駿河惜別 富士山

弱小パーティを何とか山頂に引き上げる

1998年9月12日

 

影富士
 
富士丿宮口新五合目(730〜800)→新六合(815〜820)→新七合(855〜905)→七合(940〜1000)→八合(1030〜1050)→九合(1130〜1150)→九合五勺(1225〜1240)→浅間神社奥の院(1315〜1325)→剣ケ峰(1340〜1400)→浅間神社奥の院(1410〜1430)→九合五勺(1450〜1500)→九合(1520〜1530)→八合(1550〜1600)→七合(1625〜1640)→新七合(1740)→新六合(1755〜1800)→富士丿宮口新五合目(1820)

 
 今月末で6年半住みなれた駿河の地を去る。ひとしおの感慨が胸をよぎる。駿河の象徴・富士山にお別れの挨拶をしておこう。毎朝、玄関のドアを開けると、天気さえ良ければこの天下の名峰が出迎えてくれた。静岡の山に登れば、常に視界の先にはこの山が聳えていた。まさに、富士を見続けた6年半であった。

 もう一つ、富士山に登らねばならぬ理由がある。会社のA嬢に前々から富士山に一度連れて行ってほしいと頼まれていた。参加者を募ったところA嬢を含めた女性3人とK君の4人が手を上げた。8月末登山を予定したが、全国を襲った集中豪雨のため、延期となった。私の日程からして今日がラストチャンスである。

 9月初めにはすでに初雪も降り、六合目以上の山小屋がすべて閉鎖されたこの時期、素人4人を連れての登山に若干の不安はあるが、幸運にも移動性高気圧がすっぽりと日本列島を覆い、天気は安定している。6時に静岡駅で女性3人を車に乗せ、富士丿宮口新五合目に車を走らせる。本来、もう1時間は早く出発したいのだが、金谷に住む女性2人は一番列車で来てこの時間となる。7時30分、新五合目着。驚いたことに、駐車場はすでに満車に近い。この時期でもまだ富士山は賑わっている。ここでK君と合流。パーティ全員がそろった。1人ならすぐに出発できるのだが、女性連れだとそうもいかない。おまけん全員、焼き印のおしてある例の登山杖を買い込んできた。

 8時出発。上空は真っ青に晴れ、山頂のドームが手の届く距離に見える。下界はもやが深いが、安倍奥の山々、南アルプス南部から深南部にかけての山々、伊豆の山々が見える。山頂まで4時間程度を予定している。標準時間である5時間から6時間より早いが、ぺースさえ作ってやれば可能と考えている。私が先頭に立ってゆっくりゆっくり登る。ところが1時間ほど登った新七合で、「ペースが速すぎる」とのクレームがついた。ずいぶんゆっくり歩いているつもりだが、それでも早すぎるようだ。七合まで登ると、もう座り込んでなかなか腰をあげない。おまけにS嬢は気持ちが悪いと言いだし高山病の気配である。何とか八合まで引き上げるが、パーティの状況はさらに悪化する。S嬢は顔面蒼白で半ば倒れているし、A嬢も頭が痛いという始末。若いとき何回か富士山に登ったというK君も口には出さないが元気がない。どう見ても全員元気に山頂へ達するのは無理な状況である。リーダーとして決断せざるを得ない。K君にA嬢とK嬢を預け、山頂に向かうよう指示する。ただしこれ以上パーティを割らないこと、途中合流できない場合はかならずこの八合小屋で待ちあわせることを厳命する。私は倒れ込んでいるS嬢に付き添うことにする。全員ここで登頂を断念するのではまだ余力のあるA嬢S嬢にかわいそうである。

