長大な梵天尾根を辿り両神山へ

 ヤシオツツジとカモシカに迎えられて

2002年4月28日


両神山のカモシカ
 
中双里集落(705〜715)→引き返し地点(800)→中双里集落再出発(820)→川後岩(900〜910)→1256m地点(945〜955)→白井指峠(1015〜1020)→梵天の頭(1100〜1115)→大峠(1140〜1145)→ミヨシ岩(1230〜1235)→大笹(1325〜1330)→両神山山頂(1350〜1405)→ミヨシ岩(1450〜1455)→大峠(1520〜1530)→梵天の頭(1600〜1605)→白井指峠(1650〜1655)→川後岩(1720〜1725)→中双里集落(1800)

 
 両神山へ行ってみたくなった。そろそろヤシオツツジが岩肌を染めはじめているだろう。この故郷の名峰には過去4度登っている。自慢は、4度とも違うルートで登頂したことである。1975年には日向大谷から産泰尾根経由で、1986年には天理尾根から、1994年には八丁尾根から、そして1999年には白井指から一位ガタワ経由で。両神山にはもう一つルートがある。梵天尾根コースである。しかし、中津川流域の中双里集落から梵天の頭を越えて山頂に至るルートは実に長大であり、登頂ルートというより縦走コースである。案内書によると歩行時間は往復で10時間20分である。さらに、中双里集落から梵天尾根への登りが急登に次ぐ急登のため、登りに取るべきルートではないとまで案内書には記されている。春の日長を頼りにチャレンジしてみることにする。
 
 5時過ぎに家を出る。通る車とてない中津川沿いの道を走り、7時5分、中双里集落の集会場の前に車を止める。目の前には、昨年登った秩父槍ヶ岳の岩峰が鋭く空を突き刺している。7時15分出発。橋を渡り、中津川左岸の急斜面を背にした小さな集落に入る。中双里の「ソリ」は焼き畑にちなむ地名である。中津川下流には小双里という集落もある。また、静岡県の天子山塊佐野川奥には小草里と言う地名もある。人影のない集落内を横切り、分校跡と思える建物の裏から左岸沿いに続く踏みを何の気なしに辿る。10分ほど進むと墓地に突き当たり、踏み跡は絶えた。これはルートではない。慌てて地図を確認すると、ルートは集落の真ん中辺りから上方に向かっている。慌てて集落に戻る。
 
 しっかりした道標が集落の上部へ続く小道を「両神山」と示している。しかしこの道標は登山者側から見て文字が裏側に書かれているため、先ほど見落としてしまった。集落最上部(といっても2〜3軒分だが)に登ると、道の工事をしていて、登山道への取り付き点が付け替えられている。標示に従い、山中に入る確りした踏み跡を辿る。踏み跡は沢の上部をトラバース気味に奥に進む。本来の登山道のある尾根の右側の谷である。踏み跡はやがて谷と合わさり怪しくなる。どうもおかしいと感じるが、途中迷うような分岐もなかった。微かな踏み跡を追ってさらに登るが、ついに踏み跡は絶えてしまった。いくら何でもおかしい。途中赤布一つなかった。戻ることにする。
 
 今日は長距離行程のため時間が貴重である。スタートからもたつき、暗い気分となる。しばらく戻ると、マウンテンバイクを担いだ、登山者が登ってきた。彼も「昨年も登ったがこんな道ではなかったはず」という。二人して戻る。再度確認しても、登山口付け替えの標示は迷い込んだ踏み跡を指示している。仕方がないので、二人して畑跡と薮を強引に突破して、本来の登山道があると思われる方向を探る。ようやく登山道を見つけやれやれである。結局、登山道にはいるまでに1時間もロスしてしまった。帰路は時間と競争になりそうである。
 
 8時20分、改めて登山を開始する。MBを担いだ彼は梵天の頭まで行くという。自転車を担いで山に登る趣味は理解を超えるが、10キロはある自転車を軽々担いで着実に登る体力・気力には感心する。彼を置き去りにして、潅木と広葉樹の自然林の中のものすごい急登をグイグイ登る。それにしても聞きしにまさる急登である。左側、潅木の間に秩父槍ヶ岳がちらちら見える。ときおり現れるミツバツツジの紫の花が目を和ませてくれる。やがて樹相が杉檜の植林に変わるが、傾斜はいっこうに衰えない。小さなジグザグを切りながらグイグイ高度を上げる。踏み跡は思いの外しっかりしている。「川後岩」との標示のある大岩でひと休みし、さらに急登を続ける。体調はよい。やがて上空に岩峰を連ねた梵天尾根のスカイラインが見えてくる。1256メートル標高点に達すると、さしもの急登も幾分和む。それでも急登であることには変わりない。稜線までもう一息というところで、道は右に緩やかに斜登し始める。
 
