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雪入ふれあいの里公園(833〜840)→七曲(857〜900)→石切場跡(912)→林道(927)→あきば峠(933)→青木葉山(938)→黒文字平(943)→石岡市弓弦分岐(948)→石噛桜分岐(954)→浅間山登山口(955)→浅間山山頂(1004〜1015)→三ツ石森林公園分岐(1027)→谷津コース分岐(1041)→綿石(1048)→阿弥陀院分岐(1102)→半田林道分岐(1107)→権現山(1125〜1135)→閑居山登山道入口(1155)→閑居山登山口(1204〜1210)→百体磨崖仏(1220)→閑居山(1237)→谷津コース分岐(1245)→浅間山登山口(1306)→石岡市弓弦分岐(1311)→黒文字平(1313)→あきば峠(1320)→パラグライダー場跡(1327)→雪入山(1335)→剣ケ峰(1340)→雪入ふれあいの里公園(1416) |
「アルプス」とは、勿論、モンブラン4808メートルを最高峰とし、フランス、スイス、イタリア国境に聳え立つ山群の呼称である。この有名な山群の名称を拝借して、日本の背骨となり、3千メートル峰を多く聳え立たせる飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈もそれぞれ「北アルプス」「中央アルプス」「南アルプス」との別称で呼ばれている。さらに、地方の小さな山群の幾つかが、遊びの要素を多分に含んだ愛称として、「○○アルプス」と呼ばれている。私の知るかぎりでは静岡県沼津市郊外の「沼津アルプス」、埼玉県長瀞町郊外の「長瀞アルプス」がある。そして「千代田アルプス」もそんな山群の一つである。
茨城県の土浦市、かすみがうら市、石岡市の市境に位置し、筑波山から南東に続く低い山並である。二万五千図で確認すると、山名の記載されたピークは皆無で、標高350メートル以下の小ピークが幾つか連なっている。インターネットで調べてみると、剣ケ峰、雪入山(ゆきいりやま)、浅間山(せんげんやま)、閑居山(かんきょざん)、権現山(ごんげんやま)などのピーク名が記載されており、また、低山の里山ゆえハイキングコースが縦横に開かれているようである。また、麓には三ツ石森林公園、雪入ふれあいの里公園があり、ハイキング基地として利用できるようである。登山意欲がそれほど湧くわけではないが、アルプスを名乗るからには未踏のままにしておくわけにも行かない。 朝6時、車で家を出る。夜は既に明けている。公共交通機関は期待できないので、車で行かざるを得ない。しかし、車の場合、登山ルートは往復行程か、回遊行程に限定されてしまう。今回の山行もルートの取り方が難しい。加須、栗橋、古河、下妻、筑波とひたすら東に向って車を走らす。常に正面に見えている筑波山が次第次第に大きくなってくる。 8時半、ようやく目的とした雪入ふれあいの里公園に到着した。家から88キロ、2時間半の行程であった。広々とした駐車場はがらんとして人影も車の姿もない。仕度を整え、いざ出発。空は晴天の予報に反し、雲が多い。それでも雨心配はなさそうである。 今日の行動計画は、まず、車を停めた雪入りふれあいの里公園の背後の稜線上に位置するあきば峠に登り上げる。そこから稜線を北東に辿り稜線上の最後のピーク・権現山まで縦走し、その後再びあきば峠まで引き返す。そして今度は稜線を南西に辿り、雪入山、剣ケ峰と走破して雪入りふれあいの里公園に下山するつもりである。ただし、明快な登山案内が手元にないため、千代田アルプスの全体像がいまひとつはっきりしない。詳細なルート図があればよいのだがーーー。 いざ出発しようとしてハタと困った。広々とした駐車場付近には道標もなく、一体どっちへ進んだらよいのやらーーー。手持ちのインターネットからコピーしたルートの略図を睨んで、辿って来た車道を戻る。と、右に分かれる細い踏跡を道標が峯コースと示している。続いてカブトムシコースが分かれる。手持ちのルート略図と照らし合わせると、どうやら進んでいるルートは正しそうである。