赤岩尾根縦走と両神山

 ハイグレ−ドな岩尾根を必死の縦走

1994年5月6日


八丁尾根より赤岩尾根を望む
 
金山鉱山(715)→赤岩峠(810)→赤岩岳(840)→赤岩尾根→八丁峠(1200)→八丁尾根→両神山(1340)→八丁尾根→八丁峠(1550)→金山鉱山(1650)

 
 赤岩尾根は赤岩峠から八丁峠へ続く峻悪な岩稜である。この尾根は上武国境稜線の一部をなし、西上州山域の典型的特徴を有している。絶壁と藪に覆われた岩峰を連続させ、縦走は困難を極める。山と渓谷社の「分県ガイド・埼玉県の山」では特殊コ−スとしてこのル−トを紹介しているが、「ヤブを頼りに連なる岩峰を登降する、熟達者向きの岩稜縦走だ。ル−トを嗅ぎ出す動物的勘とザイル操作などの岩登り技術が要求される」と記されている。佐藤節さんは、その著書「西上州の山と峠」の中で、この尾根に挑んで途中で諦めて引き返した様子を書いている。この尾根を縦走するためにはル−トファインディングや藪漕ぎ技術も必要であるが、基本は岩登りの技術である。

 私がこの尾根を知ったのは、かなり以前のことだが、埼玉県の県境稜線完全踏破を考えル−トを調べた時であった。結局、この計画は赤岩尾根の通過が私の実力ではとても無理と判断して諦めた。私は岩登りの技術を持っていない。ザイルワ−クどころかザイルの結び方一つ知らない。従って「要ザイル」のこのル−トは私にとってとても無理に思えた。実際2年前には赤岩尾根西端の赤岩岳に登り、その圧倒するような岩壁を目の前にして、私の判断が正しかったことを納得した。

 人間誰しも、一度諦めた夢が、突如としてマグマのごとく心の中に沸き上がってくることがある。急にこの赤岩尾根をやってみたくなった。山と渓谷社の「ハイグレ−ド・ハイキング」にもこのコ−スを「岩とヤブのエキスパ−トのみに許された、胸の高鳴る豪快な岩稜縦走と云えよう。」と記されている。私の胸の高鳴りも今回は止みそうもない。考えてみれば、私だってザイルワ−クは知らないが、30年にわたる登山経験の中で岩登りの基本的技術は知らずに身に付いているはずだ。やれるかやれないか、やってみなければわからない。駄目なら無理せず途中で引き返せばよい。ただし岩登りの失敗は命取りになる。やるからには細心の注意が必要である。

 早朝の5時10分、車で家を出発する。今日一日穏やかな晴天が続くはずである。中津川ぞいの道を走り、7時15分、金山鉱山に着く。現在の金山鉱山はいわばゴ−ストタウンである。狭い谷間の斜面に立ち並んだ長屋風の社宅の多くは硝子戸も破れ無人であることがわかる。しかし一部の社宅には人の気配がし、朝食の準備であろうか、うっすらと煙が登っている。今日の計画は金山鉱山から赤岩峠に登り、赤岩尾根を八丁峠に抜けて金山鉱山に下る回遊コ−スである。このうち、金山鉱山から赤岩峠を経て赤岩岳までは2年前に経験しており勝手知っている。

 赤岩峠道を登り始める。2年前には欝蒼とした檜林であった斜面は、すっかり伐採され明るく朝の光が降り注いでいる。冬眠から覚めた茶色の蛇がにょろにょろと目の前を横切る。見上げれば、赤岩岳南面の大絶壁が全てを圧するがごとく鋭く切り立ち、岩場の到る所にはピンクのヤシオツツジが咲き乱れている。埼玉県郷土カルタにも「両神山、ヤシオツツジとコノハズク」と歌われているほど、この両神山一帯はヤシオツツジの名所である。ジグザグを切って左手の支尾根に登り着くと、傾斜も緩やかとなり灌木の道となる。石のゴロゴロとした急斜面をぐいぐい登り、8時10分、赤岩峠に達した。誰も居ない早朝の峠は静かである。

 今日の私は実に奇妙な格好をしている。足回りはジョギングシュ−ズであり、上下はトレ−ニングウエア−である。私自身こんな恰好で山に来たのは初めてであるが、昨夜一生懸命考えた末の装いである。足回りは敢えて登山靴を避けた。軽荷の場合、岩場では硬底の登山靴より軟底のジョギングシュ−ズの方がフリクションが効いて有効と云うのが、長年の経験による私の結論である。トレ−ニングウエア−は風雨に対しては全く無力ではあるが、岩登りに必要な膝の屈伸を確保するにはこれ程適当なウエア−はない。今日は機能第一主義である。

