富士見山ガスの中、ただひたすら夏薮をかき分けて |
1997年6月23日 |
身延山より富士見山を望む
堂平集落(630〜635)→作業小屋(735〜745)→山王分岐(850〜855)→御殿山分岐(925〜945)→平須分岐(955)→富士見山奥の院峰(1005〜1020)→富士見山三角点峰(1045〜1055)→富士見山奥の院峰(1110〜1125)→平須登山道→富士見山林道(1255〜1300)→車(1305) |
一昨日は季節外れの台風7号が東海地方を直撃した。夏至である昨日の土曜日は台風一過の快晴であったが、前日の飲み過ぎで動けず。今日の日曜日はもとの梅雨空である。この時期行く山がない。藪山は夏草が生い茂り、深南部は山蛭の最盛期である。しかし、無理矢理行ってみるとすばらしい山に出会うことがある。八紘嶺から七面山にかけての大原生林、蕎麦粒山のシロヤシオの大群生、金時山から明神ヶ岳にかけてのニシキウツギやヤマボウシの撩乱、伊豆山稜線歩道の落花のジュータンの道。今日は富士見山へ行ってみることにした。昨年の7月、身延山から初めてこの山を眺め、その格好いい山容に惚れ惚れした。以来、一度は登ってみたいと思っていた山である。富士見山は鳳凰三山から続く山稜の一峰である。この富士川と早川の分水山稜上には櫛形山、源氏山、御殿山、富士見山などが聳立している。
朝起きると小雨が降っている。天気予報は午前中曇り、午後から小雨であるのだが。4時50分、車で出発する。国道52号線を走るほどに雨は止んだが、周囲の山々は厚い雲のベールの中である。中富町で国道を離れ、寺沢川に沿った道をグイグイ登って行く。地図を眺めると、富士見山東面の標高700〜800メートルの等高線に沿っていくつもの集落が並んでいる。なんとも不思議な感じがする。6時30分、そのうちの一つである堂平集落に着く。十数戸の風格のある家々が斜面にへばりついている。その家の造りからして昔は養蚕で生計を立てていたのだろうが、現在は何を生業としているのだろう。 登山道はすぐにわかった。集落上部に「甲斐やすらぎの宮」という寺とも宮ともつかない宗教施設があり、その参道入口に登山道の標示があった。林道端に車を止めて、幟のはためく参道を登る。老婆が怪しい者を見張る目つきで、家の中から私を監視している。境内手前から登山道に入る。夏草が生い茂り、一瞬踏み込むのを躊躇する。それでも樹林の中にはいると夏草も消え登りやすくなる。よく整備された登山道で、点々と標示もある。ただし、夏山の常として、時々蜘蛛の巣が道をふさぐのが何とも鬱陶しい。植林とも自然林ともつかない樹林の中をジグザグを切って登る。今日は体調がよい。樹林の中は薄暗く、生き物の気配はない。約1時間で、右側にガレのある尾根に登り上げた。ここに作業小屋がある。小休止とする。 小屋のすぐ上に「シロの墓」との碑がある。愛犬の墓だろう。ここから道の状況は急変して、灌木と夏草の茂るひどい藪道となった。樹相も変わり、赤松林となる。刺草が多く、ズボンの上からでも痛い。おまけに今日は半袖で来たので灌木をかきわけるたびに腕も傷つく。蜘蛛の巣もにわかに多くなる。これだから夏の藪山は嫌だ。雲の中に入ったと見え、辺りはガスが渦巻き出す。藪の中に点在するコアジサイがわずかに目を慰めてくれる。尾根筋も消えた急斜面のトラバース道を進む。昨日誰か登ったらしく崩れた斜面に真新しい足跡がある。カラマツの点在する緩斜面を抜けると、再び急登となった。しかも、ものすごい藪道である。道型はわかるのだが、灌木に塞がれ、足元は濡れた夏草で隠されている。ストックを振り回して蜘蛛の巣を払い、手で灌木を押し広げる。時々刺の灌木を掴んでは悲鳴を上げる。ヒィヒィいって登ると、檜林の広がる緩やかな尾根が現われた。藪も消えてやれやれである。 すばらしい雰囲気の道となった。緩やかな尾根にはもはや藪はなく、乳白色に辺りを染めたガスの中にびっくりするほどの山毛欅の巨木が何本も幻想的に浮かんでいる。所々にコゴメウツギの米粒の様な白い花が見られる。このすばらしい原生林の中をうっとりしながら進むと、山王分岐に出た。鰺沢町と中富町との町界尾根にそって山王集落に下るルートが右に分かれるが、すでに廃道と思われる。幻想的な道もここまでであった。