花折街道2016桃の節句 雛のつどい

(シリーズ第5回)

吉川地区における地域・自然・歴史・文化を活かした沿道まちづくり

 

 

 

 

会期は2/28(日)〜4/3(日)です。

 

花折街道2016「桃の節句」雛のつどい【第5回】
■目的
交流人口の増加を図り、吉川の魅力を知ってもらう
■開催日程
2月28日(日)?4月3日(日)
■開催時間・休館日
10:00am〜3:00pm 休館日は特になし
■開催場所
吉川自治会館、吉川八幡神社周辺/花折街道周辺(妙見口駅〜吉川八幡神社付近までの街道および妙見の森ケーブル・リフト駅構内)

■入園・入館料無料
■イベント内容
・ 自治会館をコアーとして開催場所一帯に「竹雛」「雛のれん」の設置
・ コアーとなる自治会館には段飾り雛や各種雛人形の設置
・ 自治会館において毎日「なでしこカフェ」実施、手作り雛グッズ・食の販売/(食は別途チラシの曜日限定)
・ 街道には有志による雛飾りや縁側カフェの実施
・ 別働隊によるマルシェ(期間中2回)
・ 3/20(日)雨天順延、ただし順延日雨の場合中止/ワークショップ・手づくり品販売など・25−30ブース/7箇所程度
・ 4/2(土) 雨天順延、ただし順延日雨の場合
中止/〃/〃
 

・ 期間中、吉川八幡神社において上巳祭では、時代行列も執り行なわれます
■交通アクセス
・ 能
勢電鉄妙見口駅下車
■問い合わせ
先/問い合わせ受付時間

・ E-mail furusatonokaze@nike.eonet.ne.jp 
・ 吉川自治会
館 072-738-1360 13:00-15:00 (会期中のみ)

 

 

■「花折街道」・・・とは

の昔、吉川は妙見宮への門前町として大いに栄えたといわれています。長尾街道や村内及び上杉尾根の参道の茶所跡や常夜灯に当時を偲ぶことが出来ます。江戸末期妙見信仰は浄瑠璃、歌舞伎役者など芸能界にも信仰が広がり参詣者が激増し、より身近に参詣できる道として、当時の銀山道より平野村(一の鳥居)で分岐し、現在の国道477号線西側尾根をとおり吉川の西方寺で長尾街道と合流する道が開通しました。その道を人々は「花折街道」と呼びました。新光風台と大和団地の境界付近に茶所がありその地名が花折であったことからそう呼ばれたと推察できます。今はそのような地名は存在しません。文献には存在しないけれど、今も語り継がれる妙見参詣者の癒しの道「花折街道」。長老の語る話や当時の絵図面、最古の地形図、言い伝えられてきた話を照合すれば、その道が浮かび上がってきます。その道に立てば、南に長尾街道から五月山連山、北に山下古道が見渡せ四季折々に見せる街道の姿とともに参詣客の思いにロマンを感じます。やがて、その谷筋に現在の国道477号線の前身の道路が花折街道のバイパスとして開通し、わずか100年を満たず伝説だけが残る道になっています。その道の消滅とともに吉川も門前町としての役割も終え別の道を歩き始めたのです。

☆長
尾街道
1700年以前にできて、能勢電鉄が吉川まで延線(1923)され役目を終える。吉川は千年の歴史といわれる(長保5年1003)その時から、単独で生活していたわけで
ない、止々呂美から池田へ出る道とともに長尾街道が利用されていた産業道路だったに違いない。
☆花折街道
R477の前身の道路でない。それより一足早く(1800初期)現在の一の鳥居より大和団地の尾根筋を通り、この地点まで
妙見参詣客の激増に伴い利用された街道である。尾根の街道からは東に長尾街道、北に山下古道を眺望しながら今の光風台4丁目付近の花折茶店で一服し、吉川の里、この地点にたどり着いた。これらの人々により、吉川は妙見さんの門前町として花折文化を謳歌する。しかし、時は流れわずか100年を満たずして消え去った街道、その道を我々はロマンの道と命名した。

