大峠山と源氏山

深い笹をかき分け、一等三角点の山から原生林の山へ

1998年6月20日


 
池の茶屋(820〜830)→烏森山分岐(925〜940)→大峠山(1005〜1025)→烏森山分岐(1045)→源氏山分岐(1105〜1110)→源氏山(1120〜110)→源氏山分岐(1155)→烏森山分岐(1210〜1215)→水場(1240〜1245)→池の茶屋(1305)

 
 今年の梅雨入りは6月2日であったが、それまでの暖春が嘘のように一転して梅雨寒となった。何しろ、先週の土日、埼玉に帰省したときはストーブを焚いていたのだから。6月にストーブを焚いたのは記憶にない。左足首の痛みは負傷から1年経つというのに一向に回復しない。整形外科に行ってみたが、靭帯が伸び切っているとのことで「気長にリハビリをするんだな」である。最近どうも気分はブルーである。梅雨のこの時期は登山意欲も湧かない。近郊の薮山はどこも夏草が生い茂り、蜘蛛の巣とヘビが行動を妨げる。とは云っても休日に家でぼんやりしているのも情けない。南アルプス前衛の烏森山(大峠山)と源氏山に行ってみることにした。この山域とて夏薮が濃いことには変わりがないが。

 鳳凰三山を盛り上げた山並みは富士川と早川の分水稜線として南に長々と続いている。この山稜上には櫛形山、源氏山、御殿山、富士見山などの二千メートル前後の山々が連なっているが、いたって地味な山域のため、櫛形山を除けば、その頂に人影を見ることは少ない。公共交通機関の便の非常に悪い山域なのだが、最近の林道の無茶苦茶な開削は、皮肉にも車を使えばこの山域の登山を容易にした。烏森山や源氏山も、この稜線を乗っ越す丸山林道を使えば、容易に日帰りできる。

 朝6時、家を出る。各地に警報が発令された大雨も明け方前に上がり、今日は久しぶりの晴天が約束されている。通いなれた国道52号線を北上する。増穂町で右折し、市街地を抜けて山間の道をジグザグを切りながら平林集落を目指して登っていく。突然目の前が開けて、山の斜面一杯に大きな集落が出現する。この瞬間は驚きというより感動的である。決して緩やかでもないこの山の斜面に、小学校まであるこれほどの集落が何故発達したのだろう。集落上部で、赤石鉱泉への道と別れて丸山林道に入る。舗装されてはいるが道幅も狭く、ガードレールがないので怖い。それでも気持ちがよいほどぐんぐん高度を上げていく。四駆が一台先を走り、後ろからも追いついてきた。おそらく櫛形山に行くのだろう。櫛形山もこの林道を利用すれば、わずか30分で山頂に立てる。1500メートル以上も一気に登って稜線上の鞍部・池ノ茶屋峠に達する。ここで櫛形山に向う池ノ茶屋林道が分かれる。峠付近は遊歩道などが作られ整備されている。結局、この丸山林道も「林道」とは建前で、観光道路として整備を進めているようである。峠の2〜300メートル先が源氏山登山道入口であった。

 空き地に車を停めて登山道に踏み込む。今日は、若干後ろめたいが、稜線まで車で登ってしまったのでたいした登りはない。登山道は幸運にも笹刈りがなされている。これなら薮漕ぎの心配もない。南アルプス主稜線の山々が右側の潅木の間に見え隠れしている。正面に見える端正な三角形の山はどこだろう。その左奥にも二つの山が重なるように見えている。いずれも谷筋にはまだ豊富な雪が残っている。振り向くと、ひときわ高い鋭角的な山が見える。この山はまごうことなく北岳である。どこか展望の開けた場所に出たらゆっくり山座同定をしよう。10分も進むと、何と笹刈りが終わってしまった。物事はそうはうまくいかない。ルートは稜線の右側を巻道となって進む。踏み跡は明確であるが、季節柄薮道である。まわりは手入れの悪いカラマツの植林で、林床は笹と潅木がびっしり覆っている。小さな上下を繰り返しながら巻道は続く。下草の露でズボンはビショビショである。幸運なことに、いやな蜘蛛の巣が一切ない。先行者がいるためかと思ったが、周囲にも一切蜘蛛の巣は見られない。昨年の同時期、隣りの富士見山に登ったさいはかなり蜘蛛の巣に悩まされたのだが。しかし、足もとのよく見えない薮道はヘビがいそうで気持ちが悪い。ストックで薮を突つきながら慎重に進む。

 ガレ場を慎重にトラバースすると、案内書にあった水場に出た。冷たい水が流れているが、じめじめしたところで休む気になれない。ところが、50メートルも進まないうちに、行く手をものすごいガレ場に阻まれた。「どうやって渡るんだ」。一瞬考えてしまう。ガレの縁に沿って危なっかしい踏み跡があるのだが、ちょっとバランスを崩しても、あるいは足元がちょっと崩れても、谷底へまっさかさまである。そうかといって巻くルートもない。どうにかトラバースしたが、帰路再び通らなければならないかと思うとぞっとする。再び、単調な薮の巻道となった。コースを塞ぐ笹がうっとうしいし、時々アザミがズボンの上からちくりと刺す。先行者がいるようないないようなはっきりしない。

