愛鷹連峰縦走

 満開のツツジの中、険悪な岩峰を越え

1994年5月28日


位牌岳山頂
 
愛鷹登山口(640)→愛鷹神社(655)→愛鷹山荘(720〜735)→黒岳(755〜805)→越前岳(955〜1005)→呼子岳(1045)→鋸岳→位牌岳(1245〜1300)→前岳→田向集落(1445)→須山集落→愛鷹登山口(1525)

 
 東京を出発した新幹線が丹那トンネルを抜けると、大きな富士山の姿が車窓一杯に広がり、ようやく駿河の国に入ったと実感する。しかし、すぐに大きな山塊がその姿を隠してしまう。この邪魔な山こそが愛鷹連峰である。愛鷹連峰はその背後に天下の名峰・富士があるが為に富士隠し山として人々に嫌われる。しかし愛鷹連峰にいわせれば「冗談ではない。俺が先にあって、富士山が勝手に後から生まれたのだ」というに違いない。事実はその通りである。愛鷹連峰は富士山よりも箱根山よりも古い火山である。そして若い頃は富士山よりも高かったと考えられている。しかし、今の愛鷹連峰は有史以来噴火の記録もなく、完全な死火山である。山頂部は見る影もなく崩壊し、現在は最高峰の越前岳でも1500メ−トル程度しかない。駿河湾に向かって緩やかに引く雄大な裾にわずかに昔の面影を見るだけである。

 私にとって愛鷹連峰は以前から気になる山ではあったが、埼玉からは遠く、また山頂部の通過がかなり危険であるということもあり、今一つ登山意欲がかきたてられずにいた。河西哲郎氏の「静岡 花の百山」を読んで、にわかに行ってみたくなった。5月中旬から6月初旬に掛けて、愛鷹連峰の山頂部はツツジの花で赤紫色に染まるという。特に大正14年に牧野富太郎博士によって発見されたアシタカツヅは愛鷹山の固有種として名高い。ちょうど今頃満開のはずである。

 5時20分、静岡の自宅を車で出発する。昨日大雨を降らせた低気圧も去り、予報では晴天のはずだが、東名高速から眺める山々は雲に覆われ、天気はいま一つはっきりしない。裾野インタ−で下り、須山集落を目指す。迷うこともなく、6時40分、愛鷹登山口のバス停に着く。ここから林道が大沢ぞいにさらに奥へと続いているのだが、下山路の関係上林道入り口に車を停める。林道を奥へ歩き出すが、このあたりは昨晩だいぶ雨が降ったとみえて、至るところ水浸しである。後方からRV車が2台、水飛沫を上げて追い越していく。どうやら登山者のようだ。15分も進むと、あっさり登山口である愛鷹神社に出た。先ほど追い越した車の5人パ−ティが支度をしている。杉林の中を緩やかに登っていく。朝の静寂の中に小鳥のさえずりが盛んに聞こえる。どうやら私が今日最初の登山者と見えて、蜘蛛の巣が時々顔にかかる。夏場の登山はこれがうっとおしい。25分進むと愛鷹山荘に出た。周りは5〜6張りのテント場が整地されており、トイレもある。銀明水と名付けられた湧水があるが、水源にはおたまじゃくしが泳いでいた。休んでいると5人パ−ティが追いついてきた。

 ほんの少しの急登で稜線に出た。この地点を富士見峠というらしい。縦走路は左に折れて越前岳へ向かうのだが、私は右に折れる。縦走路から外れている黒岳を行きがけの駄賃に登っておくつもりである。黒岳まで30分との標示がある。雑木林の新緑が美しいが、今まで以上に蜘蛛の巣が道を塞ぎ閉口する。持参のストックを振り振り緩やかな登りを進む。時々ポンポンという銃の発射音が聞こえる。富士の演習場からであろう。十里木集落への道を分け、左側が開けた場所に出る。案内書にある富士展望台であろう。富士山が大きく雲の間だから姿を現しかけている。山頂での展望を期待しよう。一度緩やかに下って緩やかに登ると黒岳山頂に達した。期待に反し、山頂は雑木林の中のわずかな切り開きで、展望もなく、わざわざ来てみる価値はなかった。来た道を戻る。先ほどの富士展望台に出たが、富士山の姿は厚い雲に覆われ、まったく見えない。どうも天気回復の兆しはないようである。

