志太山地 椿山ー千葉山ー赤松山

藪尾根に迷い迷いながら志太の霊山へ

1996年10月26日

              
 
上滝沢(820)→檜峠分岐(925〜930)→椿山→県道五和岡部線(1205)→智満寺前(1320〜1325)→千葉山(1345〜1350)→ドウラン原(1435)→赤松山(1505〜1515)→県道島田川根線 (1530)→ 北中前バス停(1535〜1614)

 
 島田駅のプラットホームから北方を眺めると、どっしりした重量感のある山がひときわ目につく。志太の霊山・千葉山である。この山はハイキング案内にも時々紹介されるが、千葉山を有名にしているのはむしろ山号としてである。宝亀二年(西暦771年)開山と伝えられる天台宗の古刹・千葉山智満寺がその中腹に伽藍を並べている。とは言っても山名としての千葉山も堂々とした山であり、「静岡の百山」にも選ばれている。
 
 私にとって、この山が静岡市近郊の主だった山の中で最後の未踏峰となってしまった。登山が余りにも容易なため登山意欲がなかなか湧かなかったのである。智満寺までは車道が通じており、20分ほど山道を辿れば奥の院のある山頂に達することができる。また藤枝、島田郊外からは昔の参拝道である尾川丁仏参道や伊太丁仏参道がハイキングコースとして整備されている。しかし、いつまでも登り残しておく訳にも行かない。ハイキングの山をどうやってスーパーハイキングの対象に変えるか。地図を眺めてルートを思案し続けてきた。ようやく、椿山ー千葉山ー赤松山 のルートに納得して出かけることにした。千葉山から赤松山まではハイキングコースで問題ないが、椿山と千葉山の間は道もなく地図とにらめっこで複雑に入り組んだ尾根を辿ることになる。
 
 藤枝駅発7時50分の上滝沢行きバスに乗る。このバスは平日にのみ1日1本きりない。最後はいつもの通り私一人となって、9時20分上滝沢集落に着いた。滝沢川に沿った舗装道路を奥へ進む。この道は県道伊久美・藤枝線であるが実体は農道で、上部の茶畑に向かう軽トラックが時折通る程度である。空は雲に覆われ、空気も淀んで視界は悪い。しかし、道端には秋の野の花が咲き誇り実に気持ちがよい。紫色のヨメナや白いイナカギクなどの野菊の花、黄色いセンダングサとピンクの穂のイヌタデ、川原には美しいススキと毒々しい黄色のセイタカアワダチソウ。広がる茶畑には白い茶の花が咲いている。沿うている滝沢川には小魚がたくさん群れ、静かな日本の山村風景を醸しだしている。「滝沢川起点」の表示を見て、道が左岸に移ると、檜峠に向けての急坂となる。一面茶畑の広がる斜面に達すると、目の前に菩提山が広がる。一年前に辿った稜線である。なおもヘアピンカ−ブの急坂を登ると稜線に達した。大井川水系と瀬戸川水系の分水稜線である。このまま県道を少し北へ進めば檜峠であるが、私は「椿山方面」との表示のある南に向かう細い農道に踏み込む。いよいよここから千葉山に向け縦走開始である。
 
 5分も進むと農道は分岐する。地図を確認して左の農道を辿る。すぐに一面に茶畑の広がる台地に達した。茶畑の間を複雑に走る農道を無視し、茶畑の畔を拾いながら高みを目指す。薄日が漏れだし暖かい。道端には相変わらず秋の野の花が咲き乱れている。ヨメナやイナカギクに加え、黄色のアキノキリンソウやヤクシソウが見られるようになる。白に紫の筋の入ったゲンノショウコのかわいらしい花を見つけた。コウヤボウキの花も見られる。高みに達すると目の前に千葉山が現われた。実に堂々とした山容でひときわ目立つ。緩く下って茶畑が尽きると荒れた農道に出た。稜線に沿った農道は緩く登りに入るが、どうもおかしい。地図を広げて懸命に読む。どうも、この付近の最高点499メートル峰から南西に延び482メートル峰に向かう尾根に引き込まれているようである。正しいルートは499メートル峰から東に延び488.4 メートル三角点峰に向かう尾根を辿らなければならない。
 
 茶畑の畔を登り返して戻る。30分はロスしてしまった。499メートル峰は灌木の藪の中で踏み込めないが、農道が尾根に沿って続いている。農道の左側は茶畑が広がり、その向こうに菩提山から高尾山に続く稜線が見渡せる。右側は薄暗い植林となっている。ほぼ水平に続く明るい農道をのんびりと進む。この辺りに椿山と呼ばれる488.4 メートルの三角点があり、そこから千葉山へ続く尾根が分岐するはずである。地図では尾根上に破線が記されているのでなんらかの目印はあるだろう。右側に大きな貯水槽、続いて山小屋風の建物が現われる。道は緩やかな下りとなって続く。更に進むと尾根の末端に達してしまった。眼下に今朝歩き始めた上滝沢の集落が見える。来過ぎである。途中、目指す三角点も千葉山へのルートもなかった。地図を読み返して戻る。南側は欝蒼とした植林のため展望が得られず、千葉山へのルートとなる尾根が発見できない。地図を読むかぎり山小屋風の建物の辺りに三角点があり、そこから尾根が派生しているはずなのだが。建物の辺りを探るが、尾根筋は見当たらないし灌木が生い茂り踏み込めない。更に50メートルほど先の貯水槽まで戻り辺りを探るがやはりルートは発見できない。参ったなぁと思いながらもう少し戻ってみるが、やはり何の手がかりもない。今度は農道を離れて南側の樹林の中を歩きながら戻ってみる。貯水槽の辺りまで戻ると下部に続く踏み跡を見つけた。どうやらこれが地図上の破線と思える。ピンチ脱出である。踏み跡の入り口は藪に覆われ、農道からでは発見できなかったのだ。付近に三角点があるはずと探ってみたが発見できなかった。
 