さらに車道を進むと三叉路となり「七曲」の標示が確認できる。第一次目標とした場所である。やれやれーー。路傍にはお地蔵さんが立っている。この地点からあきば峠へ登り上げることになる。 ただし、ルートの選択でハタと困った。三叉路で分かれた一本の車道が上部に向っている。この車道はあきば峠を乗越ている車道に間違いない。従って、この車道をたどればあきば峠に行けることは確実だが、車道歩きは気にくわない。車道とは別に、あきば峠に登り上げる登山道もあるはずなのだがーーー。小さな沢沿いに上部に向う踏跡がある。ただし、道標は金命水とのみ標示していてあきば峠の標示はない。勘としてはこの踏跡があきば峠への登山道と思えるがーーー。 少々不安を感じながらも、この登山道に踏み込む。しばらく沢に沿った確りした踏跡が続く。やがて細い踏跡が右に分かれ、道標が金命水と示している。そして、そのまま沢沿いに進む踏跡にはあきば峠、石切り場の道標。やれやれ、この踏跡が過たずあきば峠に登り上げていることをようやく確信できた。さらに進むと、踏跡は沢から離れ、左側の急斜面を登りだした。 と同時に、ルートの状況は一変した。樹林の中の凄まじい急登となった。ロープが張りっぱなしである。逆にロープの助けを借りなければ、とてもこの急斜面は登れない。超一級の急登である。一般ハイキングコースにこんな急登コースを設けていいのだろうか。それでも今日は調子がよい。手足総動員して急斜面をグイグイ登る。 石切場跡との標示のある小平地に達する。雑木雑草が生い茂り、あまり保存状況はよくないが、岩の絶壁に石を切りだした跡がわずかに見られる。ガサッと言う音に足下近くを見ると、大きなシマヘビが悠然と這っている。普通ヘビは10月20日頃には姿を消す。11月にヘビに出会うとは珍しい。 再びロープの張りっぱなしの凄まじい急登が続く。もがき続けること数十分、ポンと鋪装された林道に飛びだした。七曲で分かれたあきば峠を乗越ている林道である。通る車とてない林道を5分も歩くと待望のあきば峠に達した。稜線上の小さな鞍部である。いよいよここから縦走開始となる。 休むことなく、北東に向う縦走路を数歩進むと、路傍に白杭があり、「振り返れば筑波山」と記されている。それにつられて、後ろを振り向くと、何と、何と、峠を包む木々の上に端正の姿の筑波山がくっきりと浮かんでいるではないか。思わず体ごと向き直って、しばしその絶景に見とれる。峠では木々に隠れて見えなかった景色が、数メートル登ったことにより視界が開けたのだ。 さらに数メートル進むと縦走路は最初のピークを左より巻きに掛かる。ただし弱々しい踏跡がピークの頂に向って続いており、道標が「青木葉山」と示している。せっかくなので登ってみる。すぐに辿り着いた頂きは何の変哲もない薮の中で、「青木葉山 275m」と記された山頂標示がぽつんと立つだけであった。 ところで、「青木葉山」は何と読むのだろう。疑問を抱えたまま帰宅し、いろいろ調べてみたが「青木葉山」などという小さなピークを記した文献もネット情報も見つからない。そうこうするうちに、ついに決定的な情報を見つけた。インターネットの百科事典「ウィキペディア」に「青木葉峠」なる項目があり、次のように記されている。 『青木葉峠(あきばとうげ)は、茨木県かすみがうら市と同石岡市の境にある標高265mの峠。筑波連山南東部に掛かる峠の一つで、雪入山(390,7m)と青木葉山との間に位置する。筑波連山を横断する林道弓弦線(終点)と、筑波連山の稜線を縦走する登山道が交差している。』 紛れもなく、今通過したあきば峠のことである。どうやら現地の道標も案内書の類いも全て「あきば峠」と平仮名表示となっていたが、漢字表示の場合は「青木葉峠」となるらしい。ということは「青木葉山」の読み方は「アキバヤマ」である。あきば峠から直接盛り上がるピークゆえ峠名と同じ山名となったのだろう。 青木葉山を過ぎ、ほぼ平坦な縦走路を5分も進むとベンチが置かれた小平地に着いた。「黒文字平」との標示がある。さらに『ちょっと一息 左に筑波山』との掲示がある。掲示に促されて、数歩前に進み出て、左側を展望すると、大きく開けて木々の間から筑波山がまるで絵のようにその全貌を浮き上がらせている。