西上州 雨降山から東御荷鉾山へ 

道なき稜線を辿り、信仰の山から西上州の名山へ

2016年4月23日


 
東御荷鉾山山頂
御荷鉾スーパー林道より東御荷鉾山を望む
                            
元坂原バス停(744〜747)→雨降山登山口(834〜840)→登山道入口(851)→東峰(944〜956)→雨降山山頂(1015〜1020)→展望台分岐(1023)→稜線横断林道(1048)→廃棄された自動車(1111)→御荷鉾スーパー林道(1126)→法久集落下降点(1138)→妹ヶ谷下降点(1143)→東御荷鉾山登山口(1145)→東御荷鉾山山頂(1258〜1305)→東御荷鉾山登山口(1336)→法久集落下降点(1342)→最初の人家(1412)→法久神社(1431〜1436)→法久集落中心部(1443〜1514)→法久バス停(1555〜1641)

 
 先週、西上州の鮎川流域から温石峠、石神峠を越えて、長駆、東御荷鉾山を目指した。しかし、残念ながら時間切れとなり、山頂を踏むことはかなわなかった。どうも癪である。早々に復讐戦を計画した。ただし、東御荷鉾山登頂だけでは如何にも物足りない。東隣りの雨降山に登り、そこから稜線を縦走して東御荷鉾山に登頂できないものか。ただし、雨降山と東御荷鉾山は石神峠を挟んで稜線続きの山ではあるが、この稜線上には登山道はない。二万五千図を眺めるかぎり、縦走はそれほど困難とも思えないが、取り付いてみなければ様子はわからない。

 晴天の天気予報を信じて今日の山行きを決めたのだが、朝起きると、雲が厚く低く立ちこめ、今にも降りだしそうな天気である。そのうち回復することを信じて家を出る。北鴻巣発6時5分の高崎線下り一番列車に乗り、新町着6時44分。駅前発6時50分の上野村ふれあい館行き一番バスに間に合った。バスの乗客はわずか二人。藤岡、鬼石の市街地を抜け、神流川に沿った十国峠街道(国道462号線)を奧へ奧へと進む。窓から眺める山々の山肌は、一週間前のようなきらめく輝きは見られず、同じ新緑ではあるが、今日は濁った空気の中にぼんやりと霞んでいる。

 7時44分、元坂原バス停着。今日はここから歩き始めることになる。未だ早朝、今日は時間的余裕がたっぷりある。辺りに人影はない。支度を整え、この地点から山中に向う坂原林道を歩きはじめる。幅4〜5メートルの鋪装された立派な林道である。高度を上げると眼下に神流湖が広がった。ただし、その視界はぼんやりと霞んでいる。いまだ天気の回復の兆しはない。

 林道は大きなヘアピンカーブを2度3度と繰り返しながらグイグイ高度を上げていく。辺りは手入れのよい杉の植林である。登るに従い、辺りは霧が漂いだし、視界はますます悪化する。おそらく低く立ちこめた雲の中に入ったのだろう。周囲に人の気配はまったくなく、通る車もない。林道を歩き続けること47分、ようやく御荷鉾山山稜の山腹を走る御荷鉾スーパー林道に達した。二万五千図の記載と異なり、この地点に雨降山への登山口がある。立派な道標が更に上部に向う砂利道の林道を「雨降山」と示している。朝食のバンを頬張りひと息入れる。

 道標に従い砂利道林道を登る。右側上部の植林の中で人声がする。見上げると3人の人影が樹林の中を歩き廻っている。どうやら山菜取りのようである。大声で話しかけると、男性が下ってきた。話を聞くと、サンショの葉を採っている由。採取した葉を見せてくれた。

 この地点で辿ってきた林道は終点である。ただし、鳥居が立っており、登山道がその奧へと続いている。よく踏まれた登山道を登る。辺りはガスが立ちこめ、視界は利かない。物音一つしない樹林の中を落ち葉を踏みしめる私の足音のみが響く。時折、蜘蛛の巣が登山道を横切る。今日この道を歩くのは私が最初、否、おそらく唯一人なのだろう。やがて、ガスに煙る行く手上方に、独特の形に積み重なった大岩が見えてきた。「蛙のおんぶ岩」と呼ばれる大岩である。更にその上方には「○○霊神」と刻まれ、注連縄の掛けられた3個の石碑が並んでいる。更にその上方には「大山祇命」と刻まれ、注連縄の掛けられた石碑が現れた。何やら周囲は宗教臭くなってきた。