 富士見峠まで戻り、越前岳を目指す。5人パ−ティが先行しているはずであり、もう蜘蛛の巣を気にすることはない。樹林の中の緩やかな登りが続く。登山道は深くえぐれ、まるで沢の中を歩いているようである。地盤が火山灰のため浸食に弱いのであろう。周りはガスが立ち込め、視界は一切ない。突然足元を鮮やかな赤紫色のツツジの落花が埋める。アシタカツツジであろうか。頭上を見上げても、一片の花弁も見当たらず、どれがツツジの木なのかさえもわからない。進むに従い点々と落花の群れに出会うが、いずれも頭上には花影はない。登山道に「危険」の標示が現われ、左側が大きくガレた縁に出る。深くえぐれた谷底はガスが渦巻いていた。

 ようやくツツジにであった。数メ−トルの木に赤紫色の花弁を無数につけ、根もとは落花で埋め尽くされている。進むに従い、至るところにツツが咲き誇っている。まさにツツジのトンネルである。すぐに富士見台を過ぎ、ますます増えるツツジの中を緩やかに登ると越前岳山頂に達した。すばらしい山頂である。視界が大きく開け、周囲はまさにツツジで真赤である。ただし、今日の展望はあいにくである。富士山も、目の前に広がっていると思われる駿河湾もガスの彼方に消えている。これからたどる呼子岳から鋸岳へのギザギザした稜線がうっすらと見えている。その右手にひときわ高く見える山は大岳である。秋晴れの日にもう一度来てみたいものである。先行した5人パ−ティがラジウスを炊いて大休止をしている。割石峠から下るのであろう。私は鋸岳を越え位牌岳まで縦走しなければならない。先を急ごう。

 今までの緩やかな登りと打って変わって、急な下りとなる。何組かのパ−ティとすれちがう。割石峠から登ってきたのであろう。相変わらず周囲はツツジの赤紫色に包まれている。痩せ尾根を過ぎ、ちょっとした急登を経ると呼子岳達した。誰もいない。灌木越しに越前岳の中腹が赤紫色に染まっているのが見える。すぐに割石峠に達する。西側に大沢ぞいの愛鷹神社に下る道が分かれる。東側、須津川に下るル−トは狭い急なルンゼとなっていて、「危険につき下山禁止」の標示がある。いよいよここから、愛鷹連峰最大の難所である鋸岳越えである。

 鋸岳の稜線は聞きしに勝る難所であった。グジャグジャに崩壊した岩峰が続き、しかも岩肌はぼろぼろでまったくホ−ルドの役目を果たさない。鎖を頼りの登り、下り、トラバ−スが連続する。普通は鎖場でも、基本は自分で岩を登り、鎖はバランスをとるための補助的にしか使わないのだが、ここでは一切の手掛かり足掛かりが無いため鎖に全体重を掛けなければならない。相当な腕力も要する。もし鎖が抜けたら一巻の終わりだ。緊張の連続で時間の経つのも忘れる。よくもこれほどの危険なル−トが登山道となっているものである。

 さしもの難所も終わり、やがて痩せ尾根上の平坦な笹藪の道となる。開けた草原に出てようやく小休止をとる。ひと登りで位牌岳に達した。ここもすばらしい山頂である。小広い山頂は樹木に囲まれ視界こそないが、ツツジが咲き乱れ、難所を越えてきた精神的緊張を解きほぐしてくれる。何組かのパ−ティがのんびり休んでいる。私ももう下るだけだ。ゆっくりとツツジを愛でよう。ちょうど1時、いよいよ下山に掛かる。ここから前岳を越えて、田向集落までの長い長い尾根歩きである。このル−トはメインル−トから外れるので、道の状況が心配であったが、道標もあり、道もしっかりしていそうなので安心する。ツツジの咲き誇る尾根を緩やかに下っていくと30分ほどで前岳に達した。平凡な山頂である。狭い尾根をさらに下る。この愛鷹連峰一帯は自然保護区になっているためか、どこも自然林で気持ちがよい。いつしかツツジも姿を消した。雑木林の緩やかな尾根をどこまでも下る。所々笹藪を漕ぐ。笹に花が咲いている。珍しい光景である。この尾根に入ってからは人の気配がまったく途絶えた。あまり歩かれていないようである。足に疲れを感じだした頃、真新しい社が現われ、すぐに前方に田向集落が見えてきた。橋のない川を飛び石づたいに渡り、集落に入った。ここから須山集落を抜けて、車までの車道歩きは意外に長かった。3時25分、ようやく愛車に戻り、今日一日の山歩きを終えた。

 期待していた富士山と駿河湾の大展望は得られなかったが、咲き誇るツツジが十二分に目を楽しませてくれた。愛鷹連峰はよい山である。

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