何とも美しい姿である。しばし息を飲んで見つめ続ける。 小道ともいえる縦走路を緩やかに5分ほど下っていくと分岐に出た。左に確りした踏跡が分かれ、道標が「石岡市弓弦」と標示している。ここが「元青木葉峠」である。車道の乗っ越す「現あきば峠」が開通するまではこの地点を乗っ越す山道が青木葉峠であった。 前方木々の間に顕著なピークが見え隠れはじめる。浅間山のはずである。縦走路は急というほどではないが登り坂に転じ、ピークを右から巻きに掛かる。石噛桜コースを右に分岐し、さらに傾斜の増した縦走路を辿ると、浅間山登山口に達した。ピークを右から巻いてきた縦走路と分かれ、山道(参道)が一直線に山頂に向って伸びている。抉れたかなりの急登である。私は当然ながら山頂に向う。10分ほど息を切らせ、樹林に覆われた山頂に登り上げた。檜の大木がそそり立つ小平地で、山名の由来となった浅間神社を祀る数個の小さな石祠が、小さな宝篋印塔を囲むように鎮座している。さらにその奧には八郷南デジタルテレビ 中継放送所の建物と鉄塔が占有している。木々の間からわずかに筑波山が望まれる。備え付けのベンチに座り、握り飯を頬張る。今日初めての食事である。 縦走路に戻り、下りとなった尾根道を進む。三ツ石森林公園への下山道を右に分け、さらに谷津コースを右に分ける。縦走路上のどこかにあったはずの閑居山山頂は知らない間に通りすぎてしまった。帰路に探し当ててみよう。「弘法石」との標示が左の樹林の中を指し示しているのでちょっと寄ってみる。大きな岩石が場違いのように雑木林の中にデンと居座っていた。 展望のない樹林の中の縦走路が下り気味となって続く。いまだに山中人影を見ない。少々気持ちが悪いほどである。半田集落の阿弥陀院への分岐を過ぎると縦走路は三叉路に突き当たった。そのまま真っ直ぐ進む尾根道は道標が「半田林道」と示している。右に折れ、戻り気味に山腹を巻くように進む道は「権現山」と示されている。私の進むべきルートである。 もはや尾根道としての地形は崩れ、緩やかにうねる樹林の中を足早に進む。権現山はまだかと、思いはじめたころ、道端に突如三角点が現れた。99.25メートルの三等三角点「半田」である。権現山の頂にあると思っていたが、意外にもビークにはほど遠い道端に無造作に設置されていた。そのすぐ先で続いてきた林は尽き、開けた草地となった。その真ん中に「大元帥陛下御統監聖跡」と刻まれた大きな石碑が建っていた。この地は昭和4年、陸軍の大演習を昭和天皇が観閲された場所である。 この場所が現山の頂なのだろうか。それにしてはまったく頂きとは思えない緩斜面の広場であるが。山頂にあるはずの権現様を祀る祠も見当たらない。少々戸惑ってうろうろする。緩斜面のさらに下方に何かありそうなので行ってみる。小さな土饅頭のような小ピークがあり、その上に昭和4年の天皇統監演習記念の大きな記念碑が建ち、その脇に小さな石の祠が祀られている。ここが権現山山頂であった。やれやれである。この地点から下界の素晴らしい展望が得られる。遥か彼方には霞ヶ浦が霞んでいる。 緩斜面を下ると、すぐに里道である鋪装道路に下り立った。千代田アルプスの北東部分、即ちあきば峠→権現山縦走の終了である。時刻はまだ12時前、さてどうするか。当初の腹積もりは、今日の縦走の出発地点であるあきば峠まで戻り、千代田アルプスの南西部分、即ち、あきば峠→剣ケ峰を走破することである。ただし、複雑な里道をたどって、うまくあきば峠まで戻れるか確信はない。何はともあれ、里道を南西方向に向って歩き出す。広大な敷地の果樹試験場の金網に沿った道を勘を頼りに選び選び進む。さらに人家の点在する畑中の道を行く。進行方向の右側には先ほど歩いてきた浅間山、閑居山、権現山と続く低くゆったりした山並がみえている。 里道を15分も歩くと、右側、山並に向って細道が分かれる。角に道標があり、「閉居山登山道」と示している。少々考えたが、この道を辿って閑居山に登り返し、稜線を先程と逆に辿ってあきば峠に達するルートを取ることにする。小道を山に向って進む。幾つかの分岐があるが、期待に反して道標もない。