2005-11-5
今回のうんちく講座はネタに困っていたところにstarちゃんからリクエストがあったので七五三のお話です。大した内容ではありませんが、みなさんもよければリクエストしてくださいね。 さて、今さら説明するまでもなく子供が三歳、五歳、七歳の時に子供のこれまでの成長に感謝し、今後の健やかな成長を祈ってお宮参りなどをする風習が七五三です。11月15日に行うこととされていますが、最近では余り日にこだわらずに直近の日曜日などに行うことが多いようです。さまざまな病気などにかかりやすい新生児・幼時の時期を過ぎた頃にわが子が無事に育ったことを祝おうというのはごく自然な感情だ思いますが、統計的にみてもこれは理にかなっています。七五三からはちょっとはずれますが、一般的に平均寿命と言われているのはゼロ歳の人間の平均余命のことを言いますが、この平均余命というのはちょっと勘違いしやすい統計でもあります。例えば、江戸時代後期の日本人の平均寿命は30歳くらいだったと聞くと、みんな若くして死んでしまったのだなあなんて思いがちですが、それじゃあ昔はお年寄りはほとんどいなかったんでしょうか。そんなことはありません。平均余命というのは各年齢における死亡状況を集約し、あとどれくらい生きられるかの期待値のことなので、ある年齢階層の死亡率が高いとそのゾーンを越えるまでは平均余命は短くなり逆転現象が起きることがあります。具体的には、終戦後間もない1950年頃の政府統計を見てみると、ゼロ歳児の平均余命=平均寿命は約40歳なのですが、20歳まで成長した人の平均余命は45歳ですから大人になれば大体65歳までは生きられたことになります。これは乳幼児死亡率が高かったことによる影響であり、換言すれば、乳幼児期を何とか切り抜ければある程度までは生きられることを表しています。だからこそ、昔の人は七五三という行事を始めたのだろうと思います。 小難しい話はこれくらいにして、男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳の時にお祝いにするのはなぜでしょうか。これはもともとは違う行事をまとめて七五三にしてしまったことの結果なのです。そもそも、三歳時には男女とも髪の毛をそるのをやめる節目としての「髪置(かみおき)」の行事、五歳時には男の子が初めてフォーマル着である袴をはく儀式である「袴着(はかまぎ)」の行事、七歳時には女の子が着け帯を解いて大人と同じように帯を締める「帯解(おびとき)」の行事があったのが、一本化されたのです。最近では、男女とも3回お祝いすることも多いようですが、歴史的な経過を見るとちょっとおかしいことになりますね。ちなみに、最初の髪置の儀式では子供が白髪頭になるまで長生きするようにと、白い糸でつくった綿帽子のようなものを頭に載せてお祝いしたようです。ただ、どんな形状のものなのかは私も見たことがないのでよく分かりません^^;。 七五三といえば、付き物なのが千歳飴ですが、これはもともと儀式の際に使った・・・なんてことはまったくありません。実は、千歳飴はバレンタインデーのチョコレートと同じような企業戦略の賜物だったのです。もちろん起源は古くて、江戸時代まで遡りますが、当時浅草で営業していた飴屋の平野甚右衛門という人がお宮参りにくるたくさんの人たちを見て、何か七五三のお土産で売れないかと考え、自分のところの飴を切らずに「長い・長く伸びる」=長生きの縁起物として、千歳飴とネーミングをし、袋にも鶴・亀や松竹梅などの縁起のいい絵を描いて販売したところ、これが大当たり。今では日本全国で七五三の風習として定着するまでになったものです。昔の人も商魂逞しいですなあ。 ともあれ、小さな子供達がが晴れ着や羽織袴姿でちょこちょこ歩いているのを見るのはとても微笑ましい光景ですが、どうも隣りにいるお母さんの衣装代の方が高くついているような気がするのは私だけでしょうかね。 |
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2005-9-17
そんなものなら書くなという声が聞こえそうですね。実は、今回のうんちく講座では江戸時代の風俗に語源を持つ言葉をいくつかご紹介したいと思ったのですが、その代表格とも言えるのが冒頭の「くだらない」なんです。ご存知のように、江戸は徳川家康が豊臣秀吉に関東への転封を命じられた際に本拠地として定めてから初めて本格的な都市としての歩みを始めました。その後、徳川幕府が成立し、江戸が日本の政治の中心となったところから、数多くの武士が流入して短時間のうちに大都市が出現したのでした。ところが、それだけの大都市を支えるだけの産業基盤が関東地方にはまだなく、多くの物資を京都・大坂を中心とした上方からの輸送に頼らざるを得ませんでした。ちなみに、当時で一番多く輸送された品物は古着だったようです。ともあれ、その上方から輸送されたものを上方から下ってきた物=下り物と称し、これに対して下り物ではないものが「下らない物」と呼ばれていたのです。この下らない物の品質が上方の物には遠く及ばなかったところから、下らない物はできのよくない物全体を指す言葉になり、それが更に一般化されて、今ではつまらない、取るに足らないという意味で「くだらない」が使われるようになったのです。 もう一つは最近ちょっと流行りの「軽くやばい」話です。この「やばい」は漢字で書くとすれば「矢場居」になるのですが、想像つきましたでしょうか。江戸時代の庶民の楽しみの一つに矢場がありました。テレビの時代劇で一回くらいは見たことがあると思いますが、座敷のようなところにお客が来て小さな弓矢で的を狙い、見事命中すると傍らにいる女性が太鼓を叩きながら「大当たり〜」などと声をかけるアレです。実際に、ああやって太鼓を叩いていたのかどうかは知りませんが、的に当たると景品をもらえる所もあったようですから、今で言えばパチンコ屋みたいなものだったのかもしれません。ともあれ、この矢場には矢取女(やとりめ)とか矢場女(やばめ)と呼ばれる女性がいて、当初はお客さん一人に一人が付いて矢を手渡したりするサービスをしてくれていたのです。ところが、男女がペアになる仕事ですから、そのうちに隣の小部屋で別のサービス(どういうサービスなのか、よく分からない良い子のみんなはお父さん、お母さんに聞いてみてね(笑)。)までしてくれることになっちゃったのです。それで「矢場に居る女」=「矢場居女」になり、それが今の「やばい」につながっていくわけです。江戸は地方から大量の男性が流入してきたために、男女構成比がかなり歪んでおり、どうしてもこういう商売が流行ったようですね。 ちょっとやばい話になってしまったので、セクハラの札付きなどと言われないように最後にもう一つ。そう「札付き」の語源です。「十両盗めば首が飛ぶ」と言う言葉があるように、江戸時代の刑罰は今とは比べものにならないくらい厳しいものだったのですが、現代の人間から見るとそれ以上に過酷だったのが連座制です。誰かが悪事を働くとその親・兄弟、親戚一同にまで刑罰が及んでしまうのです。だから、日頃から素行が悪そうな者には親戚一同が口うるさく注意もするのですが、ワルというのは昔も今も同じで、そんな忠告なんか聞きやしません。だからと言って、そんなワルのとばっちりで刑罰を受けるのは誰しも迷惑です。そこでこいつはもう更生しそうもないなと思った時には、親戚が相談して勘当してしまうのです。それを書面にして町役人に届け出ておけば、当時の戸籍である人別帳から抹消され、正式に縁が切れるので、後はそのワルがどんな罪を犯そうが親戚一同に類が及ぶことはありません。こうした手続きは本来事前に行っておかなければならないのですが、事が起こった後でもそこはうまく手続きがあったことにしてしまうこともできました。そこで人別帳を管理していた町役人は、危なそうな者の名前が書いてあるページに予め札を貼っておき、何か起こったときには素早く勘当の手続きがとれるように準備をしていたのです。それで要注意人物のことを「札付き」というようになったというわけです。 なんだか余りよくない言葉ばっかり紹介してしまいましたが、こうして振り返ってみると時代劇を見る楽しみが少し増えると思いませんか? |
