安倍東山稜  青笹から真富士山へ 

安倍東山稜全山縦走への最後の行程

1993年11月28日

              
 
有東木集落→細島峠→青笹→浅間原→第二真富士山→第一真富士山→平野集落

 
 安倍川の源流からその東岸に添って静岡市内の中心部まで延びる一本の顕著な尾根がある。安倍東山稜と呼ばれるこの長大な尾根は、八紘嶺から青笹までは甲駿国境稜線をなし、その後静岡市と清水市の市境をなして最後は浅間神社において市街地に没している。この40〜50キロにおよぶ稜線上には八紘嶺、大光山、十枚山、青笹、真富士山、龍爪山、賎機山、等のいわゆる安倍奥の山として知られる山々が起伏する。昨年の2月に静岡市に居を構えて以来、この全稜線上に足跡を残してみようと思い立った。そして、この計画も7回の山行きにより残すところ細島峠〜真富士山の間だけとなった。
 
 いよいよ最後の仕上げをするときが来た。今回の計画は有東木から細島峠に登り、稜線を一路南下して青笹、第二真富士山を経て第一真富士山までの行程である。途中浅間原から先、かなりの藪漕ぎが予想されるが、逆に青笹からの展望はすばらしいと聞く。明日は低気圧が東方海上に去り、この冬第一級の寒波をともなった優勢な高気圧が張り出してくる予報である。晴天は約束されているが、強風が吹き荒れるであろう。
 
 山に行く前の晩はいつも期待と不安で眠れない。まんじりともせず5時半に起きる。今回は交通手段に少し工夫を凝らした。行きはセンター発7時の有東木行きのバスに乗れば問題ないが、帰りの平野発のバスは16時30分頃と18時50分頃しかない。このため、下山予定の平野集落までマイカーで行き、ここに車を乗り捨て有東木行きのバスに乗ろうと云うわけである。6時40分、車で出発する。早朝の梅ヶ島街道をゆっくり走って7時15分平野集落に着いた。バスは7時56分、少々早すぎたようだ。やってきたバスは乗客ゼロ、私一人を乗せてゆっくり有東木集落へ登っていった。1ヶ月ぶりの有東木集落は、沢沿いの山葵畑と斜面の茶畑が相変わらず美しい。紅葉もすでに終わった仏谷ノ段の斜面が朝日に輝いている。
 
 8時17分、勝手知った道を細島峠へと出発する。前回道標もなく迷った林道から峠道へ取り付く地点にはしっかりした道標が立てられていた。杉檜の急斜面をひたすら登る。前回はじめじめして何となく気持ちの悪かったこの道も、冬枯れの今は乾いた感じである。一度通った道は目標も頭の中にあり気分的に楽である。灌木地帯に入り再び植林地帯に入ってそろそろ峠と思う頃上方で人声がし、10時7分細島峠に達した。有東木集落から今日は1時間50分で登ったことになる。ちょうど仏谷ノ段方面から子供3人を含む6人パーティがにぎやかに到着したところであった。急斜面の登りで気付かなかったが、休むと気温が非常に低い。おまけに強風がうなりをあげて吹き荒れている。慌ててヤッケを着込む。
 
 昨晩一生懸命作った稲荷寿司を四個ばかり頬張り、いよいよ青笹に向け出発する。小さな瘤をいくつも越えながら次第に高度を上げていく。途中でさきほどの6人パーティを追い抜く。稜線は強風がすさまじいうなり声を上げ恐いほどである。背丈ほどのスズタケが両側を覆い展望は利かない。行く手に広々とした山頂が見えてきてすぐに青笹山頂に達した。山頂には単独行者がのんびりと寝転がっていた。ここはすばらしい山頂である。低い笹に覆われ、360度の展望が開けている。しかし残念ながら、南アルプスは雪雲にその姿を隠されている。そのかわり正面に山頂を雪に染めた富士山が駿河湾まで雄大な裾を引いている。天気のよい日に心ゆくまで過ごしてみたい山頂である。田代峠に向けて立派な切り開きがある。このルートもいつかたどってみたい。6人パーティが到着したのを潮に先に進む。
 
 スズタケの中の立派な切り開きの道を進む。広々とした次のピークも背より高いスズタケに一面覆われ展望はない。大平集落への道がスズタケの藪の中に切り開かれている。さらに進むと1,498.9メートルの三角点が道端にぽつんとある。緩く下って登ると送電線の鉄塔が二基ある。このあたりを浅間原と云うらしい。西側に下渡集落への道、東側に大平集落への道が下っている。富士山は相変わらずきれいであるが、南アルプスを包み込んだ雪雲が千切れて飛来し、時々雪花さえ舞う。稜線上の切り開きはここでおしまい、いよいよ密生したスズタケの藪漕ぎである。
 
 覚悟を決めて背より高いスズタケの密生に突っ込む。顔にあたる笹はうるさいが、踏み跡は確認でき、龍爪山と真富士山の間で経験した地獄のスズタケ漕ぎに比べればずっと楽である。これでは物足りないなと思う余裕さえ生じる。20分もスズタケの藪を漕ぐとスズタケは消え、灌木の枝のうるさい痩せた藪尾根となる。1,445メートルの顕著なピークに達するが特に標示はない。第二真富士山との鞍部を目指して下りに入る。清水市側は檜の植林、静岡市側は自然林である。こんなに下っていいのかと思うほど下る。行く手に第二真富士山が高く立ちはだかっている。ようやく鞍部に到着した。安倍川流域と興津側流域に踏み跡が下っている。
 
