安蘇の山 行道山稜縦走

縦走路は途絶え、思いがけずハードな薮漕ぎ

2004年1月20日


 
入名草バス停(900)→ 巨石分岐(905)→ 藤坂峠(920〜930)→ 319メートル峰(940)→ 石宮のピーク(1000〜1015)→ 387.9メートル三角点峰(1030〜1040)→ 馬打峠(1105)→ 引き返し地点(1130)→ 320メートル分岐ピーク(1140)→ 行道峠(1150〜1155)→ 434メートル峰(1225)→ 鞍部(1230)→ 行道山山頂(1235〜1250)→ 大岩山(1300)→ 車道(1310)→ 毘沙門天(1315)→ 277.4メートル三角点峰(1330〜1345)→ お地蔵さんの鞍部(1400)→ 両崖山(1420〜1425)→ 鏡岩広場(1455)→ 機神山山頂古墳(1510)→ 織姫神社(1515)→ 足利市駅(1535)

 
 行道山は足利市北部に聳える標高わずか441.7メートルの低山である。しかし、関東百名山にも選ばれており、安蘇の代表的な山として知られている。山頂から足利市内へ向かって伸びる山稜上にはハイキングコースが開かれており、初級向け縦走コースとして案内も多い。一度は登っておかねばならぬ山である。ただし、行道山から足利市内までの縦走は半日コース。いかにも物足りない。2万5千図「足利北部」で、行道山からさらに北へ続く稜線を目で追うと、地図の一番北端に藤坂峠と記載があり、車道が乗越している。ここから縦走を開始し、行道山を越えて足利市内まで歩けばちょうど一日コースとなりそうである。

 北鴻巣発6時57分の下り列車に乗り、熊谷で羽生行きの秩父鉄道に乗り換える。行田を過ぎると、奥秩父連山の背後に真っ白な八ケ岳連峰が見えだす。鴻巣では見ることのできない山並みである。それにしても、今日は何と視界がよいことだろう。山頂からの展望が楽しみである。羽生で東武伊勢崎線に乗り換える。目は車窓に釘付けとなる。どこまでも広がる関東平野の背後に丹沢、奥多摩、奥武蔵、奥秩父、西上州の黒い山並みが続き、その背後に富士山、八ケ岳、浅間山の真っ白な山々が頭をのぞかせている。反対側の車窓に目を移せば、安蘇の低い山並みが重なり合いながら奥へ奥へと続いている。

 足利市駅着8時18分。駅前にはすでに寺沢入口行きの田沼町営バスが待っていた。ただ一人の乗客を乗せて、マイクロバスは足利市内を横切り、山懐へと入っていく。「お客さん誰もいないねぇ」「この時間は空の時が多いでねぇ。どこへ登るんだい」「藤坂峠から縦走しようと思って」「雪が少しあるかもしれないなぁ。2〜3日前に降ったから」。ちょうど9時、入名草バス停で降りる。「気つけて」。運転手の声に送られ、藤坂峠に続く車道を歩き始める。小さな集落を抜け、名草巨石群への道を分けると、峠に向けての登りとなる。日陰にわずかに残雪を見る。見上げる空は真っ青に晴れ渡り、一片の雲も見られない快晴であるが、風が少々ある。

 二つほどヘアピンカーブを経ると、あっさり藤坂峠に登りついた。切り通しとなった峠には、車道開通記念碑のみが立ち寒々としている。切り通しの上まで急な階段を登りひと休みする。雑木林の間から山々が見える。初めての山域のため、一見では地形が分からない。地図を取り出し、行道山と深高山を確認する。両山とも初めて見る山であるが、なかなかの山容である。今日のよき目印となりそうである。

 尾根上には「関東ふれあいの道」としてハイキングコースが開かれており、今日一日、距離は長いが、ルートファインディングの苦労はなさそうである。最初のピーク319メートル標高点峰を過ぎ、急登すると小さな石宮のあるピークに達した。地図上の360メートル峰で、雑木林に囲まれた明るいピークである。これから向かう行道山がよく見える。目を右に振ると奥武蔵山群の背後に真っ白な八ケ岳連峰がくっきりと見える。ひと休みして、朝食の握り飯をほお張る。