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2005-8-13 なんだか小学生向けの社会科副読本みたいな題名になっちゃいましたが、今回は郵政解散に因んで国会に関するうんちくをちょっと書いてみたいと思います。 およそ近代民主国家は憲法に基づき立法・行政・司法の三権分立と基本的人権の保障が定められていなければならないとされており、日本もまあ民主国家の端くれとして国会を持っているわけです。ちなみに英語では、イギリスの国会はParliament、アメリカ議会はCongress、日本の国会はthe Dietと表記されます。それぞれの違いはよく分からないのですが、前二者の違いは英語と米語の違いで、その他の議院内閣制の議会をthe Dietと呼ぶようです。ちなみに、Dietはあのダイエットとまったく同じスペルなのですが、それぞれ異なる意味のラテン語から由来しているようです。ただ、もう少し議員の数を減らさなくちゃいけないからダイエットって呼ぶのかな?なんて思っちゃいますよね。 さて、日本の国会は衆議院と参議院で構成されるいわゆる二院制を採用していますが、この二つの議院には様々な違いがあります。その違いは議員の数や選挙の方式といった純粋に制度的なものがほとんどですが、そのいくつかは戦前の帝国議会における衆議院と貴族院の伝統を引き継いでいることによるものです。一番よく知られているのは議員の呼び方でしょう。衆議院議員は民衆を代表しているという意味で代議士と呼ばれますが、今では参議院議員も同じような選挙で選ばれているのに、こちらは代議士とは呼びません。これはかつての貴族院議員は皇族・華族や天皇によって選ばれた勅任議員などだったことの名残です。また、国会の開会式には天皇が行幸し、「お言葉」を述べるのが慣行となっていますが、この開会式は参議院本会議場に両議院の議員が参集して行われます。これは現在の参議院が貴族院を引き継いでいるために、本会議場内の議長席後方に席(玉座)が設置されていることや天皇の休憩所(御休所(ごきゅうしょ)などの関連施設が参議院側にのみあることに由来しています。他にも、議員がその証しとして胸に着けているいわゆる「金バッジ」にも違いがあります。正式には議員章という名のこの議員バッジは、両院とも11弁の菊の花弁をかたどったもので基本的なデザインは同じなのだが、材質が異なります。衆議院議員のものは金メッキ、参議院議員のものは金張りと差がついており、もちろんお値段も衆議院議員章は9,000円、参議院議員章は12,300円で3割以上の開きがあります。やっぱり貴族の方がいいものを着けていたようですね。(ちなみに、最初の一個は無料で、紛失等による再発行の場合の値段です。)。 郵政解散といえば、郵政改革関連6法案の採決の場面をテレビ中継で見た方も多いと思います。今回の採決は重要な事項であったところから、両院とも記名投票により行われました。賛成の議員は白票を、反対の議員は青票をそれぞれ事務局職員に手渡す形式による投票で、俗に「堂々巡り」とも言われています。それにしても、これってちょっと変だとは感じませんでしたか?日本では対立する色としては、白と黒か白と赤がペアで使われるのが普通です。まさに「白黒つける」のですから、賛成は白票、反対は黒票という方がしっくりきます。もちろん運動会でおなじみの源平合戦を模した白票と赤票でも大丈夫でしょう。何になぜ白と青なのでしょうか。実は、これはよく分かっていないのですが、昔のフランス議会では投票する際には賛成・反対に加えて棄権があり、その3種類の投票に対して、フランス国旗である三色旗の色である赤、白、青を割り当てていたのが、いつしか棄権という投票がなくなって白と青が残り、日本の国会はその慣習をそのまま導入したというのが有力なようです。 他にも、革新的勢力のことを左派、保守的勢力のことを右派というのもフランス革命後の国民議会において議長席から見て左側に革新派のジャコバン党が、右側に保守派のジロンド党が議席を占めたことから来ているのですから、フランス革命の影響というのもなかなか大したものです。 どうですか?今回はちょっと高校の授業を思い出したかもしれませんね。注目の投票日は9月11日ですから、みなさんお忘れなく投票してくださいねえ。お仕事やサッカー観戦で当日の投票ができない方は期日前投票をどうぞ。とっても簡単ですよお。 |
2005-7-14 それでは、平塚の七夕祭りを楽しんできたstarちゃんのリクエストにお応えして、今回のうんちく講座は七夕のお話です。え?「七夕なんてもう終わっちゃったじゃないか。」ですって?大丈夫、大丈夫。仙台の七夕祭りは8月6日〜8日ですからね。まだまだ余裕なんですよ。でも、どうして平塚は7月7日の前後3日間なのに、仙台は8月なのでしょうか。その答はちょっと後回しにして、まずは七夕の起源をおさらいしてみましょう。子供の頃に聞いた民話は、こんなものではなかったですか? 昔、天の川の西に機を織る織女(しょくじょ)が、東には牛飼いの牽牛(けんぎゅう)が住んでいました。二人はとても働き者だったので、神様は二人を結婚させて天の川の東に住まわせることにしました。結婚した二人はとても仲良く暮らすようになったのですが、余りにも仲が良すぎて、一日中仕事もせずにお話ばかりしています。これを怒った神様は二人を再び天の川の東西に別れさせてしまいました。すると、織女は悲しくて一日中泣いてばかりで、仕事が手につきません。可哀想に思った神様は、一年に一度7月7日の夜にだけ天の川を渡って二人が会うことを許しました。それ以来、織女は毎年7月7日を楽しみに一生懸命働くようになったということです。 人によって多少は違うかもしれませんが、大体こんな筋の話ではなかったかと思います。古代中国の民話からアジア各国に伝わっているので、それぞれの国で少しずつ内容は違っていますし、日本国内でも地方によって異なった話が伝わっていますが、基本的に織女星=こと座の一等星ベガ、牽牛星=わし座の一等星アルタイルの二つの明るい星を対象とした星祭りが七夕の原型になります。ちなみに、この二つの星の名をくっつけたのが、七夕祭りで有名な仙台のサッカーチーム「ベガルタ仙台」です。 まあ、それはともかくとして、七夕の風習は非常に古いためにその起源は単純なものではなく、いろいろな要素が絡み合って現在の形になっています。先ほどの民話がその要素の第一ですが、七夕は五節供(節句)の一つでもあります。3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節供というように並べてみれば分かるように、節供の日というのは(1月7日を除き)奇数の同じ数字が重なった日の行事です。中国の基本思想である陰陽の考え方では、奇数は陽の数字であり、この奇数が重なる日は陽の気が高まり、逆に気が強すぎて災いが起きないように厄を祓う儀式を行います。七夕もこの風習と結びついています。さらにもう一つは、乞巧奠(きこうでん)です。これも中国の古い行事で、女性が裁縫などの手芸の上達を願う儀式です。具体的には、女性が7本の針に5色の糸を通し庭にむしろをしいて机を出し、酒や果物などを並べて技の向上を願ったものです。これも7月に行われていた行事だったのが、七夕の源流の一つになったと言われています。それでは、七夕というのは、完全に中国からの輸入品なのかというと、実は日本の行事も合流しているのです。そもそも「七夕」ってどう読んでますか?「たなばた」ですよね。でも、中国古来の行事なら音読みで「しちせき」って読んでも良さそうですし、訓読みにしても「ななゆう」にしかならないのに、どうして「たなばた」なんでしょうか。それは古代には女性が布を織り、それを捧げて、祖先の霊を祭るために行事があり、その布を織る女性を棚機女(たなばたつめ)と呼んだところから来ています。この風習も7月に行われていたので、中国から来た七夕といつしか融合してしまったのですが、読み方にはその名残があるという訳なのです。日本人というのは、かなり昔から色々なものを輸入して、それをちゃんと和風にアレンジしてしまう民族だったんですね。 さて、長々と硬い話が続きましたが、そろそろ最初の日程の種明かしをしましょう。七夕は古くから行われていると同時に、天文との関わりが強い行事ですから、本来なら旧暦で行うのが正しいことになりますが、今では他の行事と同じように新暦で行われるのが普通です。だから、湘南ひらつか七夕まつりも7月7日を中心に行われています。これに対して、仙台は旧暦・・・というほど、ことは単純じゃありません。今年で言えば旧暦7月7日は8月11日なのです。実は、仙台の七夕も昔はちゃんと7月7日にやっていたのですが、明治になって暦を切り替えた時にいわゆる「月遅れ」にしてしまったので、暦の上では7月7日と全然関係ない日の行事になってしまったということです。 今回のうんちくはちょっと酒飲み話として使うには難しい話でしたね。七夕の話はかなり複雑なので、私のつたない知識では間違いがあるかもしれません。もし、ここが違うよというのがあれば教えてください。 ともあれ、まだまだ星にお願いをする時間は残っています。たまには夜空を見上げて、たくさんお祈りしてくださいね。 ダイエットできますように。宝くじが当たりますように。可愛い女の子にモテますように。・・・・・ |
