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みかげスポーツ公園(721〜732)→鹿島神社(756)→県道218号(806)→路傍の鳥居(831)→一本杉峠(928〜938)→四阿(957〜1001)→足尾山山頂(1014〜1021)→足尾神社拝殿(1029)→足尾山ハングライダー離陸場(1035〜1042)→きのこ山パラグライダー離陸場(1121)→きのこ山山頂(1124〜1138)→休憩舎(1222)→みかげスポーツ公園(1229) |
筑波山から北へ延々と35キロにわたり続く筑波連山。この山稜を一日で縦走するのは、若いときならいざ知らず、とても無理である。ならば2度に分けて縦走しようと、昨年2月、連山の北端・御嶽山から新雪を踏んで山稜を南に向って縦走した。御嶽山、雨引山、燕山、加波山と歩き続けたが、一本杉峠で時間切れとなり、その南に位置する足尾山、きのこ山の頂を踏むことは出来なかった。ならば、今度は南端の筑波山から縦走を開始して、きのこ山、足尾山に達しようと、昨年の2月に試みたが、筑波山の北面が氷結していて下れず、空しく諦めた。
そんなわけで、筑波山から御嶽山まで35キロ続く筑波連山の中で、足尾山ときのこ山だけが未踏のまま残されてしまった。両山とも山頂直下を林道が通り、ハングライダーやパラグライダーの飛行場所として賑わう山で、わざわざ登りに行く価値のある山ではないのだが、登り残した山はどうも気になる。悔いを残さぬために片づけておこう。 5時47分、車で出発する。この山域は公共交通の便が一切ないので、自分の車に頼らざるを得ない。東北自動車道から北関東自動車道に入る。真岡インターを過ぎると真青に晴れ渡った空をバックに筑波山、加波山の高まりが眼前に現れる。今日は一日うららかな晴天が約束されている。桜川筑西インターで高速道路を降り、真壁町に向う。真壁町は2005年近隣町村と合併して桜川市と名を変えたが、古くからこの地方の政治経済の中心となった町である。江戸・明治・大正期の古い街並みが残り、その街並みは国の登録文化財となっている。魅力的な町である。 7時21分、家から110キロ走って、きのこ山の東麓に位置する「みかげスポーツ公園」に着いた。テニスコート、ゲートボール場、それに立派なレストランを備えた市営の施設なのだが、辺りに人の気配はなく、レストランには「当分休業します」の張り紙。施設全体が廃虚の匂いがする。がらんとした駐車場に車を停め、いざ登山に出発である。 いったん田圃の広がる里に下り、今日の縦走の出発点・一本杉峠に登り上げている峠道を目指す。入り組んだ里道を地図を頼りに進む。真壁町は日本一の石材の産地である。到るところに石材の加工場が点在している。田圃の向こうに朝陽に輝く筑波山がくっきりと聳え立っている。そこから続く稜線を目で追うと、これから登る足尾山、きのこ山を確認することができる。鹿島神社という一風変わった神殿を持つ神社を過ぎ、ようやく目指す峠道に出た。 緩やかな登り坂となって続く峠道をたどる。道に沿って人家が点在するが相変わらず石材店が多い。昨年の2月、この道を一本杉峠から下ってきた。勝手は知っているつもりだが、分岐も多く、また道標の類いは一切ないため、過たずに峠まで行き着けるか一抹の不安がある。最後の人家に達すると、放し飼いの2匹の犬が猛然と吠え掛かってきた。持参のストックを振り回して防ぐが、それでもかなり怖い。 続いてきた簡易舗装も終わり地道の細道となった。周囲は薮っぽい林である。時折鴬の鳴き声が聞こえる。道が二股に分かれる。さてどっちか、一年前の記憶の絲を辿る。道端に立派な石の鳥居があり、その奧は薮の中に小さな石碑が置かれている。何やら不思議な施設である。エンジン音がして、下からパジェロミニが登ってきた。この道は小型のオフロード車ならまだしばらくは何とか通れる。 道は次第に悪化し、大石が転がり岩が剥き出しとなってくる。相変わらず人の気配はない。再び顕著な分岐が現れる。峠道は左なのだが、道標もなく、初めての者は多いにまごつくだろう。前回、次に登ってくるときのことを考え、念入りに記憶に繋いでおいた。やがて谷の侵食によって道が完全に崩壊している場所に達した。この崩壊地点はいかなるオフロード車でも通行不能である。峠まではもうひと息である。 9時28分、ついに一本杉峠に達した。みかげスポーツ公園を出発してから2時間、一時も休むことなくここまで歩き続けてきた。この峠は三度目である。道端に腰を下ろし、握り飯をほお張る。朝から何も食べずにここまで登ってきた。この峠には四方向から車道が集まっている。南北に筑波連山の稜線を貫く北筑波稜線林道、舗装された立派な林道である。