 発見した踏み跡は最近は通る人もないと見え、すごい藪道で蜘蛛の巣がそれこそ隙間もないほど張りめぐされている。ストックを振るって、へきへきしながら一歩一歩進む。それでも踏み跡は途切れることなく支尾根に沿って下っていく。やっと藪を抜け茶畑に出た。やれやれである。ちょうど正午、茶畑の縁では畑仕事をしていた夫婦がお弁当を広げていた。藪の中から現われた私をびっくりした顔で見つめる。再び樹林の中にはいると踏み跡は絶えたが、すぐに農道に飛び出した。更に5分も下ると、ついに稜線を乗っ越す県道五和・岡部線に達した。ここまで過たずにルート辿れたことを確認する。
 
 ここから先しばらくは地図上にも破線はない。強引に尾根を辿る覚悟である。反対側の山腹に取り付き、杉檜の植林と藪の混じる急斜面を強引に登って287メートル峰に達する。尾根上には踏み跡はないが、なんとか歩ける。ここで再びルートを間違えた。尾根筋を追って進んだのだが、木の間隠れに見える太陽の位置から判断して方向が少し左により過ぎている。ピークまで戻り正しい方向を探ると尾根筋が見つかった。微かな踏み跡が現われ、登り詰めると349メートル峰に達した。物音一つしない樹林の中に座り込み、握り飯を頬張る。
 
 すぐに茶畑が現われ、農道に出た。もう安心である。この農道は智満寺まで続いている。これで今回の計画は90%成功したようなものである。農道は稜線を絡むようにして続く。左側に展望が開け、目の前に千葉山が高々とそびえ立っている。舗装道路となった道を進むと、山の急斜面に点々と人家が現われた。千葉の集落である。よくもこんな山の上に集落が発達したものである。お茶と林業を生業としているのだろう。
 
 13時20分、ついに智満寺の門前に達した。農家の主婦が数人でお茶のサービスをしている。聞けば、この千葉集落で取れた茶が品評会で農林大臣賞を受賞した記念とのこと。檜峠から歩いてきたと言ったらびっくりしていた。急な石段を昇ると智満寺本堂に達する。茅葺きのすばらしい本堂なのだがちょうど屋根の葺き替え工事中であった。天台密教の雰囲気を色濃く残すこの寺は源頼朝、今川氏、徳川家康などの歴代の武将に厚く信仰された。伊豆に流された頼朝が秘密裏に駿河湾を横ぎりこの寺に参拝し平家追討の決意をしたとの伝説も残る。赤い幟のはためく奥の院への参道を登る。欝蒼とした杉林の中の急登である。20分も登り詰めるとついに山頂の奥の院に達した。誰もいない。周囲には天然記念物となっている樹齢数百年の10本の大杉が天を衝いている。
 
 距離的にはこの地点で約半分である。時刻はすでに14時少し前、途中迷い迷ってだいぶ時間をロスしてしまった。計画ではここからドウダン原、赤松山を越えて大井川河畔まで縦走するつもりなのだが、果たして間に合うか。16時半には日が暮れる。一瞬、尾川丁仏参道を下ることも考えたが、ここから先はよく整備されたハイキングコース。いざとなれば懐電でも歩けるだろう。樹林の中を千葉集落から後畑集落への小道が乗っ越す鞍部に下り、ひと登りすると展望台に達した。望遠鏡の備え付けられた櫓に登ると、南側に大展望が開ける。眼下に大井川が流れ、島田、金谷の市街地の先には牧ノ原台地が低く続く。更にその先には遠州灘が遙に霞んでいる。しかし、時間がないのでゆっくりはしていられない。少し下り、尾根を乗っ越す車道を吊橋で渡るとペンションの前に出る。ここから赤松山への縦走路が始まる。雑木林の中の実によく整備されたハイキングコースである。この道は昔からの智満寺への参拝道・伊太丁仏参道でもあり、点々と石仏が並んでいる。小ピークを巻きながら道はほぼ水平に続く。道端にはツリガネニンジンやリンドウが群生している。30分も進むと、雑木林が薄れドウダン原に達した。ドウダンツツジの自生地である。ドウダンツツジは庭木としてはよく見かけるが、自生地は珍しいとのこと。島田市はこのドウダンツツジを市の花にしている。しかしこの自生地も年々衰弱して危機的状況にあるらしい。
 
 田代八幡に下る伊太丁仏参道を左に分け、さらに縦走路を辿る。送電線鉄塔を過ぎると一瞬展望が開ける。右側大井川の向こうに粟ヶ岳から神尾山、八高山と続く山並みが見える。振り返ると、千葉山がそのどっしりとした山容をひときわ高く掲げている。緩く登るとあっさりと赤松山山頂に出た。展望台からわずか1時間、ずいぶん早い。まだ15時少し過ぎである。これで時間の心配はなくなった。赤松山山頂は広々とした芝生の広場で、展望がすこぶるよい。眼下に大井川の河川平野が広々と広がり、島田、金山の街並は目と鼻の先である。山頂には50がらみの男性と高校生と思える女性の二人連れが休んでいた。親子のようである。この歳で娘と二人で山に登れるとはなんともうらやましい。
 
 大井川目指して一気に下り、北中学校前のバス停でに着く。バスは40分待ちであった。父と娘はは島田駅まで歩くという。元気なものだ。私はベンチに座り、ぼんやりと暮れ行く山々を眺め続ける。辿り着いた島田駅のプラットホームから眺めると、夕闇迫る濃紺の空に、千葉山が真っ黒に浮かび上がっていた。