多摩の丘陵 阿須丘陵七国コース 

落ち葉に覆われた尾根道をひたすら辿り 

2015年12月5日


 
三郡坂
七国峠
                            
元加治駅(745)→岩沢郵便局(800)→入間川を阿岩橋で渡る→阿須交差点(816)→赤城神社(820)→長澤寺(826)→No1道標 【墓場の手前】(830)→No2道標【山道取り付き点】(832)→No3道標【休憩広場分岐】(905)→No4道標【山郡坂】(913〜916)→No6道標【唐沢川への急降下手前】(921)→No7道標【唐沢川徒渉手前】(929)→No8道標【唐沢川徒渉終了地点】→No8A道標【落合道への急登入り口】(936)→No9道標【お休みどころ】(954)→No10道標【秋葉大権現下の三叉路】(1003)→秋葉大権現(1007〜1010)→No11道標【二万五千図上の七国峠】(1015)→七国三角点見晴台(1022)→No12道標【七国広場】(1025〜1040)→上州道分岐(1053)→No13道標【飯能駅近道分岐】(1103)→No14道標【県道分岐】(1123)→No15道標【落合薬師堂分岐】(1134)→送電線鉄塔(1142)→139.9m三角点(1146)→県道195号線(1153)→元加治駅(1220)

 
 6月以来、既に半年も山から遠ざかっている。歳のせいか、岩場などのあるハードな山は敬遠する気持ちが強いし、そうかといって近郊には登山意欲の湧く適当な山も無くなってしまった。しかし、このまま新年を迎えるのも何となく空しい。どこか適当な山はないものかと、地図やガイドブックを眺めていたら、雑誌「新ハイキング」12月号に記載されている「阿須丘陵七国コース」に目が留まった。

 「 阿須丘陵」なる山域は今まで行ったことはもちろん聞いたこともない。記事により、初めて、東京都青梅市の北東、埼玉県飯能市の南に広がる丘陵地帯と知る。地図で確認してみると、奥多摩の山々が関東平野に没する寸前の、大地の最後のうねりが続く丘陵地帯である。二万五千図に山名の記載されているピークもなく、標高はわずか200メートル前後の山とも呼べない低い大地の高まりが連なっている。一応、ハイキングコースは開かれているらしいのだが、昭文社の登山地図「奥多摩」を眺めても記載外であるし、案内の類いもほとんど目にすることはない。ようするにハイキングの対象としてもマイナーな領域である。

 それほど気が向くわけでもないが、「犬も歩けば棒に当たる」かも知れない。阿須丘陵に行ってみることにした。幸い天気予報が今日の快晴無風を告げている。この丘陵の一番奥に「七国峠」という二万五千図にも名前が記載された峠があり、またその隣りには「七国三角点見晴台」と呼ばれる225.9メートルの三角点峰がある。この辺りがこの丘陵の核心部で目指すべき地点でもあるようだ。丘陵の東の麓の飯能市阿須集落からこの核心部を目指そう。

 最初の目的地は登山口となる阿須集落である。西武池袋線の元加治駅から歩いて約30分の距離である。元加治駅は飯能駅の一つ池袋よりの駅なのだが、北鴻巣駅からこの駅に到る経路が実に複雑である。PCの乗り換え案内で検索すると、川越経由、池袋経由、秋津経由、高麗川経由など4〜5個のルートが標示される。

 星の瞬く漆黒の闇の中、北鴻巣駅発5時40分の上り列車に乗る。早朝にも関わらず意外に乗客は多い。大宮駅で川越線に乗り換える。外はうっすらと明るくなった。指扇駅を過ぎると彼方まで広がる田圃のはての地平線から真っ赤な太陽が昇ってきた。久しぶりに眺める荘厳な日の出である。川越駅で高麗川行きに乗り換える。行く手の奥武蔵の山々が次第に近づき、その背後に真っ白な富士山がモルゲンロートに輝きながら姿を現したではないか。思わず手を合わせたくなる神々しさである。高麗川駅で八高線上りに乗り換えて一駅、東飯能駅で西武秩父線に乗り換えである。人影もないホームでの20分ほどの待ち時間は寒さが身にしみる。ようやくやってきた電車で一駅、今度は飯能駅で西武池袋線池袋行きに乗り換えである。ただし、乗車はまたもや一駅である。7時45分、ようやく目的の元加治駅に到着した。所要時間2時間5分、乗り換え実に5回に及ぶ小さな旅であった。