山勘で進むと、幸いにも、「閑居山登山口」との標示のある山裾に到達した。山中に登って行く踏跡を道標は「閑居山、百体磨崖仏」と標示している。どうやら百体磨崖仏にも寄れそうである。四阿とベンチがあるので登りに備え、握り飯を頬張る。 急な登りの山道が始まる。10分ほど急登に息を弾ませると、「百体磨崖仏」に達した。急斜面に積み重なる巨石の表面に無数の仏像が線刻されている。鎌倉時代の作と見做されているが、千年近く経たためか線刻はかなり摩耗し目を凝らしてようやく確認できる状況である。 さらに上部に向う細い踏跡を道標が閑居山と指し示している。ロープが到るところ張り巡らされた一級の登りである。こんな低山なのにこの急登とはーーー。愚痴の一言も言いたい登りである。ただし、距離は短かった。15分ほどの奮闘で稜線に登り上げた。ほぼ平らな縦走路の一画で、地形的にも雰囲気的にもまったく山頂とも思えない場所だが、一応ここが閑居山山頂である。二万五千図には標高227メートルの標高点が確りと記載されている。 証拠写真を一枚撮っただけで休むことなく、縦走路をあきば峠に向う。即ち、数時間前たどったルートを逆向きに進む。心配が一つある。時刻は既に12時半過ぎ、あきば峠から雪入山、剣ケ峰と千代田アルプスの南西部を縦走するつもりなのだが、果たして時間的に間に合うだろうか。この季節、行動できるのは4時頃が限界である。時間的に無理ならば、あきば峠から車のある雪入ふれあいの里公園へ直接下らなければならない。何はともあれ先を急ごう。谷津コース分岐、浅間山登山口、元青木葉峠と足早に過ぎ、黒文字平で筑波山を眺めるが、山頂が雲で隠され、午前中の眺めのような絶景は得られなかった。 13時20分、あきば峠着。意外に早く着いた。4時まで2時間半の余裕がある。予定通り千代田アルプスの南西部分の走破を試みよう。と決断したとき、何と、雪入山方面から50年配の女性の単独行者が現れたではないか。今日山中で初めて見掛けた人影である。しかも彼女は峠で休むことなく浅間山に続く縦走路に踏み込んでいった。どこまで行くつもりか知らないが、時間的に大丈夫なのだろうか。人ごとながら少々心配である。 峠から反対側斜面に取り付く、わずか数分でパラグライダー場跡との標示のあるピークに達する。左側に大きく展望が開け雪入集落の遥か彼方に霞ヶ浦が見えいるようないないようなーーー。そのまま通過して、次のピーク雪入山を目指す。やや急な登りが続くが、ここに到っていやに調子が上がってきた。あっという間に雪入山山頂に登り上げた。樹林の中の平凡な頂きで、立派な山頂表示がポツンと立っているだけである。この山は345メートルの標高点峰である。もちろん人影はない。そのまま通過して次のピーク、即ち、今日最後のピーク剣ケ峰を目指す。 何と、わずか5分で剣ケ峰山頂に達した。ベンチやテーブルが設置されていて剣ケ峰広場との標示がなされている。東側に大きく展望が開けている。霞ヶ浦を何とか確認できる。時刻はまだ13時40分、あきば峠からわずか20分でここまでやってきた。結果として、下山時刻を気にするなど杞憂であった。あとは車のある雪入ふれあいの里公園に下るだけである。 山頂から東斜面を下る登山道があり、道標が雪入ふれあいの里公園と示している。万歳である。このルートを下れば直接車のある雪入ふれあいの里公園に下れそうである。実は、下山道がよくわからず、場合によっては、さらにこの先のパラボラ山、あるいはさらにその先の朝日峠まで行かなければ東側への下山道はないかも知れないと心配していた。 しかし、踏み込んだ雪入ふれあいの里公園への下山道は言葉につくしがたいほどの荒れた難路であった。到るところロープが張り巡らされ、立ち木を頼りに下るような急斜面が続く。とても一般ハイキングコースとはいえない道であった。ようやく地道の林道に飛びだしたときにはほっとした。林道をジグザグを切って下ると、雪入ふれあいの里公園の裏手に下り着いた。無事の下山である。広々とした駐車場は今朝と同様、駐車している車は我が愛車のみであった。
登りついた頂き
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