はじめに
私は、もともと技術系であり、あまり「気」などは信じる方ではありませんでした。
しかし、実際に練習を重ねていくうちに自分の身体の変化に気付き、信じざるを得なくなってしまいました。
ここでは、私が気功を練習していく過程で、最初は何も感じなかったり見えなかったものが、どの様に感じるようになり、見えるようになって来たかを書いてみました。
人それぞれで感じ方が異なり、違う感じ方の人も多いと思います。
早く何かを感じる人、遅い人と、色々おられます。
私も、どちらかというと、感じ方が鈍く、遅い方でした。
しかし、練習を重ねれば、「誰でもいつかは必ず何か(気を)を感じるようになれる」、と実感しました。
気功を始めた理由
男の更年期みたいなものでしょうか、始まりは突然起きた不整脈で、電車の中でパニックとなり、救急車で病院に運ばれて以来、体中の倦怠感と、胸の中に渦をまいている気持悪い感覚に悩まされ続けていました。
食欲は無くなり、電車に乗るのが辛く、会社でもふっと窓から飛び降りそうになったりしました。
そんなとき、新聞の記事で気功のことを知り、インターネットで「中国禅密気功」に出合い、とにかくやってみようと集中コースに参加してみたところ、数日で体調に変化が起こり、これは続けなければと思って、今日まで来ました。
最初は、動作を中心にした体の改善と思っていましたが、今は、心と言うか気持を中心にした健康維持に努めています。
その点で、禅密気功は、「心」と「身体」の両方のバランスが良く取れており、大変良い功法にめぐり合えたと思っています。
初期の頃
初めて築基功を習ったとき、「気のボールを見て」、「気のボールを手で持って上にあげて」、などと言われても何が何だか分かりませんでした。
2日間の集中コースの最後に、参加された他の方々のお話では、気のボールや紫の光が見えたとか、眩しい程の光が見えたとかのお話を聞き、うらやましい限りでした。
でも、分からないながらも、練習を続けていると、それまで何ヶ月も続いていた体調不良が少しずつ良くなっていくのを実感して「これは、やはり何かある!」と思いました。
気の感じ、これが気?
顔の前を何か通った?
何回か築基功を練習しているとき、頭上で合わせた手を下げてきて、顔の前を通るときに、何かほの温かいものと涼しいものが顔を通り過ぎて行きました。 これが気?
手の先から白いものが出ている?
薄暗いところで、両手を少し離して、両手の指が向かい合うようにして、ボーと眺めていると、ウン?、見える見える何か白いボーとしたものが、 これが気?
ウーン、流れているのかな?
胸背勢をやっていました。(胸の前で両手を10センチ位離して、手の平が見えるようにする、次に、左手の平に意識を集中して、それを右手の平に移し、右腕を通して、体を通して、左腕から、左手の平に戻る。 これを繰り返えす。)
グルグル何回も廻していると、だんだん何かが流れている感じがして来ました。 これも気かな?
おっ!感じる!
陰陽合気法(天地部)での昇降法では、地下から涼しい気を取り上げ、左半身を通して天上に上げます。
次に天上から暖かい気を下ろして、右半身を通して地下に流します。 次に、この逆を行い、これを何回か繰り返します。
おっ!感じる。半身が涼しくなったり、暖かくなったりする!
手がしびれる!
築基功をした後、手の平を見つめるように言われ、じっと自分の手の平を見つめていました。
おおっ、手がしびれて来た! これも気の感じ?
体が熱くなる!
背骨が暖かくなってきた!
気功を始めてから、2〜3ヶ月、毎日の築基功の練習のあと、背骨の中を内視する練習をしていました。 意識を集中して上下に動かしていたら、何となく暖かいものが背骨に流れる。あれっ!、これが内なる気?
やり過ぎた!
背骨が暖かくなるコツが、だんだんと分かってきたら楽しくなって、寝る前に背骨を動かしながら、気を体中に廻していました。
ところが、体がどんどん暖かくなって、いざ布団に入って眠ろうとしても、火照って眠れず、朝まで殆ど眠れなかったことが何度もありました。 やり過ぎたかな?
でも不思議なことに、いつも翌朝の気分はスッキリ!。 寝不足のはずなのにどうしたのか? 不思議?
意念だけでOK!
