富士見峠から井川峠へ

人影なき初秋の安倍西山稜を縦走

1994年10月15日

              
 
富士見峠(920〜935)→大日山(950〜955)→勘行峰(1140〜1200)→アツラ沢ノ頭(1240〜1250)→井川峠(1335〜1340)→上坂本部落→井川大橋(1520〜1552)

 
 山伏から無双連山に至る大井川東山稜の完全縦走も、残すところ井川峠ー富士見峠だけとなった。距離は少々長いが一日分である。この間の稜線はゆったりとした高原状で、スキー場や牧場、また、静岡県が整備を進めている県民の森などがある。遊歩道なども設けられてシーズン中は家族連れのピクニックでにぎわう。私のような藪山党にとって登山意欲の湧くコースではないが、稜線上には三角点峰が三つもあり、また、大日峠という古い峠もある。地図上の赤線を繋げるためにも登り残しておく訳には行かない。先週の高山山稜縦走は蜘蛛の巣地獄でヘキヘキした。口直しに今日は遊歩道の整備されたこのコースを辿ってみよう。この時期、紅葉にはまだ早いが、それだけに静かな山歩きが期待できるだろう。
 
 新静岡センター発7時23分の井川線のバスに乗ったのは私一人であったが、悲惨なことに、静岡駅で二軒小屋まで行くという27人ものおばちゃんの団体が乗ってきた。27対1ではどうしようもない。9時20分、おばちゃん達の「がんばって」の声援に送られて富士見峠で下りる。目の前に大無間連峰がぼんやりと霞んでいる。この秋はどういうわけか抜けるような青空の日がない。今日も晴れてはいるが、どんよりしていて南アルプス連山のすばらしい展望は無理である。
 
 9時35分、立派なトイレの裏から「勘行峰コース」と記された小道に入る。この富士見峠と井川峠との間は自動車道や遊歩道が絡み合っていて、稜線沿いの縦走がうまくできるかどうか一抹の不安がある。途中、頻繁に道標があり、「展望広場」、「ピクニック広場」などへの小道が分かれるが、全体の案内図がないのでルートを決めかねる。なるべく稜線を離れない道を選ぶ。人影はまったくなく、広葉落葉樹林の中の気持ちのよい道である。そういえば、先週は照葉樹林の中を歩いた。まだ紅葉はしていないが、落ち葉がすでに小道を覆い、栗の毬が到る所に落ちている。
 
 15分ほどで「大日山」との標示のある小ピークに達する。地図上の1200.6メートル三角点峰である。さらに数分進むと、「ここが大日峠」の標示がある。しかし、さしたる鞍部でもなく、両側に下る踏み跡さえもない。期待していた古い峠の雰囲気はまったくない。がっかりである。大日峠は旧井川村と駿府を結ぶ古くからの重要な峠であった。大井川最奥の集落である井川地域にとって、昭和33年に現在の富士見峠越えの自動車道路が完成するまで、この峠が外界とを繋ぐほとんど唯一の道であった。井川から駿府までの54キロを丸一日掛かって歩いたという。南アルプス南部に入る登山者達も、みな歩いてこの峠を越えていった。私が初めて南アルプス南部に入ったのは昭和47年である。この時はバスで富士見峠を越えた。そのわずか14年前までの話なのである。そう思うと、畑薙第一ダムまでのバスが不通だとブツブツ文句をいうなど、とんでもない話しである。反省!
 
 すぐに「お茶壷屋敷跡」との標示にでる。説明文によると、家康に献上するお茶をここに保管したとのこと。当時から井川地域はお茶の名産地であったのだろう。数分で口坂本分岐にでる。細い踏み跡が口坂本部落に下っており、「大日菩薩の碑」の石碑が立っている。この地点のほうがよほど大日峠らしい。小さな上下を繰り返すと大きな駐車場に出てしまった。ここからは車道を歩かなければならないようだ。交差点に出た。口坂本からの立派な自動車道がこの尾根を乗っ越して井川へと下っている。いわばここが現在の大日峠である。ヘアピンカーブを繰り返しながら高度を上げる車道を進む。通る車はほとんどない。いったん登山道に入るが、すぐに再び車道に出る。所々に当時は立派であったと思われる案内図や道標があるのだが、朽ちたものが多い。お役所仕事は最初に物を作ることには熱心だが、後の保全がなっていない。
 
 辺りは高原状となり、荒れた薄の原が広がる。戦後開拓団が入り、その後放棄されたようだ。やがて勘行峰へとの道標があり、右に荒れた林道という感じの小道が分かれる。小道は所々分岐してわかり難い。荒れた道からにわかに整備された道となり、登り切ると目の前が大きく開けた。立派な休憩舎と多くのベンチがあり、その先には牧場が広がっている。うららかな秋の高原風景である。休憩舎には展望盤があり、本来、目の前には深南部も含め南アルプスの山々が大きく広がっているはずであることがわかる。残念ながら今日は見通しが悪く、大無間山と深南部の朝日岳がうっすらと見えるだけである。冬に来たらすばらしい展望が得られるであろう。牧場の牛を眺めながら昼食をとる。ふと気が付いた。何の標示もなく山頂らしくもないが、ひょっとしたらここが目指す勘行峰の頂ではないか。慌てて付近を探ると、道端の藪の中に三角点を見つけた。ちょっと見つけにくい三角点である。やはりここが1449.6メートルの勘行峰山頂であった。
  
