときっぱり断言されました。ご参考まで
*2006年1月18日、差し止め仮処分申請却下 南日本新聞県都版1月18日より  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月18日(水)08時45分22秒
昨日は簡単な報告で失礼しました。
市議の方々との話し合いはまだ日程が未定ですが、詳細はまたご報告します。
南日本新聞の関連掲載記事をもって報告といたします。

鹿児島市が河川改修に伴い解体、撤去を計画している潮見橋(和田川)について、市議ら9人が現地保存を目指して撤去工事の差し止めを求めた仮処分申請で、鹿児島地裁の山本善彦裁判長は、17日「(申立人に)保全すべき権利があるとはいえず、申し立てには理由がない」として、申請を却下する決定を下した。

 山本裁判長は決定理由の中で、「潮見橋が文化的、歴史的価値を有し、その周辺住民のなかに景観に親しみを感じるもものがいるとしても、その利益が個人としての尊厳ある生存に不可欠な基本的かつ重大な利益であるとまでは認められない」とした。
 合わせて訴えた財産権についての侵害と手続きの違法性についても、「主張は採用できない」とした。
 仮処分申請は昨年11月25日、市議三人と甲突川の五石橋保存運動に携わった市民ら五人が行った。この中の一人、大園盛仁市議(53)は「市民への説明責任が欠如している鹿児島市の河川行政に対して警鐘を鳴らす意味で、仮処分を申請したが、却下されて残念」と話した。異議申し立てをするかどうかについては協議中という。
 市谷山建設事務所長の笠毛弘所長は「正式な決定の知らせを受けていないため、コメントできない」としている。

 今月中にも本体撤去 仮設橋橋げた設置工事開始
 鹿児島市が河川改修に伴い撤去を計画する市内唯一の三連アーチ石橋、潮見橋(和田川)で17日、仮設橋橋げたの設置工事が始まった。1月下旬に完成する見込み。市は仮設橋の共用開始に合わせて潮見橋を通行止めにし、撤去工事を開始する。
 仮設橋の位置は潮見橋の上流側20メートル。延長34メートル、幅2メートルで歩行者と自転車のみ通行できる。昨年12月に準備作業に着手し、両岸の橋台、中央部の橋脚など下部工事が終了していた。この日は業者が、二分割した鋼鉄製の橋げたの左岸側を橋台から橋脚に渡して、溶接する作業を始めた。
 橋げたの後は手すりの設置や両岸の取り付け道路の整備を行う。谷山建設事務所によると、仮設橋完成と撤去工事の開始は当初1月中旬を予定。しかし関係機関との協議や天候の影響などでずれ込んでいる。同事務所の笠毛弘所長は、「(橋の工事のできる)渇水期は限定されている。計画通り工事を進め、1月中には撤去工事に着手したい」としている。
 市は撤去工事の五日から一週間前に、地元の四町内会など約700世帯にチラシを配り、理解を求める方針。
 潮見橋の撤去をめぐっては、地元住民が現地保存を求める陳情を市議会に提出したが、昨年の12月議会で不採択となっている。
*2006年1月18日、潮見橋の会を開催します。  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月18日(水)22時19分25秒
1月23日に妙行寺で夜7時から「潮見橋の会」を開催することとなりました。
却下された今回の裁判のことについての報告や、今後のことについて話し合うこととなります。現地保存を要求するか、それとも別な選択肢を選ぶのか・・。いろんな方と語り合いたいと思っています。

*2006年1月19日、潮見橋の会を開催します。 差し止め仮処分申請却下でも、まだ建て直しの余地はあるはず  投稿者:向江菊枝  投稿日: 1月19日(木)00時15分3秒
井上さま、ご報告ありがとうございました。
却下された理由の一つ、山本善彦裁判長の「(申立人に)保全すべき権利があるとはいえず、申し立てには理由がない」については、やはり当然の判断のようで、申立人には地元の方がなるべきだそうです。また決定理由の、「潮見橋が文化的、歴史的価値を有し、その周辺住民のなかに景観に親しみを感じるもものがいるとしても、その利益が個人としての尊厳ある生存に不可欠な基本的かつ重大な利益であるとまでは認められない」との発言は、裁判官に文化財への歴史的文化的認識のなさが伺えますね。まだこれで諦める手はないと思います。
日本土木学界http://www.jsce.or.jp/committee/hsce/20051109.htmでさえ、潮見橋をA級の石橋と認識してくださっております。
土木学会土木史研究委員会委員長・日本大学理工学部教授・ 伊東 孝氏が鹿児島市長に要請された嘆願書を添付いたします。

