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栗駒バス停(810〜815)→栗駒集落(820)→登山口(830〜840)→送電鉄塔(905)→約890m峰(940〜945)→権七峠(950〜955)→参謀本部山(1010〜1025)→744m峰(1055〜1120)→749m峰(1140〜1150)→中河内川(1305〜1320)→林道入口(1325)→林道終点(1345)→694m峰(1505〜1510)→大段山(1530〜1535)→茶畑(1610)→林道(1630)→中沢バス停(1640〜1705) |
二万五千図「駿河落合」を見ると、安倍川最大の支流・中河内川とその支流・西河内川を分ける山稜上にぽつんと「権七峠」との記載がある。文献にもいっさい登場しないこんな峠名がなぜ二万五千図に記載されているのか不思議である。しかし、戦前の古い五万図を見ると、中河内川流域の栗駒集落と西河内川流域の大沢集落を結ぶ峠道が記載されており、昔両流域を結ぶ小さな峠であったことがわかる。権七峠西隣の九五二・四メ−トル三角点峰は、地図に山名の記載はないが、静岡市岳連発行の「静岡市の三角点100」に「権七山」として栗駒集落からの登頂記録が載っている。地元では「参謀本部山」とも呼ばれているようである。権七峠付近にNHKのアンテナがあり、そこまでは確りした踏み跡があるが、ピークに達するにはかなりの藪漕ぎが必要なようである。
一方、安倍川右岸に連なる見月山山稜から中河内川と西河内川の合流点に向け一本の支稜が延びている。地図を見るとこの支稜の最低鞍部を一本の破線が乗っ越している。地図に峠名の記載はないが、昔からの峠道であろう。この峠の南側に693.3 メートルの三角点峰がある。「静岡市の三角点100vによるとこのピークは大段山とか中沢山とか呼ばれているようである。参謀本部山と大段山を結んで歩いてみようと思った。どちらも重箱の隅を突いたような安倍奥の山である。参謀本部山から中河内川右岸稜を縦走して奥池ヶ谷集落に下る。ここから今度は地図の破線を辿って大段山北の鞍部に登り、山頂を往復して反対側の中沢集落に下る計画である。かなり長大なルートになるが、時間切れなら奥池ヶ谷集落で行動を打ち切ればよい。 新静岡センター6時50分発のバスに乗る。いつもの通り最後は私の貸し切りバスとなって、8時10分、栗駒バス停に着いた。空は薄曇りで、予報によると天気は下り坂、夜には雨となる。中河内川を渡って対岸の栗駒集落に入る。茶畑に囲まれた戸数3〜4軒の小さな集落である。「玉川ハイキングコース」の標示にしたがって集落を抜け、茶畑の広がる台地に出ると目の前にこれから登る中河内川右岸稜が大きく広がる。辿ってきた農道が右に大きくカーブする地点でルートは上部に向かう茶畑の畔に移るが、肝腎のこの地点に何の標示もない。少々迷ったが、茶畑の最上部に出ると、ここに「NHKテレビ中継所」の道標があり、ルートの正しさが確認できる。 杉檜林の中の確りした道を急登し、最初の450メートルピークを巻き、尾根に戻ってジグザグを切って登る。「NHK」の標示が頻繁にあり、ルートに不安はないが、登りは意外にきつい。30分も登ると、送電線鉄塔に出る。ひと休みしてさらに植林の中の急登を続ける。痩せ尾根を経ると自然林となった。と同時に、プラスティックで階段整備されたものすごい急登となる。薄日が差してきて、振り返ると二王山から見月山へ続く稜線がぼんやりと浮かんでいる。あまりの急登に時々立ち止まり、呼吸を整える。登山口からちょうど1時間で、ついに稜線に達した。権七峠東側の約890メートルの平頂である。樹林の中で展望はない。ひと息入れた後、稜線を東に向かうNHKの標示と別れて西に緩やかに下る。踏み跡は途端に細くなるが、それでもテープもありルートははっきりしている。ほんの5分ほどで権七峠に達した。杉檜の樹林の中の何の変哲もない鞍部である。昔の峠道が微かに確認できるが、もはやこの峠を越える人もいないだろう。こういう忘れられた峠に立つと、なんとも言えない感慨が胸を過る。 