 10時15分、白井指峠着。約2時間でついにこの急登を登り切った。峠は展望もない薄暗い樹林の中で、ベンチとテーブルが設置されている。小休止の後、いよいよ縦走に移る。広々とした尾根を地図上の1436メートル標高点峰に緩やかに登る。芽吹き前の広葉樹の林のなか、厚く積もった落ち葉が踏み跡を隠す。木々の合間から、右手には両神山が、左手には秩父槍ヶ岳が見える。何とも気持ちがよい尾根道である。しかし、この尾根を辿る登山者は年に何人もいないだろう。落ち葉を蹴立ててピークを駆け下りる。尾根は次第に痩せ、絶壁となった岩峰が行く手を塞ぐ。踏み跡を探って右より巻く。痩せ尾根を辿るとまたもや岩峰が行く手を塞ぐ。今度は左より巻く。ついにヤシオツツジに出会った。大柄のピンクの花がモノクロームの岩肌を染めている。行く手に高々と聳える梵天の頭まで、まだいくつもピークを越えなければならなそうである。尾根は再び広がり緩やかに右にカーブする。もはや踏み跡は完全に落ち葉に隠されてしまっている。西方に視界が開け、眼下に中津川最奥の中津川集落が見える。その右手には南天山の鋭い岩峰も確認できる。
 
 やや急な登りを経ると、ついに梵天の頭に達した。白井指峠から40分、思いのほか遠かった。狭い山頂は雑木に覆われ、南天山方面がちらちら見えるだけである。三角点に腰掛け、握り飯を頬張る。自転車の彼はだいぶ遅れたと見えて到着の気配はない。時刻はすでに11時過ぎ、両神山頂まで行って来ると帰りはかなり遅くなりそうである。一瞬、ここで戻ろうかとの思いが脳裏をよぎるが、それを振り払うように出発する。
 
 痩せた雑木の尾根を進み、小岩峰を左より危なっかしく巻く。いくつかの小峰を上り下りすると次第に尾根が広がる。と同時に弱い踏み跡は再び厚い落ち葉に覆い隠される。小さな石の祠を過ぎ、急な斜面を下るとそこが大峠であった。峠は狭い鞍部でベンチとテーブルが置かれている。しかし、この峠が賑わったのも一昨年までのこと。峠から白井指集落への登山道が閉鎖された今、この峠を訪れる者はめったにいない。下山道入り口には通せんぼのロープが張られていた。
 
 ここから先は勝手知った道である。1999年4月、山頂から大峠を経由して白井指集落に下ったことがある。一息ついて先を急ぐ。潅木の痩せ尾根を進む。芽吹き前の茶一色の林の中にピンクのヤシオツツジが点々と咲き誇っている。行く手にはこれから越えるミヨシ岩の尾根が高々と立ち塞がっている。2〜3の岩峰を越えると次の岩峰で行き詰まってしまった。踏み跡は右から巻きに掛かるのだが、5メートルほどの絶壁でぷっつりと切れている。絶壁を下るのは相当危険でルートとも思えない。戻ってルートを探すが見つからない。念のためピークに登ってみるがその先は数十メートルの絶壁、進退窮まった。覚悟を決めて先ほどの5メートルの絶壁に挑む。相当危険な下降であり本来のルートでないことは確かである。どうにか無事に下ると岩峰を大きく巻く踏み跡にでた。この巻きルートの入り口を見落としたようである。
 
 鎖場を登るとようやくミヨシ岩に達した。今日初めて、遮るもののない大展望が広がる。奥秩父主稜線は雲の中だが、左手には越えてきた稜線の先に梵天の頭がすっくと起立し、その山肌を点々とヤシオツツジのピンクが染めている。正面には秩父槍ヶ岳、右には南天山が春霞の中に鋭い頂を突き上げている。すでに時刻は12時30分、日暮れ前に下山するには、最悪2時までには下山に移らなければならない。両神山頂まで果たしていけるだろうか。焦りを感じ、早々に出発する。足下から数百メートルの大絶壁を掛ける狭い岩稜上は少々怖い。樹林の中の鎖場もまじえた急坂をヒゴノタワに下る。ようやく両神山の麓にたどり着いた。ここから約300メートルの急登に耐えなければならない。上空に両神本峰から狩倉槍、狩倉山と続く鋸状の岩稜が高々とそびえ立っている。
 