平成17年11月9日
鹿児島市長 森 博幸 様
土木学会土木史研究委員会委員長
日本大学理工学部教授
伊東 孝
潮見橋の保全的活用に関する要請
拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、(社)土木学会土木史研究委員会では平成13年3月、『日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2000選』を刊行し、その後も土木学会HP上にて逐次改訂しております。潮見橋は改訂版で追加され、Aランクに評価されています(最新版2005年7月3日更新参照)。本委員会ではAランクを国指定の重要文化財級の重要文化財級に該当するものと位置づけております。
鹿児島県鹿児島市谷山中央と谷山塩屋町の境に現存する潮見橋は「石造アーチ橋」として創設年(明治23年)が古く、3連アーチの優美な造形をもち、しかも市街地で現役として活躍する全国的にも貴重な橋であります。
潮見橋は、和田川に架設されていますが、鹿児島市に残された唯一の3連の橋となりました。側壁の石積みは扇形にこそなっていませんが、その形状は甲突川にあった石橋を髣髴とさせるものであります。さらに石材の地の色をそのまま利用していながら、川辺の情景と絶妙なバランスをとり、絵画的雰囲気をも醸し出しています。
しかし貴市におかれましては、潮見橋が和田川の拡幅工事の際、河川拡幅の障害になるとの視点で、撤去される計画と伺いました。 21世紀の地域づくりは、地域のアイデンティティをどこに求めるかということが最も重要となります。20世紀は、便利で暮らしやすい地域づくりを目指してきましたが、それは必要条件であっても、十分条件ではありません。個性のない町には魅力はありません。暮らしやすく、かつ他に代えがたい魅力のある町、住民が「誇り」にできる文化の存在する町こそが、これからの地域づくりの目指すべき方向と考えます。
潮見橋は、地域の歴史を今に伝える重要な構造物です。壊すのは容易で、しかも安価におこなえますが、郷土史を伝えていくことは現代に生きる者の務めといえます。潮見橋は、それを目に見える形で伝えることができるのです。 潮見橋は近代土木遺産としての重要性、希少性、ランドマーク的なデザインとスケールから見て、十分「誇り」にできる文化資産であり、建設当時の関係者の意気込みや努力、チャレンジ精神の感じられる「貴重な遺産」といえます。まずはそのことを是非ご理解いただきたいと思います。
和田川の拡幅工事は洪水対策として始まったものと認識しております。住民の安全を確保するという公共工事の重要性も充分認識しております。しかし歴史的構造物の維持管理と保全に取り組み、歴史的文化遺産を尊重したまちづくりも、地域の有力な魅力づくりの方策です。 地域を活性化するためにも、代替不可能な文化財である潮見橋の保存・活用を含めた和田川の拡幅工事の再検討をしていただけますよう、強く要請いたします。総合的にご検討いただけますよう、切望いたします。

