比企丘陵 御嶽山から大峰山へ 

 小川町近郊の薮山二つ 

2012年1月14日

御嶽山山頂
大峰山山頂
                                                         
小川町駅(825)→松郷峠入り口(855)→慈眼寺(910〜915)→山道入り口(925)→八坂神社分岐(940)→八坂神社(945〜950)→八坂神社奥の院(950)→御嶽山山頂(1000〜1045)→大峰山山頂(1130〜1140)→梅林(1205)→県道23号線(1210)→晴雲酒造(1300〜1305)→小川町駅(1320〜1343)

 
 比企丘陵と呼ばれる山塊の中で、北を槻川、南を都幾川、東を八高線、西を県道273号線で区切られた領域がある。雷電山(418.2メートル)を主峰とする山域である。登山地図を眺めると、雷電山から東に続く山稜上に堂山(250メートル)、愛宕山(160メートル)、北に続く山稜上には行風山(332メートル)、御嶽山(297メートル)、大峰山(293メートル)の山名を見ることができる。ただし、この山域は一切ハイキングの対象にはなっておらず、ハイキング案内など見たことはない。このうち、東に続く山稜は2001年の12月に、強烈な薮漕ぎの末に踏破した。北へ続く山稜が未踏のまま残っている。

 今年の初登りは、この北へ続く山稜にねらいをつけた。ただし、この山稜は一直線とはなっていないため、一度の山行きで踏破することは出来ない。今回は山塊の一番北に位置する御嶽山に取り付き、その東に位置する大峰山まで縦走してみることにする。両山とも標高300メートルに満たない低山ではあるが、登山ルートは皆目わからず、稜線上に踏跡があるや否やも不明である。

 鴻巣駅から東松山駅行きバスに乗り、東武東上線小川町駅に着いたのは8時25分であった。他にハイカーの姿は見られない。武蔵野の小京都と言われる情緒ある街中を抜け、県道11号線を西に向う。空は真っ青に晴れ渡り、今日一日の好天を約束している。

 30分ほど歩き、大河小学校前の「松郷峠入り口」と標示のある信号を左折し、南に向う県道273号線に入る。すぐに槻川を渡る。上流に向って大きく展望が開け、笠山や堂平山などの比企の名峰が朝日に輝いている。歩くに従い、前方に盛り上がる低い山並みが次第に近づく。手持ちの地図をよくチェックして、県道を外れて左の青山集落内の細道に入る。

 今日の第一関門は御嶽山への登頂ルートが首尾よく見つけられるかどうかである。山名からして、おそらく山頂は御嶽教の礼拝地であろうから、山頂に至る登山道はある可能性が高い。二万五千図で御嶽山をチェックすると、8合目辺りに神社記号があり、北麓の青山集落から登山道を表す破線がその神社記号をかすめて山頂まで続いている。この登山道が現存すれば問題ないが、二万五千図の破線はあてにならないのも常識である。ちなみに、昭文社の登山地図には何の登山道も記されていない。

 地図を見い見い集落内の入り組んだ小道をたどる。途中、慈眼寺という好ましい佇まいの寺に寄り、山懐に入って行く。過たず、地図上の登山道入り口に達した。嬉しいことに、「八坂神社」と記した道標があり、小道が山中へ続いている。「八坂神社」とは、おそらく、8合目付近に記された神社記号であろう。これでどうやら第一関門は突破できそうである。

 登山道に踏み込む。雑木林の中を、まるで塹壕のような深くえぐれた小道が続く。道型ははっきりしているものの、数10センチにも厚く降り積もった落ち葉が道表面のでこぼこや石を覆い隠し、実に歩きにくい。最近人の歩いた気配はない。すぐに、左側に鉄条網による仕切りが続くようになる。東側に造成されているゴルフ場・アドニス小川カントリークラブとの境界線なのだろう。ただし、鉄条網の向こうも雑木林が続いており、ゴルフ場は見えない。今日は一日このゴルフ場の縁を歩くことになる。

 山腹を左から巻くように緩やかに登って行く。途中、再び「八坂神社」との小さな道標があり、ルートの正しさが確認できる。15分ほど登ると、鳥居が現れ、「八坂神社」の道標が指し示す確りした踏跡が右に分かれる。直進する踏跡は何の標示もない。どちらの道も山頂に通じると判断して、鳥居を潜って右の小道に踏み込む。薄暗い檜林の中を5分も急登すると、林の中の小さな社殿に達した。地図に神社記号のある「八坂神社」であろう。ひと休みする。

 社殿からさらに上部に向け確りした踏跡が続いており、道標が「奥の院参道」と示している。おそらく山頂に奥の院があるのだろう。ところが、数分急登すると、小さな石の祠があり、踏跡はここで絶えた。どうやら見込み違い、この石の祠が奥の院らしい。

