|
|
|
|
ビジターセンター(640〜651)→鳥居峠(701)→小沼・長七郎山分岐(720)→小地蔵岳分岐(735)→小地蔵岳(742〜745)→小地蔵岳分岐(749)→長七郎山(800〜810)→小沼(826)→県道大胡赤城線(840)→八丁峠(842)→地蔵岳(916〜932)→大沼湖畔道路(1013)→ビジターセンター(1023) |
今年は梅雨入りも非常に早かったが、梅雨明けもまた歴史的な早さであった。何しろ関東甲信地方の梅雨明けは7月6日、九州、中国、四国、近畿、東海地方は7月8日であったのだから。所がやっぱり気象はどこか異常であった。7月半ば以降、日本全国あちこちが集中豪雨と猛暑にゲリラ的に襲われている。
関東地方も例外ではなく、大気の状態がいたって不安定な状況が続いている。このため、山に行くタイミングがとれずにいた。しかし、7月も今日が最後、相変わらず天気は不安定な様子だが、久しぶりに出かけてみることにした。行き先は上毛三山の一つ・赤城山である。この山は、日本百名山の一つであり、我が家周辺からは常にその雄大な姿を仰ぐことができる。 赤城山は約3万年前に活動を停止した古い複式火山である。「赤城山」と呼ばれる大きな山体を持つ一個の山であるが、何度もの噴火と崩壊の繰り返しにより、山頂部には幾つものピークが生じている。最高峰は黒檜山の1827.6メートルである。私は過去に、黒檜山、駒ヶ岳、鈴ヶ岳の山頂を踏んだ。今日は長七郎山と地蔵岳に挑むこととする。 早朝の4時55分車で家を出る。カーナビは目的地の赤城山大沼湖畔まで84キロと標示している。夜は既に明けているが、空は厚い雲に覆われ天候は期待外れの様子である。東松山I.Cから関越自動車道に乗るが、何と、霧である。辺りは霞み、制限速度が80キロに規制されている。山登りには生憎の天気である。 前橋I.Cで高速を降り、前橋市内を抜け、赤城山頂に到る「赤城南面道路」を北上する。道路を跨ぐ巨大な鳥居を過ぎると、道は緩やかな登りとなって山懐に入っていく。もはや同方向へ進む車もすれ違う車もない。昔は確か有料道路であったはずだが、いつの間にか無料となっていた(1995年に無料化したとのこと)。側火山である荒山への登山口・箕輪を過ぎると、道は激しいヘアピンカーブの連続する本格的な登りとなる。ただし、道の状態は極めてよい。おまけに前後にも他の車の影はまったく見られない。カーブには一つ一つ番号が振られている。大沼湖畔まで75のカーブを数えた。 新坂平で外輪山を越え、カルデラ湖である大沼湖畔に下る。更に、湖畔の道を進み、湖の南東の端、大洞地区に到る。この辺りが観光地・赤城山の中心地なのだが、人影はおろか、動いている車の姿もない。実は、赤城山は東電福島第一原発の事故による放射能汚染が問題となっており、大沼のワカサギも汚染されていることが判明した。これらのことにより、観光地・赤城山はすっかり寂れているとも聞いていたがーーー。 6時40分、目的地・県立赤城公園ビジターセンターに到着した。約50台の車の収容が可能という大きな駐車場はがらんとしていて、ただ1台の車も止まっていない。もちろん辺りに人影もない。天気は幾分回復し、雲の切れ間が見える。ここはもう標高1300メートルを越える高地、掲げられた温度計は19度を標示している。空気はひんやりと感じられる。 支度を整え、6時51分出発。先ず目指すは長七郎山である。鳥居峠へと登り上げる車道を歩く。道端にはガクアジサイの白い花がたくさん咲いている。わずか10分の登りで鳥居峠に着いた。裸地の大きな広場となっており、続いてきた車道もここが行き止まりである。広場の隅に三角屋根の大きな建物がある。1968年に廃止された赤城山登山鉄道(ケーブルカー)の「赤城山頂駅」の旧駅舎である。