そして、峠の西面から登ってくる荒れた林道、旧八郷町大塚(現石岡市大塚)に続いている。その入り口には「この先通行不能」との標示がなされている。そして4本目が、私が登ってきた旧真壁町白井からの車通行不能の林道である。 しばしの休息の後、足尾山、きのこ山に向って縦走を開始する。ルートの状況はよくわからない。北筑波稜線林道が稜線上のピークを軽く西側から巻きながら続いている。そして、おそらく、切れ切れではあるが、忠実に稜線を辿る踏跡もあると思われる。林道を歩くのが分かりやすいが、それでは登山にならない。出来うるかぎり稜線上を歩いてみたい。 一本杉峠のすぐ先で、北筑波林道から離れ、隈笹の薮の中を稜線に向って登っていく微かな踏跡が確認できる。踏跡入り口には「オフロードバイク、マウンテンバイク、進入禁止」の立て札が立てられている。稜線をたどる登山道だろう。踏跡をたどる。雑木林の中の気持ちのよい道である。 緩やかなピークを越えると、再び林道に合流した。しかし、その少し先で、再び細い踏跡が林道と別れて稜線を這い登る。すぐに小さな標示があり、左に分かれる踏跡を「男坂」、右の踏跡を「女坂」と示している。おそらく坂の勾配の程度の差なのだろう。「女坂」を選択する。気持ちのよい雑木林の中の緩やかな登りが続く。微かに芽吹いた雑木林の美しさは格別である。まるで煙るような淡い淡い緑が雑木林を染めている。その合間から、朝陽に輝く加波山が見える。 どこかで男坂コースと合流したはずだが気がつかなかった。緩やかに登り続けると四阿があった。ひと休みする。そのすぐ先で再び林道と合流した。そしてまた、林道と別れて薮の中に続く踏跡を辿る。道標は一切ない。やがて今日初めての登りらしい登りとなった。二段に分かれた急登を経ると、ついに足尾山山頂に達した。一本杉峠から36分の行程であった。 山頂は小広く整地された平坦地で、足尾神社奥の院の小さな祠が安置されている。その前には627.5メートルの三等三角点「足尾」を確認することができる。山頂は無人であった。今日はまだ山中で誰とも出会っていない。座り込んで握り飯をほお張る。燦々と注ぐ陽の光が暖かい。山頂は四方が開け、囲む雑木の枝の間から、南に筑波山、北に加波山の姿を眺めることが出きる。突然若い男性の単独行者が登ってきた。しかし、私に遠慮してか、挨拶を交わしただけで山頂に留まることなく通過していった。 筑波山と加波山という二つの名山の中間に位置するこの足尾山は、古代においてはかなり名の知れた山であったようである。万葉集や常陸風土記にも「葦穂山」の名で登場する。もちろん、この山の名を知らしめたのは筑波山、加波山と同様、神の座す山としてである。そして、おそらくその「足尾」という名前に由来したのであろう。平安時代以降、この山に座す神は、「足の病を治す神様」として崇まれるようになった。 腰を上げて再び縦走を開始する。次に目指すのはきのこ山である。危険を感じるほど急な石段が長々と続く。どうやらこの道が足尾神社奥の院への参道のようである。しばし下ると、かなり広い平坦地に出た。石積みされた祭壇の奧に小さな祠が祀られている。ここが、足尾神社の拝殿である。否、拝殿跡と呼ぶほうが相応しいかも知れない。もはやかなり荒れ果てた感じである。 更に参道と思われる小道を下ると山頂ピークを大きく巻いてきた北筑波林道に出た。下ってきた参道入り口には石の鳥居と「足尾神社」と刻まれた大きな石柱が立っている。ここから参道を歩いて足尾神奥の院、すなわち足尾山山頂に達するのが正規のルートなのだろう。 到達した林道は思わず目を見張る。林道上およびその左右の斜面には無数の、おそらく100機近くだろう、ハングライダーが駐機している。そして、飛行服を身に着けた多くの若者が機体整備に余念がない。西側および東側に大きく開けた離陸場からは今にも飛び立つ準備がなされている。その離陸場から眺めると、眼下に関東平野が大きく広がっている。真壁の町もここから眺めると小さな家々の塊に過ぎない。 混雑する機体と人々の間を抜け、きのこ山を目指す。林道とは別に稜線を行く踏跡はないものかと目で追うと、左に分かれていく確りした踏跡を見つけた。踏み込みしばらく辿ってみたが、どうも稜線とは離れた方向へ進んでいく。どうやら見込み違いだったようだ。見切りをつけ、戻って林道を進む。その後も稜線をよく観察するが、稜線上を進む踏跡はなさそうである。舗装された林道歩きは何とも味気ない。時折、ハングライダー関係の車が行き来する。 珍しく、反対側からやって来た三人連れの登山者と出会った。挨拶を交わすと「岩瀬からですか?」と聞かれた。一瞬答えに詰まる。岩瀬といえばこの筑波連山縦走路の北の端、いくら何でもそこを出発してこの時刻にこの地点までは来られるとは思えないがーーー。私も余ほどの強者に見られたか。