 地図を確認して、雑然とした街中の道を行く。通勤、通学日でもないのに駅に向う人々が多い。街中を抜けると目の前に大きな川が現れた。入間川である。妻坂峠下に源を発し、大宮で荒川に合流するこの川が、この地点でこれほどの大河の装いをしているのは意外であった。川向こうには駿河台大学のキャンパスが広がり、さらにその背後には、これから登る阿須丘陵の低い山並みが赤く黄色く山肌を紅葉に染めて続いている。阿岩橋で入間川を渡り、八高線のガードを潜り、阿須集落に入る。

 県道195号線と県道218号線の交差する阿須交差点を南に曲がる。右側より阿須丘陵の尾根の先端が迫っている。これから取り付く予定の尾根である。交差点から100メートルほど進み、右側に阿須自治会館を見る。その角を西に入る小道が進むべきルートであるのだが、その前にちょっと寄り道をする。そのまま県道を更に100メートルほど進むと、赤城神社に行き着いた。荷物を下ろし、神前に今日の無事を祈る。改めて支度を整え、登山口へと向う。

 自治会館まで戻り、小道に入る。その奥は長澤寺、なかなか立派な寺だが人の気配はなく静まり返っている。本堂を右に見て、墓地に突き当たった箇所に道標があった。1の番号とともに、「阿須丘陵七国コース」と記された矢印が左に曲がる細い踏跡を指し示している。以降、進むに従い順番に番号が記された道標が現れ、進むべきルートをしめしてくれた。矢印に従い、通るのを躊躇するほどの民家の裏の狭い隙間を抜けると小沢に突き当たる。阿須丘陵に食い込んでいる「唐沢川」である。目指す七国峠はこの沢の源頭に位置する。青い欄干の小橋を渡り右岸に移ると2番号の道標が尾根を登って行く山道を指し示している。

 緩やかな登りとなった尾根道を進む。路肩の笹が丁寧に刈り取られており、最近、道の手入れが行われた様子である。山道であるにも関わらず路面には自転車の轍の跡が確認できる。マウンテンバイクが走ったようだ。と、早速前方から一台のマウンテンバイクが現れた。乗車の若者が丁寧に挨拶をしてすれ違って行った。辿る山道はほぼ平坦な尾根道に変わる。周りは檜と小楢や椚の落葉樹の混合林で、地肌はすっかり散り積もった落ち葉に覆われている。尾根道はどこまで行っても展望はいっさい無い。物音一つしない森の中の小道が続く。

 30分ほど進むと、左に確りした小道が分岐する。道標もなく、一瞬、どちらの道を辿るべきかと考えていたら、一台のマウンテンバイクが通り過ぎていった。更に進むと、すぐに3の道標が現れ、右に分岐する踏跡を「休憩広場」と指し示している。更に10分ほど変化のない尾根道を辿ると三叉路に達した。立ち木に「三郡坂」と手書きされた小さなプレートが打ち付けられている。この地点が埼玉県と東京都の都県境である。ザックを下ろし一休みする。相変わらず展望はいっさい無い。

 この三郡坂には4の道標があった。左に進む道を「今井へ(都県境)」、右に分かれる小道を「阿須丘陵七国コース」と示している。どちらの道も尾根を左及び右に下る道である。地図を眺めるかぎり、辿ってきた尾根をそのまま進めば、目指す丘陵核心部に通じるはずなのだがーーー。何故この尾根を追いだされてしまうのだろう。後で知るのだが、尾根はこの先、武蔵野音楽大学の私有地となり、通行不可となっているらしい。と言うことで、道標に従い右に進む道に入る。

