荒船山と兜岩山

上信国境の名峰と静かなる岩山を結ぶ

1999年6月6日


内山峠から望む荒船山
 
荒船不動尊(705〜715)→星尾峠(740〜750)→経塚山分岐(800)→経塚山(810〜820)→艫岩(845〜850)→経塚山分岐(915〜920)→星尾峠(930)→荒船不動尊分岐(940)→御岳山分岐(950〜1005)→御岳山(1010)→兜岩山分岐(1035〜1040)→兜岩山(1050〜1125)→ローソク岩(1140〜1145)→御岳山分岐(1205〜1210)→荒船不動尊分岐(1215)→荒船不動尊(1240)

 
 西上州と信州佐久との境にどっしりと腰を据える荒船山は日本二百名山に列する名山である。巨大な軍艦を思わす独特の山容はだれでも瞬時に同定できる。また大島亮吉が詩情豊かに書き綴った山でもある。これほどの名山であるにもかかわらず、いまだ我が足跡は残されていない。前々から気になっているのだが、日帰りするには少々遠い。しかし、そろそろ決断しないと一生登りそびれてしまいそうである。調べてみると、休日は上州側のバスが壊滅状態で、車で行くしかなさそうである。幸い、長野までの高速道路が開通しているので日帰りが充分可能になった。

 数日前に梅雨入り宣言はでたが、皮肉なことに雨は一日も降らない。天気予報は今日が最後の晴天で明日から雨が続くと告げている。朝5時20分、家を出る。下仁田インターで高速を降り、国道254号線を佐久に進む。一応晴れてはいるのだが、夏霞が非常に深く、周囲の山々はほとんど見えない。展望に関しては今日は絶望である。内山トンネルをくぐって佐久側に入る。荒船山への登山道は上州側、佐久側とたくさんあるが、今日は荒船不動尊から星尾峠経由で登る予定である。さらに、荒船山だけではあまりにも物足りないので、星尾峠を挟んだ反対側の山稜を兜岩山まで縦走する計画である。荒船山も兜岩山も星尾峠から往復となるが、車で行くので仕方がない。

 荒船不動尊への道がわからず少々まごつく。車がやっと一台通れる狭い道を登り、7時5分、不動尊につく。駐車スペースには多摩ナンバーの車が1台だけ止まっていた。不動尊は思ったより大きく、寺守の住居が併設されている。武田信玄はこの不動尊を厚く信仰したという。まずは不動尊に今日の無事を祈って、7時15分、星尾峠を目指して出発する。「熊、猪出没注意」との看板がある。登山道はよく整備されていて遊歩道との標示がある。気持ちのよい雑木林の中で、朝日に輝く新緑が美しい。道端には紫のヤマタツナミソウがたくさん咲いている。静寂の中にウグイスの声のみが響き渡る。すぐに中年の夫婦連れに追いついた。ずいぶんゆっくりした歩みだ。緩やかに登っていくと、わずか25分であっさりと星尾峠に着いてしまった。大島亮吉の紀行文で名高いこのロマンチックな名前を持つ峠はイメージからはちょっと遠い雑木林の中の小さな鞍部で、少々がっかりする。十字路となっていて、真っ直ぐ下る道は上州側の星尾集落に、左は荒船山へ、右は御岳山から兜岩山へ向かう。わずかに東側に視界が開けているが、濃い霞の中で何も見えない。小休止していると先ほどの二人連れが登ってきて「荒船山はこっちでいいんですね」と道を確認して休むことなく通過していった。

 稜線を右から巻き気味にわずかに進むと、黒滝山分岐。ここから、荒船山の山頂台地への急登が始まった。道は丸太で階段整備されている。再び二人連れを抜いて、一気に登り上げると経塚山分岐に達する。山頂台地の一画である。荒船山はそそり立つ広大な溶岩台地全体の呼び名で、特定の山頂はない。強いて言えば、溶岩台地の南の端に盛り上がった経塚山と呼ばれるピークがこの山域の最高地点である。まずは経塚山に向かう。この山は行塚山、京塚山とも表記されるが、経文を埋めたことに基づく経塚山が本来の意味である。約10分の急登に耐えると山頂に達した。誰もいない。小さな祠と三角点と「第33回国民体育大会採火の地」と刻まれた小さな石柱がある。雑木林の中で、わずかに木の葉隠れにローソク岩の岩塔が見える。

 分岐まで戻って、台地の北の端、艫岩に向かう。荒船山の核心部縦走である。この山頂台地は南北2キロ、東西400メートルのほぼ平坦な高原となっている。若葉の美しい雑木林の中の緩やかな道がどこまでも続く。下地は一面低い隈笹である。人声もなく、ウグイスの鳴き声が朝の静寂を破る。ときおり、レンゲツツジの花が現れる。まさに夢のような道である。これこそが、多くの先人に愛された荒船山の本質なのだろう。やがて小さな流れが現れた。この山上に流れがあるとは少々驚きである。単独行者とすれ違う。それにしても、早朝のためか人影が薄い。