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2005-6-12 東京地方は6月10に梅雨入り。九州南部よりも先に梅雨入りするという珍しいパターンとなった。遠くインド洋のベンガル湾から湿った温かい空気が流れ込み、日本列島付近の上空でオホーツク高気圧と太平洋高気圧がぶつかってできる前線に沿って雨を降らす現象。もっと簡単に言うと、ロシア上空から来ていた冬の空気を太平洋から張り出してきた夏の空気が押し出そうとして、押し合いへし合いして雨が降る。それが梅雨の原理です。したがって、世界中で梅雨が存在するのは、日本、中国・台湾、韓国・北朝鮮とロシアの一部だけしかありません。 この晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる時期をなぜ「梅雨」と呼ぶのかは、ちょうど梅の実が熟する頃だからというのは割りとよく知られています。したがって、「ばいう」と言うのが本来の読み方なのですが、もっと遡ると、中国の長江(揚子江)流域で梅の実が熟する頃の雨が梅雨と呼ばれていたのを日本に輸入した言葉なので「メイウ」と呼ぶのが正しいのかもしれません。また、もともとはカビを呼ぶ雨という意味で「黴雨(バイウ)」としていたのが、それでは余りにも字面が汚い感じなので同じ音の「梅」を当てて「梅雨」になったという説もあるようです。いずれにしても、今は「つゆ」と呼ぶことの方が多いのですが、この呼び方は江戸時代中期以後に発生したものです。この由来も諸説あり、雨の「露」が転じたものという説や熟した梅が潰れるところから「潰(ついゆ)」の音がなまったものといった説が有力なようです。ちなみに、梅雨の語源として使われている梅は桜がもてはやされるようになる以前は日本の国花とも言っていい花であり、学名もPrunus mume、すなわちサクラ属ウメ(「ムメ」は江戸時代の梅の呼び方の一つ)となっているくらい日本を代表する花の一つです。 関東地方では例年6月8日頃に梅雨入りし、7月20日頃に梅雨明けするのが通常ですから、梅雨の季節は約1月間になりますが、その1ヶ月くらいの間にも様々な名前がついています。ちょっと考えただけでも、梅雨入り・梅雨明けに始まり、入梅、梅雨のはしり、梅雨の中休み、梅雨寒、空梅雨、梅雨の戻りなどといった言葉が思いつきます。一見、梅雨と関係なさそうですが、「五月雨(さみだれ)」というのも旧暦5月の雨のことですから、梅雨の時期の雨を指す言葉ですし、「五月晴れ」というのも本来は5月の晴天、すなわち梅雨の合間の晴れの日を指す言葉だったのです。今ではすっかりゴールデンウィーク頃の晴天を指して使われるようになっていますが、それは誤った使用例なのです。 ともあれ、洗濯物が乾かなかったり、食べ物が腐りやすくなったりと、何かと嫌われ者の梅雨ですが、一方で田植えの時期の貴重な水資源でもあり、日本人の生活に切っても切れない季節です。なんとか雨と楽しく付き合う方法を考えてみたいものです。この週末にはちょっと気持が明るくなるような新しいレインコートでも買ってみませんか?それとも子供と一緒に長靴を履いて水溜りをバシャバシャやって遊んでみませんか?そうすればあなたもちょっとだけ梅雨を好きになれるかもしれませんよ。 |
2005-5-14 私達は日常スーパーマーケットでいろいろな買い物をしています。なるべく安くていい物を手に入れようとは思っているのですが、ついつい余計な物を買ってしまったり、後で考えてみると割高だったかなとか反省したりすることも結構ありますよね。そこには素人に分からないいろいろな販売テクニックがあるようなのです。 一番よく知られているのは、値段をつけるときに最後の数字を8でしめる方法です。缶詰1個200円と198円では、たった2円しか違わないのに198円の方がすごく安く感じてしまいますよね。最近流行のテレビショッピングも大概の商品は「今ならお得な19800円!」とか「今回に限り4980円!」のオンパレードです。「いちきゅっぱ」、「よんきゅっぱ」っていう言い方をしたりもしますが、これほど多くの商品でこんな値段の付け方をしているのを見れば、大概の人は何か魂胆があってそういう値段設定をしていることに気が付いているはずです。それなのに、どうしても1〜4の数字は高く、6〜9の数字は安く感じてしまうという心理が働いてしまうのです。分かっていてもついついだまされてしまうというところが、面白いですよね。 値段については、これをさらに応用することもあります。例えば、いつもは290円で売っている○○カレーというのを280円の特売品にして売り切ってしまいたいと考えたとします。その時、店側は同じ棚に並んでいる同等品の△△カレーと××カレーの値段をいつもよりちょっとだけ高くして310円にしてしまうのです。こうすれば、○○カレーはとっても割安に見えて、よく売れることになります。これくらいなら誰でも思いつくかもしれませんが、さらに店側は考えます。○○カレーの隣に、いつものカレーをよりおいしくする◇◇スパイスを置いて、手書きの広告などを付けておくのです。いつもより安いカレーを買ってお買い得気分になったお客さんは、普段なら買わないスパイスもちょっと買ってみようかなと思って手にとってしまう。そんなお客さんの心理を突くように、特売品の隣には必ずセットになるような商品が並べられているのです。これが最初から「本日○○カレーと◇◇スパイスのセットで大特売!」となっていたらどうでしょう?「◇◇スパイスなんかいつも使わないから買わないわ。」ってなりますよね。特売品と一緒に近くに置いてある商品を買おうと思ったときは、深呼吸を一つして考え直しみた方がいいかもしれません。 値段のような直接的なものでなくても、お客さんの心理に合わせた売り方というのもあります。思い出してみてください。スーパーに行き、カゴを持って食料品売り場に入った時、あなたが最初に出会う商品は何ですか。たぶん、野菜か果物だと思います。大概のスーパーでは入り口付近が青果売り場になっているのですが、これは野菜や果物が色彩的にきれいなことと季節感を出しやすいので、お客さんの心を明るくし、消費意欲を増進する効果が期待できるというのが第一の理由です。また、野菜などに比べて単価の高い肉や魚を最初に選ばせてしまうと、お客さんが「あら、もうこんなに使ってしまった。少し節約しなくっちゃ。」という心理に追い込んでしまうという理由もあるようです。そのほかにもレジに並んでいる時に、ちょっと思い出したものを買えるように、電池や電球などを置いてあったりもしますよね。スーパーの店内はあの手この手でお客さんの購買意欲を刺激し、売り上げを伸ばそうとしている心理学の実験場みたいなところなのです。 いかがですが?この程度の話は知っているよと思われる方も多いと思いますし、プロの方が読んだらごく基礎の基礎なのかもしれません。それでも、次にスーパーに行く時には他にどんな仕掛けがほどこしてあるのだろうかとちょっと考えてみませんか。お買い物以外の別の楽しみが見つけられるかもしれませんよ。 |