最初は、リラックスと微動がキーポイントで、背骨と下腹部が暖かくなるだけでした。
今では、意識をその部分に持っていくだけで、かなりの部分が暖かく出来るようになりました。
光が見えない!、見えた!
私は鈍い?
かなりの期間、私には光がどんなものか分かりませんでした。 先生の「光を見て」の言葉に一生懸命見よう見ようとするのですが、目を閉じてどこを見ても暗闇ばかり。
他の人の「光が見えた!」の言葉に、私も早く光が見えるようになりたい!
早トチリ!
ある日、公園で目を閉じて瞑想していたら、突然あたりがまばゆい黄金の光に包まれました。 「あっ!光が見えた!」と感激して目を開けてみたら、何とビルの隙間から太陽が顔を出しているではありませんか、最初は日陰にいたのですが、太陽が当たってきて「光が見えた」と早トチリしてしまいました。
あまり、光を見ることにこだわって、執着するのは止めよう!
幻覚か光か?
それは、中国旅行で神秘的な黄山で過ごした2日目の夜と、翌日、九華山を登って大変に疲れたあとの夜のことでした。
寝苦しくて眠れず、仕方無く、ベッドの上で起き上がって瞑想を始めました。
最初は山の景色、雨がポツポツと地面に落ちているところ、そして、ぼんやり明るい光が見えて来てそれが線となり自分とつながり、紫色、ピンク、赤の光、緑の光の雲の様に広がり、そしてだんだん黄金の光に包まれているような感じになりました。
そして、その後、目の前にお釈迦様らしい姿がボーと現れて、暫くして消えました。
その夜は殆ど眠れなかったのですが、翌朝は気分がスッキリして深い睡眠を取ったときの様に爽やかでした。
これは一体何だったのだろうと、今でも不思議です。
これって、気の関係?、それとも幻覚?
連日、お寺でお釈迦様を何回も見たこと、高山に登って結構疲れが溜まっていたことから、幻覚だったかも知れません???
こんなものかな?
以前は瞑想しても、すぐに足がしびれたり眠くなったりして、長く続きませんでしたが、最近はかなり続くようになってきました。
そして、身体全体がボーと青白い雲の様な光の様なものに包まれている感じになります。。
まばゆい光は時々しか見ませんが、うす紫色の光の様な、青白い雲のようなものが浮かんだり消えたり、流れたり、遠ざかったり、その雲がだんだん晴れてその奥に濃紺の暗闇が拡がり、また雲が現れたり、宇宙の中に浮かんでいる感じです。
しばらくすると、すー、と気持が静かになります。 光ってこんなものかな?
木の気、岩の気、物の気?
皆、木の前で何してるの?
皆で木の前で両手を広げて、木から気を採っているらしい。 私もやってみましたが、何も感じない。
何で?と聴いたところ、「それは、リラックス出来ていないんじゃない?」とのこと。
アッ!これかあ
毎年、気功教室で「パワーアップ研修旅行」を開催しており、今回は群馬県伊香保で合宿しました。
その時のことです。 榛名神社で、大きな杉の木の前で手を広げてみたところ、何か柔らかく少し温かい様な感じがしました。 隣のKさんに聞いてみると、何と同じ様な感じだと言う。 アッ! これかあ!
この木は涼しい、この岩はかたい、これは気持ち悪い、これは気持ちい良い、・・・皆で比べながら歩きました。
石の気、水晶の気?
旅行先での買い物。 石や水晶が置いてあると、皆で手をかざしては何か感じるか話し合う。強い、弱い、温かい、涼しい、硬い、柔らかい、・・と、あやしくも楽しい会話?
気功の階段
最初は、気とは何だか見当もつかないものでしたが、皆さんの話を聞きながら、段々とこんなものなのかなと自分なりに理解するようになってきました。
普段の練習では、中々進歩する感じがしなくて、気持が焦るときもありましたが、旅行や集中コースに参加すると、大勢の仲間の皆さんの中で、良い気が充満しているのか刺激を受けて何か新しいものを発見出来て、気功の階段を一段上がったように感じることが多いですね。
普段の練習の積み重ねがあってのことでしょうが、焦らずに練習を続けていれば、いつかは「気功の階段」を一歩、また一歩と上がれるものなのですね。
(注)「気功の階段」とは、「気功と健康」の部屋の藤田さんの言葉です。
三密相応で瞑想!
