秩父槍ケ岳

岩と薮の痩せ尾根を辿り、人影まれな秩父の尖峰へ

2001年4月14日


 


 
相原橋(745〜750)→野鳥観察小屋下(805)→尾根(855〜905)→1450メートル峰(940〜955)→1461メートル峰(1005〜1020)→再度の1450メートル峰(1030)→テレビアンテナピーク(1050〜1100)→秩父槍ケ岳(1125〜1150)→再度のテレビアンテナピーク(1200)→沢(1240〜1240)→諏訪神社(1305〜1310)→中津川集落(1315)→相原橋(1405)

 
 荒川の支流・中津川最奥に位置する中津川集落は埼玉県最深部の集落である。近代にいたるまで、V字峡谷をなす中津川沿いは通行不能であり、まさに山中に孤立した孤島であった。秩父槍ケ岳はこの中津川集落に南にそびえる1341メートル標高点峰である。ただし、二万五千図には山名の記載はない。地図を見ると付近は岩記号が溢れ、ガリガリの岩峰が連なっていることがわかる。岩は苦手なのだが、埼玉の山を登り残しておくわけにもいかない。雪も消え、岩壁にはヤシオツツジが咲きだしているだろう。
 
 5時30分、車で出発する。冬の間はまだ真っ暗であったこの時間も、春も深まったためもうすっかり夜が明けている。通い慣れた国道140号線を進む。山肌が煙るような薄緑色に染まり、その中に微かにピンクの山桜が混じる。何ともいえない春の美しさである。県道中津川線に入る。昔はすれ違うのも苦労したこの道も今では一新されている。中双里集落に至ると前方に目指す秩父槍ヶ岳が姿を現す。ギザギザの鋸歯の稜線上にひときわ目立つ岩峰が聳立している。一見したところ、とても登れるとは思えないほどの尖峰である。さすが槍ヶ岳の名に恥じない。すぐに相原橋に達する。ここが登山口である。家から97キロ、2時間15分かかった。やはり埼玉県最奥、何とも遠い。広場となっていて、四阿とトイレがある。頭上にはこれから登る秩父槍ヶ岳が高々と穂先を突き上げている。
 
 支度を整え、相原沢左岸沿いの道に入る。入り口に「野鳥の森」と示す立派な道標がある。この辺り一帯は「野鳥の森」に指定されており、この小道はその観察コースとなっている。この道が秩父槍ヶ岳の登山道となる。ただし、秩父槍ヶ岳を示す標示はなにもない。階段の急登をへてトラバース道となる。沢に落ち込む絶壁に無理矢理刻んだ道で、手摺りを取り付けるなど一生懸命整備した跡はあるが、遊歩道とは云いにくい。いったん沢面に降りる。流入する小沢にはまだ残雪が見られる。空は真っ青に晴れ渡り、日差しは完全に春である。
 
 沢沿いの道を進むと、いくつかの山野草が見られる。ハリシドコロのどす黒い花が目立つ。この花は両神山に群生していた。黄色のミヤマキケマンも現れた。珍しい花を見つけた。ヒトリシズカである。その美しさ故に、義経の愛妾・静御前の名前を授かったという山野草である。すっくと伸びた茎の先に、糸状の白い花が小さな房となっている。沢面を離れ少し登ると野鳥観察小屋である四阿がある。山と渓谷社の「分県ガイド 埼玉県の山」によると、秩父槍ヶ岳へのルートはここで野鳥観測コースから離れ支尾根を直登することになっている。しかし、辿ってきた野鳥観測コースはさらに奥まで通じているようなので、そのまま観測コースを進む。ただし、立て札があり「この先コースは厳しい山道となるので、子供や年寄りはここで戻るように」と標示されている。
 
 標示通り、杉檜林の中のジグザグを切った急登となった。第一級の登りである。今日は岩登りが多いことを考え愛用のストックを持参しなかった。棒きれを拾って杖代わりとして急登に耐える。それでも道はしっかりしており、250メートルごとに道標がある。道標には「熊に注意」とも記されている。もう冬眠からさめたであろうか。ひとしきり登った後、相原沢の上部に向かっての斜登となる。ちょっとしたゴーロ地帯をすぎるとカラマツの林に入った。道端にヤブレガサを見つけた。再び尾根に向かってのジグザグの急登となる。尾根に達したところで初めて休憩をとる。道標が「野鳥の森終点まで750メートル、入り口まで2000メートル」と示している。
 
 すでに案内書のルートから外れ、どこへ通じるともわからない野鳥観測コースを登ってきた。登りついたこの尾根は相原沢左岸稜と思うが確証はない。もはやこの尾根を稜線まで登り上げざるを得ないのだが、観測コースは果たしてどこまで通じているのだろう。不安が大きい。幸いコースは尾根上を上部に続いている。アセビ等の灌木の生えたすさまじく急な尾根である。所々梯子も掛かる。もはや野鳥観測コースなどという生やさしい道ではない。次第に周囲の稜線が足下に並び、高度はぐいぐい上がる。それでもコースは絶えることなく一直線に尾根上に続く。終点まであと250メートルの標示が現れた。どうやらこのコースは無事稜線まで導いてくれそうである。
 