 登山口から約1時間進むと、薮の中の鞍部に出た。初めて道標があり、稜線を左から巻いていく踏み跡を「源氏山」、右から巻いていく踏み跡を「仙城方面」と示している。この地点が烏森山分岐と思えるが、烏森山を示す標示は何もない。ただし、左側のものすごい笹の密叢の中に踏み跡の気配が微かにある。入り口に赤テープが巻かれているところを見ると、これが烏森山へのルートに違いない。一休みしていたら、同年輩の単独行者が源氏山方面からやってきて、烏森山へのルートと思える笹の密叢に踏み込んだ。しかし、10メートルも進まないうちに引き返してきた。「源氏山まで行ってきたが、烏森山はとても無理そうなので、引き返して櫛形山へでも寄る」と言って丸山林道へ引き返していった。先行者の気配があったが彼だったようである。さて、今度は私がチャレンジする番である。藪山の天才をもって任じるものとしては、彼のようにあきらめるわけにはいかない。背を没するものすごい笹薮に突っ込む。それでも足元には微かに踏み跡が確認できる。無謀にもTシャツ一枚でこの薮漕ぎをしている。笹の葉で腕は無数の傷が生じる。ザックの中には長袖のポロシャツも軍手もあるのだがめんどくさい。どうにか笹の密叢地帯を抜けると、ルートは山稜の左側をトラバース気味に斜高する。踏み跡はかなり薄いが何とか認識できる。最後は右に急斜面を直登して、ついに烏森山山頂に達した。

 潅木に囲まれた山頂は小さく切り開きされていて、その真ん中に一等三角点補点・三角点名称「大峠」があった。西側だけが潅木が薄く、南アルプス主稜線の山が見える。さっそく山座同定を開始する。今朝ほどからちらちら見えていた正面の端正な三角形の山は悪沢岳である。悪沢岳がこんなにきれいな山容で見えるとは驚きである。その左奥の二つ重なる山は小赤石岳と赤石岳である。赤石岳の隋峰にすぎない小赤石岳がまるで独立した山のように見える。残念ながらあとの山は見えない。時折ガスが上昇気流に乗って湧き上がり、山々は見え隠れしている。人のめったに訪れることもない山頂に座り込んで握り飯を頬張る。心満たされるひとときである。

 不思議なことに、この1907.6メートルの一等三角点峰は山名が定まっていない。二万五千図にも山名の記載はない。案内書でも「烏森山」と「大峠山」が混在している。山梨の山に詳しい山村正光氏と 小林経雄氏が各々の著書で山名を考察しているが、古文書の類をひも解いてもはっきりしないらしい。古文書にある「烏森山」という名称もこのピークを特定する名前ではなく、この付近の山一帯を総称した名前のようである。また、地元の一部では「大峠の峰」とも呼んでいるようである。三角点名称「大峠」はこのピークの西にある大峠(現在の名称「足馴峠」)から借りたものだろう。最近はこの三角点名称に因み「大峠山」とも呼ばれるようになっている。

 2度と訪れることもなさそうなこの頂を後にする。笹の密叢も下りは速い。分岐に戻り、源氏山に向かう。これまで以上に細くなった踏み跡は山稜の左側をトラバースしながら下って行く。左側には今登った烏森山が見える。下りがいくぶん急になると、正面に目指す源氏山が見えた。ドーム型の鋭鋒で一際目立つ。その左肩奥には何と真っ黒な富士山がはっきりと見えるではないか。二つの特徴的な峰の並ぶきれいな景色である。急な斜面をジグザグに下ると、完全に崩壊した作業小屋があった。小林経雄氏の著書「富士の見える山」に昭和57年6月に十谷温泉から源氏山―池の茶屋―櫛形山と二日掛かりで縦走した記録が載っているが、その際泊まった小屋がこの小屋のようである。すぐ先が源氏山分岐であった。この地点は主稜線と源氏山との鞍部で、十谷温泉からの出頂の茶屋を経由する確りした道が登ってきている。この道は主稜線を足馴峠で越えて西山温泉へ通じる「湯島道」と呼ばれた昔の峠道である。現在は登山道として整備されているようで確りした道標も建てられている。ただし、この地点から先、足馴峠を経て西山温泉へ続く峠道は既に廃道と思え、それらしき微かな道跡が笹薮の中にわずかに確認できるだけであった。

 小休止後、尾根通しに源氏山に向かう。急に踏み跡がはっきりした。十谷温泉から先ほどの鞍部を経て源氏山に登るルートが源氏山へのメイン登山道なのだろう。急登に掛かる。まわりは気持ちのよい原生林に変わるが、足元にはさび付いたワイヤーロープがいくつも現れる。古い伐採跡なのだろう。相当な急登で息が切れるが、今回の山行きで登りらしい登りはここだけである。傾斜が緩み、うっとりするような原生林の中の入った。コメツガ、モミ、カエデの大木が茂り実に気持ちがよい。同じような原生林は隣りの櫛形山山頂部にも残されていた。昔はこの山域はみなこのような原生林に覆われていたのだろう。すぐに源氏山山頂に達した。鬱蒼とした原生林のただ中で、展望はないが、心安らぐ頂である。案内書にある「昭和26年7月25日 競歩大会之地 十谷青年団建立」と彫られた小さな石盤と「山梨百名山」と彫られた真新しい木柱が建てられていた。物音一つしない薄暗い原生林の中でしばし心の洗濯をする。

 この山頂に昔、甲斐源氏の祖 新羅三郎義光の城塞があったとの伝説があるが、真偽は不明である。源氏山の名前はこの伝説に因む。帰路は早い。源氏山分岐を過ぎ、烏森山分岐まで一気である。相変わらずの晴天であるが、ちらちら見える南アルプスの高嶺はすでに山頂部を雲が覆い隠している。再び危険きわまりないガレ場のトラバース地点に達した。このガレ場がある以上この道はとても一般登山道とは言えない。このルートを記している案内書は無責任である。何とか無事越えてほっとする。水場で一休み。冷たい水でのどを潤す。あとはのんぴりと上下の少ない巻き道を戻るだけである。薮も乾いて濡れることもない。1時過ぎ、何事もなく愛車に帰り着いた。

 この日は静岡、甲府とも33度を越す今年最高の気温を記録した。

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