2005-4-16 特に意識はしていなかったのだが、このうんちく講座のネタは東京と大阪の違いを扱ったものが多いなあと思いながら考えついたのが、今回の「納豆」のお話。最近でこそ関西でも食べる人が多くなったと言われているが、納豆はまだまだ関東の食品である。納豆と言えば、甘納豆を思い浮かべる関西人には、思いも及ばないネバネバワールドがそこにはあるのである。(って、そんな大仰な。) さて、そうはいうものの「納豆」とは、何かと聞かれれば関東の人間は「何を今さら。あのかき混ぜると糸引くやつでしょう。」と答えると思われるが、実は大きく分けると2つの種類に分けられる。広辞苑によれば、納豆とは「@蒸し大豆に麦こがしと麹を加えて発酵させ、塩水に漬け重石をして熟成させたのち、香辛料を加えて干しあげた食品。Aよく煮た大豆を藁づとなどに入れて適温中に置き、納豆菌を繁殖させて作った食品。」となっている。前者は塩辛納豆や大徳寺納豆、後者が糸引き納豆と呼ばれており、読んでいただいて分かるように大豆を主原料とする以外は製法も味もまったく異なるものである。もっとも広辞苑でも糸引き納豆のことを「今日普通に納豆というのは、この種のものを指す。」と書いているので、呼び方はそれほど気を使わなくてもいいようです。 納豆の歴史は古く、その起源には諸説があり、一番古いのは、聖徳太子が滋賀県にあるお寺で藁を使う方法を教えたというものであるが、最も有名なのは後三年の役(1083〜1087)に出陣した源義家が陣内で豆を煮ていたところ敵の襲撃があったため、あわてて米俵に豆を入れて出撃し、合戦後に気がついたら納豆が出来あがっていたという説であろう。これとよく似たような話で豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに加藤清正の軍勢が作ったという説もある。いずれにしても、日本は稲作文化の国であり、豆と藁とが一緒になる可能性はどこの農家にでもあり、自然発生的に食べられるようになったのであろう。 ちなみに、納豆という名前はお寺の納所(なっしょ)、今で言う事務所で作られていた豆だったので納所豆と呼ばれていたのが、縮まって納豆と呼ばれるようになったのだと言われている。もともとは、豆乳を箱の中に納めて固めたものを納豆と呼び、発酵=腐らせた豆を豆腐と呼んでいたものが、途中でひっくり返ってしまったという話を聞いた人もいるかと思うが、これはまったくのでまかせである。「腐」という字は元来ぶよぶよしている様子を表す漢字であり、豆腐はもとから豆腐なのである。 納豆もうんちくの宝庫なので、他にもいろいろと書きたいことはあるのですが、最後にお勧めの食べ方を一つ。それはカレーに混ぜて食べる方法です。ちょっと驚かれるかもしれませんが、豆を使ったカレーはインドでは一般的ですし、実際に食べてみると納豆が苦手な人でも大丈夫なのではないかと思えるほど、おいしいものです。是非一度試してみてください。ただし、ネギや醤油は入れないで、本体だけルーに混ぜてくださいね。念のため。 |
2005-3-18 今回はスポーツ・リポーターなどで活躍中の高木聖佳さん(ちなみに、バレンタインデーがお誕生日)のプレッシャー、じゃなくてリクエストにお答えして「もんじゃ焼き」のお話です。 さて、そうは言っても、このもんじゃ焼き、今でこそ全国にある程度は名前を知られるようになったのですが、ほんのちょっと前までは東京都内でも下町に住んでいる人でなければ見たことも食べたことがないほど、超ローカルな食べ物だったのです。今回のタイトルを見て「もんじゃ焼きって何?」とか「もんじゃ焼きって名前は聞いたことあるけど・・・」って思った人も多いと思います。言葉で説明するのはとても難しいのですが、お好み焼きの生地をすごく薄くしたものに具を入れて、自分達で焼いて食べるものだと考えてください(今回は珍しく下の方にもんじゃ焼きの画像を貼り付けておきます。)。水分が多いため、お好み焼きのようにフカフカしたものではなく、鉄板の上でぐつぐつと焼けていくのを小さなコテ(ヘラあるいは「はがし」)で取り分けながら食べるものです。レシピ風に言うと、小麦粉をだしで延ばした生地にキャベツの千切りや揚げ玉(天かす)、切りイカ、小エビなど、お好みの具を混ぜたものにソースや醤油で味付けし、よくかきぜたら鉄板の上で焼いてお食べください、っていうような感じですかね。
とまあ、この辺まで書くと、ちょっと知っている人は「そうそう、だから生地の前にキャベツを焼いてね。それで土手を作ってから、その中に生地を流し込んで焼くんだよ。」って言いたくなると思います。別にそれが間違っているとまでは言いませんが、この程度でうんちくを語っていると思われては、片腹痛い。なぜかって?それはもんじゃ焼きは、なぜ「もんじゃ焼き」という名前なのかという根源的な問題に遡るからです。そもそも、もんじゃ焼きは子どものおやつでした。発祥は明治の中頃だと言われていますが、駄菓子屋さんの奥にある小上がりに鉄板がのった卓(お好み焼き屋さんでよく見るやつね。)が置いてあり、そこにメリケン粉(小麦粉)を水で溶いただけのものを焼いて食べたのが始まりです。それだけでは味がないので、テーブルの上にあるソースや醤油を入れて自分達で適当に味付けをしていました。焼く方は、もちろん、そのまま鉄板の上に全部空けてもいいのですが、そこは何でも遊びにしてしまう子どもたちのことですから、水溶き小麦粉を少しずつ流し入れ、黒い鉄板の上に白い小麦粉で字を書いたり、絵を描いたりし始めました。それで文字焼きと言われるようになり、それがいつしかなまってもんじゃ焼きという名前になったのです。こうした名前の由来からも分かるように、もんじゃ焼きにはもともと具なんか入っていなかったのですから、焼くときには土手をつくるとかなんとかいうことも当然なかったわけです。ムーミンパパが子どもの頃(もちろん戦後ですよ^^;)でも状況は同じで、たまに小遣いをもらったばかりの子どもがキャベツ入りを注文しているのを見て、すごくうらやましかった思い出があります。そう、キャベツの入ったもんじゃ焼きなんていうのは、邪道とさえ言えるのです。ちょっと貧乏人のひがみも入ってますけどね。ともあれ、今度もんじゃ焼きを食べる時に嫌な奴が「鉄板の上で土手をつくるのが、正しい作り方なんだよ。」なんて偉そうに言ってきたら、鼻で笑って「ふ、邪道だな。」とでもつぶやいてやってください。ただし、その後の人間関係には一切責任を持ちませんので、あしからず。 まあ、そうは言ってもやっぱり色々な具が入っている方がおいしいことは確かなわけですが、みなさんはどんな具が好きですか?私はやっぱりキャベツ、揚げ玉、生イカ、小エビを入れたスタンダードなものが好きですが、一方で、挽き肉、にら、にんにくスライスなどを入れた餃子風やキムチ、あさり、青ネギなどを入れたチヂミ風などのアジアン・テイストなども好んでつくります。そうそうチーズやハム、プチトマトを入れてピザ風にするのも結構いけますよ。特別なテクニックがいるような料理ではないし、○○を入れなければいけないとかいうルールもない自由な食べ物ですから、たまには自宅でいろいろと試してみるのも楽しいですよ。あなただけのおいしいオリジナルレシピができたら、きっと教えてくださいねえ。 |
2005-3-10 先月のうんちく講座はバレンタインデーのお話でしたから、当然、今月はホワイトでーのお話です。 どうせホワイトデーって日本にしかない習慣で、バレンタインデーで味を占めたお菓子会社が柳の下の2匹目のドジョウを狙った日っていう話でしょ。まあそうなんですが、先を急がず読んでみてください。 ご存知のように、3月14日はホワイトデー。バレンタインデーにチョコレートをもらった人がお返しをする日ということになっています。ホワイトデーは10倍返しが常識とか、身に着けられるアクセサリーなどを贈るべきとか、男性にとっては恐ろしい話が、毎年女性誌を賑わしています。それでも、ホワイトデーが完全に日本オリジナルのイベントかと言うと、そうは言い切れないようです。もともと欧米ではバレンタインデーから1ヶ月後に改めて2人の愛情を確認しあうという行事があり、その際に花を贈るという慣習があったようです。それが「フラワーデー」とか「ポピーデー」と呼ばれていたのを日本のメーカーが目ざとく見つけ、日本独特の「お返し」という習慣と結び付けたというわけです。ちなみに、最初にホワイトデーを仕掛けたとされているのは博多の石村萬盛堂というお菓子屋さんで、昭和52年にお返しとしてマシュマロを贈ろうというキャンペーンをしたのが始まりです。そのために、最初はマシュマロデーという名前が付いていました。当然、他のメーカーは黙っていません。チョコレートメーカーはバレンタインデーに続けとばかりにホワイトチョコレートを贈ろうというキャンペーンを張れば、これに負けじと全国飴菓子業協同組合はキャンディーと贈ろうというキャンペーンを行いました。こうした各業界の努力(?)の結果、ホワイトデーは完全に定着し、今や日本だけでなく、中国や韓国などのアジア各国に普及したイベントにまで成長しました。 こうしてバレンタインデーとホワイトデーが定着すると、当然のように3匹目のドジョウを狙う人たちが出てきます。しかしながら、日本の若者もそこまでは付き合ってくれず、4月14日はオレンジデーというようなキャンペーンもあったようですが、ほとんど知られないままに終わっています。 これに対して、日本からバレンタインデーとホワイトデーを輸入した韓国では、ブラックデーというのがブームになっているようです。バレンタインデーとホワイトデーの両日に恋人もいなくて一人寂しく過ごし、さらに一月経っても孤独な人が、暗い気持を吹き飛ばすために同じ境遇の人同士が集まって韓国式のジャージャー麺=チャンジョンミョンを食べようというものです。黒い服を着て、黒い肉味噌が載っている麺を食べるということですが、いかにもユーモアたっぷりでいいですよね。韓国の人たちは日本の若者たちよりも仲間同士でワイワイやるのが大好きですから、本当に恋人がいるかどうかに関係なく4月14日を楽しんでいるのだと思います。韓流ブームに沸く日本ですが、このブラックデーも輸入されるのかどうか、興味深いところです。 |