 9時40分、ついに稜線に達した。登山口から1時間50分のきついアルバイトであった。小さな岩峰直下で「野鳥観測コース終点」の標示のみある。さて、ここはどこなんだ。秩父槍ヶ岳から南に続く稜線上の一角であることは確かであるが。たどってきたコース、周囲の地形を勘案すると地図上の1450メートル峰と思われる。ただし、私の高度計は1495メートルを指している。下で高度は合わせたはずなのだが。まずは稜線を南にたどってみることにする。私の読み通りなら、灌木越しに見える顕著なピークが地図上の1461メートル峰のはずである。
 
 アセビを中心とした灌木の生える痩せた稜線には微かに踏み跡の気配がある。色あせたテープも見られる。小峰を越え、まともにルートのとれない急斜面を灌木を支点にしゃにむに登ると、目指すピークに達した。山頂は潅木の生い茂った展望もないところで、何の標示もない。ただし、航空測量に使われた板きれが転がっていた。このピークを1461メートル峰と認識する。
 
 稜線を戻る。もとの1450メートル峰を越え、さらに稜線を北上する。案内書によると、この先にテレビアンテナの立つピークがあり、さらにその先に秩父槍ケ岳があるはずである。痩せた稜線の縦走はなかなか厳しい。尾根筋は明確であるが、時々行く手を通行不可能な岩場に阻まれ、また絶壁に近い急斜面を潅木を頼りに登降する。顕著なピークを二つ越えるがテレビアンテナピークは現れない。案内書のコースタイムでは1461メートル峰からわずか10分の距離となっているのだが。樹木のすき間から眺めると、さらに先にピークが見え隠れしている。1461メートル峰から30分かかって、ようやくアンテナピークに達した。案内書の記載は明らかにおかしい。私の登ってきた野鳥観察コースについて何も記載していないことと考えあわすと、おそらくだいぶ手前のピークを1461メートル峰と誤認したのだろう。
 
 初めて東側に展望が開けた。春特有の寝ぼけた視界の先に和名倉山のゆったりとした山容が横たわっている。このピークから西側・中津川集落に向かって下山路があるはずである。偵察してみると下に向かう明確な踏み跡が確認できた。これで下山路は確認できやれやれである。秩父槍ケ岳に向けて最後の行程に入る。アンテナピークから尾根通しの下降は不可能。戻って下山路を少しくだってからトラバースして稜線に戻る。小峰を越えると、さらに前方に岩峰が見える。檜とアセビの茂る山頂に達する。何の標示もない。樹木の間を透かしてみてもこの先には目立つ岩峰がないのでここが秩父槍ケ岳と思うのだが確証がない。何かないかと探してみると、小さな手製の山頂標示が一つだけ木の枝にぶら下がっていた。ここが秩父槍ケ岳山頂である。どこにも案内されていないルートを辿ってついに目指すこの頂にたどり着いた。樹林の中の暗い頂に座り込み一人握り飯をほお張る。この頂はいったい年に何人の登山者を迎えるのであろう。
 
 下山に移る。ルートは二つある。一つは先ほど確認したアンテナピークから中津川集落に下るルート。もう一つはここから直接野鳥観察小屋に下るルート、すなわち案内書にある秩父槍ヶ岳への登頂ルートである。しばし考えたが前者を下ることにする。アンテナピークまで戻り、そのまま確認済みの踏み跡に踏み込む。踏み跡は敷設されたケーブルに沿って続いている。支尾根を少し下った後、急斜面のトラバースに移る。踏み跡は確認できるが、至る所崩壊していてかなり悪い。やがて広々としたゴーロ地帯をジグザグを切りながら下るルートとなる。この下りがどこまでも続く。今日も足周りはジョギングシューズなのだが、このような場所は至って歩きにくい。前方、木の間隠れに上武国境稜線の山々が見える。赤岩岳、大ナゲシが確認できる。
 
 いい加減飽き飽きした頃ようやく小沢のほとりに下りついた。ひと休みする。沢の水を口に含むと、歯にしみいる。沢を渡るとトラバース道となる。踏み跡は急しっかりする。下方に中津川の集落が見える。一片のピンクの落花に、見上げると赤ヤシオが満開の花を付けている。やがて支尾根を下る道となり、13時05分、ついに中津川の河畔に下りついた。かたわらに神社がある。諏訪神社と標示されており中津川集落の鎮守であろう。神前に詣で今日の無事を感謝する。流れに渡された小さな橋で対岸に渡り、集落の中を通って県道に出る。「農林センター」のバス停でバスを確認すると、1日4本のバスは1時間半待ちであった。相原橋の愛車まで歩かざるを得ないようだ。1時間も歩けば着くであろう。
 
 通る車も少ない県道をのんびり歩く。中津川は渓谷となり絶壁を赤ヤシオがピンクに染めている。たどってきたギザギザの稜線が頭上にそびえ立っている。突然ぱらぱらと落石に驚き見上げるとなんと! 猿である。一匹の猿が私に向かって石を落としてくる。カメラを向けても平然としており、威嚇と云うよりまさに私をからかっている感じである。
 
 約50分歩き、無事愛車にたどり着いた。今日1日誰にも会わなかった。

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