地蔵峠から青笹を越えて徳間峠へ

甲駿国境の四つの古い峠を結ぶ山旅

1994年3月27日

              
 
有東木集落→地蔵峠登り口→マサキ峠→地蔵峠→仏谷の段→細島峠→青笹→田代峠→徳間峠→大平バス停

 
 ここしばらく道なき藪尾根を辿るハードな山行きを繰り返した。地図とコンパスを頼りの縦走は冒険心を満足させる面白さはあるが、いささか精神的には疲れる。たまにはルートファインディングの必要のない山行きをしたくなった。こんなことを考えていたら、無性に青笹に行きたくなった。青笹は昨年の11月に細島峠経由で登ったが、低い笹に覆われた明るい山頂と360度の大展望を持つすばらしい山だ。登り口の有東木集落の桃源郷を思わす雰囲気もすばらしい。それならば有東木集落から地蔵峠に登って青笹へ縦走するのがよい。地蔵峠道は甲駿を結ぶ昔のメインルートの一つであり、峠には地蔵堂があるという。前々から機会があれば一度辿ってみたいと思っていた峠道である。青笹からの帰路は高ドッキョウ山稜に足を踏み入れてみよう。かなり荒れている模様だが、この山稜上には登山道がある。前回青笹に登ったとき、山頂からこの山稜に向かって立派な笹の切り開きが下っているのを確認している。青笹からこの山稜を縦走し、適当なところから興津川流域に下ればよい。

 朝起きると明るい太陽の光が窓一杯にあふれている。快晴無風の好天が今日一日約束されたようである。7時5分の有東木行きバスに乗る。バスの窓から眺める風景も春の匂いがする。行く手はるかに見える八紘嶺はまだ白い装いであるが、近郊の山々からはすっかり雪は消えている。8時20分、有東木着。今日は満開の梅と、鶯のさえずりが私を迎えてくれた。何度来てもすばらしい山村である。勝手知った林道を登って行く。高度を上げるに従い、安倍川を挟んだ山々がせり上がってくる。山伏から七ツ峰に連なる山稜の背後に大無間連峰、そのまた背後には南アルプスの巨峰が見え出す。目の前にはついこの間縦走した二王山から八森山への稜線が連なっている。

 一面に茶畑が広がった葵高原と呼ばれる緩斜地を進む。やがて細島峠分岐を過ぎる。このまま林道をまっすぐ進めば地蔵峠道に入るはずであるが、有東木集落を出て以来道標の類いは一切ない。何となく不安である。平坦な道を10分も進むと、9時20分、地蔵峠の登り口に到着した。林道が大きく左にカーブする地点である。ここに初めていくつもの道標がある。その中に「梅ヶ島小学校1,2,3年遠足。地蔵峠ー十枚山」とあるのにはびっくりした。小学校1年生でこのコースを縦走するとは大したものである。日溜まりに腰を下ろして今日初めての休憩を取る。ここからいよいよ山道である。沢状の地形に添って確りした道を10分も進むと、先程分かれた林道を横切る。山葵田の新たな造成地を過ぎ、道は植林の中の急登に変わる。地蔵峠道は途中、仏谷ノ段より西に張り出した顕著な支尾根を乗っ越す。この支尾根乗っ越し地点をマサキ峠というのだが、途中現われる道標は「正木峠」との表示と「真崎峠」との表示の二種類ある。ジグザグを切って急登すると、9時50分、マサキ峠に到着した。

 峠は何の変哲もない植林の中で、もちろん展望もない。峠は五叉路となっていて、北側の藤代集落へ下る道、地蔵峠道、尾根通しに続く作業道が交差している。10時、地蔵峠に向け出発する。ここからルートは、この支尾根の北側を絡むようにして高度を上げ、仏谷ノ段と天津山の鞍部である地蔵峠に向かう。所々氷結した残雪が現われ出す。アイゼンを着ければ安全なのだが、雪のない所では落ち葉が爪に刺さってかえって歩きにくくなる。滑らないように慎重に進む。次第に雪道の割合が多くなり、いつしか完全な雪道となった。高度が上がるに従い、春独特のしまった残雪となる。こうなればアイスバーンと違い歩きやすい。支尾根北側斜面のトラバース道となり、左側の視界が開ける。十枚山から天津山に掛けての稜線が行く手高く見渡せる。積雪はますます増し、5月の上越国境のような雰囲気である。谷側にスリップしないように慎重に進む。雪の上には昨日登ったと思われる踏み跡があるが、今日進むのは私が最初のようである。次第に稜線が近づき、10時40分、地蔵峠に到着した。

