日本二百名山 浅間隠山 

 わずか90分で登れる大展望の名山 

2011年10月8日

 
 浅間隠山山頂より浅間山を望む 
           
二度上峠登山口(830)→北軽井沢分岐(900)→山頂(955〜1015)→北軽井沢分岐(1050)→二度上峠登山口(1110) 

 
 浅間隠山は日本二百名山に列する名山である。しかも、私の住んでいる埼玉県の隣りの群馬県の山である。本来なら真っ先に登ってしかるべき山なのだが、私は未だその頂を知らない。理由はこの山の登り方に悩み、迷い続けていたからである。浅間隠山へのメイン登山ルートは南の鞍部である二度上峠近くからのルートである。この峠を県道54号線が乗越しており、峠近くに登山口がある。この登山口から登ると、何と !90分で登頂出来てしまうのである。しかも、この登山口に至る公共交通機関はなく、利用できる唯一の交通機関はマイカーである。下山は元の場所に戻らざるを得ず、単純な山頂往復となる。これではわざわざお金と時間をかけて登りに行く気力が湧かない。その他、北軽井沢ルートとシャクナゲ尾根ルートがあるが、両ルートとも公共交通機関が著しく不便で、日帰り行程は無理である。

 あれやこれやルートを思い巡らしているうちに年月ばかりが過ぎてしまった。もう縁がないものと半ば諦めていたが、足骨折のリハビリ山行き対象としてハタと思い当たった。往復3時間弱で登れる山ならリハビリにちょうどよい。しかも日本二百名山である。カーナビで調べると自宅から二度上峠まで約110キロ、所要時間約3時間半と標示された。いくら何でもそれほどは掛からないだろう。

 ちょうど6時、自宅を出発する。天気予報は今日一日の晴天を告げている。東松山I・Cから関越自動車道に乗る。今日から3日連休のためか、早朝にもかかわらず車は多い。高崎I・Cで降り、意外と混雑する高崎市内を抜け、国道406号線草津街道を進む。古街道の面影が残る情緒ある道である。倉淵集落から県道54号線に入り、最後はヘアピンカーブを繰り返し、8時25分、二度上峠近くの登山口に到着した。自宅から2時間半のドライブであった。登山口には簡易トイレまである駐車場が確保されていた。ただし、すでに10数台の車が駐車していて満杯である。100メートルほど上部に行くとここにも10数台駐車可能なスペースがあった。我が車が最初の1台として駐車する。

 支度を整え、いざ山頂へ。最初は元気がよい。すっ飛ばせば1時間で山頂まで行けるのではないかとの期待がある。唐松林の中の小沢に沿った登山道を辿る。よく踏まれた道である。心意気に反し、入り口ではすぐ前にいた若いアベックとの距離がドンドン離れていく。快調に登っているつもりなのだがーーー。2万5千図の1,528メートル標高点峰(岩淵山)とその東の1,460メートル峰(安高山)の鞍部に登り上げる。ルートは左に曲がる。林相が変わり落葉樹の林となるが、残念ながら未だ紅葉はしていない。木の葉の間から初めて山頂がみえた。手前に一峰があり、その左奥に丸い頭の本峰が望まれる。山頂までひと息に登れそうである。

 北軽井沢コースへ続く分岐で右に折れ、緩やかに下っていく。林床には熊笹が目立ち始める。すぐに北軽井沢コースとの分岐に達した。そちらのコースの踏跡も確りしている。ルートは登りに転ずるが、大きく「く」の字を描いた登りで、まったく苦にならない。後方で人声がし、近づいてくる気配だが姿は見えない。すぐに道は本格的な登りに変じた。下地が火山灰の砂礫のため、大きな段差が登山道のあちこちに生じている。次第に息苦しくなりピッチは落ちる。それでも、休憩なしに山頂まで行くつもりである。休んでいた数人のパーティに追いついた。

 ぽつりぽつりと下ってくる人に出会う。ずいぶん早い下山である。私のピッチはますます落ちる。立ち止まる回数も増える。やはり1,700メートルを越える山、そう簡単な登りではない。ようやく、山頂に続く稜線に登り上げた。もうひと息である。ルートは左に曲がり、隈笹の中の深くえぐれた道となる。

 9時55分、コースタイム通りの1時間半掛かって、ついに山頂にたどり着いた。と同時に、思わず「うぉーー」と声にならない唸り声を発した。見よ! 目の前に360度の大展望が開けている。残念ながら、晴れてはいるものの、秋らしからぬ霞のかかった空気の中ではあるが、周囲全て山また山である。先着の10人ほどの登山者は皆、立ったまま周囲の山々を凝視し続けている。まさにこの山は展望の山である。山頂は数メートル四方の平坦な裸地で、山頂標示、根本まで露出した1,756.7メートルの三角点、展望図を刻んだ方位盤、小さな石造りの祠が設置されている。

 私もザックを投げ出し、山々を凝視する。先ず目を向けたのは、西にそそり立つ山、浅間山である。浅間隠山の山名の由来となった山である。山頂からはうっすらと噴煙を上げ、こちらに向って実に雄大な裾を引いている。ただし、その裾がゴルフ場で埋め尽くされているのは少々不愉快ではあるがーーー。この活火山の山頂に禁を犯して登った昔を思い出す。

 眼を南に転ずれば、足下から続く稜線の先に、変わった形の山頂を持つ大きな山が盛り上がっている。一目で、鼻曲山と同定できる。雨の降る中、軽井沢から長駆あの頂に登ったのは1988年の5月、今から23年も昔のことである。その左手には未だ未踏の角落山がみえ、背後には妙義山の岩峰群が霞の中にぼんやりと浮かんでいる。

 さらに眼を左、すなわち東に転ずれば幾つもの小峰を大きな頂に乗せた山、榛名山が霞んでいる。その左右背後にもうっすらと山並みが霞んでいるが、もはやその姿を正確に捕らえることは出来ない。山頂には展望図を刻んだ方位盤が設置されていた。それを見ると、視界さえよければ、この頂から谷川岳等の上越国境の山々を始め遠く富士山さえも見ることができることを知る。今日は残念である。

 方位盤の周りを数人の男女が囲んで賑やかである。盤に刻まれた山と、彼方に霞む山を見比べながら、「この山は登った。この山は今度登ろう。百名山は幾つ見えるのだろう」。至福のひと時なのだろう。

 20分ばかりの滞在の後、下山に移る。山頂を一歩離れれば、もはや展望は一切ない。登山口まで一気に下るだけである。この時間でも点々と登ってくるパーティに出会う。下りはやはり早い。ちょうど1時間で愛車の待つ駐車場に下り着いた。時刻はまだ11時15分、ずいぶん早い登山の終了である。 

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