 覚悟を決めて登り出すがさしたることもなく第二真富士山山頂に到着した。山頂には同年輩の単独行者が休んでいた。青笹以来初めてあう登山者である。「浅間原のほうからですか」と尋ねるので、青笹から縦走してきたことを告げると、「私も一度試みたが、藪が深いので引き返してしまった」とうらやましそうに云っていた。山頂は東面のみ展望が開けていて、名前に違わず富士山がきれいである。写真を撮ってすぐに真富士峠に更け出発する。ここからは完全なハイキングコース、道は見違えるほど確りしている。しかし、痩せた岩稜のかなり悪い下りでロープが張り巡らされている。真富士峠は展望もない痩せた小さな鞍部で平野集落への道が下っている。小休止の後、いよいよ第一真富士山の登りにかかる。しばらく登ると興津側流域河内集落への下山道が分岐する。山頂が近づくにつれ、心が踊る。この山頂に達すればついに安倍東山稜全山縦走が完成するのだ。早く達したいとの思いと、終わってしまうのは何となくもったいない気持ちと、心は複雑である。山頂に達したら万歳でもしようか。そんなことを思っていると、ひょいと山頂に出てしまった。13時35分である。
 
 この瞬間、ついに2年掛かりの一つの計画が完了したのである。思えば昨年の9月、山伏をヤンブシと呼ぶことも知らず、この未知の山域に取り付いて以来8度にわたる山行きの結果であった。最初はハイキング程度の山域と思い軽い気持ちで挑んだが、メイン登山道ですら道標は不備であり、稜線は人に会うこともなく到る所でスズタケの藪が深かった。大光山ではガスに巻かれて方向感覚を失った。下山予定していた刈安峠道が通行止めのため急きょ奥大光山から廃道と思われる微かな踏み後を必死で下ったこともあった。龍爪山と真富士山の稜線では踏み跡もない猛烈なスズタケの藪を死物狂いで漕いだ。一方、この山域はどこからも南アルプスが目の前に大きく広がっており、聖岳、赤石岳、荒川岳の南部の巨峰はもちろん、遠く白峰北岳の姿さえ確認できた。また、有東木や中ノ段の桃源郷を思わすすばらしい山上集落も知った。8回の山行きはどれも数々の思い出に満ちている。そして今、この山域の土地勘はもはや誰にも負けない自信を持っている。
 
 山頂にはテントが張られてあり、夫婦と幼児を含む子供3人がにぎやかに跳ね回っている。側に単独行者が昼寝をしていた。大岩の上に座り、ゆっくりと煙草を吹かす。目の前には富士山が緩やかな裾を駿河湾まで引いている。湾にはいくつも船が浮びその向こうには伊豆半島が石廊崎まではっきりと見える。駿河の山の典型的な展望である。14時、下山にかかる。ふと思いついて、真富士神社に寄ってみることにする。やはり、この8次にわたる縦走の無事完成に対し、感謝の念を表わしておかなければなるまい。行ってみると、社殿の中の祠は新しくなっていた。御賽銭を上げ、真富士の神に感謝の意を告げる。
  ここでおもしろいことに気付いた。真富士山の山名の由来として、一般的に次の二説がある。
   安倍川西岸の見月山から眺めると、富士山が真富士山のちょうど真上に見えるから。
   真富士山から富士山を眺めると、剣ヶ峰がちょうど正面に見えるから。

 どちらの説も何となく納得が行かないと思っていた。

 真富士神社から、木の間を通してではあるが富士山が見える。何と、ちょうど第一真富士山と第二富士山のど真中に見えるではないか。あたかも三つの山がちょうど並んだような趣である。真富士山の由来は、「真中富士山」である。考えてみれば、真富士山よりも真富士神社の名前が先であり、この神社を基準に山名を考察するのは当たり前のことではないか。
 
 勝手知った道をどんどん下る。この時刻になっても登ってくるパーティがいくつかある。下の林道まで車で来れば、1時間強で山頂に達することができるからだろう。真富士峠からの道を合わせ、さらに下ると林道に達した。登山者のものと思える数台の車が置かれている。私はただひたすら平野集落まで歩くだけだ。林道を少し進んで、再び山道に入る。今年の8月には萱との藪が深く苦労したこの道も冬枯れの今は楽々である。薄暗い植林地帯を抜け、歩きにくい沢状の道を下ると再び林道に出る。今日はバスの時間を気にすることはない。道々に安置されている30数体の石仏を観察しながらのんびりと林道を下る。後から乗用車が来て、親切にも乗っていかないかと声を掛けてくれる。途中の作業小屋の所で追い抜いた男女3人のパーティである。丁寧に断ってさらに下る。第一、第二真富士山が夕日に染まっている。16時10分、今朝別れた愛車と再会した。私の心は満足感に満ちあふれていた。