狭山丘陵 八国山緑地と荒幡の富士 

歴史豊かな街を抜け、緑豊かな丘陵から人工の富士山へ

2017年6月10日


 
将軍塚
荒幡の富士
                            
西武新宿線東村山駅(817)→旧鎌倉街道(825)→白山神社(837)→T字路(845)→熊野神社(852〜857)→梅岩寺(901〜908)→徳蔵寺(922〜938)→久米川古戦場跡(945)→八国山緑地入口(948)→将軍塚(八国山)(950)→おおぞら広場(1002)→久米八幡神社分岐(1008)→佛眼寺(1015)→鳩峯八幡神社(1021)→水天宮(1026)→大聖寺(1056)→光蔵寺(1110〜1117)→荒幡富士(1131〜1145)→西武狭山線下山口駅(1208〜1224)

 
 埼玉県所沢市と東京都東村山市の都県境に続く低い丘陵は狭山丘陵と呼ばれている。奥武蔵、奥多摩の山並が関東平野に没する寸前の微かな大地の盛り上がりである。登山ハイキングの対象となるような山もピークもないため、私はこの地域に足を踏み入れたことはない。

 ただし、この地域に一つだけ気になる「山」がある。果たして「山」と呼んでよいのかどうか疑問ではあるのだがーーー。「荒幡の富士」と呼ばれる標高119.1メートルの人工の山である。果たして「山」と認めるべきか「塚」と見るべきか。念のため、「日本山名総覧」(白山書房)を開くと、堂々と記載されている。また、「分県登山ガイド 埼玉県の山」(山と渓谷社)にも1項目を裂いて紹介されている。まぁ、山として認めてもよさそうである。ならば、登っておかねばならない。

 とは思っても、わざわざ所沢まで行って荒幡の富士だけを登って帰ってくるわけにはいかない。近郊に寄るべき名所や山はないものか。調べてみると、隣接する東京都東村山市は旧鎌倉街道の道筋で、古社古寺も多く史跡にも富んでいる。また、狭山丘陵の最東端、「八国山緑地」と呼ばれる丘陵には軽いハイキングコースが開かれており、尾根上の89.1メートル三角点地点は「八国山」と呼ばれているらしい。ならば東村山市、八国山緑地、荒幡の富士を結んで歩いてみようか。軽い1日コースである。

 梅雨入り宣言はあったが、雨はまったく降らない。今日も1日30度Cを越す晴天との天気予報である。北鴻巣駅発6時52分の高崎線上り電車に乗る。浦和で京浜東北線に、南浦和で武蔵野線に乗り換え、新秋津で下車。歩いて西武池袋線の秋津駅へ。更に所沢で西武新宿線に乗り換え、8時17分、ようやく目的とする東村山駅に到着した。何とも遠い。

 駅東口前を南北に走る府中街道を少し北上し、斜め左に分かれる細道に入る。この道が旧鎌倉街道である。旧家の門前に「東村山市指定旧蹟鎌倉古道跡」と記した標柱が立っている。緩やかにカーブを繰り返しながら続く幅3〜4メートルほどの小道を進むと右側に「久米川少年野球場」が現れ、その金網脇に「鎌倉古街道」と題して説明が記されている。左側に白山神社を見て更に進む。道の両側は民家が雑然と建ち、古道の面影はないが、道の曲がり具合が古道の雰囲気を醸し出している。やがて道はT字路となって行き詰まる。鎌倉街道はここで左に折れて西武線の踏切を越えて行くようである。

 古道を離れて線路沿いの細道を北上すると熊野神社に行き当たる。旧久米川村の鎮守で、鬱蒼たる木々に囲まれた実に立派な神社である。説明書きによると久米川合戦の折り、新田義貞が後詰めを置いた所とのことである。神前に今日の無事を祈る。境内の北東の隅に「久米川の富士塚」が築かれている。高さ約6メートル、直径約24メートル。念のため登ってみたがーーー。

 神社境内を出て北東に少し進むと巨大な寺院に行き当たる。曹洞宗梅岩寺である。山門の脇には高さ27メートル、幹周り7.3メートルもの目を見張るような欅の巨木がそそり立ち、山門から本堂へ向う参道の両側には「新四国石仏」が整然とが並んでいる。「新四国石仏」とはこの石仏にお参りすると四国88ケ所巡礼と同じ功徳が得られるとされた石仏である。

 鎌倉街道のT字路に戻り、踏切を越え西へ少し進むと徳蔵寺の門前に出た。隣りには巨大な校倉造の「徳蔵寺板碑保存館」建っている。境内に立派な休憩所とトイレが備えられていたのでこれ幸いと、駅前のコンビニで購入したアンパンをほお張る。朝から何も食べずにここまでやって来た。外は雲一つないカンカン照り、今日も暑くなりそうである。板碑保存館を見学しようと思ったのだが、「見学希望者は庫裡へおいで下さい」との標示、庫裡へ行くと「ご用の方は呼び鈴を押して下さい」との標示。見学の意欲は消失した。

 小流を徳蔵寺橋で渡り、精心幼稚園の脇を北上すると八国山緑地と呼ばれる丘陵の麓に行き当たる。小さな広場があり、「久米川古戦場跡」との碑が建っている。元弘3年(1333年)、新田義貞と鎌倉幕府軍がこの地で激突した。戦いに勝利した新田軍は一気に鎌倉を目指して進軍していった。