小休止後、952.4 メートル三角点峰に向かう。「静岡市の三角点100」には藪がひどいとあったが、どうということもない。わずかに残雪が現われた。約15分の登りであっさりと山頂に達した。まったく展望のない樹林の中に二等三角点「上落合」が確認できる。こんな山に登る物好きが私以外にもいると見えて、「参謀本部山」との標示がいくつか見られる。薄暗い山頂は物音一つせず薄ら寒い。 辿ってきた踏み跡は山頂から先、さらに西に続いている。しかし、私はここから稜線を南にたどる計画である。南斜面は尾根筋もなく、背を没するスズタケが密生していて踏み跡の痕跡もない。コンパスで方向を定め、スズタケの密生する急斜面に突入する。藪を抜けると薄暗い樹林の中に出た。ただし、二重山稜のような実に複雑な地形で、尾根筋もはっきりしない。二万五千図を頻繁にチェックするが、さすがの二万五千図もこの地形は充分に表せていない。左から確りした踏み跡が合流する。おそらく三角点峰を巻いてきた昔の権七峠道であろう。峠道と別れ、次の744メートル標高点峰の登りに入る。複雑な地形は終わり、明確となった尾根上には微かに踏み跡がある。ひと登りで山頂に達した。直下に送電線鉄塔があり、今日初めての展望が開けた。目の前に大岳が大きくそびえ、眼下には大沢の集落が小さく見える。大岳から山並みは左に、天狗岳、大棚山と続く。振り向けば、見月山山稜の奥に安倍川東山稜の真富士山が確認できる。薄日が差し、ぽかぽかと暖かい。 鉄塔巡視路となり見違えるほど確りした尾根道をわずかに下ると、再び送電線鉄塔に出会う。山腹を巻く巡視路を鞍部で見送り、再び微かな踏み跡を追って尾根を辿る。小峰を越えると小屋掛けがあり、中で鉄ビンが湯気を立てていたが人影はない。下でチエンソーの音がしている。749メートル標高点峰に向け緩く登っていく。途中で主稜線が右に分かれるのだが、分岐地点は確認できなかった。山頂が近づくと突然目の前が大きく開けた。山頂の西面が大きく伐採されており、実に景色がよい。切り株に腰を下ろして心行くまで山々の展望を楽しむ。それにしても、大岳は何と大きいことか。山頂で右にルート変え、切れ切れの踏み跡を追う。樹林の中で藪もなく歩きやすい。犬をつれた二人連れの鉄砲打ちと出会った。こんな藪山で人に出会うとは驚きである。693メートル標高点付近に達すると、尾根は大きく広がる。踏み跡はあるような、ないような感じである。420メートル標高点付近を過ぎどんどん下っていくと、いつのまにか下藪がきつくなり、踏み跡の気配も消えた。ルートを間違えたかなと思いながらさらに少し下ると、絶壁のような急斜面の上に出てしまった。明らかにルートを間違えている。標高点付近で左に曲がる尾根分岐点を通り過ぎてしまったのだ。登り返して正しい尾根筋を見つける。急な尾根を下ると送電線鉄塔があり、ここからは巡視路となった。 ほんの5分ほどで、ついに中河内川に下り着いた。これで「藪山縦走前半の部無事終了」と思いきや、思わぬ試練が待ち受けていた。対岸にバス道路があるのだが、目の前の中河内川には橋はおろか、飛び石もない。渡渉するしか方法はなさそうである。真冬に渡渉とはなんてこった。意を決して靴を脱ぎ、ズボンの裾を捲って川に飛び込む。10メートルほどの川幅なのだが、流れは意外にきつい。しかも川底の石はヌルヌルしていて流れに足をとられそうである。深さは膝上まである。ストックでバランスを取りながら慎重に進む。水の冷たさが痛さとなって神経を激しく刺激し、我慢できない。無事に渡り切った。やれやれである。 ここで行動を打ち切ってもよいのだが、予定通り大段山に向かうことにする。ただし、時刻は既に1時20分、急がなければならない。100メートルほどバス道路を歩いて、地図にある峠道に入る。しばらくは林道である。沢沿いに20分ほど歩くと林道は終点となった。沢はわさび畑となっており、その中を上部に向かう踏み跡を見つける。地図の破線だろう。しばらく進むと、踏み跡は次第に怪しくなる。水量はわずかなのだが、沢は到るところ流木で埋まりかなり荒れている。ついにまったく踏み跡の痕跡はなくなった。さてどうする。戻るか。それとも強引にこの荒れ沢を遡行するか。