 緩やかな道を進んでいくと、はっきりした小道が続けて二本左に分かれる。ただし分岐には5及び6の道標が進むべき道を示している。特に6の道標には道がこの先、唐沢川上流部へ向う旨記されている。すぐにやや急な下り坂が現れた。今日初めて見る坂らしい坂である。木の根を踏んで一気に下ると小広く開けた谷筋に下り着いた。唐沢川の小流が穏やかに流れている。ここに7の道標がある。沢を飛び石を利用して渡ると、沢の上流へ向う踏跡と下流に向う踏跡とに分かれる。8の道標が沢の上流に向う踏跡を「Bコース」、下流に向う踏跡を「Aコース」と標示している。Bコースはこのまま谷を詰めて核心部に向うルートであり、Aコースは谷左岸の小尾根を核心部に向うルートである。私は通称「落合道」と呼ばれるAコースを選択する。この辺りは少々ルートが複雑でわかりにくい。それにしても、今日は出発以来ハイカーの姿は一人も見かけない。

 道標に従い、沢の下流に少し進む。と、8A標示の道標が現れ、左手尾根に登り上げる急斜面を「急坂道注意」との付記とともに指し示している。急斜面に取り付く。ハイキングコースとしては一級の急登である。うっかりすると足がずり落ちる。ただし距離は短い。木の根を踏んで一気に尾根に登り上げる。

 緩やかな尾根道を進む。相変わらず展望皆無の林の中の道である。人影もない。落ち葉を踏む自分の足音のみが静寂な林の中に響く。変化のない道を20分も進むと、9の道標が現れ、右側の少々開けた場所を「お休みどころ」と示している。ただし、雑然とした薮原で休むような場所でもない。更に進む。

 10時3分、登山を開始してから1時間30分、ついに核心部の主稜線に登り上げた。辿ってきた支尾根が、南北に連なる主稜線に合わさる三叉路である。立派な道標が、左に続く主稜線上の道を「塩船・笹仁田峠」、右に続く主稜線上の道を「岩蔵温泉」、辿ってきた支尾根を「飯能市 落合」と標示している。さらに10の道標が、すぐ右手に聳える小ピークを「秋葉大権現」と指し示している。祠でもあるのだろうか、小ピークに登り上げてみる。祠はなく、「秋葉大権現」と刻まれた立派な石柱が立っているだけであった。石柱には文化14年の年号も彫られてあった。三叉路に戻る。

 主稜線上には登山道というより単に「道」と呼びたいほどの小広い平坦な道が通っている。小型のオフロード車なら充分走れそうである。現に、四輪車のタイヤの跡も微かに確認できる。二輪車のタイヤの跡は無数である。一休みしている間にもマウンテンバイクが一台通りすぎていった。この主稜線上の道を南に進む。5分も行くと二万五千図上の「七国峠」に達した。ここには11の道標がある。七国峠の名前の由来は「この地点から武蔵、駿河、甲斐、信濃、上野、常陸、相模の七国が眺められるため」とのことだが、現在は展望もなく、一国すら眺められない。この地点には途中の唐沢川徒渉地点で分かれたBコースが登り上げている。また数メートル先には「弥兵衛松の碑」が建っている。この地の植林に功績のあった弥兵衛さんを讚えて碑を建て松が植えられたとのことである。

 更に主稜線上の道を数分進むと大きく開けた広場に達する。ここに12の道標がある。ここが今日の終着地点「七国広場」である。広場には快晴無風の好天のもと暖かい太陽の光があふれ、絶好の休憩場所である。ベンチもあるが、広がる草原に腰を下ろして昼食とするのが気持ちよさそうである。ただし一休みする前に、広場の左側に聳える小ピークに登ってみる。このピークが「七国三角点見晴台」と呼ばれるこの丘陵の主峰である。ただし、登り着いた山頂は愛想なしであった。225.9メートルの三等三角点「七国」が認められたが、何の標示もなく、また期待に反して、展望も皆無であった。証拠写真を撮っていたら、中年の女性ハイカーが登ってきた。今日初めて見かけるハイカーなのだが、変わった人で、至近距離なのに目を合わせようともしない。早々に広場に戻り昼食とする。

 草原に座して握り飯を頬張る。今日は朝から何も食べずにここまで登ってきた。燦々と注ぐ初冬の太陽の光が暖かい。これほどの好ましい休み場所なのに他にハイカーの姿はない。先ほどの女性も早々に姿を消している。ただし、この場所も展望がいっさい無いのが残念である。のんびりと座り込んでいたら、にぎやかな人声がして、青梅の笹仁田峠方面から男女十数人の集団が登ってきた。どこかのハイキングクラブの集団かと思ったが、2〜3人づつの別々のパーティの集まりのようである。登山口に着いたバスが一緒であったのだろう。ただし、どのパーティも私に挨拶をしただけで、広場に留まることもせず、また三角点ピークにも寄らずに七国峠の方へ進んでいった。広場には再び静寂が戻った。