藪っぽいトラバース道を進むと、藪の繁茂するものすごい急登となった。灌木の枝を押し分けながらひたすら登る。ぽっと尾根に飛び出した。ついに主稜線に達したのだ。 稜線上には確りした踏み跡が続いている。右に行けば御殿山から十谷峠、富士見山は稜線を左に辿ることになる。ここまで朝食抜きで登ってきた。稲荷寿司を頬張りながら考え迷った。御殿山を往復してから富士見山へ行こうか。ここから1時間半もあれば往復できる。しかも時刻はまだ9時半、時間もたっぷりある。結局、直接富士見山へ行くことにした。尾根上の道は確りしているものの、所々藪は出ているだろうし、蜘蛛の巣を払いながら進むのは何とも鬱陶しい。しかも午後からは雨も降りだしそうであり、早く下山するにこしたことはない。尾根上にはマルバウツギが咲いている。花はコゴメウツギと見分けがつかないほど似ているが、葉がまるで違う。尾根道を緩やかに上下しながら20分も進むと左手より平須登山道が登ってくる。下山に使う予定のルートである。さらに10分も登ると、待望の富士見山山頂に達した。 岩の露出した割合狭い山頂は当然ながら無人である。小さな石祠と浜松神念会と記された参拝記念の板碑が何枚か建てられている。この頂は麓の念力教団の奥の院となっている。案内書では南アルプスの展望がすばらしいとあるが、今日は隣のピークさえ見えない。展望図が置かれており、それによると南アルプス主稜線のジャイアンツがすべて目の前に立ち並んでいることがわかる。残念である。ただし、今日この富士見山を丸ごと私が借り切っていると思えば、少しは気も慰む。さすが1600メートルを越えるピーク、休むと半袖では寒い。 確りした山頂標示もあるが、実はこのピークがはたして富士見山の山頂であるかどうかは問題である。富士見山の山頂部は小ピ−クが連続しており、明確な山頂が形作られていない。このピークからさらに南に3〜4個のピークを越えて行くと、1639.5 メートルの三角点ピークがある。この三角点ピークが標高も一番高い。古い案内書ではこの三角点ピークを山頂としており、現在私のいる約1630メー−トルピークを「奥の院」あるいは「展望台ピーク」と呼んでいる。ピークハンターを任じる私としては三角点ピークを踏まないまま下山するわけには行かない。小休止後、稜線をさらに南に辿る。ここまでの確りした登山道とは打って変わって、踏み跡程度のすごい藪道である。ほとんどの人が展望台ピークを山頂と認識してここで登頂を打ち切っていることがわかる。散りかけたレンゲツツジの朱が鮮やかである。急な上下を繰り返して藪を漕ぐと、三角点ピークに達した。カラマツと藪に囲まれた山頂は、二等三角点標石と小さなブリキの山頂標示が立ち木に打ち付けられているだけであった。 今日はここまで。下山に移る。展望台ピークまで戻り、さらに稜線を北に引き返して平須登山道に踏み込む。案内書によると、この登山道は念力教団の参拝道にもなっており、富士見山で最も整備された道とのことである。なるほど、道型も確りしており、頻繁に道標がある。藪もなく、蜘蛛の巣さえなければ駆け降りられるのだが。辺りは欝蒼とした山毛欅の樹林である。新緑の頃はさぞすばらしいであろう。相変わらずガスが辺りを乳白色に染めている。尾根筋とも思えない斜面をジグザグを切ってどんどん下った後、左に大きくトラバースする。谷の源頭の崩壊地を3〜4ヶ所横切るが、台風による大雨の後のためか、かなり悪い。杉檜の植林に入ると、作業小屋の横に鳥居と小さな祠が祀られている。さらにどんどん下ると、12時55分、富士見山林道に降り立った。この場所は平須集落の上部で、上水道施設と町営バスの平須停留所がある。案内書によれば、この林道を30分も左に辿れば車のある堂平集落に行けるはずである。ところが、林道を5分も歩かないうちに、目の前に我が愛車が現われびっくりした。堂平登山道も平須登山道も地図に記載されていないため、位置関係がよくわからなかったが、登山口は5分と離れていなかったのである。案内書は間違っている。 じめじめした梅雨空の中、展望もなく、蜘蛛の巣に悩まされながらの藪道の登山であった。この山の登山時期を完全に間違えたようである。ただし、一日誰にも会わず、富士見山を完全に独占した登山であった。 |