*2006年1月19日、潮見橋の下から敷石が出てきました。  投稿者:井上従昭  投稿日: 1月19日(木)21時54分8秒
本日の地元テレビ(kkb)の報道で、堆積していた土砂を取り除いたところ、潮見橋のアーチの下から見事な敷石が出てきたようです。敷石の並びもアーチによって異なっており、またアーチの下の部分がコンクリートで補強されているところもありました。ルース台風で高潮で運ばれてきた船が当たってたアーチが崩れた部分のようです。
また本日家の倉庫から、私の祖父が撮った大正から昭和初期(戦前まで)の寺付近の写真がたくさん見つかりました。潮見橋や前のお寺の本堂、付近の写真や人々の生活の写真などがあり、潮見橋が時代を超えて美しい姿を見せてくれました。一緒に探したkkbの方も、とても貴重な写真だと興奮していました。この写真についても報道するそうです。
1月23日についての打ち合わせを進めています。移設保存を求めるという形での動きになりそうです。今回の裁判では、私たち地元のものが原告に加わらなかったため、おっしゃるとおり申し立てに理由はないという判断をくだされてしまいました。それはある程度認識しつつの、私たちの判断であり、裁判に立った方々の判断でありましたので、受け容れるしかありませんが、それにしても裁判官の文化財に対しての認識の私たちとの違いには残念な思いがしております。
 南日本新聞ニュースピックアップ [2006 01/18 07:28]  
潮見橋撤去 差し止め仮処分却下/鹿地裁
保全権利と認めず
 鹿児島市が河川改修に伴い解体、撤去を計画している潮見橋(和田川)について、市議ら9人が現地保存を目指して撤去工事の差し止めを求めた仮処分申請で、鹿児島地裁の山本善彦裁判長は17日、「(申立人に)保全すべき権利があるとはいえず、申し立てには理由がない」として、申請を却下する決定をした。
 山本裁判長は決定理由の中で「潮見橋が文化的、歴史的価値を有し、その周辺住民の中に景観に親しみを感じる者がいるとしても、その利益が個人としての尊厳ある生存に不可欠な基本的かつ重大な利益であるとまでは認められない」とした。
 合わせて訴えた財産権の侵害と手続きの違法性についても「主張は採用できない」とした。
 仮処分申請は昨年11月25日、市議3人と、甲突川の五石橋保存運動に携わった市民らが行った。この中の一人、大園盛仁市議(53)は「市民への説明責任が欠如している鹿児島市の河川行政に警鐘を鳴らす意味で仮処分を申請したが、却下されて残念」と話した。異議申し立てをするかどうかについては協議中という。
 市谷山建設事務所の笠毛弘所長は「正式な決定の知らせを受けていないため、コメントできない」としている。

 ■今月中にも本体撤去 仮設橋橋げた設置工事開始
潮見橋の上流部で始まった仮設橋の設置工事
 鹿児島市が河川改修に伴い撤去を計画する市内唯一の3連アーチ石橋、潮見橋(和田川)で17日、仮設橋橋げたの設置工事が始まった。1月下旬に完成する見込み。市は仮設橋の供用開始に合わせて潮見橋を通行止めにし、撤去工事を開始する。
 仮設橋の位置は潮見橋の上流側20メートル。延長34メートル、幅2メートルで、歩行者と自転車のみ通行できる。昨年12月に準備作業に着手し、両岸の橋台、中央部の橋脚など下部工事が終了していた。この日は業者が、2分割した鋼鉄製橋げたの左岸側を橋台から橋脚に渡して溶接する作業を始めた。
 橋げたの後は手すりの設置や両岸の取り付け道路の整備を行う。市谷山建設事務所によると、仮設橋完成と撤去工事の開始は当初、1月中旬を予定。しかし関係機関との協議や天候の影響などでずれ込んでいる。同事務所の笠毛弘所長は「(橋の工事ができる)渇水期は限定されている。計画通り工事を進め、1月中には撤去工事に着手したい」としている。
 市は撤去工事の5日から1週間前に、地元の4町内会など約700世帯にチラシを配り、理解を求める方針。
 潮見橋の撤去をめぐっては、地元住民が現地保存を求める陳情を市議会に提出したが、昨年の12月議会で不採択となっている。
*2006年1月20日、潮見橋の下から敷石が出てきました。 見事な敷石とは益々もって、、、  投稿者:向江菊枝  投稿日: 1月20日(金)01時04分0秒
井上ご住職さま
見事な敷石が出てきたとのこと、益々もって惜しいことですね。
すでに仮橋設置の工事に入ってしまったようですが、もしこの裁判に必勝法というものがあるとすれば、申立人の名に地元の方が3名あるいは2名、それも難しければ1名の名前でも入っていたら、また申立人になってくださった方の中にボランティアで弁護士を引き受けてくださった方もいらしたかもしれませんが、署名集めの時、同時に1コインのカンパもお願いていれば十分でなくとも弁護士さんへの心ばかりの謝礼も出来たかもしれない、、、など現実的な処世術かもしれませんが、裁判にお金がかかることも事実なので、その辺の気配りをしていれば、弁護士さんにもっと頑張ってもらえたかもしれないなど、、、と、裁判に疎い私の反省の弁でありました。
石橋を守るために、法律に左右されない方法があるのか、考えさせられます。
井上さまをはじめ、地元のみなさま、立会人になってくださった方々、お疲れさまです。今後は移設保存を求めて共に頑張りましょう。ありがとうございました。

