児玉丘陵 浅見山(大久保山) 

現在の「都の西北早稲田の杜」

2014年11月7日


 
  浅見山の105.5m三角点付近
本庄高等学院の背後に浅見山を望む
                            
本庄総合公園→本庄早稲田駅→浅見山北麓→浅見山主稜線→105,5メートル三角点→112メートル標高点付近→浅見山南麓→本庄高等学院南側→北泉公民館→本庄総合公園

 
 埼玉県北西部、すなわち、旧児玉郡の野に点在する丘陵は「児玉丘陵」と呼ばれる。このうち南西部に位置する丘陵は「生野丘陵」と呼ばれ、現在ではほとんどが児玉ゴルフクラブとなっている。一方、北東部、すなわち旧児玉町(2006年に本庄市に併合)と本庄市の境付近に位置する丘陵は、古来、「浅見(アザミ)丘陵」と呼ばれ、その中の顕著な高まりは「浅見(アザミ)山」と呼ばれてきた。しかし、最近、その名称につき混乱が見られる。各種地図を眺めても、解説書の類いを繙いても、この丘陵あるいはその中の高まりを「大久保山」と呼ぶ事例が目立つ。

 そもそもこの名称の混乱はこの丘陵への早稲田大学の進出が深く関わっているようである。早稲田大学は浅見丘陵のほぼ全てを取得し、1970年(昭和45年)以降浅見丘陵東部に広がる支尾根を切り開き、大学施設や付属高校である本庄高等学院を建設してきた。このため、この浅見丘陵一帯はまさに「都の西北に位置する早稲田の杜」の観を呈するに到った。

 早稲田大学が施設を建設してきた丘陵東部の地名は「本庄市大字西富田字大久保山」であり、また、切り開いた支尾根は「大久保山」と呼び習わされていた。このような事情からか、早稲田大学の関係者は、大学の敷地全体、すなわち、浅見丘陵全体、および丘陵の最高点ピークを「大久保山」と呼ぶようになった。そして、この呼称が何時しか一般化してしまったようである。何しろ、この地においては早稲田大学は絶対的存在である。近くを通る上越新幹線の新駅の名称は「本庄早稲田駅」となり、大学周辺の町名は「早稲の杜○丁目」と改定されてしったほどなのだから。

 それでも、早稲田大学はこの地を開発するにあたって、自然保護にかなり気を使ったと見え、自然豊かな丘陵核心部はそのまま残した。すなわち、丘陵の西部に連なる顕著な尾根である。浅見山あるいは大久保山と呼ばれる丘陵の最高地点もこの尾根上にある。

 私は浅見山(大久保山)の存在は前々より知っている。ただし、以前、次のような記事を読んだ記憶がある。「この山は早稲田大学の敷地内にあるので、勝手に登ることはできない。学園祭の時なら自由に校内に入れるので、その時が登頂のチャンスだ」。そんなややこしい山にわざわざ登りに行く気も起きず、未だ未踏のまま残っている。今回、改めて調べてみると、浅見山は早稲田大学の敷地内にあることは事実だが、校内ではなく、誰でも自由に登れるようである。天気予報が今日一日の晴天を告げている。行ってみることにする。

 朝8時、車で出発する。空は雲ひとつなく晴れ渡っているが、少々北風が強い。ラッシュ時間と見え、渋滞を繰り返す国道17号を進み、9時半、本庄総合公園の駐車場に着いた。ここから目指す浅見山まで約2.5キロほどある。いささか遠いがここから往復するつもりである。理由は二つ、一つは、この公園の駐車場を利用できること。二つ目は、早稲田大学を中心に新たな街造りが進んでいるこの地域を少々歩いてみたかったことである。本庄総合公園は思いのほか広大な運動公園なのにびっくりした。これだけの施設が利用できるとは本庄市民がうらやましい。