 山裾を右に回り込んで尾根の末端から丘陵に登り上げる。この丘陵は東西約1.5キロ、南北約300メートルほどに渡って広がっている。西に続く丘陵上には遊歩道として整備された尾根道が続いている。小楢や椚の広葉落葉樹、即ち心地よい雑木林につつまれた何とも気持ちのよい尾根道である。何組ものハイカーやトレイルランナーが行き交う。ここはまさに都会の小さなオアシスである。

 ほんの数分で将軍塚に達した。雑木林を背にした低い塚の上に「将軍塚」と彫られた石碑が立つ。合戦に勝利した新田義貞が塚に源氏の白旗を立てた場所と伝えられている。またその手前には「元弘青石塔婆所在跡」と彫られた大きな石碑も建てられている。現在、徳蔵寺板碑保存館に保存されている国の重要文化財「元弘の板碑」は元々この地に建てられていた。この板碑はこの戦いで戦死した新田軍の武将・飽間一族に対する供養塔であり、歴史的資料として重要だとのことである。

 微かな踏跡を辿って将軍塚の10メートルほど奧に進んでみると、三角点がある。三角点名称「久米」、89.1メートルの三等三角点である。そして、この三角点の存在をもってこの地点が八国山の頂きとされている。そもそも約100メートルの高度をもって、特徴なく続く平凡な丘陵である八国山緑地にピークと呼ぶような顕著な高まりはない。なお、八国山の名称はこの地から上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐の8ヶ国が望むことができたためと言われている。もちろん、現在展望は得られない。

 気持ちのよい尾根道を更に進む。「夏になるとカブトムシがたくさんいるのだがーーー」、前後する子供連れのパーティが声高に話している。道脇の小楢、椚の木々に目を凝らしてみるが、カブトムシの姿はなかった。ベンチやトイレを備えた「おおぞら広場」と記された休憩場所が現れる。気持ちよい雑木林の道を更に進むと、右に確りした小道が分かれる。道標が「鳩峯八幡神社、久米水天宮」と指し示している。八国緑地は更に西に続くが、この先、特に見るべき所もない。鳩峯八幡宮とやらに行ってみよう。
 
 道標に従い、辿ってきた尾根を北に下る。 尾根のすぐ下は住宅地であった。辻辻に立つ道標を頼りに進むと佛眼寺に行き当たった。丘陵を背にした立派な寺院である。その横のやや急な坂道を八国山山稜北側の丘陵に登り上げると、目指した鳩峯八幡神社参道入り口に達した。鳥居を潜り、約100メートルも続く長い長い参道を進む。鬱蒼とした森の中の参道である。辺りに人影はない。この神社は戦いの際、新田義貞が戦勝を祈願したと伝えられている。神社の隣りが久米水天満宮であった。こちらは安産の神様である。

 次の目的地は「荒幡の富士」である。鳩峯八幡神社の建つ尾根を北に下る。住宅地の中、道が入り組みさっぱり分からない。所々に「荒幡の富士」を示す道標があるにはあるのだがーーー。勘を頼りに歩く。尾根を登って、地図にある大聖寺に行き着いた。辿ってきた小道はその先、森の中へと続いているが道標もなく、どこへ通じているやら。かまわず進んでいくと、右に下る道が分岐し、久しぶりに現れた道標が「荒幡の富士」と指し示している。道は急坂となって尾根を下りだす。幼稚園の横を抜け、下りきるとまた道が分かれる。もはや進むべき方向はさっぱり分からない。広い通りに出た。地図を凝視し、ようやく現在位置が判明した。

 光蔵寺という立派なお寺に辿り着いた。真昼の太陽が頭上から凄まじい熱線を降り注ぎ、もはや熱中症寸前である。門前に備えられたベンチに腰を下ろし一休みする。いよいよ今日最後の目的地「荒幡の富士」に向う。ルートは明確である。西武園ゴルフ場の北側の境界金網に沿った道を西に進む。この炎天下でゴルフを楽しんでいる人がいる。道は緩やかな登りとなって次第に尾根に登り上げていく。

 光蔵寺から15分も歩くと、ついに「荒幡の富士」に到着した。登り上げた尾根の最高地点と思われる地点に、いかにも人工的と思われる三角形の形よい高まりが居座っている。その麓には浅間神社が鎮座している。何はともあれ、山頂をきわめよう。ジグザグに続く登山道には手摺りも取り付けられている。わずかな努力で、ついに119.1メートルの山頂に登り上げた。麓の標高が約100メートルであるから、麓からの実質的な標高は約19メートルと言うところであろうか。同じ人工の山であるさきたま古墳群の丸墓山古墳の高度が18.9メートル、ほぼ同じである。ただし、丸墓山古墳は山とは認められていない。

 山頂には小さな石の祠が安置されている。また西側に向って展望図が備えられていた。それによると奥多摩の山々の背後に富士山が見えるはずであるが、今日は全ての視界は夏霞の中である。ただし、北側に開けた視界の先には、何本もの高層ビルの建つ所沢の市街地がよく見える。

 荒幡の富士は明治17年(1884年)から明治32年(1899年)まで延べ15年がかりで、旧荒幡村村民が総力を上げて築き上げた人工の山である。もちろん、この山は富士講信仰のシンボルである。

 尾根を下り、西武狭山線の下山口駅を目指す。道は少々入り組むが、辻辻に立つ道標が確り駅へと導いてくれた。それらしても、暑い暑い一日であった。よくぞ熱中症にも会わず歩きとおした。
 

登りついた頂き
   八国山     89.1    メートル
   荒幡の富士    119.1 メートル
          

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