 一直線の急登に挑む。しかし、この平斜面はすばらしい雰囲気を持っている。山毛欅、ミズナラなどの広葉樹の森で、林床を低い隈笹が一面に覆っている。岩と薮の両神山系にあっては心の和む場所である。朝からの急な登下降の連続でいささか疲れた。もはや一気には登れない。立ち止まっては呼吸を整える。稜線が次第に近づいてくる。
 
 稜線までもう一息と思う頃、ふと見上げると、何と!  カモシカがいるではないか。ほんの5メートルほど先に立ち止まってじっと私を見つめている。怯えるでもなく、威嚇するでもなく、実に優しい目である。私も立ち止まって、精一杯の愛情を込めて見つめ返す。カメラを向けてもじっとしている。カモシカとは南アルプス深南部でずいぶん出会ったが、秩父山中で出会うのは初めてである。めったに人の歩かぬコースを辿ると、このようにうれしいこともある。私が歩き出すと、ゆっくりと立ち去っていった。
 
 ついに大笹と呼ばれる稜線の一角に登り上げた。時刻は1時30分、何とか2時までに山頂に達せられそうである。一息ついて、最後の行程を辿る。どうと云うこともない小峰の登りも苦しい。やがて前方から人声が聞こえる。もう山頂は近い。上落合橋へ下るのバリエーションルート入り口で、登山口以来初めて人間とであった。「作業道・通行禁止」の立て札はあるものの、八丁尾根を登った登山者が下山路として利用しているようである。立ち入り阻止のロープをくぐって、日向大谷からの登山道に飛び出した。と同時に、何人もの登山者が湧き出す。もう山頂は一足長である。
 
 1時50分、ついに山頂に達した。長大な尾根を辿ってはるけきもやってきた。狭い山頂はいつもの通り座る場所もないほど賑わっている。一角に陣取り、赤岩尾根を眺めながら握り飯を頬張る。至福のひとときである。山頂は満開のヤシオツツジで囲まれている。今が両神山の一番美しい季節である。しかし長居はできない。長大な梵天尾根を再び辿らなければ帰れない。重い腰を上げる。山頂の三角点をひと撫でして、未練を断ち切る。また来ることもあろう。
 
 ミヨシ岩まで一気に戻る。深まった午後の寝ぼけた視界の先に、いくつもの峰を連ねた梵天尾根が長々と続いている。時間に追われ、疲労の色濃い体を引きずりこれから辿らねばならない尾根である。中でも、梵天の頭はいやになるほど高くそびえ立っている。小岩峰をいくつも越え、大峠までたどり着く。時刻はすでに3時半、日が暮れたら踏み跡も定かでないこの稜線は懐電では歩けない。最悪でも日暮れ前に白井指峠まで戻らなければならない。休む間もなく、梵天の頭に向け歩を進める。きつい登りだ。足下だけを見つめてひたすら疲労に耐える。小さなピークでも上り下りが苦しい。それでも足取りは着実だ。ちょうど4時、ついに梵天の頭に達した。朝、足取り軽く通過したこのピークに、5時間後の今、重い足を引きずり戻ってきた。
 
 縦走最後の行程にはいる。日がだいぶ傾きだしている。白井指峠まで近いようで遠い。もはや大きなピークはないが、それでもまだいくつものピークを越えなければならない。厚く積もった落ち葉の上に、自転車の轍の跡が確認できる。今朝であった彼の痕跡だ。やはり梵天の頭までMBを担ぎ上げたのだ。懐かしさがこみ上げる。行きも帰りも山頂付近を除けば彼以外の人間には出会わなかった。踏み跡は落ち葉に隠れ、時々ルートを失う。人影もない、夕闇迫る稜線を単独行者が重い足を引きずりながら帰路を急ぐ。何ともわびしい、それでいて限りなくロマンチックな絵である。4時50分、ついに白井指峠に到着した。ここまで来れば安全圏である。峠道ははっきりしており、懐電でも下れる。ほっとしてベンチに腰掛け、残り少ない水筒の水を飲み干す。
 
 今日の出発点、中双里集落を目指して一気に下る。樹林の中はすっかり暗さを増している。それにしても凄い急坂だ。よくも今朝方これほどの急斜面を登ったものと、妙な感心をする。もはや疲れた足では踏ん張りが利かない。時々滑って尻餅を撞く。足はがくがく、明日はさぞかし筋肉痛に悩まされるだろう。ちょうど6時、ついに集落に下り着いた。よくぞ歩き通した。それにしても、すばらしい縦走路であった。名峰・両神山の新たな一面を知った。ヤシオツツジとカモシカの歓迎も受けた。満ち足りた思いを胸に愛車へと戻った。

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