七度目の富士山 

体調不良で苦しい登山

2002年8月25日


剣ヶ峰を望む
 
富士宮口5合目(020)→6合目(045)→新7合目(125〜135)→7合目(205〜215)→8合目(255〜315)→9合目(410〜430)→9合5勺(505)→富士宮口山頂(600)→剣ヶ峰(630〜700)→御殿場下山口(715)→宝永山分岐(840)→富士宮口新6合目(925)→富士宮口5合目(935)

 
 OL生活をしている次女が富士山に連れていけという。富士山は過去6度も登っており、今更登山意欲の湧く山でもない。しかし、次女だけは子供の頃に富士山に連れていっていない。以前住んでいた静岡市からだと楽々日帰りのこの山も、鴻巣市からだとどうしても一日半行程となる。ただし、大混雑する山小屋へ泊まるのはこりごりである。となると、夜行登山をせざるを得ない。
 
 富士山に最初に登ったのは1967年で、このときは1人で富士吉田口から夜行登山した。2度目は1979年で、当時6歳の長女を連れて富士吉田口から7合目に1泊して登った。3度目は1986年、当時5歳の長男を連れて同じ行程で登った。4、5、6度目は静岡市に単身赴任しているときで、富士宮口から日帰り登山をしている。

 夜8時、車で自宅を出発する。今回は富士宮口から登るつもりである。鴻巣からだと距離的には富士吉田口の方が近いが、富士山が大混雑するこの時期、富士吉田口の5合目駐車場は絶望的だろう。富士宮口なら5合目駐車場が満車でも下に向かって順次路肩駐車をさせてくれる。天気予報は「曇り時々晴れ、朝晩雨」とすっきりしない。ガスが渦巻き何も見えない天気でなければよいが。御殿場付近は雨であったが、富士インターで降りる頃にはやんでいた。

 家から242キロ、4時間走って、富士宮口5合目に着く。予想通り、大混雑で駐車場は満杯であったが、500メートルほど下の路肩に駐車できた。支度を整え、0時20分、ヘッドランプをつけて勝手知った道を登り出す。頂上まで4時間程度を予定している。絶えることなく続く登山者の列が山頂を目指す。夜行登山が日常的に行われるのはおそらく世界中でも富士山だけだろう。新6合目の小屋はそのまま通過し、新7合目の小屋前でひと休みする。いつものペースで順調に登り7合目小屋に到着。ここまでTシャツ1枚で登ってきたがさすがに寒い。長袖のシャツを着る。幸い天気は穏やかで、風もなく、満月が時折雲間から顔を出す。

 さらに8合目を目指すが、どうも体調がおかしい。ふらふらしてバランスがとれない。おまけに吐き気がする。高山病の症状である。過去6度の登山では、高山病の気配さえ感じたことがないのにどうしたことなんだろう。大幅にペースダウンして何とか8合目小屋まで達するが、気持ちが悪くて動けない。元気に握り飯を頬張っている次女に「ここで待ってるから1人で頂上まで行って来い」というが、「いやだ」という。行けるところまで何とかと思い、フラフラと登り出す。雲間にオリオン座が輝いている。どうにか9合目の万年雪山荘にたどり着き、営業中の食堂に座り込む。室内は暖かく、ほっと一息つく。1時間千円で寝かしてくれると云うので、よほど寝込もうかと思ったが、思いとどまる。ここまで来たら這ってでも山頂まで登らなければならないだろう。外は明るくなり始めている。
 
 懐電も不要となった道をフラフラと登り続ける。ここまで来ると道端に倒れている人も数多い。5時5分、9合5勺小屋着。小屋前に倒れ込む。しかし、じっとしていると寒くて仕方がない。東の空が茜色に染まり、日の出はもうすぐである。水平線に少し雲がある程度で、空は快晴である。いよいよここから胸突き八丁。最後の力を振り絞って山頂に向かう。すぐに山の端が黄金色に輝きだした。列をなす登山者も、各々立ち止まり日の出を迎える準備にはいる。我々も岩陰に陣取り、カメラを構える。薄くたなびく雲の隙間から閃光が漏れた。ご来光である。歓声が上がる。何度見ても荘厳な一瞬である。富士山に登る多くの人は、この一瞬を見るためにやってくる。24時間に必ず一度起こるこの自然現象をこれほどまでに神聖視する民族は、おそらく日本人だけだろう。やはり「日出る国の民」である。
  
 日の光を浴びると、気分も晴れやかになる。症状も和らいできた。一気に急坂を登りきり、山頂の一角に達した。コノハナサクヤヒメの座す浅間神社の前の広場は登山者でごった返している。そのまま剣ヶ峰を目指す。見慣れた山頂測候所のレーダードームがない。2001年に取り払われて今は富士吉田市にあるはずである。馬の背の急斜面を登り、6時30分、日本最高地点に登り着いた。この山頂も、続々と登山者が押し寄せ、日本最高地点の碑の前での記念撮影は順番待ちである。板敷きに座り込んでのんびりとサンドイッチを頬張る。いつの間にか、あれほどひどかった症状は収まっている。あれは一体何だったのだろう。高山病なら、高度が上がって直ることなど絶対にないはずである。
 
 御殿場登山道を下る。この登山道を下り、宝永山のところから富士宮登山道新6合目に抜けるコースは、知る人ぞ知る秘密のルートである。富士宮登山道は登りコースと下りコースが同じため、混雑するこの時期とてもまともに下れない。御殿場登山道は登山口の標高がわずか1440メートル(富士宮口は2400メートル)のため、人気がなく、いつ歩いてもガラガラである。今日も、御殿場登山道にはいると、それまでの喧噪が嘘のように消えた。登山者の列に切れ目のない富士宮登山道に比べ、こちらは視界の中にぽつりぽつりである。それでも時折登ってくる人とすれ違う。幼稚園生ぐらいの男の子が父親と手を繋いで登ってきた。何ともほほえましい。「がんばれ」と励ますと、「僕がんばるぞ」と大きな声の答えが返ってきた。
 
 8合目の赤岩八合館前でひと休みする。いかにも岩室という感じの泊まってみたい山小屋である。7合目の小屋は閉鎖されていた。結局開いていたのはこの小屋だけであった。砂走りを快適に駆け下りていくと目の前に宝永山が現れる。御殿場道と分かれて、宝永大噴火の火口の底に下る。小石の厚く積もったもの凄い急坂である。一歩3メートル、跳ぶように下れる。少し登ってトラバース道を進むと、富士宮登山道新6合目に出る。急に人が湧き出した。9時35分、無事5合目の駐車場に下り着いた。
 
 江戸時代、富士山の先達になるには7度以上の富士登山経験がなければならなかった。私もこれで先達の資格を得たことになる。
 
 帰路確認すると、駐車の列は駐車場から2.4キロ下まで伸びていた。ここからだと、スタートラインの5合目まで登るだけで小1時間掛かるだろう。8月下旬でも富士山はまだまだ大にぎわいであった。   

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