このケーブルカーは旧黒保根村(現桐生市)の利平茶屋駅とこの地点を結んでいた。 長七郎山を示す道標に従い、山道に入る。ミズナラの美しい林の中の確りした登山道である。地表はびっしりと隈笹で覆われている。斜面をトラバース気味に緩やかに登っていくと、傾斜が増し、長い長い木製の階段となった。ずいぶん手入れのよい登山道である。息せききって登り上げると、そこは小沼・長七郎山分岐であった。右の道を下ればわずかな距離で小沼湖畔、長七郎山は更に山腹を登っていく左の道である。 道は地道の林道に変わった。治山のために開かれた昔の林道のようである。現在でも車の通行が可能と思われるが轍のあとは見られない。周りは相変わらず気持ちのよいミズナラの林で展望はない。ヘアピンカープを2ヶ所ほど過ぎ、稜線近くに達すると道標があり、左に分かれ山腹を登っていく細い踏跡を「小地蔵岳」と標示している。わざわざ登るほどのピークでもないが、ついでなので行ってみることとする。低い隈笹の中の緩やかな尾根道を進む。朝露に濡れた隈笹のためにズボンはびしょ濡れである。分岐からわずか7分で1574メートルの山頂に達した。小さな緩やかな高まりで、山頂標示がぽつんとあるだけの寂しい頂きであった。もちろん展望は一切ない。早々に山頂を辞す。 分岐まで戻り、元の林道を進むと、すぐに稜線に達した。林道はここが終点、ルートは登山道に変わる。小さな瘤を越えながら緩やかな尾根道を進む。天気が大分回復したと見え陽が射し始める。林の中では鴬が盛んに鳴いている。分岐からわずか10分ほどで第一目的地・長七郎山山頂に到着した。 山頂は大きく開けた平坦な裸地で、頭ほどの石があちこちに積み重なっている。もちろん無人である。一段高いところには1578・9メートルの三等三角点「長七郎」が頭を覗かせている。上空は大きく開けているが周りを林が取り囲んでいるために展望はよくない。眼下に位置する小沼さえ見えない。ただし、山頂に幾つもの巨大な電波塔の立つ地蔵岳は、ここより標高が高いためはっきりと見える。石ころに腰を下ろし、握り飯をほお張る。雲間から射す日差しが暖かい。山頂には無数のアキアカネが群れていた。このトンボは夏は高山で過ごし、秋になると里に降りてくる。 林の中のよく整備された登山道を下る。辺りはシンとして物音一つしない。「熊出没注意」の表示がある。森の中から熊公がヌゥと姿を現すのではないかとの恐怖が湧く。その時は持参のストックで戦うつもりだがーーー。そんなことを考えているうち、山頂からわずか15分ほどで小沼湖畔に着いた。 小沼は今から2万4千年ほど前に噴火した小沼火山の火口湖である。標高1470メートル、周囲約1キロの林に囲まれたほぼ円形の小さな湖である。なお、辿ってきた小地蔵岳から長七郎山に続く稜線はこの小沼火口の火口壁である。立ち止まって湖面を見渡す。その視界の先にはただ静かな湖面が広がるだけで、湖面はおろか岸辺にも、人工物は何一つ見当たらない。もちろん人影もない。まさに深山の奥にひっそりと潜む湖である。そしてその背後に地蔵岳がくっきりと聳え立っている。何やらとてつもなく嬉しくなった。小沼は本来「コノ」と言う名称である。ところが、「小沼」という表記につられてか「コヌマ」と呼ばれるようになった。現在、案内書も、現地の道標も「コヌマ」と標示している。本来の名前を守るべきだと思うのだがーーー。 湖畔の細道を時計回りに進む。湖面を眺めながらの林の中の静かな道である。相変わらず人影はない。15分も湖畔の道を進むと県道16号大胡赤城線に行き当たった。旧大胡町(現前橋市)から赤城温泉を経て赤城山南面を小沼湖畔に登り上げている道路である。通る車もない鋪装道路をほんの数分緩やかに登ると八丁峠に達した。ここが東面からの地蔵岳登山道入り口となる。 木板で作られた立派な階段が延々と続く。