 小広い峠は樹木に囲まれて展望はないが、それなりの雰囲気を持った気持ちのよいところである。昨年11月、細島峠から十枚山まで縦走した時には、この峠を稜線ぞいに通過したため地蔵堂を見過ごしてしまった。ほんの10メートルほど甲斐側に下ると目指す地蔵堂があり、中に赤い前掛けを着けたお地蔵さんが安置されている。地蔵堂の前に南部町の立てた簡単な案内書きがあり、甲斐と駿河を結ぶこの峠の昔の賑わいを語っている。「甲駿の栄枯を見しや地蔵仏」の句が添えられている。多くの旅人がこの峠を越えていった。そして多くのドラマがあったことだろう。

 10時55分、稜線を南に辿り、今日最初の山・仏谷の段に向かう。北斜面のため、締まった残雪が豊富にあり、キックステップがよく利いて登りやすい。先行者がいると見えて真新しい踏み跡がある。山頂直下に至ると大きく展望が開けた。南アルプス南部の大展望である。真っ白な稜線が真っ青なキャンパスを鋭く切り裂き、何度眺めても感動するピクチャーである。どこが山頂かわからないような高まりの続く仏谷ノ段山頂部を進む。スズタケの中の道である。雪が斑となった斜面を少し下ると見慣れた細島峠に到着した。青笹山頂での大展望が待っているかと思うと心が逸り、そのまま通過する。くねった狭い稜線を進むと行く手に青笹のピークが見えてきた。写真を撮ろうと立ち止まっていると前方から登山者が近づいてくる気配。だが、死角となっていて互いに姿はみえない。現われた登山者は突然私を目の前にしてぎくっとした様子。「うぁ、人間か、いや失礼、びっくりしました」。見れば大きなザックを背にしたたくましい若者である。今日十枚山を出発して青笹まで行き、戻って細島峠から有東木集落に下るとのこと。荷物の大きさからして、昨日からの2日にわたっての縦走であろう。いつも思うのだが、山で出会う単独行の若者は、誰も無口で、はにかみ屋で、それでいてすばらしいすがすがしさを持ち合わせている。

 再び深まった雪を踏み締め緩やかに登ると、12時20分、青笹山頂に達した。待ちに待った360度の大展望である。今日はこの大展望を楽しみにやってきたのだ。天も味方してくれたとみえ、快晴無風、これ以上は期待できないと思われるすさまじい大展望である。視線は自然と南アルプスの真っ白い山々に釘付けとなる。悪沢岳、赤石岳、聖岳、上河内岳、光岳、そして深南部の山々。その前には大無間連峰が屏風のように広がっている。反対側に目を移せば、富士山が裾野を大きく駿河湾にまで引き、その向こうには伊豆の山々が春霞の中にうっすらと浮かんでいる。夢のような風景である。南アルプス、富士山、駿河湾の三つが駿河の山の展望を特徴付けるが、この三点セットがこれほどまでに完璧に楽しめる場所はそう多くはない。山頂には中年の男女がのんびりと食事をしていた。まったく急ぐ様子もなく、ただひたすらこの展望を楽しんでいる。縦走などというこせこせした考えを持たず、ただこの青笹一点を目指してやってきたのであろう。私もしばし展望を楽しみながら昼食をとる。山頂はぽかぽかして暖かい。

 12時30分、いよいよ縦走の後半に掛かる。ここからは安倍東山稜に分かれを告げ、高ドッキョウ山稜を辿る計画である。この高ドッキョウ山稜に足を踏み入れるのは今回がはじめてである。背よりも高いスズタケの密生を切り開らいた急斜面を下る。すさまじいほどの急斜面であるが、豊富な残雪があるためキックステップがよく利いて気持ちよいほど快調に下れる。ところが、しばらく下り、スズタケ密生地から灌木地帯に入ると、豊富な残雪は消え斑なアイスバーンの道となった。その上すさまじい急斜面である。とてもではないがスリップしてしまって歩いては下れない。立ち木にぶら下がるように掴まりながらの困難な下降となった。一度はスリップして右斜面の灌木の中に転がり落ちてしまった。どこまでも続くこの下降は泣きたい気持ちである。