「いえ、一本杉峠からです」と答えると、「なぁんだ」という顔で別れていった。 上り下り左右に曲がりくねる林道を進む。一本杉峠以来まともな道標は見当たらない。代わりに、来し方を「桜川市」行く方を「石岡市」と示す真新しい立派な道標が頻繁に現れる。一体何のために何を現す標示なのかさっぱり分からないがーー。きのこ山を行きすぎてしまうのではないかと心配になる。 突然視界が大きく開けて、パラグライダーの離陸場が現れた。ここはきのこ山山頂直下のはずである。足尾山はハングライダー、きのこ山はパラグライダーと各々活動場所が分かれているようである。見ていると次から次へと大空に飛び立っていく。上空では数十機が優雅に飛行している。この離陸場から稜線に向って登っていく地道がある。きのこ山山頂へのルートと思い踏み込む。所が20〜30メートル進むと四阿があり、道は行き止まり、傍らには環境庁・茨城県名による「きのこ山」についての説明板が立っている。 ここは一体どこなんだ。きのこ山の山頂付近であることは確かだが、山頂とも思えない。左手に隈笹と潅木の薮に覆われた数メートルの高まりがある。念のため、薮を強引にかき分け高まりによじ登ってみた。すると、隈笹の中に隠れるように三角点が確認できる。何の標示も、切り開きさえもないが、ここがきのこ山山頂なのだ。目の前の三角点は527.9メートルの三等三角点「上曽」のはずである。ようやく納得し、四阿に戻り最後の握り飯をほお張る。 これで今日の予定は終了、後は車のある「みかげスポーツ公園」に下るだけである。時刻はいまだ11時半、筑波山に向って更に縦走を続けることも可能だが、この先には山らしい山はないし、下山後の足もない。計画通りここから下ることにする。 パラグライダー離陸場に戻る。さて、下山路を見つけなければならない。この地点から地図にも記載されている車道が真壁町桜井地区に下っている。この車道を下れば間違いなく「みかげスポーツ公園」近くに下れる。ただし、この車道は非常に大きく蛇行しており、歩行距離は相当長くなる。事前の調査では、この車道とは別に、みかげスポーツ公園近くの伝正寺に向け直接下る登山道があるらし。出来ればこの登山道を下りたい。 車道と辿ってきた北筑波林道との三差路に珍しく確りした道標が立っており、北筑波林道の来し方を「足尾山」、行く先を「上曽峠」、そして、下界の方向を「伝正寺、真壁駅」と標示している。この下界を指し示す矢印が微妙である。車道の行き先を示しているようでもあり、その横のパラグライダー離陸場の急斜面の先を示しているようでもある。「危ない!」と怒鳴られはしないかと冷や冷やしながら離陸場の脇を下り、その先の薮を覗くと、確りした踏跡が雑木林の中に続いている。目指す下山路に間違いない。ほっとして、次々と飛び立つパラグライダーをしばし見つめる。 雑木林の中の気持ちのよい山道を下り、回り込んできた車道を突っ切る。道は丸太で階段整備されている。ただし、厚く積もった落ち葉がその丸太を覆い隠している。確りした道だが、余り歩かれた気配はない。車道にいったん接するが、再び雑木林の中へと進んで行く。 道が二股に分かれ、道標が右を「つぼろ台 80M」、左を「伝正寺 1.4K、真壁駅 2.8K」と示している。さてどっちだ。「つぼろ台」などという地名は聞いたことがない。一瞬立ち止まる。ちょうどマウンテンバイクに乗った二人連れが休んでいた。この完全な山道を自転車で下るとはたいしたもんだ。地元の人のようで親切に説明してくれた。「つぼろ台への道はそこで行き止まり、下るなら左の伝正寺方面の道を。ただし、伝正寺はすでに廃寺となり今では跡形もないがーーー」。その話を聞いて少々がっかりした。実は伝正寺に寄ってみるつもりでいたのだが。 あの赤穂浪士で有名な浅野家は播州赤穂の地に転封される前の領地はこの真壁であった。伝正寺はその浅野家の菩提寺で歴代藩主の墓もある由、一度訪れてみたかったのだがーーー。 更に雑木林の中の登山道をドンドン下る。誰にも会わない。また道が分岐し、道標が右を「林道」、左を「恵みの森」と示している。またまた知らない地名が標示されている。左の道を選ぶ。更に下ると、小平地に建つ立派な四阿に達した。人気もないこんな所に何で四阿がーーー、不思議な感じである。ただし一体ここはどこなんだろう。この広場から幾筋かの道が下っているようであるが、幸運なことに、道標が一筋の道を「みかげスポーツ公園」と示しているではないか。石畳となった細道を駆けるように下る。人の通った気配もない不思議な道である。すぐに今朝方発った、みかげスポーツ公園が現れた。無事の下山である。公園には相変わらず人影はまったくなかった。
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