2005-2-11 毎年この時期になると、デパートの地下食料品売り場ではチョコレートコーナーが特設されます。言わずと知れたバレンタインデー向けです。ムーミンパパにはほとんど縁のない(というか、義理チョコしか縁がない)日ではありますが、このバレンタインデーは蘊蓄の宝庫です。まずは基本のバレンタインデーの起源から紹介してみましょう。 バレンタインデーは恋人たちが贈り物やカードを交換しあう日として14世紀頃からヨーロッパで始まった風習だと言われています。バレンタインデーという名前は聖バレンティヌスというローマ時代の司祭の名前からきているのですが、この聖バレンティヌスは結婚を禁じられている兵士たちの結婚式を行ったり、愛の力で盲目の娘の目を見えるようにしたりしたのだが、最後には権力者により処刑された人物です。こうしたエピソードから聖バレンティヌスは愛の守護神とみなされるようになり、この聖バレンティヌスの祝日とヨーロッパ各地で行われていた春を迎える行事などが結びついたものだという説が最も有力です。それが第一次世界大戦後にアメリカで急速に普及し、それが日本にも広がりました。もともと恋人たちの日ですから、男性が女性に贈り物をしてもいいし、ましてやチョコレートでなければいけないということもありません。これはもう皆さんもよく知っていますよね。それでは、なぜ日本ではチョコレートを贈るようになったのかということですが、その由来を辿るとかなり昔に遡ります。日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは、昭和11年のモロゾフです。この時は、特にチョコレートを贈ろうという内容ではなかったようですが、日本におけるバレンタインデーの歴史がお菓子メーカーから始まったのは何か因縁めいています。その後、太平洋戦争をはさんでしばらくはバレンタインデーどころではなかったのですが、昭和33年にメリーがチョコレートを贈ろうというキャンペーンを新宿伊勢丹デパートで開始し、その後メリーと森永製菓が毎年バレンタインデーに広告を出すようになりました。当初はまったく売れなくて苦労したようですが、昭和50年代に入って「好きな男の子にチョコレートをあげて告白しよう。」というコンセプトが女子中学生や高校生に広まり、一種のブームになります。いわゆる「本命チョコ」しかなかったわけですが、そこから「義理チョコ」、「ホワイトデー」と次々に仕掛けが成功し、今のような状態になったのです。 さて、バレンタインデーの主役であるチョコレートですが、こちらの歴史はココアから始まります。ココアのことをチョコレートを溶かした飲み物だと思っている人もいるようですが、これは逆で、ココアを固めてできたのがチョコレートです。ココアの原料となるカカオ豆を栽培したのはユカタン半島付近で栄えたマヤ文明だと言われています。その後、アステカ文明に至るまでこの地域ではココアは王侯・貴族しか飲むことができない貴重なものとして扱われていました。当時は、今とは異なり薬として飲まれていたようで、唐辛子やとうもろこしの粉などと一緒に水に溶かしていたし、カカオに含まれる油脂分はそのままだったので、今のココアとはまったく違うものだったようです。その後、この地域をスペインが占領し、植民地としてから、ヨーロッパにもココアが伝わりました。これが16世紀当初、いわゆる大航海時代の頃です。ヨーロッパでも当初は精力剤として飲まれていたようですが、飲みやすくするために砂糖やバニラを加えるなどの工夫がなされます。こうした時代が約300年続きますが、ついに19世紀、今も有名なオランダのヴァン・ホーテン社がカカオの油脂を取り除き、ココアパウダーとココアバターを作るという画期的な製法を発明します。この製法によりつくられたカカオの粉を原料にして、型に流してチョコレートを固める技術が開発され、初めて我々が今食べているようなチョコレートができあがったのです。古代マヤ文明から起算すると、飲むチョコレートから食べるチョコレートまで、実に2000年以上の時間が必要だったことになります。 バレンタインデーとチョコレート。その結びつきはお菓子メーカーの販売戦略だったわけですが、どちらも古い歴史をもっています。それがいつの間にか東アジアの島国で結びつくなんて、歴史の偶然ってちょっと楽しいと思いませんか? |
2005-2-6 気まぐれ日記」に大阪行ってきたという話を書いたところ、クロちゃんから「何を食べたのですか?」という質問があり、日記に書き始めたのですが、書いているうちに分量が多くなり、内容もだんだん蘊蓄が多くなってきてしまったので、こちらに移行することにしました。そんなわけで、いつものうんちく講座とはちょっと趣が違いますが、よろしくお願いします。 さて、今回ムーミンパパがJR大阪駅に降り立ってまず向かったのは、阪神百貨店地下1階のスナックパークです。大阪在住の方ならこれだけでピンとくる人も多いと思います。そう、「いか焼き」を食べるためです。東京で「いか焼き」と言えば、まず全員が「いかの丸焼き」を頭に思い浮かべると思いますが、この「いか焼き」はたこ焼きと違って、東京ではまず食べることができません。だからムーミンパパは、大阪にいった時には必ずいか焼きを食べることにしています。分からない人のためにちょっと説明しておくと、溶いた小麦粉の中にイカを入れて、熱い鉄板で上下から挟んで焼いた薄いお好み焼きだと思っていただければ結構です。見た目はちょっとクレープみたいになります。 ともあれ、「阪神名物 いか焼き」のカウンターはいつもより空いていましたが、それでも5〜6人が並んでいました。私はおとなしくおばちゃんの列の後ろにつきました。いか焼きは1枚10秒そこそこで焼きあがるので、行列の回転は結構速いのです。自分の順番が来ると、さも「通」のような顔をして「デラ2枚。店内で。」と売り子のお姉ちゃんに注文します。デラというのはデラックスの略ですが、デラックスと言っても玉子入りというだけです。なんだかそれだけでデラックスなんてネーミングしてしまうところが大阪っぽいですよね。商品を受け取ってカウンターの空いているところで食べ終わるまで、合計で10分ほどしかかかりませんし、デラックスって言ったって1枚170円という安いものですから、みなさんも大阪に行ったときには是非寄って味わってみてください。 まずは粉もんを制した私が次に食べたのは、串かつです。大阪では串かつやさんと言っても、肉以外にもえび、たこなどの魚介類や椎茸、グリーンアスパラガスなどの野菜類など、いろいろなものを串にさしてフライにしてくれるので、串揚げやさんと言った方が分かりやすいと思います。大阪では市内の至る所に串かつやさんがありますが、今回は通天閣で有名な新世界の商店街「ジャンジャン横丁」にある有名店「八重勝」に行ってきました。この「ジャンジャン横丁」というのは、幅3メートルほどしかないアーケードなのですが、両側にぎっしりと串かつやホルモンのお店、将棋道場や碁会所などが並んでおり、野球帽かぶったおっちゃんたちが当然のように平日の昼間から酒を飲んでいます。東京ではちょっと見られないディープな大阪を感じられる街です。雰囲気が分からない方は漫画の「じゃりん子チエ」を読んでみてください。今にもチエちゃんが裏から飛び出してきそうな横丁なのです。 話を串かつに戻しましょう。この店もそうですが、大阪の串かつやさんは大概テーブルの上に一口大にちぎったキャベツが山盛りにしてあり、無料で食べ放題になっています。これに対して、串かつにかけるソースは、普通の食堂のように瓶などに入っているものをかける店とテーブルの上にある四角いステンレスの箱状のものにソースがたっぷり入っていて、その中に串を浸して食べる店があります。八重勝は後者ですが、このソースは食べている途中で味が足りないからといって串を2回浸してはいけません。八重勝ではわざわざ壁に「2度づけ禁止」という張り紙がしてあります。東京のマスコミ関係者などはこれを面白がって「この店では『2度づけ禁止』がルール」と雑誌などで紹介しているのをよく見ますが、普通に考えてみればこの方式だとソースはお客さんが共用しているのですから、一度口をつけたものを入れないのはいわば常識でしかありません。東京の人は「大阪には東京にはない独特のルールがある。」という先入観がどうも強過ぎるようです。実際、こういう形式でソースを出す店は例外なく2度付け禁止です。もちろん私もルールを守り、街の雰囲気を壊さないように昼間からビール(これも生ビールはいけない。やっぱり瓶ビールじゃなくちゃ。)と串かつを楽しんだのでした。東京にも大阪から来た串かつの店が何店かありますが、どこも上品過ぎていけません。やっぱり串かつは庶民のたべもんでっせ。 ということで、今回はここまでにします。大阪の人から見れば「何をまあ分かりきったことを長いこと書いて・・」と思われるでしょうけれど、ご容赦くださいませ。 |