 ようやく傾斜が緩やかになったと思ったら、痩せ尾根となった。案内にあった通り、両側が崩壊し極端なナイフリッジとなった地点に出た。距離はほんの5メートルほどであるが、幅わずか数センチのぐじゅぐじゅのリッジはとてもでないが歩けない。甲斐側に桟道を渡してルート工作されているが、桟道も崩壊した土砂に埋まり通過もかなり危険である。悪場を越えてほっとひと息つく。灌木越しに天津山東面と篠井山がよく見える。天津山東面上部はまるで一枚板のような急斜面となって切れ落ちているが、下部にかけては緩やかなカーブを描いて篠井山に続いている。篠井山はどっしりとした一つの山塊をなしている。来し方を振り返ると、青笹の山頂からものすごい急斜面が一気に切れ落ちている。尾根筋はほとんどなく、よくもこの急斜面を下ってきたものと感心する。足元に光沢のある赤っぽい葉を持ったイワカガミの群生が目立ち始める。すっかり雪の消えた植林地帯をどんどん下っていくと13時30分、ついに田代峠に到着した。

 樹林に囲まれ、まったく展望のない峠には明治30年銘の石仏がひっそりとたたずんでいた。人影のない峠はあくまでも静かである。富士川流域から興津川流域に通じるこの峠も、昔は甲斐と駿河を結ぶメインロードとしてにぎわったはずである。現在、この峠は東海道自然歩道が通過しており、案内板やベンチ、テーブルが設置されている。ここから大平集落に下ってもよいが、まだ時間が早いので、さらに稜線を進んで徳間峠まで行くこととする。いきなり樹林の中の急登となった。到る所にザイルが張られているが、ザイルには頼らないのが私の主義である。立ち木、岩角を掴んで、足というより腕力で登る。灌木の生えた痩せ尾根が続き、小さなピークをいくつも越える。かなり荒れていると思ったが、稜線上の道は確りしている。灌木越しに篠井山、富士山が常に見えている。短い急登を経ると14時10分、地図上の1,159メートル峰に到達した。砂子山との表示がある。雑木に囲まれた何の変哲もない平凡な山頂である。

 ザイルの張りめぐされた狭い岩尾根の急坂を下る。小鞍部に達すると深田尾峠との表示があり、大平集落へ踏み跡が下っている。再びザイルの張られた急登となる。午後も深まると疲れを覚え、ふぅふぅいいながら木の根、岩角を掴んで体を引き揚げる。顕著なピークに近づくとガサと音がして雉が飛び出した。到着したピークは地図上の1,055メートル峰であり、赤岳との表示がある。時刻はすでに14時50分、あわよくば高ドッキョウを越えて樽峠まで縦走しようとの気持ちもあったが、無理のようである。赤岳山頂は灌木に囲まれた小広いところである。小休止の後、徳間峠に向け下る。またもやザイルを張り巡らした急坂である。行く手に徳間峠を隔てて高ドッキョウの独特の山容が高くそびえている。送電線の鉄塔に出る。鉄塔の周辺は樹木が伐採されて展望がよい。篠井山、貫ヶ岳、その奥には相変わらず富士山が大きく浮かんでいる。二本目の鉄塔を過ぎ、植林地帯に入る。どんどん下って、15時25分、ついに今日の終着地点徳間峠に到着した。峠は狭い鞍部で、駿河側の大平集落と甲斐側の徳間集落を結ぶ確りした道が乗っ越している。簡単な覆いの中に文久三年癸亥銘の地蔵仏が安置され、昔の賑わいの雰囲気を残している。その昔、今川館を目指した甲斐の軍勢がこの峠を越えていったはずである。

 15時30分、いよいよ今日最後の行程に出発する。大平発の最終バスは17時42分、大平のバス停までどのくらい掛かるかわからないが2時間もあれば間に合うであろう。沢状の地形に添って下る。道は確りしているのだが、何回か沢を渡る地点でルートがわかりにくくなる。沢の水を口に含んでさらに下る。この道は急坂もなく登りにとった場合も楽そうである。すでに頭の中は、この道を登って高ドッキョウから樽峠への縦走を考えている。興津川の本流を立派な吊橋で渡る。さらに5分も歩くと田代峠に続く舗装道路に出た。後はこの道路をひたすら歩いて大平集落のバス停に辿り着くだけである。途中軍艦岩など見ながら夕暮れの里道をどんどん下り、16時55分、ようやくバス停に辿りついた。バスに乗ったのは私一人であった。