 いよいよ下山に移る。帰路は唐沢川左岸稜となって阿須集落に下っている尾根にルートを取ることにする。この尾根上には「旧上州道」と呼ばれる古道が今でもハイキングコースとして生き残っているはずである。この道は、おそらく、青梅街道から分岐し、飯能、越生、小川を経由して上州方面に向う道筋で、甲州と上州を結ぶ古来のルートであったのだろう。

 主稜線上の小道を北に向って戻る。途中七国峠を通り過ぎながらふと思った。七国峠の語源は、言われいるように、七国が眺められたからではなく、この峠が七国へ通じる道筋であったからではなかろうかと。秋葉大権現下を過ぎ、更に稜線上の小道を北へ辿る。すぐに、道標が「山道」と標示する小道が右に分かれる。稜線上の小道をさらに北上すると、まもなく岩蔵温泉分岐に達した。二万五千図上の238メートル標高点地点である。七国三角点見晴台ピークから続いてきた主稜線もここで終わりである。そのまま真っ直ぐ北へ下って行く道は岩蔵温泉へ向う。私はこの地点から唐沢川左岸稜となって東に伸びる支稜にルートを求める。この支稜上に続く小道が古道・旧上州道である。

 分岐の立派な道標の前で七国三角点見晴台で見かけた女性が案内書と道標を交互に見比べながら進むべき道を思いあぐねている。確かにこの道標は少々不親切である。旧上州道へ向う方向を指し示す標示は「飯能市 岩淵・美杉台」であり、「旧上州道」の標示も「阿須」の標示もない。彼女のすぐ横を通りすぎながらよほどひと声かけようかと思ったが、相変わらず目を合わせようともしないので、そのまま通り過ぎて旧上州道に入る。

 樹林の中の尾根道が続く。辿っている旧上州道も小型オフロード車なら十分走行可能な小道である。ただし相変わらず展望は皆無である。同じ程度の道が左に分岐する。道標もない。さてどっちへ行ったものか。立ち止まってしばし思案である。エィヤァと右の道を選択する。するとまた分岐が現れた。ただしここには13の道標があり、左に分岐する道を「飯能駅近道」、右の道を「阿須丘陵七国コース」と標示している。おかげで先ほどの分岐での選択も正しかったことを知り安心する。さらに尾根道をたどる。この旧上州道にも人影はまったくない。先ほどの分岐から20分も歩き、いい加減飽き飽きしたころ14の道標が現れ左に分岐する道を「県道へ」と標示している。小さな上り下りを繰り返しながら更に尾根上の小道をたどる。

 ふと気がつくと、たどっている尾根道は、細い山道になっている。先ほどまでは所々に四輪車のタイア跡も残る小広い道であったのだがーーー。どこかで道を踏み間違えたのか。少々不安を抱えながら進むと、15の道標を伴う分岐が現れた。左に下る道を「落合薬師堂へ」、そのまま尾根を進む山道を「阿須丘陵七国コース」と標示している。ここまでのルートが正しかったことが確認でき、やれやれである。更に10分も下ると送電線鉄塔が現れた。下界がたいぶ近づいたと見え、視界は開けないものの、人声や車の騒音が微かに聞こえてくる。

 突然左手に展望が開けた。直下に飯能南高校のグラウンドが見え、その背後に飯能の街並みが大きく広がっている。更にその背後には真青な空を背景に奥武蔵の山々が連なっている。今日初めて得られた展望である。思わず立ち止まって見とれてしまう。側には139.9メートルの四等三角点「上落合」が確認できる。

 すぐに右下に今日の出発点・長澤寺の墓地が見え、16の道標に導かれて左に下ると県道195号線に降り立った。阿須丘陵ハイキングの無事の終了である。時刻は11時53分、いささか早い下山である。里道をのんびりと元加治駅へと向った。

 
 登りついた頂  
     七国三角点見晴台  225.9   メートル
     
                                  

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