真説 『花折街道』

豊能町吉川村のあの時代

 

 

 

歴史に詳しい訳でもなく、はたまた特別にこだわりもないですが、ちょっと必要があって書きます。

「花折街道」以外は全て正しいとは限りませんが・・・

文献を読み、調べて記載するものでなく、人から聞いたとか、の話ですから・・・

でも、一応はルーツをたどるものとして調べもしましたが。

 

時は「寛延」(1748)年、今から260年前にさかのぼります。現在の誰もが目にしたわけでもなく、経験したことでもありません。歴史というもの、文献を調べつじつまを合わせ、又その書く人によってイメージが描かれつくられていきます。

坂本龍馬は福山雅治だったり源義経は滝沢秀明であったりして・・・

 

現豊能町吉川は、約千年前、長保(999)に生まれたといわれています。突然発生したのでなくさらに過去に人が住んでおり、ある一定の集落としてまとまったために、余戸(あまりべとも言う)から独立し生まれたのです。余戸とは、ネットで調べてください。当時は余河といったとか・・・それが吉川になったけれど、「吉」でなく、土かんむりで口をかいていました。現在でも、その字を書く人がいます。

この話よりもさらに700年も前のLong,Long Agoの物語です。さらにあやふやです。が、歴史に詳しい人の話です。

 

1700年代、摂津國能勢郡吉川村といいました。町史によれば検地や炭売りの話が出てくることから 夏は稲作冬は炭焼きで生計を立てていたと思われます。

生計を立てるからには、販売先があるはずですし、そこへの運搬は必須のことです。では、販売先はどこだったのか、池田村です(現在の池田市)。