 しかし困った。付近を探っても、さらに上部に続く踏跡は気配さえもない。先ほどの鳥居の所まで戻り、直進する小道をたどらざるを得ないようだ。しかし、今更戻るなんてーーー。えい、強引に山頂に向って登ってしまえ。地図を読めば山頂まで標高差約50メートルである。潅木をかき分け、倒木を跨ぎ、踏跡なき雑木林の急斜面をはい登る。10分ほどもがき続けると、過たず御嶽山山頂に飛びだした。

 山頂は雑木林に囲まれ展望は一切ない。「御嶽神社」の扁額を掲げた鳥居が建ち、その奧に神像が鎮座している。鳥居の正面には確りした小道が登り上げている。おそらく、途中の鳥居で別れた小道であろう。座り込んで握り飯をほお張る。山頂部にはいろいろな神像や板碑が多々安置されている。

 いよいよ大峰山に向けての縦走に移る。果たしてルートがどうなっているのか心配でもあり、楽しみでもある。ここから先は、手持ちの地図以外一切の情報はない。南東に延びる尾根を進む。尾根上には思いのほか確りした踏跡があり、しばらくは点々と神像や板碑が並ぶ。

 すぐに尾根がT字にぶつかる地点に達した。御嶽山と大峰山を結ぶ東西に伸びる尾根に、雷電山、行風山を盛り上げながら南から続いてきた尾根がぶつかる地点である。まったく期待していなかったが、東、大峰山に向う尾根上にも、南、行風山に向う尾根上にも確りした踏跡が確認できる。

 南に続く踏跡は後日辿ることとして、今日は予定通り、東、大峰山に続く尾根上の踏跡を進む。下りとなった尾根を辿るが、尾根は次第にはっきりしなくなる。また、尾根上に続いてきた踏跡も次第に薄くなり、ついには消えてしまった。覚悟の上である。ここからは自力でルートを切り開かなければならない。幸い周囲はコナラやクヌギの雑木林で、歩行はそれほど困難ではない。

 木々の間を透かして前方を仰ぐと、大峰山とその南の283メートル峰を結ぶ尾根が見える。左下方には地図にも記載されている小さなダム湖が確認でき、そこから流出する谷が大峰山に向うルートを遮っている。慎重に踏跡なき急斜面を谷に下る。意外にも、谷に沿ってかすかに踏跡の気配があり、谷には朽ち果てた木造の橋が架かっていた。おそらく北側に展開するゴルフ場の造成以前の遺物なのだろう。橋は朽ちて渡れないので飛び石を利用して沢を渡り、反対側の斜面に取りつく。こちらの斜面も踏跡の気配さえもない。

 時折木々の隙間から大峰山と思われるピークを確認しながら、はっきりしない尾根を登り続ける。踏跡らしきものはまったくないが、どこまでも落葉樹の雑木林の中で、歩くのにそれほど支障はない。登るに従い傾斜も次第に緩む。11時30分、ついに大峰山山頂に到達した。御嶽山から45分の行程であった。

 それほど期待していたわけではないが、まったく味気ない山頂であった。展望も利かない雑木と潅木の中で、山頂標示一つない。ただ、雑木の幹に大峰山と手書きのされたビニールテープが巻き付けられているだけである。今までずいぶん薮山に登ったが、これほど味気ない山頂は記憶にない。二万五千図にも確り山名が記載されている山なのだがーーー。それでも、テープがあるということは、登ったものがいる証拠ではある。座り込んで握り飯をほお張る。

 もう一つがっかりしたことがある。普通、どんな薮山でもあるはずの山頂に登ってくる踏跡がまったく見当たらないことである。二万五千図にも南麓から山頂に至る破線が記載されているのだがーーー。踏跡がないということは下山ルートは自ら切り開かなければならない。登りは高みを目指せばよいのでルートファインディングは比較的容易だが、下山のルートファインディングは数段に難しい。

 いよいよ下山に移る。東方の県道23号線を目指して下ることとする。地図を読み、地形を頭にたたき込んで、北東に張りだす弱い尾根筋を辿る。太陽が真南に輝いており、また仙元山から青山城跡と続く山稜が前方の木の間隠れに見えているので方向感覚が狂う心配はない。尾根は次第に東に向きを変え、尾根筋を失う。ついに尾根筋は完全に消失し、急な平斜面となってしまった。ただし遥か下方に車の往来する県道と八高線が見えている。立ち木に掴まりながら急斜面をずり落ちる。右側に現れた沢に下ると微かな踏跡が現れた。やれやれである。
 
 踏跡を辿ると、梅林の中の細い林道にでた。そしてついに県道に下り立った。無事の下山である。現在位置を確認すると、二万五千図に118メートルの標高点が記されている付近である。後はこの県道をひたすら小川町まで歩くだけである。相変わらず雲一つない晴天が続いており太陽の光が暖かい。
   
登りついた頂  
   御嶽山  297 メートル
   大峰山  293 メートル 
     

トップ頁に戻る

山域別リストに戻る