2005-1-23 干支の話を読んだ人から「ネコ以外はどこの国でも同じなの?」と聞かれたので、ちょっとおまけをアップします。私の知る限りでは、猿が山羊になっているのと猪が豚になっている国があるようです。その他にも牛が水牛だったり微妙に違うのもあります。それでも亥年生まれの女性に豚年ですかなんて言わないでくださいね^^;。 |
2005-1-2 いつまで経ってもサンタクロースの話でもないので、ここは正月らしく干支(えと)のお話をアップします。最近は、年賀状のデザインを考えるときくらいにしか思い出さない干支ですが、昔はかなり身近なものでした。例えば、西暦672年に大海人皇子と大友皇子が天智天皇の後継者の座を争った内戦を「壬申の乱」と呼びますが、この「壬申」が干支ですし、そこまで古くなくても阪神タイガースの本拠地は1924年=甲子の年に完成したところから「甲子園」と命名されています。このように、年号を示すときに干支を使うのはかなり最近まで一般的だったのです。 それでは、ここで基本をおさらいしてみましょう。我々は日常会話の中で「干支はなに?」と聞かれると、「酉年」だとか「亥年」とか答えていますが、これでは十二支を答えているに過ぎません。干支というのは、十干十二支を縮めた言葉ですから、乙酉とか戊亥と答えるかいうのが正解になります。十干は太陽の運行に合わせた甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の呼称で、十二支は木星の運行に合わせた子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12の呼称のことで、干支はこの十干を十二支の組み合わせになるので、全部で60通りになります。十干十二支というのは、古代中国の王朝殷の時代に成立したらしいので、その由来を話すとどうしてもこんな堅苦しくなってしまいます。 そこでちょっと軟らかく、十二支の成り立ちに関する民話です。 大昔、神様が動物を集めてこう言いました。「今度の元日に私の家に早く来たものから順番に12番目までの動物の名前をこれからその年の名前とすることにしよう。」動物達はそれぞれ自分の名前を付けてもらおうと張り切りましたが、なぜか猫だけはいつ競争をするのかを忘れてしまいました。困った猫がネズミに聞きに行ったところ、ネズミは2日にやるんだよと教えてくれました。そして元日。神様の家の前に一着でたどりついたのは牛でした。ところが、家の中に入る寸前、牛の毛の中に隠れていたネズミがぴょんと飛び出して家の中に入ったのです。びっくりした牛は口をあんぐりと開けました。牛はそれ以来よだれをたらすようになったのです。ともあれ、約束どおり年の名前はまず子年から始まることになりました。さて、翌日2日、神様の家を訪れた猫はネズミにだまされたことが分かりました。そして今でもネズミを追いかけているということです。 これは有名な民話で、日本だけでなく中国などでもよく知られているお話のようです。 さて、ここまで読んでいただいた方で私と同年代以上の人から「なんだ常識ばかりで蘊蓄じゃないじゃないか」と苦情が出るといけないので、ちょっとそれらしいのを・・。 さっきの民話の中ではネコが入っていないという話になっていますが、十二支というのはアジア圏では広く使われていて、国よってちょっと違うバージョンもあるのです。日・中・韓は同じなのですが、タイやベトナムではウサギの代わりにちゃんとネコが入っています。さすがにシャム猫の原産地だけありますね。 |
2005-12-21 もうすぐクリスマスですね。子供達にとっては、クリスマスプレゼントにお年玉と続く、とっても楽しい季節の到来です。本当は親がサンタクロースだったって知ったのはいつだったのか、どうして知ったのかも、もう覚えていないけれど、クリスマスっていくつになってもどこかわくわくしてしまうイベントです。 サンタクロースはキリスト教会の司教を務めたセント・ニコラス(聖ニコラス)が、子供たちに大変親切で、貧しい人々をよく助けた人物であったのが、ヨーロッパ各地方の伝説や昔話などと融合し、名前もゲルマン風になまっていって、子供たちの守護聖人サンタクロースになったというのが、定説になっています。もっともセント・ニコラスがサンタクロースになるまでは大変な時間がかかっている上にさまざまな要因が複雑にからまっており、それだけで大部の学術論文になるようです。 それに比べると、サンタクロースが真っ赤な帽子と服を着た太っちょのおじさんという姿になったのは、割りとはっきりしています。19世紀始めにアメリカの詩人がクリスマス・イブを題材にした詩の中でサンタクロースを丸顔で太っちょの爺さんと表現したのが定着し、20世紀になってからそのイメージをもとにコカ・コーラの雑誌広告の中で描かれたサンタクロースがコカ・コーラのイメージカラーである赤い服を着ていたことから始まって、ついに世界中でサンタクロースのイメージが今のように統一されることになったのです。今となってみれば、ペプシコーラの広告でなくてよかったですね(笑)。 子供の頃は、我が家には煙突がないのにどうやって家に入ってくるんだろうと悩んだり、今年こそはサンタがプレゼントを持ってくるまで起きているぞと決意して、親を困らせたことはなかったですか?そんな子供たちのために、アメリカでは政府機関がサンタクロースの現在位置を教えてくれるサービスを毎年実施しています。その機関はNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)。れっきとした軍の機関です。それではなぜNORADがそんなことをしているのでしょうか。話はちょうど50年前に遡ります。NORADの全身であるCONAD(中央防衛航空空軍基地)の司令長官シャウプ大佐にとある子供から電話がかかってきました。「サンタさんは今どこにいるの?」これは当CONADのあったコロラドスプリングスにある商店がクリスマスセールの一つとしてサンタさんと電話でお話ができるというサービスを始めたのですが、その宣伝チラシに掲載した電話番号が間違っており、あろうことか司令長官へのホットラインだったことから起きてしまった間違い電話だったのです。しかし、その電話を受けたシャウプ大佐は偉かった。間違い電話だと言ってきることをせず、レーダーで調べてみるとサンタクロースが北極から南に向かって飛んでいった形跡があると子供に最新情報を提供したのです。それ以来、これがCONADの伝統となり、組織がNORADに変わっても引き継がれ、偵察機やレーダーを駆使してサンタクロースを追跡して、子供たちからの問い合わせに職員が答えてきたのでした。数年前からはインターネットで画像の配信も始まっており、私も毎年楽しく見ています。年によって少しずつサイトは変化しているのですが、クリスマス前に見ると「サンタクロースはただ今プレゼントの準備中」という画像がでたり、本番のクリスマス・イブにはアメリカ上空を飛ぶおなじみのトナカイとサンタクロースの動画に「サンタクロースは現在シカゴ上空に向けて移動中。その方面の子供は早く寝てください。」というようなコメントがついていたりしています。こういうことは大真面目にやるからこそ楽しいのであって、アメリカ国民のこの種のしゃれっ気には本当に感心させられます。今年もすでにサイトは設置されています。よかったら見てみませんか。アドレスはhttp://www.noradsanta.orgです。(別に宣伝じゃありませんよ。) |
