四度目の富士山

駿河の象徴に静岡移住のご挨拶

1994年8月28日


白山岳より剣ヶ峰を望む
 
富士宮口新五合目(710)→富士宮口山頂(1045)→剣ヶ峰(1105)→お鉢回り→富士宮口山頂(1300)→富士宮口新五合目

 
 「富士山に一度も登らない馬鹿、二度も登る馬鹿」という言葉がある。私は過去に三度登っているので、馬鹿の部類である。この偉大なる通俗・富士山は、もはや私の登山意欲をかきたてはしないが、私も静岡に居を定めて2年7ヶ月、それこそ毎日この山を眺めて暮らしている。やはりこの駿河の名峰に一度はご挨拶をしておくのが礼儀であろう。また、過去三度の登山はいずれも裏口である富士吉田口からなので、表登山道・富士宮口から一度は登っておきたい。

 8月最後の日曜日、富士山もそろそろ空いた頃であろう。朝5時過ぎに家を出て、7月より無料となった富士山スカイラインを富士宮口新5合目に向かう。天気は上々であるが、夏霞が非常に濃く、目指す富士山はぼんやりしか見えない。富士宮口新5合目に着いてびっくりした。駐車場は超満杯で、あぶれた駐車の列が道路に沿ってはるか下方まで伸びている。私も駐車場から1キロ以上も下方の道路脇に止めるはめとなってしまった。この早朝に登ってくる車は少ないところからして、この大量の車は夜間登山者のもののようだ。富士山は、この季節でもまだ賑やかである。15分も車道を歩いてようやくスタ−トラインに立つ。登山口のサ−ビスセンタ−は早朝にもかかわらず下山者でごったがえしていた。登山口から一段上がったところに展望盤があり視界が開けている。あいにくの夏霞で下界は見えないが、正面には愛鷹連峰が見え、その背後に万三郎岳をはじめとする伊豆半島の山々が盛り上がっている。1000メ−トルちょっとの伊豆半島の山々がこれほど高く見えるとは思わなかった。秋になったら行ってみよう。右手には南アルプス南部の山々が霞の上に顔を出している。大無間山、光岳、上河内岳、聖岳が確認できる。つい2週間前に登った上河内岳の尖った山頂が懐かしい。ここからは赤石岳以北は山陰となってみえない。山頂での展望を期待しよう。

 7時10分、登山を開始する。見上げる斜面には蟻の行列のごとく登山者の列が続き、一定の間隔をおいて山小屋と鳥居が点々と見える。そしてその頂点、青空との境には真っ白な測候所のド−ムがそびえている。あそこが目指す山頂である。距離感がなく、一気に駆け上がれそうな感じさえする。富士山特有のざらざらした登りにくい道を進む。こういう一本調子の急登をこなすにはこつがある。歩幅を狭め、速度を押えてリズムカルに歩くことだ。ゆっくり歩くが、結局私が一番早い。山頂まで一人も抜かれなかった。夜行登山した人がどんどん下りてくる。この富士宮口は登山道と下山道が分離していないのでわずらわしい。ここでは登り優先の山のル−ルも通用しない。登るに従い、視界はますます大きくなる。どういうわけか伊豆半島方面だけモヤが次第に薄まり、石廊崎が見え、その左に伊豆大島が霞んでいる。通過する山小屋は店仕舞いの準備に忙しい。8合目以上はもう営業もしていなかった。1合目ごとに小休止を挟みながら着実に高度を上げる。子供と外国人が目に付く。やはり日本一の山・富士山である。

 10時45分、あっさりと浅間神社奥宮のある富士宮口山頂に達した。昼食休憩も含めて三時間半で登ったことになる。特別に飛ばしたわけでもないが速いものだ。郵便局も奥宮ももう営業していない。すぐに剣ヶ峰を目指す。試しに少々ジョギングしてみたが、別にどうとも感じない。私の心肺機能は相当なものだ。直下はブル道のものすごい急登で歩きにくい。地響きを立ててちょうどブルド−ザ−が登ってきた。11時5分、日本最高点に到着。27年ぶり、3度目の3776メ−トルである。小さな展望台があるので登ってみたが、夏霞が濃く、伊豆半島方面以外展望はゼロであった。朝方見えていた南アルプスも雲が掛かって一切見えない。がっかりである。測候所の建物の横に板座敷のようなところがあるので、そこに寝っ転がって3776メ−トルの昼寝と洒落込む。気温は8度程度なのだが、燦燦と降り注ぐ太陽の光を浴びるとTシャツ一枚なのに暑いぐらいである。登山者の多くは、各登山道の山頂で満足すると見えて、この最高点まではほとんど登ってこない。

 小1時間の昼寝の後、お鉢回りに出発する。ここから先、人はほとんどいない。外周道をたどることにする。見下ろす火口には残雪はまったくなく、今年の猛暑が忍ばれる。大沢崩れの上部にあたる白山岳に掛けてはかなり悪い。白山岳の登りは踏み跡も絶え岩登りである。山頂近くでポタリポタリと水が染み出している日本最高点の泉を見つけた。この3756メ−トルの白山岳は、剣ヶ峰に続く日本第二の標高を誇る三角点峰である。物の本によっては、このピ−クを日本で二番目に高い山としている。視界がよければ故郷の山・奥秩父連峰が見えるのだが、今日はあいにくである。下って富士吉田口山頂である。ここはまさに富士山の銀座通り、山小屋は営業していないものの多くの登山者でごった返していた。火口を一周して富士宮登山口山頂に戻る。

 しばらく二度目の昼寝を楽しみ、午後1時下山に掛かる。なんとも下りにくい道である。岩と細かい砂の路面であるため、滑って非常に危険である。富士山の下山はやはり砂走りに限る。富士宮口にもかつて下山専用の砂走りがあったとのことだが、現在は廃止されている。一度滑って両手に擦傷を負ってしまった。本来長袖に手袋をして下るべきなのだが。この時間になってもどんどん登ってくる。結局登山口に着くまで登山者の列は切れなかった。この時期でも富士山は24時間登られているようである。子供が高山病でひっくり返って、困り果てている親が多かった。これだけは防ぎようがない。下り着いた新5合目は観光客でごったがえしていた。

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