 方向を見定めて、総合公園北側の道を西進する。10分ほど進むと県道31号線に突き当たり、ここに市立北泉小学校がある。左折して南に300メートルほど進み、若泉稲荷神社を過ぎると、行く手の視界が大きく開けた。未だ開発途上の広大な空き地の背後を新幹線の高架が真一文字に横切り、その奥に緑に包まれた低い山並みが青空をバックに連なっている。これから登る浅見山である。そして、新幹線の本庄早稲田駅付近は真新しいビルが幾つも建ち、新しい街造りが始まっていることが見て取れる。男堀川を渡り、新設された広々とした道をたどり本庄早稲田駅に行く。2004年3月に開業した新駅である。一私学の名前がJRの駅名に採用されるのは異例と思うが、新駅建設費の寄付金最大供出先が早稲田大学であった由。

 駅構内を突っ切って、駅南側に出る。この地点から浅見丘陵への登りが始まっており、丘陵上の大学施設に向けて広い通りが坂となって登り上げている。坂の途中より丘陵の裾を巻くように右に進む道に入る。左側は浅見山の山肌が続き、右側にはカインズ本社の大きなビルとその広大な駐車場である。丘陵の北側に回り込み、歩んできた道路を離れて山裾に沿った畑中の道を少し進むと、山中に登っていく明確な踏跡があった。地図に記載されている登山道である。登り口に道標はないが、「マムシに注意 早稲田大学」の注意書きがある。この文面からもこの山が早稲田大学の敷地内であることが知れる。

 雑木林の中を緩やかに登っていく。ほんの数分の登りで主稜線に登り上げた。浅見山の主稜線は北東から南西に向って約1キロほど続いている。起伏の少ない穏やかな稜線である。この稜線の中ほどに標高105.5メートルの三等三角点「下浅見」と112メートルの標高点がある。ただし、どちらも「山頂」と呼ぶほどのピークを形づくってはいない。浅見山の標高は各地図や案内書によって105.5メートルになったり、112メートルになったりし、一定しない。

 登り上げた地点は北東から南東に連なる主稜線のやや北東寄りの地点である。先ずは稜線を北東方向に辿ってみる。あたりは実に気持ちのよいコナラやクヌギの純林である。これほど素晴らしい広葉落葉樹の森に分け入ったのは何時以来だろうか。夏になればカブトムシやクワガタムシがたくさん捕れそうである。稜線上の道は起伏もほとんどなく、オートバイなら走れそうなほど穏やかである。辺りに人の気配はまったくない。薄く色づいた雑木林にうっとりしながら進むと、間もなく山稜は尽きた。

 Uターンして、南西に向って稜線上の道を引き返す。左、早稲田大学構内に向け何本かの踏跡が下っていくが、道標の類いは一切ない。ただし、「マムシに注意」の標示がしばしば見られるのが不気味である。突然、エンジン音がして、オートバイが現れたのにはびっくりした。運転していたのは大学の警備員で、どうやら校内巡視の一環のようである。ここが大学敷地内であることを思い、何か言われるかと一瞬身構えたが、オートバイはそのまま通り過ぎていった。

 登り上げた地点まで戻り、そのまま更に稜線を南西に向う。緩やかな登りとなった道を数分進むと、道幅が広がった小さな平坦地に出た。道の真ん中に105.5メートルの三等三角点「下浅見」が確認できる。別段、山頂を示す標示はないが、傍らにベンチが設置されていて、この地点が「浅見山山頂」らしき雰囲気である。

 稜線上の道を更に先に進む。すると、尾根を包む林の雰囲気は一変する。クヌギ、コナラの林に山毛欅の樹が雑然と混じりだし、しかも、林床は猛々しいシノダケの薮となる。いったん緩く下った後、再び緩やかな高みに到る。この辺りが浅見山の最高点である112メートル標高点付近と思えるが、それを示すものは何もない。突然、後ろから近づく足音にびっくりして振り向くと、ランニング姿の若者が走ってくる。トレールランニングの練習のようである。

 稜線上の道は一方的な下りに転じる。どうやら山稜も終わりのようである。シノダケの中を下っていくと、鋪装道路に飛び出した。浅見山縦走の無事の終了である。目の前には大きなラブホテルがデンと構え、その背後に関越自動車道の高架が横切っている。ただし付近に人の気配はない。通る車とてない林の中の鋪装道路を東に向う。道は高等学院のグランドの前を通り、浅見丘陵を抜け、少々遠いが、愛車の待つ総合公園へと導いてくれた。

 登りついた頂  
     浅見山(大久保山)  112 メートル
                               

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