2005-12-9 忘年会の季節もそろそろ本番になってきましたね。今年は暖冬なので、ちょっと年末気分が出ませんが、それでもお酒を飲む機会が増えてきたのではないでしょうか。そこで今回は、お酒についてのウンチクを書いていこうと思います。でもまあ、お酒そのものに関する話題はかなり膨大になりますし、詳しい人も結構多いですよね。ここに書ける程度のお酒の知識で真正面からウンチクを述べても、なかなか勝負になりません。それに「日本酒は純米じゃなくちゃだめだよ。」って言っている上司に、「いやあ、醸造アルコールを添加してある方が、キレのある味になるんですよね。」なんて言ったら、喧嘩になっちゃいますしね。そこで、今日はちょっとひねったお酒にまつわるお話にします。 ここまで読んで、私は体質的にお酒が飲めないんですよという人がいると思います。普通、体内に入ったアルコールは3割が胃で、残り7割が小腸で吸収され、血液に入ります。それが肝臓でまずアセトアルデヒドという物質に分解され、それが酢酸に分解され、最終的には炭酸と水になって排泄されるという仕組みで処理されます。お酒に弱い人と言うのはこのプロセスのうちアセトアルデヒドを分解する酵素が弱いか、作れない体質の人なのです。お酒は鍛えれば飲めるようになるというような話をよく聞きますが、日本人のほぼ半数はこの酵素が欠けていたりするので、どんなに鍛えても強くはなりません。これは遺伝的なものなのです。面白いことに、この酵素を作るDNAが欠落しているのは東洋人だけです。今では、突然変異でDNAが欠落してしまった人物がひとり古代中国で生まれ、その人のDNAが広まったものであり、そのために東洋人にしかそういう人がいないということまで研究で分かっています。つまり、お酒に弱い人というのは、ずっと遡ってみれば、みんな中国に祖先を持つ親戚ということなんですよ。 さて、ちょっと飲みすぎちゃったなという時、最近では水ではなくてスポーツドリンクを飲まれる方も多いと思います。しかし、これは要注意です。二日酔いの朝や宴会後しばらくしてスポーツドリンクを飲むのはいいのですが、まだ胃の中にアルコールが残っている状態でスポーツドリンクを飲むと、アルコールがスポーツドリンクに溶けてしまいます。ご存知のように、スポーツドリンクは体に早く吸収されるように作られている飲み物ですから、より早いスピードで一緒にアルコールまで吸収してしまうことになるのです。普通に、お水をたくさん飲んで対応しましょうね。 最後は、宴会でのコツを一つ。宴会と言えば、お座敷に燗酒。お銚子を持ったおじさんがお猪口にお酒を注いで回って、さあ一杯、じゃあご返盃。そんな場面をよく見ますよね。気が付くと飲みすぎちゃって、大変なことになっているってありませんか?お猪口で飲んでいるとどれだけの量を飲んだのか分かりにくいし、注がれてしまうとどうしても飲んでしまうので、ついつい飲みすぎちゃうものです。これを防ぐいい方法が一つあります。コップ酒にしちゃうことです。「え〜!」という声が聞こえてきそうですが、これは結構効果があります。なぜならコップ酒で飲んでいる人にはお酒を注ぎづらいからです。お銚子を持ったおじさんが寄ってきたら、にっこり笑って「私はもうこっちでやっているんですよ。」とコップ酒を見せてください。相手がひるんだ隙に「お注ぎしましょう。」と言って、相手のお銚子を奪い取り、注いであげるのです。これを繰り返していけば、コップ酒にはちょっと口をつけただけでも、周囲にはかなり飲んでいるように見せることができます。ただし、コップ酒を一気飲みさせるような凶暴なメンバーがいる時は逆効果となるので気をつけてください。 ともあれ、肝臓は沈黙の臓器と言われるくらい、最後の最後まで悲鳴をあげません。飲みすぎには十分注意して楽しく年末を過ごしてください。 |
2004-11-27 「ソース」という言葉を聞けば、大抵の日本人はトマトソースやペシャメルソースといった本来の意味のソースではなく、ウスターソースやとんかつソースを思い出すことでしょう。一般的な食堂なら大概テーブルの上に置いてありますし、きっとみなさんの家庭にも1〜2種類は常備してあることでしょう。日本人は明治時代になって洋食が入ってきたときに、「そうかあ、西洋人は醤油じゃなくて、こういうものをかけて食べるのか。」と思い込み、いわば「西洋醤油」といった感覚で使い始めたのがそのまま日本中に習慣として広まったのではないかと想像しています。ともあれ、日本でソースと言えば「ウスターソース」であり、中濃ソースやとんかつソースはその発展形ともいうべきものです。 そのウスターソースですが、イングランド中央部にあるウスターシャ地方ウスター市で作られたところからウスターソースと呼ばれています。ウスターソースの始まりについては2つの説があり、一つは、この地方のしっかり者の主婦が台所で余った野菜や果実の切れ端を壷に入れておき、さらにそれが腐らないように胡椒などのスパイスと塩や酢を加えておいたら、熟成してソースができあがったというもので、もう一つは19世紀中頃、イギリスの統治下にあったインドのベンガル州総督が帰国する際にソースのレシピを持ち帰り、それをさらに研究してウスター市で製造を始めたものだという説です。どちらももっともらしいのですが、後者は現在もウスターソースを製造している地元企業の主張であることを考えると、もともと家庭料理として作られていたソースをインドから持ち帰ったレシピなどを参考に工業化するようになったというのが本当のところでしょう。 「No.4 大阪と東京」の続きみたいになりますが、ソースについても関東と関西ではメーカーごとの売り上げが大きく異なっており、関東地区ではブルドックソース、関西地区ではイカリソース、あるいはカゴメソースが大きなシェアを占めています。更に細かく言えば、神戸ではオリバーソース、広島ではおたふくソースといった地元メーカーが強さを発揮しているようです。味については、そばつゆのように色が濃いとか薄いとか、塩味が違うとかいったはっきりした違いはありません。それなのに、どうして地域別にシェアが大きく異なるのかというと、人間はソースのような濃い味のものについては、はっきりと味覚を記憶するので、子どもの頃に食べた味をおいしいと思う傾向が強く、なかなか銘柄を変えないことからなんです。いわば「おふくろの味」になってしまうために、親子代々ソースの銘柄は変わらなくなり、地域別のメーカーによるシェアはなかなか変動しないということです。これはカレーなんかでも同じで、家庭で使うカレー・ルーはなかなかメーカーを変えてもらえないようです。「私はそんなことない。作るたびに違う製品を使っているよ。」という人でも、よくよく見てみるとブランドは変えていたけど、実はどれもハウス食品やS&Bの製品だったいうように同一メーカーだったりすることも結構あるようです。 最後にソースの買い方です。ソースはもともと塩分濃度が高い上に酢を大量に使っているために、保存性が高く、未開封であれば2〜3年は持ちます。また、製造後すぐのものより、2〜3ヶ月たったものの方がビンやパックの中で熟成が進んで、おいしくなると言われています。スーパーで買うときは新しいものを選ぶ必要はありません。できれば、今使っているソースがなくなりそうな日の2〜3ヶ月前に買い置きをしておきましょう。「嫁とソースは季節が変われば味が増す」って言うじゃないですか(笑)。 |
2004-11-6 レッズ観戦記や気まぐれ日記をご覧になったみなさんはご存知のように、先日大阪までサッカーの試合を見に行ってきました。サッカーだけでなく、少なくとも年に1回は甲子園に阪神タイガースを見に行く私にとって、大阪はとっても身近な街です。そんなわけで、東京の仲間と大阪に行くと、この情報化時代にもかかわらず、彼らが割りと大阪の基本的な風俗を知らないのに驚きます。今回のウンチクは、東京と奈良のハーフであるムーミンパパが感じた「東京と大阪 こんなとこが違う」旅日記です。 新幹線に乗り新大阪駅に着くとまず目に付くのが、エスカレーターの混乱です。最近は急ぐ人のためにエスカレーターの片側を空けて乗るのがマナーになっていますが、東京では自分の右側の列を空けるのに対して、大阪では左側の列を空けます。このため、新大阪駅では東京から来た乗客と大阪に帰ってきた乗客の間で文明の衝突が起き、左右互い違いに乗るという最も非効率な現象が起きてしまうのです。私はこれを見るたびに「ああ、関西に来たんだなあ。」と実感します。 ともあれ、在来線に乗り換え、JR大阪駅に到着。お腹もすいたので、ちょっと立ち食いそばでも食べてみましょう。 駅のスタンドにある看板をよく見てください。「うどん そば」と書いてあります。東京なら間違いなく「そば うどん」の順番で書いてあるはずです。店によっては、わざわざ「うどんあります。」と貼り紙がしてあるところもあるくらいです。まあ、大阪ではうどんの方がメジャーであるとか、うす口醤油をつかうので出汁の色が東京とは違って、澄んでいるということは割りと知られてます。おなじみのカップうどんやそばも、大手メーカーでは出汁を地域に合わせてちゃんと変えています。