安倍東山稜 安倍峠から大光山へ

山毛欅の大木がガスに煙る縦走路

1993年5月8日

              
 
梅ヶ島温泉→安倍峠→バラの段→大笹の頭→奥大光山→大光山→草木集落→新田集落→梅ヶ島温泉

 
 すばらしいと聞く安倍峠に行ってみようと思った。ついでに、昨年11月に十枚山から奥大光山まで縦走した際、大光山山頂から草木集落へ下ると思われる地図にない立派な道を発見したが、この道の行く末を確かめてみることにした。
  
 天気予報は曇り時々晴れであったが、朝5時半に目を覚ますと、どんよりした今にも降りだしそうな空模様である。6時半、車で梅ヶ島温泉に向かう。途中でついに雨が降りだした。雨が降り続くようなら引き返そうと思ったが、梅ヶ島温泉に着いたときには止んでいた。しかし見上げる山々はガスが渦巻き、天気はだいぶ悪そうである。
  
 7時50分、人気のない温泉街を突っ切り、勝手知った登山道に入る。3日前の奥秩父縦走の疲れが残っているのか、思ったほどピッチが上がらない。すぐにガスの中にはいり、周りはホワイトアウトとなる。杉檜の植林地帯の急登を続けると、調子も出てきて、正味40分で八紘嶺分岐に到着した。大きな看板があり、「熊出没 危険 注意」。一服していると、車が登ってきて、すぐそばの駐車場から中年の夫婦連れハイカーが歩き出した。
  
 ガスが深く、視界は10メートルぐらいしかない。安倍峠分岐を見落とさないように注意深く車道を上方に向かう。10分も進むと分岐に達した。逆川に沿って峠に向かう。この道はすばらしい道である。逆川のせせらぎが開けた谷間をゆっくりゆっくり流れ、両岸には山毛欅の大木が霧の中に幻想的にそびえる。小道は沢を飛び石伝いに何回も渡り返す。テントでも張って一日のんびりしたいところである。いつしか流れも消え、草原の中をなお緩やかに進むと峠に出た。なんとすばらしい峠であろう。感動的である。深いミルク色の霧の中に、未だ芽吹き前の山毛欅の大木が何本もそそり立ち、時折鶯のさえずりが聞こえてくる。小道はなお身延側に続き、霧の中に消えている。なぜ、このようなすばらしい峠道を持ちながら、用もない峠越えの車道など造ったのか。車道が峠をわずかに避けて稜線を乗っ越しているのがせめてもの救いである。峠には、先ほどの夫婦連れハイカーが先に到着していた。ここだけで帰ると云う。
  
 大光山を目指し、稜線を南に辿る。のっけからものすごい急登である。伐採地跡を過ぎ、なお急登すると、いったん軽く下ってバラの段に着いた。更に稜線を北上する。この稜線はどこまで行っても笹原と山毛欅の道である。雨は降っていないのだが、深くたち込める霧が木々の梢で結露するのであろうか。引っ切りなしに水滴が落下し、雨の中を歩くのと同じである。霧の中から山毛欅の大木がぬっと現われ、そして消えていく。何も見えない。突然熊公が目の前に現われそうである。笹の切り開きは確りしており、ルートに何の心配もない。
  
 大笹の頭でひと休みする。三角点の上に測量用のポールが立てられている。稜線は緩やかな上り下りを繰り返す。少し長く急な登りを経ると見覚えのある奥大光山に到着した。昨年の秋、不安にかられながら下った三河内に至る微かなきり開きが笹藪の中にあるが、それを示す小さな道標はすでにない。このルートは完全に廃道扱いとなってしまったのか。ここからは勝手知った道、大光山を目指してなおも北上する。所々倒木が道を塞ぐ。軽い上下を2〜3繰り返すと、ついに目指す大光山三角点ピークに達した。丁度12時、相変わらず誰もいない静かな山頂である。山頂には三角点と、草木集落を示す大きな道標がある。刈安峠に向かう稜線上の切り開きは木の枝で通せんぼしてあり「崩壊のため通行禁止」の看板。前回この地点で大いに迷ったが、二度目となると深いガスの中でも土地勘は十分である。
  
 三角点ピークから10メートルほど下ると、刈安峠に向かうバイパスの切り開きがあるが、前回同様、それを示す道標はない。私は大光山から西に張り出す支尾根上にルートを取る。100メートルほど進むと、大光山の最高点ピークに出る。地図で見てもこちらのほうが三角点ピークより10メートルは高い。しかし、こちらには山頂を示すものは何もない。大光山山頂は通常どこを指すのであろう。いつしか雨が降りだしている。小糠雨が、ガスと見紛えるように細かに降り注いでいる。尾根上の急激な下りとなる。相変わらず視界は10メートルである。ルートはこの支尾根上を草木集落付近まで辿っていくのかと思っていたら、突然、左手の山腹をジグザグを切って下りだした。どんどん下っていく。斜面は未だ若い杉の植林地帯である。道に蜘蛛の巣が張られている。小枝を持って巣を払いながら進む。
  
 いい加減下ると沢の源頭に出、立派な作業小屋があった。関ノ沢源頭であろう。沢に添って道なりに進むと、微かな切り開きが合流してくるのに気づいた。おそらく通行止めとなっている刈安峠道であろうが、道標は何もない。尾根の中腹に沿った平坦な道を進む。樹齢50年もあろうかと思われる立派な杉林の中の道である。ただでさえ深いガスのため薄暗い光が、いっそう暗さを増し、まるで日暮れのようである。尾根の反対側に回り込んで、再び沢の源頭に出る。三叉路になっており、おそらく東峰集落への分岐であろうが、それを示す道標はない。沢の左岸を進むと、突然道の真中に蛇が横たわっているのを見つけた。あわや踏みつけるところであった。見たことのない、濃い茶一色の小型の蛇である。大分弱っているのか枝でつついても立ち去らない。どうも蛇は苦手である。
  
 広くなった沢に添ってなおも下る。ついに林道に出た。舗装された立派な道である。13時40分、草木集落に達した。山腹の平坦地に五〜六軒の立派な人家がある。安倍側流域に特徴的な山上集落である。集落の真中から、北へ向かう小道が分かれているのを見つけ、新田集落への道と判断してこの道を進む。降り続く雨の中、集落はしんとして人の気配もしない。20分ほど歩くと、新田集落手前の梅ヶ島街道に出た。梅ヶ島温泉に車をおいてあるので、面倒でも戻らなければならない。バスは30分待ちなので歩くことにした。約4キロの道を歩いて、15時少し前、梅ヶ島温泉に戻る。温泉の公衆浴場で汗を流し、雨の中家路に着く。