「野分」と「秋葉みち」

秋葉(あきは)みち

モノクロームの世界 南信濃村上村下栗静岡県の北遠の地に、江戸時代から大正初期にかけて繁栄を誇った、秋葉寺(しゅうようじ)を中心とした山岳修験の拠点であり、火防の神秋葉信仰の霊地でもある、秋葉山のあることをご存知だろうか?

古の昔からこの霊地秋葉山に参詣するために、各地各国からやってきたおびただしい数の信者たちによってふみかためられた信仰の道は、静岡・愛知・長野三県にまたがり、彼の地から幾筋も幾筋も、この秋葉山へとつながっていた。又、これら秋葉山へとつながる沢山の古道は、同時に人が塩を背負って踏みしめた「塩の道」でもあり、馬や牛が荷車を引いて通った物流の道でもあった。そして、沿線に暮らす人々にとっては生活の道でもあり、他国との文化交流の道でもあった。戦国乱世の時代には、戦略上の道となった時もあったと言う。

これら、秋葉山へと向かう古道を総称して「秋葉みち」と呼ぶ。


「野分」

モノクロームの世界 南信濃村上村下栗伊籐英明先生率いるモノクロ写真の会「野分」に所属して3年になる。同じ「野分」に所属するメンバーの中に、長野県は上村下栗という小さな集落をテーマとして撮り続けていたK氏がいた。このK氏の撮ってきた小さな集落は、まさしく秘境と呼ぶにふさわしく、標高1000メートル、傾斜角度40度の急な山肌の山頂付近に、へばりつくようにして民家が点在していた。目の前には重厚たる南アルプスの山並みが幾重にも幾重にも重なり、眼下の谷間を悠然と雲が流れていた。

私が下栗という小さな集落に魅せられていったのは言うまでもない。しかし、この集落を調べてすぐに、下栗は単に隣県に位置する秘境の村と言うだけでなく、私が生まれ育った静岡県とも密接なかかわりを持った村であることを知った。そのつながりと言うのが、秋葉山信仰にかかわる「秋葉みち」である。


下栗と同じような急峻な斜面にへばりつくようにして生活を営んでいる集落が、静岡の北遠の地には今でも数多く点在していた。また、昭和の始め頃までは、北遠などからは信州の製糸工場で糸を引く女工さん達が、そして、信州からは秋葉参りの道者や茶娘達が、この街道を頻繁に行きかったと言う。沿線で行われる年中行事や祭りには、多くの共通点を見出すことも出来、街道によって結ばれた村々の、歴史や民族・文化・地形・風土などが織り成す不思議の世界に、私は次第に魅せられていった。

モノクロームの世界 春野町新宮池付近しかし、静岡・愛知・長野三県にまたがるこの「秋葉みち」も、時代の移り変わりと共にその使命を終え、草が生い茂り消え去ったもの、あるいは、改良されてコンクリートの道として生まれ変わったものもあり、昔ながらの面影を残している所は僅かである。経済の発展と共に、早く・大量に・利便になるためには致し方ない事だったとしても、何百年もの昔から人々の生活や文化、経済を支えてきたであろうこれら古道が、その姿を変えていってしまうのは、なんとも耐えがたく寂しく感じられた。それと同時に、そこに暮らしている人々の生活も、次第に様変わりしていくのであろう。

歴史的にも、あるいは、民俗学的にも大変貴重であるこの「秋葉みち」沿線を訪ね歩くことにより、変わりつつある昔の姿を、少しでも多く写真に収め、次の世代に残していく事が、写真に携わってきた私の使命でもあるかのように思えてきた。微力ではあるが、時間の許す限り撮り続けて行きたいと思っている。