 平坦な尾根を進んだあと、小さなピークをいくつ越える。縦走路は明確で、道標も頻繁にある。尾根はおおむね雑木林で、ときおり檜の植林が混ざる。石宮ピークから約15分で387.9メートル三角点峰に達した。設置されているベンチでひと休みする。行く手には三つの頂を持つ行道山が高々とそびえ立っている。とても400メートルを少し越えた低山とは思えない姿である。さらに先に進む。地図を見ても、藤坂峠と行道山との間の山稜には、山らしい山はなく、ただただ小さなピークが連続しているだけである。風がいくぶん強まり、上空では木々がざわめいている。しかし、尾根上にはひとの気配もなく、踏み分ける落ち葉の音のみが耳に達する。

 やがて細い車道の乗越す馬打峠切り通しの上部にでた。ここに明和4年銘の「妙義山一三度講供養塔」と刻まれた石碑が建っていた。檜林に囲まれ薄暗い馬打峠に降り立つ。舗装されているが通る車もない。馬打峠の由来についての説明書きがある。「馬を鞭打つほどの急な峠道であったためとの説、および、足利某が馬から落ちたことにより、馬落ちが馬打ちに訛ったとの説がある」。

 切り通しの反対側に急登して尾根に戻り、さらに登っていくと小ピークに達した。ここで、道が二つに分かれている。ピークをそのまま真っすぐ下っていく細い踏み跡があり、一方、ハイキングコースと思える確りした道は左に下っている。新旧の道標があり、左に下る道を行道山浄因寺と示しており、真っすぐ下る踏み跡は何も示していない。立ち止まって一瞬考える。浄因寺は行道山の麓の寺。うっかりすると稜線を離れて、麓に下ってしまう。左の道を織姫神社と示す道標を確認し、安心して左の本道を下る。織姫神社は今日の縦走の終着点である。本来ここで地図を確認するべきであったのだが。檜林の中の尾根を緩やかに7〜8分下り、ふと、木の間から右手を見ると、何と、南に続く稜線が見えるではないか。明らかに道が違う。この道を辿ると浄因寺に下ってしまう。あの道標はいったい何なのだと心の中でブツブツ言いながら分岐ピークまで登り返す。

 細い踏み跡に踏み込む。ところが小さな鞍部に下ると踏み跡は怪しくなった。潅木と笹の薮の中を微かな気配を求めて小ピークに達する。ピークの下りから踏み跡らしき気配も絶えた。ただし、目指す稜線上であることは確かであり、また所々に赤テープを見る。潅木の枝を掻き分け、まばらに生えた笹を押し分け下ると鞍部に達した。道型のいまだ明確な踏み跡が乗越ているが、この道型は完全に廃道化し、薮に包まれている。地図を取り出し現在地を確認する。行道峠と記載されている場所である。鞍部の反対側稜線は背を没する笹藪に包まれ果たして歩けるのかどうか。

 ここにいたってようやく事情を理解した。ハイキングコースは先ほどの分岐ピークからいったん浄因寺に下り、改めて行道山へ登るように付けられているのだろう。分岐ピークと行道山の間の稜線上には道がないのだ。であるがために、分岐ピークにしつこい程の道標が立っていたのだ。しかし、私は当初よりあくまで稜線を辿って藤坂峠から行道山に達する計画である。故にこの薮ルートは計画通りである。稜線上に道がないのは予想外であったが。道がないならないで得意の薮漕ぎをするまでである。

 背を没する笹藪の中に突入する。薮の薄いところを縫って上部に向かう。もはや赤布はないが、時々現れる境界標の赤い頭のプラスティック杭がルートの正しさを教えてくれる。傾斜が緩むと同時に前進不能となった。左手に大きく回り込む。すると不思議なことに細い踏み跡らしき気配が現れた。踏み跡を辿る。すぐにルートはものすごい急登となった。もはや薮は姿を消したが、厚く積もった落ち葉はズルズルと足を滑らせ、危険を感じる程の急登である。立木に掴まり一歩一歩這い上がる。登りきれば行道山のはずである。

