八ヶ岳 編笠山往復

21年ぶりの八ヶ岳は満開の石南花で迎えてくれた

1998年7月12日

              
 
観音平(600〜610)→雲海展望台(650〜655)→押手川(725〜730)→梯子下(820〜830)→編笠山(855〜930)→青年小屋(955〜1000)→押手川(1100〜1115)→雲海展望台(1145)→観音平(1225)

 
 21年ぶりに八ヶ岳に行ってみようと思った。昭和52年3月に赤岳に登って以来、この山域には一度も足を踏み入れていない。しかし、静岡からでもかなり遠い。本来一泊で行くべきなのだが、足の状態が二日にわたる歩行を許さない。この山域最南端・編笠山なら何とかぎりぎり日帰りができるだろう。

 早朝というより深夜に近い午前3時半、真っ暗な中家を出る。空には星が見える。今日の天気予報は「曇り時々晴れ、所によって一時雨」。梅雨のこの時期では仕方がない。勝手知った国道52号線を北上する。さすがにこの時間は前後に車は全くない。次第に夜が白け、周囲の山々がぼんやりと姿を現す。韮崎市の手前まで来ると、行く手に目指す八ヶ岳が見えてきた。今日登る編笠山の編み笠に似た端正な姿も確認できる。しかし、まだずいぶん遠い。左手には鳳凰三山がモルゲンロートに輝きだしている。韮崎インターから中央高速に乗る。八ヶ岳がぐんぐん近づいてくる。中腹には雲がたなびいているが、山頂部はくっきり見える。山頂からの展望が期待できそうである。小淵沢インターで降り、ちょうど6時、登山口となる観音平に着いた。車の距離メーターは141キロを示している。駐車場にはすでに10台ほどの車が停まっている。おそらく、昨日入山した登山者のものだろう。正面に甲斐駒が見える。山頂からの展望に胸が膨らむ。この地点は、すでに標高1,500メートルは越えている。Tシャツ1枚だと寒いぐらいである。

 道標に従い、よく踏まれた登山道を緩やかに登っていく。周囲は気持ちのよいカラマツ林で、林床は低い笹に覆われている。道端にはシモツケ草がたくさん咲いている。鴬の鳴き声が早朝の林に響く。薮山を歩き慣れているものにとって、この道はまさにハイウェーである。知らずに足は速まり、身体も温まる。中年の夫婦パーティを追い抜き、第一目標である標高1,880メートルの雲海展望台に着く。小平地でベンチが置かれている。大きなザックを背負った3人連れが休んでいた。これから縦走に向かうのだろう。期待していた展望は皆無でがっかりする。

 樹相が変わり、モミ、ツゲ、ダケカンバなどの自然林となる。林床の笹も消え、苔むした原生林の趣が次第に濃くなる。登山道も次第に傾斜が増し、木の根と岩の道となる。標高2,000メートル付近で単独行の若者に抜かれた。私を抜くとはたいしたやつだ。登るに従い、周囲の原生林はますます深まる。突然、白い大柄の落花が足元を埋める。見上げると、何と、シャクナゲである。進むに従い、落花は次々と現れる。まさか、今日この山でシャクナゲに出会えるとは思わなかった。わずか30分の登りで、第二目標である「押手川」と呼ばれる標高2,100メートル地点につく。周りはモミを中心とした鬱蒼たる原生林である。シャクナゲが群生しており、この付近ではちょうど満開である。それにしても、八ヶ岳がこれほどの鬱蒼たる原生林を持っているとは思わなかった。ここから山頂まであと1時間である。

 道の状況ががらりと変わった。岩と樹林の中の大急登である。木の根の絡みつく岩場を1歩1歩登る。今までの快調なペースも落ち、ひと息ついては気を取り直して登るという状況となった。見上げても急斜面がどこまでも続いている。鉄製の梯子が現れたところで、我慢できずに道端に座り込む。小休止後、再び急登に挑む。振り返ると樹林越しに南アルプス方面が見える。ただし、山々は厚い雲に覆われてしまっている。木々の背が次第に低くなり、ハイマツが現れだす。高度計は2,400メートルを示している。山頂は近い。