 相沢からの登山道を合わせると、艫岩に到着した。台地の北の果てである。続いてきた台地はここで約200メートルの大絶壁となって切れ落ちている。岩壁の上は大展望台でもある。眼下に幾筋もの道路がヘアピンカープを繰り返しながら山肌を縫っている。内山峠の向こうに神津牧場、八風山が濃い霞の中にうっすらと浮かんでいる。設置された展望盤によれば遠く北アルプスまで見えるとのことだが、今日は望むべくもない。岩壁の端に出て恐々と下を覗き込んでみる。ものすごい高度感である。この地点は内山峠からのルートが登り上げる地点で、荒船山の中で最も賑わう場所である。しかし、まだ早朝のためか、先ほどの夫婦連れともう1組の夫婦連れがいるだけである。傍らにはトイレの付いた大きな休憩舎もある。下の方で人声がして、どうやら続々と登ってくる様子である。雰囲気が壊される前に退散することにする。今日はまだ先が長い。

 来た道を引き返す。どこまでも緑の中の道である。残念ながら野の花はまったくない。2パーティとすれ違う。9時30分、あっさりと星尾峠に戻り着いた。いよいよ後半の部である。「御岳山、田口峠」との道標に従い稜線をそのまま南西に向かう。道は思いのほか確りしている。雑木林の中の小さな上下が続く。展望はまったくないが、人影もまったくない。10分ほど進むと「荒船不動尊近道」との標示があり、小道が右に下る。帰りはこの道を下ろう。丸太の階段の急登が始まった。息せききって登り上げると、そこが御岳山分岐であった。稜線から20メートルるほどはずれたところに神官と鬼の石像が立つ小さな祠があるので、その前で握り飯をほお張る。まだ10時前だが腹が減った。木々の間に微かに経塚山が見える。

 せっかくなので御岳山に寄ってみることにする。道標に従い主稜線から外れて支稜を進む。背後で鈴の音がするので振り返ってみると、単独行者がやってくる様子。ちょっとした岩場を過ぎて短い登りを経ると御岳山に達した。分岐から5分程度である。高みに社があり、木曽の御嶽山から勧進した社であるとの説明書きがある。たいして見るべきものもなさそうなのでそのまま分岐に引き返す。途中、向かってきた同年配の単独行者とすれ違う。彼とはこれから先、後になり先になりしながら同じ行程をたどることになる。

 「田口峠」との標示に従いロープの張られた急坂を下る。ここから先二万五千図は荒船山から信州田口に変わるが、信州田口の地図を持っていないのが少々気掛かりである。相変わらず道は確りしているので大丈夫だろう。木の葉の隙間からローソク岩の尖塔がちらりちらりと見える。この先稜線はガリガリに痩せ、奇岩、岩峰の乱立する西上州特有の地形となる。短い鎖場を急登すると、わずか20〜30センチの怖いようなナイフリッジに出る。初めて展望が開けるが相変わらず霞が濃い。ローソク岩の基部を右から巻きにかかる。頻繁に「危険注意」の立て札がある。垂直に近い岩壁に無理やり道を刻んだ嫌なところである。再び稜線に戻り、緩やかに登っていく。小ピークに達し、道は90度左に曲がる。ただし、割合確りした踏み跡が真っ直ぐ進んでいる。我が研ぎ澄まされた山勘が停止を命じた。この踏み跡は何の道標もないが、目指す兜岩山へのルートと思える。兜岩山は主稜線から右に外れた支稜上にある。それにしても、何らかの道標ぐらいあると思っていたが、テープさえもない。持参の登山地図を出して検討する。間違いないと確信して踏み跡に踏み込む。張り出す笹が若干うるさいが踏み跡は確りしている。鞍部をすぎて樹林の中を急登すると過たず、兜岩山山頂に到着した。10時50分である。

 山頂は樹林に囲まれ展望はまったくない。三角点の周りがわずかに切り開かれている。もちろん誰もいない。一人握り飯をほお張っていたら、下から鈴の音がして単独行者がやってきた。「この先2、3分のところに展望のよい岩場があるはず」と彼が言うので行ってみる。足下から切れ落ちた絶壁の縁で、目の前に大展望が広がった。ただし、総てが霞の中である。二人して地図を出して微かに見える山々を同定しようとしたがさっぱりわからない。諦めて先に出発する。途中、微かな踏み跡を頼りにローソク岩の基部まで登ってみた。何もない。ただ垂直の岩峰に突き当たっただけであった。その間に、ちりんちりんと鈴の音が下の方を通りすぎていった。来た道を引き返す。二人連れとすれ違う。今日、兜岩山に登ったのは私を含めて四人だけということになる。前方で常に鈴の音がしている。

 「荒船不動尊近道」分岐まで戻り着いた。彼もこの道を下ったと見えて相変わらず下の方で鈴の音がする。地図にはないが、確りした踏み跡で心配はなさそうである。どんどん下る。いつものように左足首が痛みだす。もう2年経つというのに一向に回復の兆しはない。いくつもの谷を横切る。20〜30分で下り着くと思ったのだが、なかなか着かずにいらいらする。道が二つに分かれるが何の標示もない。どちらをたどっても不動尊に行くのだろう。左の道をたどる。すぐに不動尊に続く車道に飛びだした。ただし、大分下に出てしまった。車道を5分ほど登り返し、12時40分、愛車にたどり着いた。ずいぶん早い下山である。駐車スペースは10台ほどになっていた。

トップページに戻る

山域別リストに戻る