 峠で一服後、赤岩岳を目指す。赤岩尾根の縦走開始である。この尾根のP7に当たる赤岩岳は、細いながらも峠から踏み跡がある。岩壁の基部を左にトラバ−スしてルンゼを登り、山頂から北に派生する支尾根に達する。さらに岩場のリッジを登り、樅や栂の原生林を遮二無二急登すると山頂に達した。8時40分である。山頂は灌木に覆われ展望はないが、少し西の岩場に出ると大きな展望が得られる。八ヶ岳連峰は春霞の中であるが、奥秩父主稜線が一望である。その中で破風山がひときわ目立つ。甲武信ヶ岳は稜線上の小さな瘤で見るかぎりはつまらない山だ。足元には西上州の山々が低く連なり、山頂周辺の岩場はヤシオツツジが満開である。眼下の金山鉱山からラジオ体操の音楽が聞こえてくる。今日は金曜日の平日、一日の仕事が始まるのであろう。

 稜線を東に向かう。いよいよ未知の岩稜ル−トである。緊張が高まる。これ程の緊張感を味わうのは何年ぶりであろう。すぐに赤岩岳の東峰とも云える岩峰に出る。遮るものとてない大展望だ。知っていればここで休んだのに。足元から数百メ−トルの大絶壁が切れ落ちている。灌木の痩せ尾根を左に下る。意外にも赤布が点々とあり、尾根上の踏み跡は明確である。右に回り込むようにしてナイフリッジに出る。目の前に岩壁が立ちはだかる。最初の試練P6である。岩壁に目でル−トを求める。高度差約15メ−トル。ほぼ垂直のリッジを10メ−トル登り、左の斜面に逃げれば何とかル−トは取れる。2〜3ステップ登ってみる。そこから上がかなり悪い。危険を感じ一旦基部まで下る。他にル−トはないのか周辺を探るが、やはりこのリッジを登り切る以外なさそうである。再度壁に取り付く。リッジの両側は数十メ−トルの絶壁となって切れ落ちており、墜落したらひとたまりもないことは自明である。4〜5歩登るが、次のステップの充分なホ−ルドが得られず踏み出すのに度胸がいる。躊躇していたら左足がミシンを踏みだした。慌ててステップを踏み変え、エイ! とばかりに腕力で体を引き揚げる。この瞬間が充分なホ−ルドのないまま垂直の壁に張り付いている状況で非常に不安定だ。もう躊躇することなく慎重に登って左手の斜面に逃れる。ついにルビコン川を渡った。もうザイルなしでは元の地点に戻ることは不可能である。P6のピ−クに達した。まずは無事を喜ぼう。

 少し下ると、再び眼前に岩壁が立ち塞がった。P5でもある地図上の1583メ−トル峰である。コ−スサインに従い、右側に回り込むとルンゼが現われる。高度差約20メ−トルの壁である。このルンゼにル−トを取る以外なさそうである。もう躊躇はない。登れるかどうかではなく、登らねばならないのである。ル−トを目で追う。直登して左に少しトラバ−スし、さらに直登するコ−スを確認する。岩登りの成否はル−トファインディングである。藪山でのル−トファインディングの失敗はやり直しが利くが、岩登りの場合途中で行きづまるとザイルなしでは進退極まる。岩は層状となっており、体重をかけると剥離するものが多い。また、疎らに生えた灌木も枯木が多く危ない。ホ−ルドを一つ一つ確認しながら慎重に登る。よく、岩登りの基本を三支点法であるというが、実際は三支点では登れない。フリクションのみで足場を確保しなければならないような登りが続く。ジョギングシュ−ズのような軟底の場合、岩との接触面積が増え、かつ、フリクションの利き具合が感覚的にわかるので具合がよい。ル−トを細かに確認しながら慎重にかつ大胆に登る。ついに山頂に達した。

 残るピ−クはP4〜P1の4峰である。どうやら最難関は越えたと思われるが、この先どんな悪場が現われるかわからない。そう思うと気持ちは先へ先へと行って、ゆっくり休んでいる心境ではない。早々に出発する。それにしても藪の中に続く踏み跡は細いながらも明確である。赤布もありル−トに関してはまったく心配がいらない。少々拍子抜けの感じである。藪のナイフリッジを下ると鞍部に達した。赤岩尾根の最低鞍部である。すさまじい絶壁を掛けていた左右の傾斜もいくぶん緩み、いざとなれば、踏み跡はないものの、この鞍部からの下山も可能と思える。P4の登りは雑木混じりの岩場のためホ−ルドも豊富で難しくはあるが危険を感じるほどではない。かなり昔、山火事があったとみえて、焦げた木の根が目につく。

 P4山頂南面のちょっとした岩場で昼食とする。足元から続く絶壁の下が砕石場となっていて、岩を砕く音がうるさい。ここまで来るとだいぶ心の余裕も生まれる。雑木の間から死物狂いで越えてきた岩峰が見渡せる。いたるところ、ヤシオツツジのピンクが岩場を彩る。行く手にはギザギサした両神山の稜線が壁のように立ち塞がっている。P3、P2は小さな岩峰。岩場というより雑木の中の急登だ。P1は頂上直下の南面を巻く。突然朽ちた道標が現われ、志賀坂峠分岐に達した。ついに赤岩尾根縦走が終わったのである。今は廃道となった諏訪山から志賀坂峠に至る踏み跡が北側斜面を巻くように微かに続いている。何か一つの仕事が終わったような虚脱感が心の中を去来する。P6、P5の登りはやはりすさまじかった。成功したからよいが、やはり単独でこの尾根をやるのはちょっと無謀であったろうか。