カップをよく見ると成分表示の隣に小さくEとかWとか書いてある製品があります。これは関東(East)販売用と関西(West)販売用の表示ですから、スーパーで見かけたら探してみてください。 さて、自動販売機で食券を買い、きつねうどんを食べようとすると、青い葱が上にのっています。その時は、なんとなく葱の青いところに当たったのかなあくらいにしか思わないのですが、この後食事をするたびに目にする葱は全部青いことに気が付くでしょう。そうです。東京では葱は白いところを使うのに対し、大阪では青いところを使うんです。訳知り顔の東京人はこう言います。「九条葱って青いんだよね。」違います。関東と関西ではもともと葱の作り方が違い、普通の葱も青い部分が多いのです。大体、立ち食いうどん屋で九条葱なんか使っていたら採算がとれません。 お腹が一杯になったら、長居スタジアムに行きましょう。ガイドブックを見ると、梅田駅から地下鉄御堂筋線で長居まで約20分と書いてあります。それじゃあ、JR大阪駅から梅田駅まではどう行けばいいんだろう??? 別に迷うことはありません。地下に降りていけばいいんです。なぜか大阪には大阪駅は一つしかありません。もう少し丁寧に言うと、JR大阪駅で乗り換ることができる市営地下鉄も阪神電車も阪急電車もみ〜んな梅田駅という名前になっています。JR東京駅で乗り換えられる地下鉄丸の内線が東京駅なのに比べて、この堂々たる反骨精神、あるいは自立心に思わず頭が下がります。本当のところはどういう理由かはよく分かりませんが、「なんで国鉄の駅と同じ名前にせなあかんねや。おんなじにしたら、お上がなんぼかくれんのんか。」という大阪を支えてきた町民文化の誇りが見えるようで、私はこの不統一なネーミングが好きです。 とまあ、書き始めるとたくさんあるのですが、今回はここまでにします。大阪在住、あるいは関西方面の方、どうですか?間違っているところや、もっと面白い違いがあるよお、というのがあったら、ぜひムーミン谷集会所の方にご報告ください。よろしくお願いします。 |
2004-10-23 今年は台風の当たり年で観測史上最高となる1シーズン10個の台風が日本に上陸しました。これまでの最高が6個だったので、まさに記録破りと言っていいでしょう。その10個目が台風23号なんですが、この台風は国際的にはTOKAGE(トカゲ)という名称がついていたって知っていましたか? そもそも台風の呼称には番号をつけるやり方と名前をつけるやり方の2種類があります。ご存知のように日本では番号方式を採用しており、毎年発生順に1号からナンバリングしています。正確には、西暦の下2桁を付けて4桁の番号がふられており、例えば、台風23号なら「台風0423号」ということになります。これに対し外国では命名方式を採用している方が多いようです。例えば、アメリカではその年のハリケーン第1号には頭文字がAの名前を付け、順番にB、C・・・と名前を付けていきます。かつては、女性の名前を付けていたのですが、それは女性差別だということで男女交互に名前をつけているようです。日本でも戦後まもなくは進駐軍(在日米軍)の影響が強かったためか、大きな被害をもたらした台風としてキャサリン台風やジェーン台風といった名前がよく知られています。 ちょっと脱線しましたが、アジア名の方は平成12年(2000年)から始まりました。アジア・太平洋14か国が加盟する台風委員会があらかじめ台風の名前リストをつくり、台風の発生順にリストのNo.1から命名をすることになってます。記念すべき第一号はDamrey(ダムレイ:カンボジアで「象」を意味する。)で、今回のTokage(トカゲ:日本語ですよ(^^))はNo.117になります。このリストは各国がそれぞれ動植物や自然現象に関係した名前を10個ずつ提出して作成されたもので、合計140個の名前が登録されています。No.140 のSaola(サオラ:ベトナムの動物の名前)まで付けてしまうと、最初のDamreyに戻ることになります。北西太平洋地域で発生する台風は平均26.7個らしいので、概ね5年で台風の名前が一巡する計算になります。 ちなみに、日本が提出した名前はすべて星座に由来するものでTembin(No.5)、Yagi(No.19)、Usagi(No.33)、Kajiki(No.47)、Kammuri(No.61)、Kujira(No.75)、Koppu(NO.89)、Kompus(No.103)、Tokage(No.117)、Washi(No.131)の10個です。 てんびん座やわし座はともかくとしてもコップ座っていうのがあるとは知りませんでしたよ。コップの中の嵐っていうことなのかなあ? みなさんは番号と名前どっちがいいと思いますか? |
2004-10-16 この「うんちく講座」ですが、これまではとある中国からの留学生に頼まれて、彼女のサイトの中でページを運営していたんです。そのサイトが休眠状態になったのが、このサイトを運営するようになったきっかけです。その旧ページで最初にアップした話をここに再掲します。 「3たて」っていう言葉を知っていますか?テレビのグルメ番組や旅番組なんか(やっぱりテレビ東京ですかね(^.^))を見ていると、聞くことがあるかもしれません。これはおいしい蕎麦の条件として、最近よく使われる言葉で「挽きたて・打ちたて・茹でたて」の語尾からとったものです。なんとなく「そうかあ。それはおいしそうだなあ。」って思う言葉でしょ?でもこの言葉、そば職人の間ではまったく支持されない言葉なんです。まず、「挽きたて」です。そば粉は蕎麦の実を挽いてつくるわけですが、これはまあ粉にしてから1年も2年も経っている粉ならともかくとして、味にはほとんど影響がないんです。次は「打ちたて」。これはまったく逆で、職人の間では「包丁下は煮てはいけない。」という格言があるほどです。そのまま、蕎麦を包丁で切った直後は茹でちゃいけないという意味なんですが、蕎麦は打った後少し寝かさないと茹であがりにムラができておいしくないからなんだそうです。そして、最後の「茹でたて」。これは実際にもりそばを食べてみれば分かりますが、茹でたての蕎麦はどうしても水が切れていないので、食べやすいのですが、逆に水っぽくなってしまうんです。通は蕎麦をつまみに酒を飲むって言われますが、これは酒を飲む間にちょうど水が切れるという意味でも理にかなった蕎麦の食べ方なんですね。 どうですか、今度蕎麦屋に行ったときには「やっぱり蕎麦は3たてに限るな。」なんて言うオヤジがいたら、やり込めてみませんか?あれこれ言われても蕎麦屋の店主が味方になってくれますよ。ただ、人間関係が壊れる可能性は高いでしょうけどね(笑)。 |
2004-10-10 このサイトがムーミン関連だと思って入ってきた人も多いでしょうね。ごめんなさい。もともとは私が他のサイトで使っていたハンドルネームをそのままタイトルにしただけなんです。 それでも子供の頃からムーミンは大好きでした。フィンランドの女性作家トーベ・ヤンソンが書いた大人のための童話とも思えるムーミンが、カルピス劇場という番組でアニメ化されたのを見てすっかりはまり、中学生の時に原作(もちろん日本語訳)を読んで、アニメとの違いにびっくり。それ以来のムーミン・ファンです。 これだけでは、ただの自己紹介で何のうんちくにもならないので、ちょっとお話を。ムーミンはこれまで2回TVアニメ化されているので、若い人たちは新しいシリーズを思い浮かべると思います。さて、ここで質問です。ムーミンのガールフレンドの名前はなんですか? 「フローレン!」と答えたあなた。正解です。でも、きっと周囲のおじさんやおばさんからは「違うよ。ノンノンだよ。」という声が聞こえてくるはずです。それも正解です。私達が子供の頃に見た最初のシリーズではノンノンという名前だったんですよ。 それでは、どうして2つのシリーズで名前が違うのでしょうか。それは原作に原因があります。ムーミンは童話やコミックとしてたくさんのお話が出版されていますが、その中にはノンノンもフローレンも出てきません。ただ、「スノークのお嬢さん」というキャラクターが出てくるだけなんです。そう、原作でもやっぱりムーミンの彼女はいるんですが、名前をつけてもらえなかったんですね。さすがにテレビアニメでは名前がないとやりにくいために、仕方なく命名されたという訳なんです。2つのシリーズどうして名前が違うのかは、はっきりしませんが、多分脚本の著作権上の問題が整理できなかったのではないでしょうか。 もしも第3シリーズが製作されるとしたら、あなたはどんな名前をつけてみたいですか? |