吉川八幡神社 湯立神事

ここは、豊能町吉川八幡神社。千年の歴史を持つ由緒ある神社としておきましょう。神社の成り立ちとか、場所とかは別のサイトが詳しいのでそちらを参考にしていただきたい。

この神社には年間3つの行事があり、その1つは夏の放生会、2つ目は秋祭り、3つ目は12月初旬の新嘗祭であります。そのほかに月例祭やお正月のお参りなどがあ ります。

 

神社の運営は、宮総代といって3名の総代さんが管理運営しています。宮司さんは地元にいないのと常駐するほどの規模でないことから他所より、来ていただいています。 【写真は神社付近から見た里山の中秋】

また、放生会や新嘗祭はどこの神社でも似たようなことをやっているのでここでは秋祭りについて紹介します。

秋祭りは山車、だんじりや御輿が市内、町内を練り歩くのが一般的ですが、この集落も「太鼓」といわれる子ども4人を乗せてムラ人がそれを担いで集落を練り歩きます。神社の秋祭りは農村地帯の収穫を祝って行われるのが一般的ですから、その年が凶作であったり集落に災害があった年は自粛し、「太鼓」のでないさびしい祭りとなるわけです。

 

「太鼓」の担ぎ手は、集落の青年団、消防団などの血気盛んな人々が、神社総代の下におこなっていたのですが、近年全国のムラ同様、若人や壮年の人たちが減少し、又娯楽のない時代と異なり、あるいは人々の結束力も弱まり、絆も薄くなりそのような喧騒な賑わいも嫌われて、そのうえに稲作技術の向上、肥料農薬の進歩により、 ある一定の収穫は保証され、さらにたとえ凶作であっても、稲作など農業で生計を維持している家庭もなくなるなど、

その必要性もなくなり単に伝統行事として保存の意味で続けているのが現状です。そんなこんなで、毎年「太鼓」を担ぐなんて、準備も大変だし、経費もかかるし・・・ということで数年に1回ぐらいにしとこ・・・って、ことになっています。どこのムラも似たような事情と思います。

 

話は長くなりますが、もうちょっと続きます。

昔(50-60年前)は、秋祭りの時、この八幡神社の舞台(神殿の前にある板間)において、祝宴酒席の中で村内のマッタケ山の入札が行われるのが慣わしでありました。(この辺は長老の話や私の年齢であっても記憶力のある人の話しです。私はもっぱら境内にある樹齢数百年のシイの実を拾って食べていたことしか・・・)

お祭りの酒が入った中でのセリですから、赤字覚悟でどんどん値がつりあがり、それはそれは熱気があったそうです。子どもであっても1年でこんな楽しい日はなかったと言っています。


ここで、表題の「湯立神事」について話を進めます。

ここでも又、「湯立神事」の意味合いについては他のサイトをご覧下さい。

この「湯立神事」は、50年前まではこの神社で一般的に行われていましたが、理由は分かりませんが中断されていたのを昨年度(2012年) ムラ起こしの一環として保管されていた釜を持ち出し再現されました。そのときは、ムラ内に回覧しただけで,その口コミなどから遠方からも多くの参詣者を集めることが出来ました(約80人)。そのとき、隣接の住宅地などから知らせて欲しかったなどの要望があったことから、今年は少しバージョンアップして、回覧の範囲を拡大し、能勢電車の協力も得て多くの人(約250人)を集めることが出来たのです。

吉川八幡神社のお祭りで、本来なら「太鼓」巡業があるべきところですが、今年もそこまで人の気持ちも熟せず、ならばということで「湯立神事」が企画されました。


それでは、実際にその様子を伺って見ましょう。その前哨戦として正午より屋台などを出し、太鼓をたたいたりで雰囲気作りをします。

午後2時より、神殿において恒例の秋祭りの祭祀が始まり、宮司の修祓(しゅばつ)の祝詞奏上とお祓いがあります。続いて巫女さんによる御神楽が始まります。【写真右・・・2011.9放生会の御神楽】そして宮司、総代、参詣者代表の玉串奉天により通常の祭礼は終わりますが、今日は続いて、境内に下りてきて、神殿の舞台では笛、太鼓と「湯立神事」が始まります。


境内では、二つの釜の湯はグラグラと煮えたぎり机上では、塩、酒、洗米、桶、柄杓、笹の葉などが準備され、宮司さんによる神事の説明が始まります。【写真上】

午後2時30分、大麻と鈴により参詣者のお払いをして次には、荒塩、洗い米、お酒の順に釜の熱湯の中に入れられます。それらの入った熱湯を柄杓で桶に汲み取り神殿に備えられます。【写真下左右】

神事は厳かの中にも順調に進みいよいよ最終ラウンド。

笹二束を両手でもち熱湯の中に浸され、勢いをつけて振り上げられ参詣者に熱湯の飛まつがかけられます。すごい迫力があります。これを左右何度か行われ、いよいよクライマックスを迎えます。左右片手で交互に釜から熱湯を跳ね上げ、その湯煙と熱しぶきに参詣者は、思わず感嘆の声を発するのであります。【写真下】

終わりの舞が終わったのは午後3時、参詣者の皆さんには充分感動を受けられたでしょうか。心がリフレッシュできたでしょうか。祭祀最後の直会(なおらい:神にお供えした海、山の幸を神事後に参拝者みんなで頂き、神の援助を受けるという慣わし)でお神酒を頂きしばらく歓談後、みなさんの無病息災、家内安全で1年間過ごされることを祈念して自然解散となりました。

(おわりに)

今、この静かな里山に囲まれた集落は表面的には穏やかで何も問題がないように見えますが、少子高齢化、後継者不足、町財政縮小による旧村地区へのサービスの低下、絆の薄まり等々、潜在的には将来に大きな影響を及ぼす事項が、伏流水となって足元を流れています。

これらに対処するため住民一人一人が現状を自覚し、将来を明るくする活動が求められています。

私たちも、そのあたりを認識し、「誰もが元気で安心安全に暮らしていけるまちを目指して」をモットーに議論をし、構想を練りみんなと合意形成を図りながら住みよい町を目指しています。

元気で暮らしていけるためには、コミュニケーションが欠かせないと考え、より多くの人たちがこの集落を訪れてくれ、その人たちとのふれあいを通じて、さらには何がしかの経済効果も見込めるまちづくりが基本と考えています。

 

文中、神社用語など怪しい部分がありますが、ご愛嬌ということで・・・