南日本新聞ニュースピックアップ [2006 01/21 07:52]  
潮見橋河床に石材群 護床敷石か/鹿児島市
潮見橋のアーチ下から見つかった石材群
 河川改修に伴い解体準備が進む鹿児島市の石橋、潮見橋(和田川)のアーチ下に、多数の石材が配置されているのが20日までに見つかった。河床の洗掘や橋の沈下を防ぐため設けられた護床(ごしょう)敷石とみられ、市はコンサルタント業者に委託して記録作業をしている。
 市や業者によると、石材は3連アーチのうち、右岸側と中央の2つのアーチ下で河床掘削に伴い見つかった。左岸側はまだ掘削を行っていない。
 石材は茶色っぽい凝結溶解岩が多く、縦30センチ、横80センチ程度の長方形の石がすきまなく並んでいる場所や、大小さまざまな石が不規則に並ぶ場所もある。
長方形の石がすきまなく並ぶ個所もある
 県立石橋記念館によると、護床敷石は甲突川の五石橋などで用いられた独特な技法。水流で河床が洗われることを防いだり、橋が不均等に沈下する「不同沈下」を防ぐのが目的。同記念館は「軟弱な地盤では、こうした特殊な技法をとったようだ」としている。
 潮見橋の河床に護床敷石とみられる石材群があることについて、2004年度に市が実施した現況調査では確認されていなかった。市谷山建設事務所は「石が出てきて驚いているが、橋を解体する際、ジャッキアップする支保工を河床に組むためのコンクリートを打つ。そのため、川底の石も取り除く必要がある」と説明している。
 潮見橋の解体に向けては現在、仮設橋の設置作業が進んでいる。仮設橋の設置が終われば、潮見橋本体を通行止めにして、解体工事が始まる予定となっている。
*2006年1月22日、潮見橋は誰のもの?
歴史的分化的価値を有する公共性の強い石橋が解体撤去される場合、地方行政の判断だけに委ねていいものだろうか、潮見橋の行方を追う中で多くの疑問が湧いた。
市議たちの現地保存を目指した撤去工事の差し止めの仮処分申請は、対象物が個人ではなく公のものであること、しかも鹿児島市に属するものであるがゆえ、鹿児島地裁の山本善彦裁判長の、「(申立人に)保全すべき権利があるとはいえず、申し立てには理由がない」という判断は潮見橋が116年前の鹿児島の威信をかけた大プロジェクトであったことが推測されるため、狭い地域に限定するものでなく、鹿児島県民であれば誰でも申立人のとしての権利を有するものと思えるのだが。そもそも潮見橋のような歴史的文化的価値を有する建造物は個人レベルあるいは地域レベルで処理すべき裁判ではない。壊すべきか、残すべきかの判断は少なくとも市と地元、それに文化庁の見解をも取り込んだ上での総合的判断でなされる性格のものと、解体撤去工事が進む今においても思わずにはいられない。
続く
*2006年1月24日、潮見橋、慈眼寺公園を視野に入れ移設保存を要請
南日本新聞ニュースピックアップ [2006 01/24 07:17]  
潮見橋移設保存を 市民ら鹿児島市に要請へ
慈眼寺公園を視野
潮見橋の移設保存を求めていくことを確認した地元有志らの話し合い=23日、鹿児島市和田1丁目の妙行寺
 鹿児島市の和田川にかかる3連アーチの石橋、潮見橋の現地保存を訴えていた地元住民らが23日夜、和田1丁目の妙行寺で今後の取り組みを話し合った。現地保存が極めて困難な状況になってきたことを受け、近くの慈眼寺公園を視野に入れ、市に移設保存を求める方針を決めた。近く、要望書を提出する。
 同橋をめぐっては、撤去工事差し止めを求めた仮処分申請を17日、鹿児島地裁が却下。この日は住民や仮処分を申請した市議ら約20人が出席し、仮処分申請の経過報告の後、協議に入った。
 住民の1人が「慈眼寺公園に橋を移せば橋を見る楽しさも出て、住民の心のよりどころにもなる。撤去に賛成していた人に呼び掛けてもいいのではないか」と提案した。
 他の出席者からも「現地保存の訴えが聞き入れられなかったのは悔しいが、せめて移設保存を」「慈眼寺公園なら歩いて行ける。遠足で子どもたちに見せることもできる」と賛同の声が相次いだ。
 また「地元の市議や谷山地区の観光協会に協力してもらえばどうか」「地元も少しでも(移設の)お金を出し、『金も出すが口も出す』という姿勢を市に見せたほうがいい」との指摘もあり、話し合いを継続し、取り組むことを確認した。
 話し合い後、現地保存を訴えてきた妙行寺副住職の井上従昭さん(43)は「現地保存の取り組みは広がりが足りなかった面があった。今後は、谷山の財産をみんなで守るという気持ちをつくっていきたい」と話した。