  牧場の柵に沿って緩やかに下っていく。数10頭の牛がのんびりと草を食んでいる。行く手の小高い丘はスキー場のようだ。突然足もとでガサガサと音がした。びっくりして飛び退くと、なんと蛇である。しかも二匹いる。一匹は2メートルはある大蛇でヤマカカシと思える。食事の直後らしく腹が大きく脹れている。もう一匹は50センチほどのマムシである。藪山でもないのでまったく無警戒であった。すぐにスキー場にでた。このリバウェルスキー場は人工降雪機に頼る静岡県唯一のスキー場である。
 
 再び車道歩きとなった。この車道は尾根の西側直下を走り、山伏近くまで通じている。やがて県民の森に入った。このまま車道を進むとアツラ沢ノ頭を巻いてしまう恐れがある。どこかに登り口があればいいのだがと思いながら進むと、県民の森の管理センターに達した。展示場や休憩所があるようだ。道標があり、その裏手から稜線上を辿る遊歩道が作られていた。ひと安心して雑木林の中の小道を辿る。遙か下方で山肌を削りながら、奥仙俣集落からの林道の延長工事が進められている。やがてこの稜線に這い上がってくるのであろう。悲しいことだ。少し急な登りを耐えると、あっさりアツラ沢ノ頭に達した。展望はまったく利かないが、樹林の中の静かな頂である。山名は、大井川の一支流・アツラ沢に由来するのであるが、「アツラ」はおそらく「アテラ」の転嫁であろう。「アテラ」は「日の当たらない」とか「暗い」という意味がある。この頂から東南方向、安倍川に向かって大きな尾根が張り出している。この支尾根上には二王山、八森山、見月山などの山々が隆起する。いつの日か、二王山からここまで辿ってみたいものである。
 
 気持ちのよい雑木林の中を進む。櫟、楢、栗などの広葉落葉樹林で武蔵野の面影がある。うっとりしながら歩を進めると、突然足もとでガサガサという音。見ると大きな青大将が慌てて逃げていく。蛇も冬眠前の最後の食い溜めに励んでいるのであろう。いったん下った後、井川峠に向け登りが続く。木ノ実拾いをしている中年の夫婦に出会った。今日初めて会う人影である。ガレ場に出ると、右側に二王山のゆったりした山姿が見える。高度が上がるに従い、山毛欅や樅の大木が現われ出す。説明があり、「巨木とは地上1.5メートルの位置で胴回り3メートル以上の樹木をいう」とある。この辺りは一度伐採された二次林である。毛無尾根との別名もあり、昔は丸裸であったのだろう。この遊歩道の左側には、キャンプ場や、アスレチック場などのいろいろな施設があるようでいくつも小道が分かれる。
 
 顕著なピークを越えて、緩く下ると、13時35分、井川峠に達した。今年の4月以来半年ぶりである。前回と同様、人影もなく、峠は静まり返っていた。この瞬間、ついに山伏から無双連山までの大井川東山稜完全縦走が完成したのである。さて、縦走は無事完了したが今日の下山道を決めなければならない。井川に下ってみたいのだが、井川大橋の最終バスは、はっきりは調べてないが、15時半頃のはず。間に合うだろうか。飛ばせばなんとかなるだろう。休憩もそこそこに井川への下山道に踏み込む。林道を横切ると、遊歩道から山道となった。踏み跡は確りしており問題はなさそうである。所々現われる蜘蛛の巣が、このコースを今日辿るのは私がはじめてであることを示している。突然ギクリとして立ち止まる。何と蛇が登山道に長々と昼寝をしている。マムシのようだ。持参のストックで突くとようやくのろのろと藪に姿を消していった。危うく踏みつけるところであった。次第にアセビの木が目立つようになる。午後も深まると樹林の中は薄暗い。時間を気にしながら藪っぽくなった道を急ぐ。すると、またもや蛇である。マムシがのろのろと目の前を這っている。今日5匹目である。いい加減にしてくれと、瞬間頭に来てストックで殴り殺してしまった。後で考えれば可哀想なことをした。蛇が悪いのではなく、蛇の縄張りに私が踏み込んだのだ。
 
 ようやく林道に飛び出した。地図によれば、登山道は林道を横切りそのまま井川湖畔の岩崎部落に下ることになっているが、それらしき踏み跡はない。仕方なく、下山道を求めて林道を北へ辿る。林道は山腹を巻くようにクネクネと緩やかに下っていく。これはかなり遠回りを強いられそうだ。時刻はすでに15時近い。バスに間に合うか。乗り遅れたらそれこそ静岡まで54キロ歩くはめになる。走れ! ザックの腰バンドを締め、ひたすら走る。2キロも林道を走ると湖畔に下る細い林道が分かれ、「井川大橋へ」との道標があった。ようやく道は見つかったが、時刻はますます切羽詰っている。走りに走る。茶畑が現われ、湖畔の上坂本部落に達した。井川大橋までまだ一キロはある。さらに走る。マラソンで鍛えた足の見せ所である。岬を回ると目指す井川大橋が見えた。やれやれである。車の通れる長い吊橋を渡るとようやくバス停に着いた。15時20分である。バスの通過時刻は15時52分であった。
 
 目の前の井川湖は満々と水をたたえ、今年の夏の渇水で底の現われた哀れな姿が嘘のようである。この井川湖は、昭和32年に完成した井川ダムによって出現した。井川村の半数の家屋がが水に沈んだという。それと引き換えに、井川の人々は富士見峠越の自動車道路をようやく手に入れたのだ。美しい湖にも、山国の悲しい物語が秘められている。