 
■「桃の節句」雛のつどい・・・とは
この吉川でも、各地同様昭和30年頃までは、女の子のいる家には雛壇があり、

旧暦(4月3日)に飾られていました。ひな壇には、白酒、菱餅、あられや桃の花が飾られていました。
又、当日は、ちらし寿司に蛤の吸い物で家族が子供の成長を祝っていました。
菱餅は餅を麺棒で伸ばし、赤(えび又はきび)、草色(ヨモギ)、白の3色(黄色もあったような気がする)をひし形に切って重ねて飾り、少し硬くなったものは蒸して黄な粉で食べたり、炭火の火鉢で焼いたりしていました。あられは、伸ばした餅をさいころに切ったものを干して作ったように記憶しています。材料はすべて自家製で家族そろって作っていました。
雛壇は、嫁に行った娘に女の子が生まれると、初節句には里から嫁ぎ先に無事成長を願って贈るのが慣わしで、今のように両家折半という考え方もなく、娘は婿に嫁ぐのでなくその家に嫁ぐという考え方で将来その家を仕切ることも意味していました。
時代は変わり、菱餅を作る家もなく、ひな壇も贈る場合はスペースや保管などでケース型に変わったりしました。
これらの風習は、今の高齢者が子供時代に経験したのが最後と思います。
このイベントは、これらの風習があったということを後世に伝えていくためや、今は押入れで眠っている活用されない雛の供養も含めて飾り、多くの人に見てもらったりして、この地を訪れる人が多くなれば、地域とのコミュニケーションも増え、私たちも元気になれることを期待してやっています。
■街道の竹雛
まちの活性化として、交流人口を増やそう(里山ツーリズム)→歴史あるよしかわを知ってもらおう→花折街道を売り出そう→イベントは、春夏秋冬にメリハリをつけよう→春は、昔の風習を残していこう→桃の節句→よしかわだけでは範囲が狭い→妙見さんへ客を引っ張ろう→花折街道を歩く連続性と桃の節句→竹が豊富にある→竹雛
■「雛暖簾」とそれに添える飾り物「つるし雛」・・・とは
妙見宮参詣者の増加により門前町として栄えた花折街道時代(1800年代)、街道を挟んで旅籠やお土産店、茶所が並んでいたと口伝されている。当然のごとくのぼりや暖簾が設置されていたと考えられる。その再現を現在風にアレンジし、雛のれんを設置している。
又、それに添える飾り物として、前回は「つるし雛」を吊り下げた。特に、この地方において「つるし雛」の風習は無かったと思われるが、主役が「雛人形」であることから「つるし雛」を飾った。
■九難ザル(苦難ザル)・・・とは
縁起物の置物です。
「難を転じて苦難去る」といわれています。誰しも「苦難」はいやです。しかし、人生苦難だらけです。だったら、できるだけ苦難は去っていってほしい。そんな思いで「苦(九)難(難を転じる)去る(サル)」から9匹のサルが南天の枝に乗って、おそらく南天は船でしょう。
苦難ザルといえば飛騨高山の「さるぼぼ」が有名ですが、少し形は違うが、それが発祥かもしれません。
誰が考えたか、面白い発想です。
それが吉川の地に?特に深い意味はなく、「なでしこ(この地を活性化させようという粋のいい女性陣の集まり)」が、みんな苦しい事(あまり苦しいことは無いと思いますが)を追いやって楽しく行こうということで、眼をこすりながら不用の着物を解き、細かな作業に取り掛かりました。幸いにして南天はどこにでもあり、目玉の風船かずらも省エネなどの日陰カーテンとして一杯あり、回を重ねるごとに品質は上がり、いまや立派な商品として皆様に飾ってほしい、の願いをこめて作っています。その他、竹雛、花マリ、ウサギ雛、ポプリ雛、各種つり雛なども制作しています。

 

 

 

花折街道2013 桃の節句 雛のつどい

(シリーズ第2回)

吉川地区における地域・自然・歴史・文化を活かした沿道まちづくり

(この事業は平成24年度大阪府都市整備推進センターのまちづくり初期活動サポート助成を受けています)

能勢電車へジャンプ

  

 

先ずは、「人を呼び込むための仕掛けと仕組みづくり

@ 恒久的な舞台づくり

・ ベンチ、案内板、トイレ、駐車スペース、パンフレット、リーフレット・・・

A 季節ごとのイベント

B 観光ポータルサイトの整備

 

季節ごとのイベント、春バージョンです。

 

街道道装飾

竹リース30セット

土雛4-5体

 ■雛暖簾 35枚

段飾り雛(民家)

などで飾り付けます。

 

「うさぎ雛」たくさんできました

竹雛リース 妙見里山倶楽部の皆さんも街道整備に協力をいただいています
   
能勢電車開業100周年、開業当時の色を再現

復刻塗装車両