|
|
|
|
管理棟(655〜705)→わしの巣風穴(714)→2合目(725)→4合目(736)→雄岳・雌岳分岐(754)→8合目(802)→雄岳山頂(816〜826)→8合目(837)→雄岳・雌岳分岐(843)→雌岳山頂(856〜907)→避難小屋(919)→屏風岩(921)→オンマ谷分岐(939)→石の祠(947)→蒸し湯跡(954〜959)→オンマ谷分岐(1006)→水沢山登山口(1016)→電波塔(1032)→水沢山山頂(1045〜1057)→電波塔(1109)→水沢山登山口(1121)→つつじが丘(1130〜1135)→管理棟(1151) |
赤く色づいた庭の柿の葉も散り終え、秋もそろそろ終わりである。一日中晴天との天気予報に誘われて、山に行ってみる気になった。前回、岩櫃山というハードな岩山に登ったので、今回はのんびりしたハイキングの山がよい。いろいろ思い巡らした結果、榛名山へ行ってみることにした。この山には過去二度ほど登ったが、まだ未踏のピークが幾つか残っている。
今回は、二ツ岳と水沢山に登ってみることにする。いずれも、榛名山塊に連なる幾つものピークの中の一つである。榛名山は数十万年前に活動を始めた大円錐火山で、その底径は28キロ×22キロにも及ぶ。水沢山は約1万年前の活動で生じた溶岩ドームで、三角形の峻険な山容を誇る。一方、二ツ岳は6世紀前半の活動で形成された溶岩ドームで、雄岳、雌岳と呼ばれる二つの丸いピークが並び立っている。榛名山はこの6世紀前半の活動を最後として噴火活動を休止している。ただし、今後いつ活動を再開するとも知れぬ活火山である。 夜明け前の5時15分、車で家を出る。関越自動車道を走るうちに夜が白々と明けてくる。渋川・伊香保インターで高速を降り、伊香保温泉に向けひたすら坂道を登る。温泉地としてそれなりに名の知れた伊香保温泉だが、平日の早朝のせいか、人影はおろか通る車さえない。さらに、ヘアピンカーブを繰り返し、榛名山山頂部へと登る。ようやく顔をだした朝日の水平照射が眩しい。 家から1時間40分、101キロ走り、6時55分、目指す「県立伊香保森林公園管理棟」に到着した。道脇に整備された駐車場が用意されている。ここが二ツ岳への登山口となる。付近に人影はなく、駐車場に先着の車もない。7時5分、管理棟に置かれていた森林公園の案内図を頂戴して出発する。 この地点から直接、二ツ岳へ取りつく登山道もあるが、先ずは、山裾を北西方向に少し回り込んだところにある「わしの巣風穴」に向う。鋪装道路と平行する遊歩道を進む。辺りはただ一面落葉広葉樹の林である。伊香保温泉付近では、まだ木々に色づいた葉が残っていたが、標高約1000メートルのこの付近では、木々は完全に葉を落としている。降り積もった落ち葉を踏んでの前進である。 約10分で、「わしの巣風穴」に到着した。山腹に、人が屈んで入れるほどの穴が開いている。噴出した溶岩が冷え固まる際に生じた割れ目である。富士山山麓に多く見られる風穴や氷穴と同じである。この地点からいよいよ二ツ岳への本格的な登りが始まる。林の中は未だ陽が射さず寒い。今年初めて手袋を着用する。 林の中の登山道をグイグイと登っていく。風もなく、落ち葉を踏みしめる音のみが響く。木々は全て葉を落としている。辿る登山道は、火山地帯の特徴を示す。すなわち、岩が折り重なり、まるで石段を登るようである。このルートは案内書では家族向けハイキングコースとあるが、危険個所こそないものの、一本調子の急な登りが続く。ただし、今日の私は快調である。息も切らせず、グイグイと登っていく。 