 ついに森林限界を突破した。ハイマツのまばらに生えた斜面が山頂に向かって緩やかに延びている。わずか5分で、2523.7メートルの編笠山山頂に到着した。大きな岩が累々と積み重なった広々とした頂で、誰もいない。目の前に、八ヶ岳主稜線の山々が高々と聳え連なっている。鞍部を挟んだすぐ目の前の双耳峰は権現岳だ。その左奥には主峰・赤岳が鋭角的な三角錐を大空に突き上げている。そのさらに左は阿弥陀岳だ。どの山もガリガリの山稜で連なっており、凄まじい迫力である。権現岳の山頂直下には権現小屋も見える。夢中でシャッターを切る。ガスが断続的に湧き上がってきて、その度に赤岳山頂を隠す。このすばらしい展望がガスに覆い隠されるのも時間の問題である。目を反対側に向けると、眼下に広々と八ヶ岳山麓の森が広がり、その向に南アルプス連山が壁のように聳えている。しかし、中腹以上は雲の中で全く個々の山を同定できない。岩峰に見とれながら握り飯を頬張っていると、権現岳方面から大きなザックを背負った女性も含めた6人パーティが到着した。私が出発しようとするころ、途中で抜いた夫婦連れがようやく到着した。しかし、赤岳も権現岳もすでに山頂はガスに隠されてしまっている。かわいそうに。

 30分以上もの長居の後、権現岳との鞍部に向かって下る。シャクナゲの中の切り開きを少し進むと、巨岩が累々と積み重なったゴーロの斜面に出た。斜面の底に青年小屋が見える。赤ペンキに従い、巨岩の上を右へ左へと渡り歩きながら小屋を目がけて下る。小屋は営業しているようだが人影はなかった。さて、ここで今後のルートを考えなければならない。ここから3時間もあれば権現岳を往復できる。時刻はまだ10時前、時間的には十分可能である。しかし、見上げる岩稜は厳しそうで、足がもつかどうか自信がない。しかも、ガスがますます濃くなってきており、登っても展望は絶望的である。このまま巻き道を押手川に下ることにする。シャクナゲや背の低いツゲの切り開きの道を緩やかに進む。この道も確りしている。周りの苔むした原生林はため息が出るほど美しい。辺りがガスってきた。ガスがこの高度まで降りてきたようだ。涸沢のほとりでひと休みする。時間はたっぷりあるので急ぐことはない。水平な道が終り、本格的な下りとなる。押手川まではひと息と思ったが意外に長い。夫婦連れが登ってきた。「山頂は晴れてますか」と女性。「9時までは晴れていたが。もう少し早く登ってこれたら」と私。点々とパーティが登ってくる。編笠山だけならこの時間で十分なのだ。しかし、私は早く登ったおかげですばらしい展望に恵まれた。山では早立ちは三文の得である。

 まだかまだかと苛々する頃、ようやく押手川に着いた。改めて満開のハクサンシャクナゲを愛でる。おばちゃんパーティが息せききって登ってきた。「山頂はまだ遠いですか」。「ここからが本格的な登り。ここまでは登りのうちに入らない」と私。「うぇぇ」と彼女達。原生林の中をどんどん下る。さすがに足首が痛い。すでに怪我をしてから1年以上経つのによくなる兆しはない。下の方でにぎやかな女性の声が聞こえる。下っていくと、大きなザックを持った10人ほどの女子高生のパーティが展望台で休んでいた。これから登ると見えて皆元気がいい。若い女性に次々と挨拶されてこちらが照れてしまう。12時25分、愛車に帰り着いた。駐車場は50〜60台の車で溢れていた。

 16時前には自宅に帰り着いたが、静岡は大雨であった。