 緩やかに進むと山の神があった。今日の無事を感謝する。ピ−クを越えて下っていくと人声がして、ついに八丁峠に出た。立派な道標があり、両神山、坂本、落合橋の三方向を示している。私がたどってきた稜線の踏み跡方向には、立て札があり「ここから先危険のため立入禁止」と記されている。若い男女のパ−ティが休んでいる。そばの展望台に上がると、御荷鉾山を始めとする神流川ぞいの西上州の山々が足元に広がっている。そして、山頂部を破壊された叶山の哀れな姿が嫌でも目に飛び込む。男女パ−ティは、私が到着すると迷惑そうに両神山へ出発していった。このパ−ティとはこの後三回も出会うことになる。時刻はちょうど12時、赤岩峠からここまで何と3時間50分で走破したことになる。案内書のコ−スタイムは6時間45分であるから、すさまじいスピ−ドである。ザイルなどを使わなかったためだろう。

 ここで次の行動を迷った。予定ではここから金山鉱山へ下るのだが、時刻はまだ早い。両神山を往復できないか。案内書によると、ここから山頂までのコ−スタイムは、往路2時間5分、復路1時間45分、計3時間50分である。飛ばせば行けないことはない。まだ体力は十分である。やはり山頂を踏まなければ気がすまない。私はピ−クハンタ−だ! 特に、ここから山頂までの八丁尾根ル−トは一度は辿ってみたいル−トである。

 12時20分、両神山へ向け出発する。ル−ト入り口には立て札があり「ここから先、鎖の連続する岩場で危険。初心者は立ち入らないこと」との趣旨が記されている。この八丁尾根ル−トは、岩場の連続する上級者向けのル−トである。猛烈なピッチで飛ばす。我ながら惚れ惚れする速度である。ル−トは聞きしに勝る岩尾根で、鎖場の連続である。登山コ−スとしては確かに上級者向けであるが、今までたどってきた赤岩尾根に比べれば雲泥の差である。鎖には一切頼らない。すべて岩登りの要領でぐいぐい登って行く。この方が早い。いくら険悪な岩壁でも、ここではどのホ−ルドも人の手足に慣らされている。15分も前に出発した男女パ−ティをあっという間に抜き去る。西峰を越え、東峰の岩壁を登る。幾つかのパ−ティとすれちがう。東峰山頂から、たどってきた赤岩尾根が一望できる。よくもまぁ、あんなところを歩いてきたものだと、自分ながら感心する。飛ばしに飛ばし、1時40分、山頂に達した。なんと、1時間20分でこの八丁尾根を踏破したことになる。この山頂は3回目である。初めて登ったのはもう10年以上も昔、今は亡き父とであった。途中で疲れて、もう下ろうと云う父を励まし山頂まで引っ張り上げた。反対方向から何組もの登山者が登ってくる。ヤシオツツジの咲き誇るこの5月は、両神山の一番すばらしい季節だ。

 10分ほど後、再び八丁峠への道を辿る。さすがに疲れた。越えるべき一つ一つの岩峰がいやに高く見える。疲れた身体では、バランスも悪く、岩場のホ−ルドもしっかり確保できない。帰路は鎖を十分活用させてもらう。もう急ぐ必要はない。東峰山頂で先ほどの男女パ−ティとすれちがう。ずいぶん差がついたものである。足の爪先が痛くなる。ジョギングシュ−ズの弊害である。途中ですれちがった単独行者が、「どこまで行くんですか」と問い掛けてきた。「八丁峠から金山に下る」と答えると、「ずいぶん遅くなりますよ」と心配してくれる。ジョギングシュ−ズにジャ−ジ−姿の素人としか思えない単独行のおじさんが、今頃この険悪な尾根をのこのこ下っているのを見て、道でも間違えたのではないかと心配したのだろう。私も昔、白峰北岳でバリエイションコ−スを下ってきた素人らしき単独行者に危ないと思い、声を掛けたら、案の定、道を間違えていたことがあった。八丁峠着3時50分。復路は何と2時間掛かった。もはや峠には人影もなく、傾いた陽がヤシオツツジを照らしていた。

 4時、峠を出発して最後の行程に移る。さすが八丁峠道、よく踏まれて歩きやすい道だ。岩のゴロゴロした斜面をジグザグを切って下る。約30分で林道に出た。登山口にテントが張られ、夕食の準備をしている。明日登るのであろう。ここで何と、あの男女パ−ティが別の小道から下ってきた。この小道には道標がなかったが、帰宅してから調べたら、両神山山頂から直接この地点に下るル−トであった。知っていれば私もこのル−トをとったのにと残念に思った。林道をどんどん下って、4時50分、無事愛車に戻った。今日の無事を神に感謝する。

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