南日本新聞ニュースピックアップ [2006 02/25 07:46]  
潮見橋解体 見守る住民、心境複雑
残念、風景どうなる/一日も早く新橋を
解体工事が始まった潮見橋を仮設歩道橋から見守る住民ら
 鹿児島市の和田川にかかる3連アーチの石橋、潮見橋の解体が24日始まった。現地保存を訴えてきた地元住民らは「橋を守れなかった」と無念さをにじませ、早期撤去を望んでいた住民は「1日も早く新しい橋を」と期待をこめた。
 この日は早朝から徐々に住民らが潮見橋周辺に集まり、工事開始を見守った。現地保存を訴えてきた谷山塩屋町の浜田ヒテさん(92)は「とうとう橋を守ることはできなかった。残念です」と言葉を詰まらせ、「石橋がなくなってしまったら、ここはどんな風景になるのか。こうなった以上、ぜひ移設保存してほしい」と訴えた。
 「今までそこにあった物がなくなっていくのを見るのは、残念と言うしかない」と話すのは和田1丁目の妙行寺副住職井上従昭さん(43)。
 現地保存を求めて署名運動を展開。市議会に陳情書も提出したが結局、不採択に。井上さんは「1つは現地保存の取り組みが遅かった。ただ潮見橋がすばらしい橋だということを、いろんな人に知ってもらえた。自分たちの取り組みが無意味だったと思いたくない」と語った。
 一方、潮見橋の早期架け替えを求めてきた住民は新しい橋の完成に期待。谷山中央3丁目の男性(75)は「台風のたびに床下まで水が流れ込む。早く改修してほしい」。
 早期架け替えの要望書を市に提出した木之下川河川改修事業推進の会代表の中村利昭さん(71)=同4丁目=は「水害が身にしみている。住民の生命を守るため、1日も早く橋を撤去して新しい橋に架け替えてほしい」と話した。