歩きやすいことは確かであるが、かなり傾斜もあり、一本調子の登りは苦しい。周囲は明るい草原と潅木帶が入り混じっている。突然、上方より一人の登山者が下ってきた。今日、山中で初めて見かける人影である。 相変わらず階段が続く。登るに従い、眼下の展望が大きく開けてくる。小沼が見え、その背後に小地蔵岳から長七郎山へ続く山並みがまるで湖を守るがごとく連なっている。次第に電波塔の建ち並ぶ山頂が近づいてくる。 9時16分、ついに地蔵岳山頂に到着した。無人である。大きな裸地で、大石があちこち積み重なっている。なにやら雑然とした雰囲気である。一角には五輪塔や首のない石仏、江戸時代の年号銘のある石碑などが乱雑に並んでいる。「地蔵岳」という名称からも推測できるが、昔はこの場所は山岳信仰の聖地でもあったのだろう。最も高いと思われる地点には1673.9メートルの一等三角点「赤城山」が確認できる。案内書の解説通り、北から東にかけて大きく展望が開けている。夏特有の霞みに少々惚けてはいるが、眼下に大沼が横たわり、その背後に赤城山の主峰・黒檜山が大きく聳え立っている。石に腰掛け、のんびりと握り飯を頬張る。 地蔵岳は南北二つの頂きを持つ双耳峰である。地図を読むと両峰ともほぼ同じ高さであるが三角点は北峰に置かれ、こちらが山頂とされている。南峰は巨大な電波塔が何本も建ち並び独特の景観を呈している。下界から赤城山を眺めたとき、一番目立つのはこの電波塔群である。現在いる北峰頂きからは南峰が邪魔して南方の展望、すなわち関東平野の俯瞰は出来ない。その南峰からはしきりに人声が聞こえる。 いよいよ下山に移る。大沼湖畔の大洞地区に下るつもりなのだが、山頂にはルートを示す確りした道標がない。設置された道標は文字が消えかけていたり、傾いていたり、どうもはっきりしない。それでも道標に従い、林の中の怪しげな踏跡に入る。しかし、どうも人の足に慣らされた踏跡とも思えない。ただし、所々に赤布があるので、登山道なのだろうがーーー。不安を覚えながら少し下ると、林を抜け、かつて幾つかの建物があったと思われる石垣の残る開けた斜面にでた。ここで上部からの別の何本かの踏跡が合流し、ようやく登山道らしい踏跡となった。どうやら山頂からてんでんばらばらに何本かの踏跡が付けられていた様子である。 再び林の中に入る。するとまた登山道は凄まじい状況となった。林の中を深く抉れた溝となって一直線に下る。道型ははっきりしているのだが、その道は大小の石、岩で埋め尽くされ、まともに足も置けない状況となっている。道というより岩屑の帯である。その帯が延々と続く。一歩一歩足の置き場を確認しながら泣きたい気持ちで下る。 小平地に達し、踏跡が二つに分かれる。道標があり、左の踏跡を「赤城少年自然の家」、右のより細い踏跡を「大洞」と標示している。右の踏跡に踏み込む。下生えの笹で隠れてしまうほど細い踏跡を追う。踏跡は林の中を一直線に下っていくが、この道もかなり悪い。相変わらず石、岩がごろごろしていてスムーズには歩けない。踏跡を離れ左右の林の中にルートを求めがちである。この大沼湖畔から地蔵岳山頂に至る登山道は、とてもポピュラーなハイキングコースとは思えない。八丁峠からの登山道との落差は余りにも大きい。 変化のない悪路にヘキヘキするころ、ようやく大沼湖畔道路に下り立った。時刻は10時13分、山頂から40分の悪戦苦闘であった。この大沼も本来の名前は「オノ」であるが、今では「オオヌマ」と呼ばれるようになってしまった。相変わらず通る車とてない湖畔道路を歩く。約10分で愛車の待つビジターセンターに到着した。時刻は10時23分、何とも早い下山である。駐車場には数台の車が止まっており、これから登山を開始しようとするパーティが支度をしていた。すぐ横に位置する覚満淵を見学して帰る。
登りついた頂
|