もう30分だけ進んでみよう。 流木を乗り越え、岩をよじ登って遡行を継続する。それにしてもひどい荒れ方だ。次第に沢は狭まり、両側から落石もある。地図では一本の沢なのだが、いくつかの枝沢が分かれ、本谷を辿っているのか少々自信がなくなる。詰めに入った沢はますます急峻となり、ついに高度計が560メートルを示す地点で前進不能となる。稜線まで高度差あと100メートルほどだろう。いまさら戻るのも癪だ。左岸の急斜面に逃げる。とはいっても、斜度60度以上ありそうなものすごい急斜面だ。一歩間違ったら谷底まで転落である。立ち木を支点に必死に絶壁をよじ登る。はるか上空に稜線が見える。足元がずるずると滑る。そのたびに立ち木に抱きつく。どのくらい時間が経過しただろう。ついに沢の左岸稜に登り着いた。何とこの尾根には奥池ヶ谷集落付近から登ってきたと思えるはっきりした踏み跡があった。ほんのひと登りで送電鉄塔の立つピークに達した。鉄塔のおかげで現在位置は明確である。目指した鞍部南側の694メートル峰である。ほっとして、座り込む。 さてどうする。時刻は既に3時を過ぎており、日没まであと2時間。しかも、いまだ下山路が確保されていない。しかし、ここまで来たからには目指す大段山に行かぬわけにはいかない。大急ぎで往復し、中沢集落への下山路が見つからなければ、最悪、足元の踏み跡を奥池ヶ谷集落に下ろう。巡視路となった尾根道を南にほんの2〜3分下ると、巡視路は尾根を離れて中沢集落方面に下っている。しめた! この巡視路を下山路に使おう。尾根はこの地点で右に曲がり緩やかに下って登る。ルートは次の小ピークでほぼ直角に左に曲がるのだが、踏み跡は真っ直ぐについており、少々分かり難い。緩やかに下りだすと割合はっきりした踏み跡が現われた。ただし、赤布の類はいっさいない。踏み跡は次の約710メートル峰を左から巻に掛かる。しばらく進んでみるがこの踏み跡はルートではない。日暮れとの競走であり気が焦る。戻って、踏み跡はおろか赤布一つない斜面をピークへ登り上げる。ルートはここで再び右に90度曲がるのだが、深い樹林に覆われどこが山頂とも分からないほど広々とした地形で、帰路この分岐をうまく特定できるだろうか。不安が頭を過る。緩く下って次の710メートル峰に向かう。欝蒼とした杉檜林の中の広々とした尾根で、どこでも歩ける代わりに位置確認が極めて難しい。既に樹林の中は薄暗く、果たして帰路正確にルートを戻れるかいっそう不安が募る。うねりさえもなくなった尾根はいっそう広々としてくる。 ついに到着した。樹林の中にぽつんと三角点がある。三角点名「落合村」、693.3 メートルの二等三角点、大段山山頂である。さすがここまでやってくる物好きもいないと見えて、登山記念の山頂標示はいっさいない。代わりに「静岡の三角点100」で5年前に登った際の三角点標示が残っている。すっかり薄暗くなった深い樹林の中は物音一つしない。よくぞここまでやってきたものだ。しかし感慨に耽っている暇はない。日暮れが迫っている。記憶を頼りに、目標物とてない樹林の中を慎重に辿る。どうにか巡視路まで辿り着いた。あとはこの道が下界まで通じていることを祈るだけである。急坂を下ると次の送電線鉄塔に出た。確りした踏み跡はさらに下へと続いている。もう大丈夫だ。ものすごい急坂をどんどん下っていく。踏み跡は地図に破線のある沢を横切り、見月山山稜側に移る。中沢集落側の峠道も消滅しているようだ。道は緩やかとなり、樹林の中に点々と石垣の積まれた地点に出る。集落の跡だろうか、茶畑の跡だろうか。巡視路はいくつか分岐するが、下へ下へと下る。はるか下に中沢集落に続く林道が見えてきた。もう一息である。山仕事の帰りの60年配の男性に追いついた。「どこからきたづら」「奥池ヶ谷から山を越えてきたのだが」「道はなかったづら」「地図にはあるのだが、苦労しました」「昔はあったんだが、通るものがいないので消えてしまったづら」「上の石積みの跡は集落跡ですか」「戦後まもなくまでは茶畑があったが、今はあんな上ではやらなくなって」。すぐに林道に降り立った。わずかな距離だが中沢集落の自宅前まで軽四輪に同乗させてもらった。 |