 実は雨降山はその山頂の東方に「東峰」と呼ばれる約950メートルの前衛峰を伴っている。そして、この東峰は山岳宗教の拠点となっている。三波川集落に鎮座する琴平神社の奥の院として開かれ、合わせ御嶽三柱大神が祀られ、山岳宗教の修業地なのである。従って、歴史的に見るなら、「雨降山」は現在主峰と見做されている1012.6メートルの三角点峰ではなく、現在東峰と呼ばれるこの小峰が登山対象の山であった。

 すぐに鳥居を潜って東峰山頂に到着した。石碑と祠が並び、傍らにはお籠り小屋が建つ。いかにも山岳宗教の修業地らしい雰囲気である。ただし、一段上にはNHKの通信施設が設けられ、新旧の施設の対比が面白い。無人の山頂に座り込む。辺りは相変わらずガスが渦巻きいっさいの展望は得られない。近くの採石場からと思える轟音が場違いのように響き渡った。

 10分ほどの休憩後、雨降山本峰を目指して尾根道を進む。周囲はここまでの手入れのよい杉の植林から落葉樹の自然林へ変わる。そして登山道には岩が目立つようになる。東峰から20分も登ると、ようやく雨降山山頂に達した。山頂は周りを落葉樹の自然林で囲まれた小平地で、真ん中に1012.6メートルの三等三角点「千野沢」が確認できる。ただし、消えかかった私製の山頂標示がぽつんとあるだけで、到って愛想のない頂きである。おまけに相変わらずガスが渦巻き、何も見えない。ひとまず腰を下ろしてみたものの、所在ない。早々に出発する。

 さて、ここからいよいよ石神峠に向けて道無き稜線の縦走である。一体どんな結末が待ちかまえていることやら。山頂に設置された道標が、「展望台」と指し示す西に下る踏跡を辿る。ほんの3分も下ると、道標があり、展望台への登山道は稜線を離れ、左に下っていった。石神峠に続く稜線の行く末を示す標示は何もない。しかし、私はその稜線を辿るつもりである。

 それでも稜線上には微かに踏跡らしき気配がある。気配を追って緩やかに下り、現れた小岩峰に達すると、その先は岩場の急斜面で下れない。戻ってこの岩峰を左から巻く。植林の中の緩やかな斜面を下っていく。尾根筋もはっきりせず、踏跡の気配も消えた。左から開鑿工事中の林道が上がってきており、その工事現場の先端を通過する。ただし、人影はない。再び現れた踏跡を追って小峰を越えると、テレビアンテナが現れ、すぐに稜線を横切る鋪装された林道に下り立った。二万五千図を眺めると雨降山とその西の968メートル標高点峰との鞍部を越える林道が記されている。この林道だろう。

 林道を横切り、向いの斜面に取り付く。ここまで切れ切れながら踏跡の気配はあったが、赤テープの類いはまったく見掛けなかった。このルートを踏破したものがいないとは思えないがーーー。行く手に一峰が高々と立ち塞がっている。地図上の968メートル峰だろう。登り傾斜が次第にきつくなる。踏跡の気配は直登を諦め、左から巻き気味の斜登に移る。私も懸命に踏跡の気配を追うが、次第にその気配も消えていく。トラバース気味に登る斜面は何時しか急峻となり、手足総動員で登るようになる。
一歩一歩足場を確認しながら、懸命に斜面を這い上がるが、ついに、これ以上の前進は身の危険を感じだした。一歩足場が崩れれば急斜面を転がり落ち、とても無事ではすみそうもない。急斜面の中腹で孤立状態に陥っているのだ。引き返そうと、後方を振り返るが、前進より、後退の方が危険なことを悟る。もはや前進以外危機を脱する方法はなさそうである。足場を刻み、潅木の根にかじり付き、何とかこのピンチを脱した。今思い返しても、ぞっとする。

 上部の緩斜面に達し、やれやれとひと息つく。再び現れた踏跡の気配を追って潅木の斜面を登って行くと、何と廃棄された自動車が現れたではないか。しかし、どうやってこの廃棄自動車をこの地点に運び込んだのかまったくもって分からない。場所は木々が茂る山中で、付近には道、あるいはその痕跡はまったく見当たらない。何とも不思議である。