 この場所で3人を待つつもりでいたが、しばらく経つとS嬢が行けるところまで頑張ると言ってふらふら立ち上がった。山頂まではとても無理と思うが気力はまだあるようだ。ゆっくりゆっくり登りだすと、何と、先発したはずの3人がまだほんのすぐ上で座り込んでいるではないか。下から大声で叱咤激励する。九合で再び全員が一緒になってしまった。さらに叱咤して3人を先に行かせる。夏だと、この辺りから上は高山病となった人が点々と道端にへたり込んでいるのだが、さすがこの時期登るものは皆経験者なのだろう。へたり込んでいるものはいない。しかし我がパーティは惨憺たる状況である。せっかくパーティを2分したことも無意味であった。女性2人を預けた肝心のK君がブレーキとなっているようで、先発パーティは遅々として前進せず、九合五勺で3度全員が一緒になった。ここからがいよいよ胸突き八丁である。新たな決断をせざるを得ない。比較的元気なのはK嬢のみで、あとの3人はうつろな目をしてへたり込んでいる。1人1人の意思を確認する。ここまで来たらあとは気力の問題である。A嬢K嬢は山頂まで頑張るという。意外にも、ここまで登ってきたことさえ不思議と思えるS嬢も行くという。ところがK君はここで待つという。

 K君を残して出発する。ここを出発したら山頂まで休むところはない旨伝えてある。自ら行くと意思表示したことで、3人は意外な頑張りを見せた。13時15分、ついに山頂部の一角、浅間神社奥の院に到着した。神社は閉ざされていたが、コノハナサクヤヒメに登頂成功の感謝の祈りを捧げる。一息入れた後、剣ケ峰山頂までもう一頑張りすることを伝える。ここまで来たからには、何としても3776メートルの山頂を踏ませてやりたい。時間的余裕はないが、14時までに下山開始すれば何とかなるだろう。幸い天気の崩れる気配はない。3人にザックをデポさせて剣ケ峰に向かう。13時40分、ついに山頂に達した。精根尽きたのだろう。S嬢は板敷の上に倒れこんでしまった。山頂は数人の登山者がいるだけであった。

 制限時間いっぱいの14時、下山に掛かる。高山病は高度さえ落とせば治るはずなので、帰路は大丈夫だろう。奥の院まで下ると、何と、K君が登ってきたではないか。「いくら何でも、男のメンツがつぶれるので、ここまでやってきた」と、苦笑している。全員そろったことを喜ぶ。

 何とか明るいうちに下山しなければならない。追い立てるように下山を促す。何とか八合目まで下ろすが、ここで再びS嬢が頭痛と吐き気を訴えへたり込む。この高度まで降りれば高山病は回復の兆しを見せるはずなのだが。このままだと日が暮れてしまいバーティ全員が危険となる。再度K君に3人先に下山するよう指示する。私はS嬢に付き添い叱咤激励して七合目まで下ろすが、先発パーティも遅々として下山できず、再度全員一緒になってしまった。ここでS嬢は完全にダウン。病状のますます悪化を訴える。高山病にしてはおかしい。不安になる。先に進もうとしない3人を怒鳴りつけて下山を促す。

 いつまで休んでいても埒は明かない。S嬢のザックを私のザックに括りつけ、支えるようにして下山させる。すぐ前を先発の3人がまだのろのろと歩いている。宝永山が残照に赤く染まっている。大きなザックを担いだパーティが登ってくる。山頂でテントを張るのだろう。新七合でまたもや全員一緒になってしまう。辺りは薄暗くなりだす。私1人気をもむが、下山は遅々としている。S嬢も何とか歩けそうである。はるか下に新六合の小屋が見える。あすこまで行けば安全圏である。ようやく小屋が近づいてきた。やれやれである。宝永山の右手に影富士が出現した。今日は最後まで晴天が続き助かった。

 ついに新六合の小屋に全員ほぼ同時に到着した。あれほど苦痛を訴えていたS嬢も「もう治った」とけろっとしている。やはり高山病であつた。足元も見えにくいほど暗くなったが、ここからはハイキングコース、心配はない。見るとみんなびっこを引いて歩いている。足の筋肉が痛くてまともに歩けないと言っている。

 すっかり暗くなった18時20分、全員無事新五合目の駐車場に下り立った。よくぞ無事下れたものである。皆気力はあったが、富士山に登る体力はなかったと言わざるを得ない。少しは反省したことだろう。私にとっては半日コースである富士登山も、慣れないものには大変に登山のようである。

 これで駿河ともお別れである。富士山は故郷埼玉からも冬にはよく見える。この山を眺めるたびに、静岡での生活を思い起こすことであろう。

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