三密相応は、習ったその日の晩から、今まで感じたことの無い程強い色々なものを感じることが出来て自分でも驚いています。
手印に応じて、手に気を感じたり、腹部や胸に気を感じたり、背骨から身体を流れる強い気を感じ、柔らかい光らしきものと暖かい気が身体を包み、長く気持ち良い時間を持つことが出来る様になりました。
三密相応で瞑想のコツを掴むことが出来たお陰で、他の功法でも今までより早く、うまく瞑想に入れるようになりました。
私の瞑想は四禅八定のどこ?
藤田さんの「気功と健康」の部屋から引用させて頂きました。四禅八定は下記のようになっています。
1. 欲界(物質と密接している感情の世界)→本格的な瞑想の準備段階
@ 粗定(粗住):雑念と戦い、意念を安定する。
A 細定(細住):より深く集中する。
B 欲界定(欲界住):安定した後出てくる感情、感触。
C 未到定(未来禅):感覚が薄くなり良い気持になる。
2. 色界(物質から離れた感情の世界、あるいは環境に左右されない微妙な感情)
@ 初禅(因身触而得楽):微妙な感触(奇景八触)が現われ、とても気持ちよくなる。
A 二禅(離身触而得楽):身体の感触によらなくても気持良くなる。
B 三禅(楽+静=嬉):感情が薄くなり、嬉しい気持になる。
C 四禅(嬉+静=清浄な心):清浄で静かな気持になる。
3. 無色界(空と無の世界の段階。無感情の世界。無感情は全て感情の根源。色々な感情がそこから起こり、高まり、具体化し、身体の存在感がなくなる。)
@ 空処定:静かな気持ちも無くなって、無限な空になる。
A 識処定:微妙な意識の流れだけが残されます。
B 無有処定:無限の空間や流れの意識、そして主体と客体もなくなり、空と無の境地に入る。
C 非想非「非想」処定:空と無の感覚もなくなる。(混沌、道、天、神)
これから自分はどうかと見ると、どうも欲界のB〜Cあたりかなと思います。 あるいは良いときで色界の@初禅あたりかな?
欲界は本格的な瞑想の準備段階とあるので、色界からが本格的な瞑想とすると、(・・)、・・・。
先は遠いなあー・・・。
こういうことにこだわること自体良くないことかも。
朱剛先生の声が聞こえてくる、「こだわらないで!」、「執着しないで!」、・・・。
こだわらないで!
「こだわらないで」「執着しないで」、これは朱剛先生からいつも言われる言葉です。
功法を学ぶ上でも、形や順序や光とかにあまりこだわらないで、と言うことと、生活の中の悩みやこだわりを捨てなさいと言うことですが、この言葉が今の私の大きな心の支えになっています。
血液型A型のせいか、些細なことをくよくよ考えることが多かったのですが、最近はできるだけ悩まないようにして、流れにまかせられるようになって来ました。
一番効果のあったのが自分自身の体調ですが、考え方を変えれたことが今の良い状態につながっているのだと思います。
また、気持に余裕が持てるようになってきたことと、自分でも驚くほど前向きに生活が出来るようになってきたことです。
色々ありますが、このホームページを作ってみようと思う気持ちになったのも気功のお陰です。
遠距離出張が楽しい?
以前は、出張で長時間乗り物に乗っているのが苦痛でしたが、気功を始めてからは逆に楽しくなってきました。
「やった!今日もタップリ瞑想ができるぞ!」
となりの乗客が横から変な目で見ていても、知らん振りして。 目を閉じて、背骨を軽く動かして、見えない程に小さく動かして、光を見て・・、宇宙を想像して・・、静かになって・・。
あれっ、もう、到着? (ちょっと誇張してます)
リラックスって何?