 そのまま進むと、目の前に広大な緩斜面の広がりが現れた。落ち葉を蹴立ててどこでも自由に歩ける。何とも気持ちのよい広がりである。ただし、踏跡、あるいはその気配は完全に消えてしまった。ここは一体どこだろう。二万五千図と睨めっこする。どうやら968メートル峰の南西に広がる斜面のようである。石神峠に向う稜線は968メートル峰から北西に向っている。この968メートル峰の山頂部を左から巻くようなルートを取ってきたが、まだ巻き終わっていないということである。ただし、ルートとする稜線に戻るのはちょっと大変そうである。この緩斜面を下れば山腹を巻いている御荷鉾スーパー林道に出られそうである。

 厚く積もった落ち葉を蹴立てて、走るように斜面を下ると、あっさりと鋪装された立派な林道に下り立った。御荷鉾スーパー林道である。ここまで来れば現在位置も明確であり、いっさいの危険はない。通る車とてない林道を西に進む。10分も歩くと、法久集落への下降点に達した。つい一週間前に下った地点である。更に林道を進む。行く手にこれから登る東御荷鉾山が高々とその姿を現した。いつの間にか、立ちこめていたガスは消え去っている。さらに御荷鉾スーパー林道を5分も進むと、妹ヶ谷集落への下降地点に達した。一週間前に辿った地点である。登りとなった御荷鉾スーパー林道をほんの2分も進むと、そこが東御荷鉾山登山口であった。スーパー林道から分かれて地道の林道が右山腹を登って行く。いよいよここから約350メートルの標高差を登らなければならない。約1時間の行程だろう。

 地道林道を100メートルほど進み、道標に従い、ザイルのたらされた急斜面を這い上がって東御荷鉾山の東尾根に這い上がる。あとは、ひたすらこの尾根を辿ることになる。樹林の中の単調な登りが続く。350メートルの標高差などひと登りと思ったのだが、登るに従い息が切れだす。連続して歩けず、時折立ち止まるようになる。そして、その間隔が次第に狭まる。自分ながらそのだらしなさに腹が立つ。いささか歳を感じた登山となった。人影はおろか、ひとの気配もない。落ち葉を踏みしめる音と、荒い息遣いの音のみが響く。丁目石が現れた。「四十五丁」とある。頂上は五十二丁のはず、もう少しの頑張りだ。一段登り、もう頂上かと思うと、更にその先に斜面が続いている。その連続である。

 最後は息も絶え絶えで登り続けると、ついに山頂が目の前に現れた。2基の立派な石灯籠の間を通り、石碑の立つ山頂に登り上げた。誰もいない。何と、登山口から1時間15分も掛かっている。それでも計画通り登り上げた。由としよう。

 山頂の周囲は潅木が切り払われ、素晴らしい視界が確保されている。見渡す視界の先には幾重にも山並が重なり、一体どこから手をつけたらよいやら。ただし、ガスは晴れたといえども春特有の霞みは深く、すっきりした展望とはいかない。先ずは、足下の神流川の向こうに二子山が確認できる。その右の山頂部を削り取られた哀れな山は叶山の跡だろう。そしてその背後のたなびく雲から頭を覗かせている山並は、紛うことなく、甲武信ヶ岳、三宝山、木賊山である。目を大きく左に降ると、山頂に鉄塔が建つひときわ高い山が見える。あの山こそ埼玉県の誇る名峰・城峰山である。何やら嬉しくなってしまった。

 少々腹ごらしをした後、登ってきた道を一気に下る。下りは早い。わずか30分で登山口に下りついてしまった。あとは御荷鉾スーパー林道を少し戻り、法久集落へ下るだけである。少々分かりにくいルートではあるが、一週間前に下った道でありなんの心配もない。樹林の中の小道を誰に合うこともなく法久集落に下りついた。バスの時間に大分余裕があるので、隣りの山上集落である露久保集落へ行ってみようと道を探して集落内を歩き廻ってみたが、結局、道がわからず諦めた。法久集落内は廃屋が目立つ。もはや交通不便な山上集落での生活は成り立たなくなってきたのだろう。

 法久バス停16時41分の新町駅行きバスに乗る。
 

登りついた頂き
   雨降山   1012.6 メートル
   東御荷鉾山 1246.2 メートル
 

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