火防の神の宿る山 秋葉山

秋葉信仰の本宮へ旧参道をたどる

1996年9月7日


秋葉神社の神門
 
下社(1135)→千光寺(1150)→登山口(1155)→秋葉寺(1255〜1300)→秋葉神社上社(1320〜1335)→秋葉寺→登山口(1435)→下社(1445)

 
 大正12年9月1日、東京は未曾有の大震災に見舞われた。地震後発生した火災は東京の下町を全て燃やし尽くした。その中にあって、唯一無事であった地域があった。現在日本有数の電気街として知られる秋葉原である。全ての人々が迫り来る炎に逃げ惑う中、この地区の人々だけは逃げなかった。何度も何度も四方から迫り来る炎と必死に戦ったのである。それは想像を絶する壮絶な戦いであったという。秋葉原の地名は火防の神・秋葉権現がこの地区に鎮座していたことに由来する。街の人々を踏み留めさせたのは秋葉の神のご加護を信じたからだったのだろうか。

 
 火防の神・秋葉山三尺坊大権現に対する信仰は江戸期、全国的に爆発的に広がった。特に、度々大火に見舞われた江戸においては多くの講が作られ、各家々の軒下には秋葉大権現のお札が張られた。この秋葉大権現の総元締めが遠州気田川の奥、秋葉山頂に鎮座する秋葉山三尺坊大権現であった。今でも、静岡県下においては「秋葉街道」と呼ばれる秋葉山への旧参拝道が、その常夜灯とともに多く残っている。この秋葉山三尺坊大権現も明治初年の悪名高き神仏分離政策により、三尺坊は袋井の可眠斎に移され、山頂の秋葉大権現は秋葉神社となってしまった。しかも、非常に皮肉なことに、昭和18年の山火事により山頂の建物はことごとく灰になってしまった。しかし、現在でも秋葉の神に対する信仰は深い。毎年12月に行なわれる火祭りは多くの参拝者を集める。

 秋葉山は、南アルプス深南部から天竜川と気田川の分水稜線となって南に延びる長大な尾根の末端に盛り上がった885メ−トルの山である。この尾根上には麻布山、常光寺山、竜頭山等名立たる遠州の山々がそびえている。しかし非常に残念なことに、この尾根上には秋葉山から麻布山の手前までスーパー林道と呼ばれる悪名高き稜線林道が開削されてしまっている。この林道のために名山の誉れ高かった竜頭山など目茶苦茶にされてしまった。従って、秋葉山も今では山頂直下まで車で行ける。私も2年前、車で行って、山頂の秋葉神社にお参りした。しかし、これでは秋葉山に登ったことにはならない。秋葉山は「静岡百山」にも選ばれている山であり、一度は麓から登ってみたい。麓の気田川河畔には秋葉神社下社があり、山頂の上社まで昔の参道が通じている。

 今日は昼頃まで雨の予報。のんびり目覚めると、何と空は薄雲り。家にいても仕方がない。念願の秋葉山に登ってみよう。9時過ぎ家を出る。この気田川流域は実に遠い。2時間半近く走って11時30分、気田川河畔に鎮座する下社に着く。車を駐車場に放り込み、案内図でルートを確認して、カメラだけをもって出発する。ここから約800メ−トルの登りであり、3時間半もあれば往復できるだろう。気田川に沿った車道を10分ほど歩き領家坂下集落に到る。秋葉参拝に支えられた集落である。さらに5分ほど車道をたどり、標示に従い急な階段を登ると、「秋葉山里坊千光寺」に着いた。さらに2〜3分登ると、坂下集落の道と合流する。ここが登山口で大きな常夜灯が立っている。

 杉檜の植林の中をジグザグを切りながら登っていく。人影はまったくなく、セミの声だけが静寂を破る。道端には見慣れたタマアジサイの薄紫の花とともに、紫の穂の美しいヤブランの花が多い。登るに従い、眼下に大きく蛇行する気田川が見える。さすがに秋葉山の表参道、道は実によく整備されており、緩くもなく急でもなく登りやすい。この道は現在では東海自然歩道にもなっている。点々と常夜灯が並んでいる。いずれも江戸時代の銘がある。山頂までの距離を示す標示も多い。「秋葉街道を歩く会」が建てた立て札が「○○茶屋跡」などと旧跡を示している。30丁目のさくら茶屋を過ぎると4人連れの登山者に追いついた。上からは2人連れが下ってきた。いずれもザックを背負いまともな登山姿である。私はカメラ一つ、何となく気恥ずかしい。どこまでも同じような杉檜の中の単調な登りで、少々飽き飽きしてきた頃、立派な山門のある秋葉寺に着いた。境内は静まり返り人影はない。秋葉山三尺坊大権現が明治期に神仏分離の憂き目にあった際、山頂の本体は秋葉神社となったが仏教の面はこの秋葉寺が受け継いだ。山頂までもう一息である。すぐに秋葉神社神門に達した。昭和18年の火災で唯一焼け残った建物という。江戸期の建物である。

 1時20分、ついに山頂の秋葉神社上社に達した。本殿は昭和末期に建てられたという大きなコンクリート造りの建物で、なんとも風情がない。これだけ由緒ある神社である。せめて古来の木造建築にしてもらいたかった。前回来たときは賑やかだった境内も、今日は人影がほとんどなく社務所の巫女さんも欠伸をしている。本殿前から南方の展望がよいのだが、淀んだ視界の中に遠州の山並みが霞んでいる。遠州灘も霞みの彼方である。下山は早い。あっという間に下って、山頂から1時間10分で下社に着いた。

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