休むこともなく約40分登り続けると、雄岳と雌岳の鞍部に登り上げた。先ずは雄岳へのルートを採る。登山道は更に急勾配となり、道に折り重なる岩も荒々しさを増す。8合目でオンマ谷駐車場からの登山道が合流する。ただひたすら山頂を目指す。どこまでも林の中で展望は開けないが、木の間隠れに山頂に建つ電波塔が見えてきた。 「たかの巣風穴」から休むことなく登り続けること約1時間、ついに雄岳山頂に達した。山頂には「榛名山二ツ岳デジタル送信所」との看板を掲げた大きな建物と巨大な電波塔が建っている。その周りに幾つかの岩峰がそそり立っていて、どこが山頂なのか分かりにくい。建物奥の一番高そうな岩峰に登ってみると、山頂標示と小さな石の祠が安置されていた。どうやらここが山頂と思われる。しかし、山頂部は積み重なった岩と潅木で、座る場所とてない狭いさである。また、すっきりした展望も得られず、岩から身を乗りだすようにしてわずかに南方の展望を得る。潅木の枝越しではあるが、眼前に、凄まじい絶壁をまとった相馬山、その右奥には榛名山の核心部である榛名湖と榛名富士が望める。送信所の裏に同じような高さの岩峰があり、展望がよさそうなので登頂を試みてみたが、危険を感じ、途中で諦めた。 下山に移る。山頂滞在中に人の気配はまったくなかった。17分の下りで雄岳と雌岳の鞍部に下り着いた。道標に従い、今度は雌岳への道に入る。雌岳山腹を巻く水平な道を少し進むと、四阿があった。案内書や道標の表記は「避難小屋」だが、屋根と柱だけの建物で「小屋」とは言い難い。この地点から雌岳山頂に登り上げる道が左に分かれる。かなり急な登りであるが、延々と板と丸太で階段整備されている。登り易いような登りにくいような道である。突然、空から風に乗って銀色の粒が舞ってきた。何と、風花である。今日は典型的な冬型気圧配置。上越国境に降り注ぐ雪の一部がここまでやって来たのだろう。 約10分ほどの登りで雌岳山頂に達した。潅木の中の小さな頂きで、山頂標示と小さな石の祠が置かれている。少々潅木が邪魔になるが東方に視界が開け、これから向う水沢山がまるで定規で画いたような正三角形の端正な山容を霞んだ空に浮かべている。隣りの雄岳は木の間隠れに、ちらちらと見えるだけである。山頂は相変わらず風花が激しく舞い、他の登山者の現れる気配はない。 山頂を辞す。次ぎに向うのは水沢山である。避難小屋まで下り、道標に従い「オンマ谷」標示の方向へ進む。しばらく水平な道を進むと左側、すなわち、雌岳の山肌は絶壁となり、「屏風岩」との標示がある。道は露石の間を右へ左へと縫い、迷路のごとき下りとなる。頻繁にロープが張られ、辿るべきルートを示している。これほど下ってよいのかと思うほど下ると、立派な木の桟道で谷を渡ってオンマ谷分岐の三差路に到着した。道標に従い、「つつじが丘、管理棟」方面に進む。 道はすぐに分岐し、道標が尾根伝いに進む道を「つつじが峰」、谷へ下っていく道を「蒸し湯跡」と示している。水沢山登山口へはどちらの道を採ってもよさそうである。「蒸し湯跡」に寄ってみたいので谷に下っていく左の道をとる。道は緩やかに下り続けるのだが、どこまでも丸太で階段整備されている。歩きづらく、いらいらがつのる。途中、石の祠が祀られていた。 9時54分、「蒸し湯跡」に下り着いた。廃虚と化した小屋が一軒建ち、傍らに説明書きが掲げられている。それによると、「この地は大正初期まで温泉の蒸気が噴き出しており、蒸し湯(スチームバス)による湯治場が営まれていた。旅館も4軒あった。しかし、大正初期に蒸気の噴出が止まり、湯治場としての機能を失った」とのことである。 