気の感覚が良くつかめなかった頃、「それは、リラックスしていないからでしょう」、と良く言われました。
でもどうすれば良いの?、リラックスて何?と思いました。
単に体をダランとして、手をブラブラしても少しも気の感覚が出てこず、どうしたらリラックス出来るのだろうかと悩んでいました。
そんな時に、朱先生の言葉の中にヒントが有りました。
「全身の細胞をゆるめて・・」、「全身の細胞を開いて・・」、と言う言葉です。
これも分かりにくいのですが、これが実感出来ると「リラックス」に繋がっているように思います。
細胞をゆるめると、「体が膨らんでいくような感じ」、「力を入れていても、何も力を感じなくなるような感じ」、「電気が通るような、しびれるような感じ」、「ふわっと暖かい気の様なものが流れたり、包まれるような感じ」、等々色々な感覚が出て来ます。
最初は、意識して細胞をゆるめる努力をしました。
まず密処から始めて、それをだんだん体全体に広げていったり、あるいは、手から始めてみたり、あるいは天頂から始めてみたり、色々やっているうちに、だんだん細胞をゆめるコツが分かってきました。
今ではかなり自由に細胞をゆるめる?ことが出来るようになりました。
リラックスにも2種類あるようで、1つ目は「体のリラックス」で筋肉の緊張をほぐしてゆったりするもの、2つ目は「気を感じるリラックス」です。
私の場合、「気を感じるリラックス」とは、「全身の細胞を開いてゆるめること」、のようです。
最近の瞑想と光の感じ
瞑想に入って気持ちを静かにして暫くすると、紫色や白い雲の様なぼんやりとした光のようなものが現れて来ます。明るい光の点の様なものが現れて消えるときもあります。この後、更に瞑想を続けていくと、コロナ放電しているような感じの光、紫色の水玉が湧き出て来るような感じの光、霧か雨が降って来るような感じの光に変わります。
最初の方のぼんやりした光はどちらかと言うと遠くを漂っていたり、広がったり遠ざかったり、回転したり流れたりしていますが、後半の放電の様な湧き出る様な光は、すぐ目の前に見えて、かなり鮮明で透明感があるような感じがします。
この頃から、あたかも目の前の空間が見えてくるような感じがして、手を顔の前に持ってくると、ボンヤリと手の様なものが見えて、その手の周りから光の粒が流れ出て来る様に見える時もあります。
更に瞑想を続けていると、動いていた光はだんだん無くなり、背後から明るい光で照らされているような、周囲が全体に明るくなった様な感じになります。 このとき、気持ちは、どこか桶の底に落ち着いたような感じで、穏やかになった様な感がします。
最近は、薄紫色の平らなスクリーンが目の前に現れた感じになり、今までとはちょっと異なる感覚の状態になりました。揺らぎが殆ど無くなり、更に気持ちが静かになり、溶けてしまったような感じで、何とも表現しようのない気持ちになります。
尚、瞑想の途中で景色や何かが見える時がありますが、これはどの段階でも出てくるようです。何かが心に引っ掛かっているのでしょうね。ただ、前半の方で見る景色や何かは、どちらかと言うと自分で見ようと思ったり、思い描いているもので有ったり、何か心当たりが付きそうな感じのものが多く、後半の方で見る景色とかは、想像していなかったと言うか、なぜその様なものが見えたのか不思議だなと思うものが多いようです。
普段の瞑想は、夜寝る前に、電灯を消した薄暗い部屋の中で、ベッドの上で座禅を組んでやっています。
光と気持ちは大体下記のような感じです。
段階 | 光の感じ | 気持ち |
1 | 何かが見えるような見えないような 形にならずグチャグチャしています。 |
もやもやして気持ちが落ち着かず 雑念も多く、眠くなることがある 頭の部分に気持ちがある感じです。 |
2 | ぼんやりとした光、紫や白色の雲の様な光 比較的遠方の感じで、流れたり、回転したり 近づいたり遠ざかったりしています。 |
気持ちが落ち着きスーと沈んだ ような、平らになったような感じ、 胴体の部分に気持ちが下りた感じです。 |
3 | 青紫色の放電の様な光、水玉が湧き出る様な光 近くに見えて、かなり鮮明で、透明感がある 立体的な奥行きや空間が感じられます。 |
更に気持ちが下に降りた感じ 気持ちが透明になった感じで、 意識がハッキリしてきます。 |
4 | 全体に明るい光に包まれている、または 後方から明るい光で照らされている感じです。 |
気持ちが穏やかになった感じ、 光に感謝するような感じです。 |
5 | スーッと、薄紫色の平らなスクリーンが、 目の前に現れた感じです。 残っていた揺らぎが殆どなくなります。 |
更に静かな気持ちになったような、 何とも言えない良い心地になります。 |
毎回瞑想しても同じところまで行ける訳ではなく、途中の段階で雑念が入って、もとに戻ってしまうことも度々です。
まだ、気持ちも含めて、この先には到達していませんし、人によって、それぞれ見えるもの、感じるものが違うと思いますので参考になるかどうかは分かりませんが、これが今の私の瞑想の状態です。