 南日本新聞ニュースピックアップ [2006 03/09 07:21]  
解体工事進む潮見橋 アーチ石全容現す
高欄などの撤去が終わり、アーチ石が全容を現した潮見橋=8日午後3時半、鹿児島市谷山塩屋町
 鹿児島市内唯一の3連アーチの石橋、潮見橋(和田川)で河川改修に伴う解体工事が進んでいる。高欄、親柱などの撤去は終わり、緩やかな曲線を描いたアーチ石が全容を現している。
 潮見橋は2月24日、同市が解体に着手。3月6日から橋側面の壁石の撤去に取りかかり、橋内部の中詰め土の搬出作業も進めている。
 業者によると、中央、左岸の各アーチ石は間詰めにコンクリートが使用されており、1951(昭和26)年のルース台風後に補修した跡とみられる。
 潮見橋は1890(明治23)年に築造。同市は4月までには解体を終え、5月にも新しい橋の建設に着手する。
 南日本新聞ニュースピックアップ [2006 03/25 07:10]  
3連アーチ解体始まる 鹿児島市の潮見橋
要石が撤去され、アーチの解体が始まった潮見橋
 鹿児島市が河川改修に伴い解体工事を進めている和田川の潮見橋で24日から、アーチ石の解体が始まった。市内唯一の3連アーチの石橋は左岸アーチから要石の取り外しに着手、4月末にはすべての解体工事を終える。市は6月にも新橋建設に取りかかる方針。
 アーチ石は全体をジャッキアップし石組みを緩めた後、中央部分に4個並んだ要石を一つ一つ取り外し、クレーンを使いトラックに積み込んだ。アーチ石の解体は4月上旬まで続き、その後、残る護床敷石、基礎石を撤去する。
 市谷山建設事務所によると、左岸と中央の各アーチは過去の補修の際、全体的にコンクリートを使用。一部では解体前にコンクリート部分を除却する必要があり、同事務所は「コンクリが内部まで達し、間詰めした感じになっていた」と説明した。
 この日は甲突川の五石橋の移設復元作業にかかわった吉原進・鹿児島大学名誉教授=海洋構造工学=も視察。「(コンクリートが)全体的に塗り込まれていてジャッキアップしたとき石が割れないか心配したが、大丈夫のようだった」と話し、移設復元の可能性については「技術的にはできるとは思うが、移設に適当な用地があるかなど、いろいろ課題もある」と述べた。
 上流側の仮設歩道橋の上では住民ら約10人が静かに工事を見守った。潮見橋の最後の姿を残そうとカメラやビデオを構える姿も目立ち、谷山中央3丁目の自営業、有川友一さん(71)は「小さいころから慣れ親しんだ橋。長い間ご苦労さんと言いたい」と話していた。
石橋が消えた町  投稿者:向江菊枝  投稿日: 5月26日(金)00時40分6秒

KKB報道製作部のこの番組は、潮見橋解体撤去では地域住民の関心が西田橋の時ほどではなかったことを挙げておられたが、果たしてそうだったのでしょうか?
昨年の6月28日の南日本新聞に「鹿児島市唯一の3連アーチ 潮見橋撤去へ」の見出しが新聞に躍った時、潮見橋解体撤去推進派の一部の住民は事前にそのことを知っていたが、一般の住民たちは寝耳に水といった状況の中、機を逸せずなんとか潮見橋を現地保存しようと「潮見橋の会」を立ち上げた保存派の方たちの闘いは市に解体撤去の説明を求め、陳情書の提出をはじめ、土木専門家による洪水の原因が石橋でないことの説明会、市長への潮見橋を現地保存を求める署名提出、果ては鹿児島地裁への潮見橋現地保存仮処分申請の申尋(この裁判では地元の方たちが推進派・保存派で仲たがいを避けるため申立人に地元民の名を入れなかったこと)まで新聞、テレビ等のマスコミを介して、それこそ必死の頑張りは鹿児島市に住まない私でも、ネットを介してリアルタイムに潮見橋への熱い思いは十分伝わってきたものだった。
砂田氏の最後の「鹿児島市や地域住民が本気で守りたいと思ったら当然残ったはず、」の言葉は私には机上の空論であるとしか思えない。行政側が潮見橋を解体撤去せずとも洪水への心配を解消できるいろんな方法(保存派の潮見橋を現地保存しつつ、側に新しい橋を建設するという案など、現に鹿児島にも浜田橋の例があるでしょうに)があるにもかかわらず、潮見橋解体撤去一点張りで、まったく聞く耳をもたない集団であったこと、またその責任者たる市長が潮見橋解体撤去の話が出て、解体撤去されるまでの間、あれだけマスコミで騒がれていながら一言のコメントも出さずじまいだったことは未だに信じがたいことであります。このこと一つでも鹿児島市政に民主主義のないことを思い知ったものです。未だに頭を捻らざるを得ないことの一つに、住民の提出した署名の数が潮見橋解体撤去派と保存派とでは保存派の方が倍以上も署名を集めたにもかかわらず解体撤去になるとはどういうことでしょうか?まったく何から何まで訳の分からぬことばかりです。森市長のこの番組でのコメントはまったく腹立たしい限りでした。それにひきかえ、「潮見橋の会」の方々の奮闘振りは、素晴らしいものでした。それが生かされなかったことの原因は市の旧態依然とした体質によるものと私は思うのですが。第2、第3の潮見橋を出さない方法を研究しなければなりません。