 何とかこの急斜面を登りきり薮っぽい尾根を進む。小ピークを左に曲り次のピークに達すると、欠けた石像がありようやく人の気配が現れた。ここは行道山の一角、地図上の434メートル標高点ピークのはずである。鞍部に下ると、浄因寺から登ってきたハイキングコースと合わさった。やれやれである。設置されたベンチに腰を下ろし一息つく。

 よく踏まれた道を登っていくと、上から人声が聞こえてくる。山頂は近い。12時35分、ついに行道山山頂に達した。山頂には4人パーティと単独行者がのんびりと休んでいた。今日山中で初めて出会うパーティである。眼前には素晴らしい展望が広がっている。ザックを下ろすのももどかしく、展望に見入る。先ず目に飛び込んできたのは日光白根山である。その兜のような山容は一目で同定できる。真っ白な山並みを左に追うと、左肩が段となった皇海山の独特な山容が目に留まる。そのさらに左は袈裟丸山である。視界の正面には大きな大きな赤城山が山頂にいくつもの峰々を聳立させながらでんとそびえ立っている。その左手遥か彼方にうっすらと続く真っ白な山並みは上信国境の山々、本白根山が同定できる。八ケ岳の山並みがさらにその左に続く。目を大きく戻し、北方を眺めると男体山と女峰山が見える。山頂を囲む雑木がわずかに視界を妨げると言えども、期待通りの大展望である。ようやくベンチに腰を下ろし、遅い昼食の握り飯をほお張る。後では、4人プラス1人が、目の前の赤城山の峰々の同定で喧々諤々意見を戦わせている。そうしている間にも足利市方面からの登山者が三々五々と到着する。

 この行道山山頂で今日の予定の道半ばである。ただし、ここからは完全なハイキングコース、もう何も心配はいらない。緩やかな尾根道を辿ると大岩山に達した。正面に真っ白な浅間山が見える。樹林の中の急斜面をジグザグを切ってグイグイ下ると舗装道路に飛び出した。道標に従い山腹を巻く舗装道路を5分も下ると毘沙門天に達した。山中にしては大きな寺院である。この毘沙門天は大和の貴信山、京都の鞍馬山とともに日本三大毘沙門天の一つだとのことである。山門から急な石段を下り、舗装道路を5分ほど辿ると、再び稜線を辿る登山道にでた。次の274.4メートル三角点峰に登り上げる。腹も減ったので、雑木に囲まれた山頂に座り込む。木の間越しに下ってきた大岩山が高々とそびえ立っている。おばちゃん5人パーティが追い越していった。

 すぐにおばちゃんパーティを追い越し、三つほど小ピークを越すと真新しい地道の林道の乗越す鞍部に達する。さらに小ピークを越えて進むと、お地蔵様の立つ鞍部に達した。雑木林に囲まれた特徴のないピークが次から次といくつも現れ、飽き飽きする。いったいいくつピークを越えたら気が済むんだ。一人ブツブツ言いながら足早に進む。少し急な階段整備された登りを経るとようやく目標とした両崖山251メートルに達した。

 山頂は天然記念物だというタブの大木の茂る薄暗い広場で、御嶽神社が祀られている。説明書きによると、この辺りは中世の山城の跡で石垣などが残っているとのことである。ひと休みする。どうやらここで山道も終わったようである。石段を下ると眼下に足利の街並の広がりが見えてくる。登山者ではなく散歩をしていると思われる人と頻繁にすれ違うようになる。展望台となった櫓を過ぎると急な岩尾根となり、行道山以来初めて大きく展望が開けた。立ち止まって目を凝らすと、午後の霞んだ視界の先に奥秩父の山々がうっすらと見えているではないか。同定を試みる。ついに木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山と続く奥秩父主稜線をはっきりと確認した。この地点から奥秩父の山々を同定できるものはそうはいないだろう。内心で一人満足する。

 道は公園内の遊歩道となった。入り組んだ道を適当に進むと、古墳のあるピークに達した。幾神山山頂古墳との標示がある。石段をどんどん下っていくと、ついに織姫神社に達した。今日の終着点である。ときに3時15分。いささか足に疲れを覚えた。長い石段を下り、足利市内を歩き、渡良瀬川を渡り、足利市駅に向かう。

 余り面白味のある縦走路ではなかったが、久しぶりの長距離歩行、足腰の訓練にはなっただろう。

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