ルートはここで2分する。更に谷に沿って下っていく道は「管理棟」、再び尾根に登り上げていく道は「水沢山」と道標が示している。車のある「管理棟」へこのまま下ることも可能だが、時刻はまだ10時前、予定通り水沢山を目指すことにする。尾根に向って緩やかに斜登していく。この道も丸太の階段道、いい加減にしてくれと、文句の一つも言いたくなる。尾根に達すると蒸し湯跡の手前で分かれた尾根道と合流する。尾根を乗越し少し下ると、車道に飛びだした。その向かい側が水沢山登山口であった。 雑木林の中のよく踏まれた登山道を進む。しばらくは水平な道である。木の間から水沢山山腹に建つ無線中継局の鉄塔が見える。あそこまで登ればちょうど半分だ。ただし、この登りは相当急峻なはずである。いよいよ登りにかかった。木の根岩角を踏んでの急登である。ただし、今日の私の歩みはいたって快調である。グイグイ登っていく。突然、中年の女性単独行者とすれ違った。今日初めて山中で出会った人影である。登るに従い傾斜はますます急となる。 約15分の登りで、無線中継局鉄塔に登り上げた。展望を期待したのだが、潅木に阻まれ、背後にそそり立つ二ツ岳の姿をすっきりとは望めない。諦めて先を急ぐ。ここからはナイフリッジの痩せ尾根の登りとなった。所によってはガリガリに痩せた尾根の両側が絶壁となっていて恐怖さえ感じる。おまけに、風が強い。風の息を見計らって渡る。男性の単独行者とすれ違った。水沢山には大分登山者が入っている気配である。 やがて上方から人声が聞こえてきて、ついに山頂にとびだした。時に10時45分、登山口から29分で登ったことになる。標準登高時間が40分であるから大分早い。山頂には夫婦連れと女性の単独行者の3人が休んでいた。山頂は狭く数人で一杯になる広さである。1194メートルの三角点と展望盤が設置されている。展望磐があるだけに山頂からの展望は絶佳である。360度完全に視界が開けている。ザックを降ろす間も惜しんで、眼前に広がる大展望に見とれる。 登り来し方、すなわち西方を眺めれば、つい先ほどその頂きに足跡を残した二ツ岳の雄岳と雌岳の丸い頭が並び立ち、その左手に相馬山の鋭い穂先が空に突き上げている。北方を眺めれば吾妻川が視界を横切り、その背後に小野子三山と子持山が大きく裾を引いている。その更に奥に見えるはずの上越国境の山々は、残念ながら、押し寄せる雪雲の中である。南方は奥秩父や西上州の山々の連なりが見えるが、霞が深く個々の山は確認できない。展望磐によると富士山が見えるはずなので、懸命に目を凝らすも無駄であった。先着の女性が「先ほどまでは見えたのだがーーー」と言っていたがーーー。東方には関東平野がどこまでも広がっている。座り込み、握り飯を食べながら無限に広がる景色を見続ける。その間にも、幾つかのパーティーが東、水沢観音方面から登ってくる。水沢山登山ルートとしてはこちらのルートが本道であり、私の登ってきた西側からのルートはいわば裏ルートである。相変わらず雪花が舞い続けている。 下山に移る。登ってきた道を戻る。ナイフリッジの尾根を慎重に下る。危険というほどではないが、躓きでもしたら一巻の終わりである。登ってくる男二人連れとすれ違い、先に山頂を出発した夫婦連れを抜き去る。山頂から25分で、登山口である鋪装道路に下り立った。あとは、この鋪装道路をしばらく辿れば、愛車の待つ管理棟に行き着くはずである。途中、展望台のある「つつじが丘」で水沢山の姿を改めて眺め、11時51分、無事愛車の待つ管理棟に帰り着いた。 帰路、伊香保温泉で一風呂浴び、早い時間に家に帰り着いた。
登りついた頂
|